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2.2015年4月 茨城県土浦

 南西からの風に乗って今年も桜前線は順調に北上を続け、東京郊外の街々でも桜並木は満開を迎えようとしていた。東京都心から北東へ伸びる近郊列車、そのボックス席を2つ占領して、彼らも桜前線のように南西から北東へ向かっていた。彼ら5人のグループ(男性3人、女性2人)は同じ大学の同級生でこの4月に2年生になったばかり、割と仲が良く一緒に行動することは多かったが、今は各々が自分のスマートフォンやタブレット、ノートPCに首っ引きで思い思いの行動に没頭していた。

 それまでスマートフォンで自分のブログを更新していたイサムだが、窓の外を確認すると他の4人に「そろそろだよ」と声を掛けた。電車の進行方向左側には、関東平野が広がり、田畑と線路に並行して走る国道、その脇にならぶロードサイド店舗が続き、そしてお目当てのものが窓枠に入ってきた。工場と煙突、その煙突の上に乗ったカップラーメンの巨大なパッケージ。

 「ほんとだ。ちゃんと煙まで出てる」と答えてくれたのはサクラさん。5人の中では一番の年長者だけあって、すぐにフォローを入れてくれた。

 「きゃーっ、おもしろおい。」はミクちゃんの素直すぎる感想。

 「さすが、NO1ラーメンメーカーだな。」とはノートPCから顔をあげたタカユキだが、直ぐにパソコンの画面に顔を戻す。

 残り一人のアキラは、イヤホーンをつけたままタブレットから顔をあげなかった。この根っからのアニメオタクは、暇さえあればどこででも撮りためたアニメを一人見入っていた。

 そもそも今回の花見ツアーは、アキラがメッセンジャーアプリで皆を誘ったのがきっかけだった。「教官仕様の10式戦車が展示される」から、というのがその理由。花見の場所は陸上自衛隊の土浦武器学校。普段は一般人が立ち入れない自衛隊基地だが、基地内の桜が満開となる時期に一般開放している。そこで自衛隊の最新の戦車がお披露目されるらしい、それもアキラが愛するアニメと同じ塗装をして。アキラに言わせれば、聖地巡礼の一種で行くのが当然、ということになる。どうもアニメオタクというのは、普段は夜行性・屋内性動物の癖に、アニメで登場した土地や街を巡る「巡礼」となると、がぜん昼行性・屋外性動物となるようで、アキラにしても大洗への「巡礼」は十数回、これはと思ったアニメなら日本全国、そのアニメで登場した街やモデルとなった建物だけを巡って旅していた。京都へ行っても、世界遺産の神社仏閣には目もくれず、出町にある昔ながらのアーケード街で一日を過ごすらしい。

 ミリタリーマニアのタカユキが、一番にメッセージを返した。10式(ヒトマル式、と呼ぶそうだが)戦車は既に何度も見ていて新鮮味はない、としながらも「世界で最初のかつ最後の第4世代戦車(苦笑)」だから見れるなら見ておいた方が良い、ということだそうだ。後でイサムが「(苦笑)」の意味を尋ねると、タカユキはたっぷり25分かけて第二次大戦後の戦車の歴史から、冷戦後の戦車の役割の変化から、現代戦車の優劣比較から意味を説明してくれた。ミリタリーマニアとしては、豊富な情報量の一端を披露できる機会(ウンチクを語れる場)は逃したくないということになる。一方では普通にアニメ好き、美少女好きなのは変わらず、今一番ハマっているのは軍艦を美少女化したゲームで、アキラと良く「雪風ちゃん」がどうの、いややっぱり「島風さん」が最強、などと盛り上がっていた。

 「予科練だからね。」これはサクラさんの返事。花見の場所、陸上自衛隊土浦武器学校は、かって旧日本海軍の予科練の基地があった場所だそうだ。バリバリの歴女であるサクラさんに言わせれば、現代人などどうでも良く、歴史上の人物が愛情の対象だった。中でも新撰組、近藤勇がダンゼンで、忠義に生き時代に逆らっても己を貫いた隊士こそ、理想の男性像と公言して憚らないような女性だった。一度有名国立大学を卒業しながら、改めて彼らが通う私立大学へ入学し直したという異色の経歴だが、この大学を選んだ理由も隣町にある新撰組研究サークルに通いやすいからだという。そんな彼女にとって、祖国に殉じた若者たちの姿は新撰組隊士に相通ずるものがあり、歴女心の琴線を刺激したようだ。

ミクちゃんは、ウサギキャラのスタンプで参加に○をつけた。高校生からの熱心なコスプレイヤーでイベントの常連、大胆な衣装とポッチャリ体型のミスマッチで、ファンも多い人気者だった。ちょうど大きなイベントが終わったばかりの時で、彼女としてものんびりしたかったのだろう、割と普通の服装で参加してきた。迷彩柄のトレーナーに、背中には「Kill You」の文字を自分でプリントしていたが(ちなみに前には「Love Me」の文字)。そのミクちゃんから、当然来るよねと誘われたのがイサムだった。

 北海道の出身、高校時代の成績はあまり良くなく、受かった大学の中で割と就職に強いことから今の大学を選んで東京へ出て来た。実際は東京の隣なのだが。我ながら地味めの特徴のない男子と思っているが、唯一他人へ誇れるものがあるとすればラーメンだった。毎日のようにラーメンを食べ、その感想をせっせと自分のブログにアップしていた。休日や講義の合間には、ネットやガイドブックで調べた有名店へ遠征し、写真を撮ってはやっぱりブログにアップする。学生でお金も限られる中行ける範囲は限られていたが、美味しい店の美味しいラーメンを食べ、写真を撮り、ブログにコメントを書き、それを誰かが読んで「いいね」と言ってくれるのを待つのが何よりも楽しみだった。生き甲斐といっても良い。幸い大学のあるエリアは関東でも屈指のラーメン激戦区であり、近場でもブログのネタにこと欠くことはない。駆け出しのラーメンフリークとしては、今日のツアーも新店開拓がメインであり、昨夜は遅くまで花見の後に行く土浦のラーメン店のチェックに時間を費やした。

 土浦駅から青い線が入ったバスで15分、土浦市の隣町に陸上自衛隊土浦駐屯地・武器学校はあった。警備の自衛隊員が立つ正門を抜けると、満開から散り始めた桜の花びらがそこかしこに舞っていた。桜並木の下を、5人が思い思いにスマホで写真を撮りながら歩いて行くと、広場の一角にアキラお目当ての10式戦車が展示されていた。タカユキの解説付きで、戦車周りや上に登って中を覗き込み一通り撮影を終えると、盛んに写真を撮りまくるアキラを残して自由行動となった。サクラさんは予科練の記念館へ行くといって、ミクちゃんも一緒について行った。タカユキは「三式見れないかな」と言いながら自衛隊の展示施設に向かった。独り残ったイサムは、ラーメン店へ行くまでの時間を持て余し、取りあえず基地の中の桜並木を端まで歩いてみることにした。

 木々には溢れんばかりの花びら、枝が風に揺れるたび、淡いピンクの欠片が舞い上がり舞い落ち、並木道の先を霞ませる。髪の毛に降りた花びらを払いながら、急に人通りが途絶えた道をイサムは何の気なしに歩いて行った。並木の終わり、1本の桜の木の下に誰かが座り込んでいるのに気づいた。スケッチブックを膝に乗せ、鉛筆で絵を描いていた。悪いなと思いつつ絵を見ると、満開の桜とその下に立つ女性の姿があった。女性の顔は美しく、寂しげに桜を見上げ、上手だなと思って一層のぞき込むと、絵を描いていた男は急に顔を上げて振り向いた。その時になって、イサムは男の服装に違和感を覚えた。うす暗いカーキー色でまるで飛行服のような。男は驚いた表情でイサムの目を見つめ、口元は何かを言おうと動き始めた。その瞬間、風が吹き抜け、桜が目の前を覆った。と、頭の中で何かがぶつかり、視界が回転し始め180度ぐるりと回り、目の前には驚いた表情で立ち尽くす男(あれは自分?)があった。遠くから「いさおっ、小川功二飛曹っ」と呼ぶ声が聞こえてきた。そして風が吹き抜け、桜の花が舞い散ると、男の姿は消えていた。

 「イサム~っ」彼に向って声がした。振り向くと4人の若者(男2人と女2人)がこちらに向かって歩いて来る。

 「そろそろお薦めのラーメン、食べに行こうぜ」と男の一人が話しかけて来た。

 飛行訓練が終わり、短い自分の時間、ついさっきまで桜の木の下で絵を描いていた。突然絵をのぞき込む気配で振り向くと、見たこともない服装の男が立っていた。「誰だ?」と問いかける間もなく、視界が桜色で染まり、頭の中が回転するように動いて目眩からさめると、目の前には桜の木の下に座り驚いた表情の自分がいた。

 改めて目の前に立つ4人を見た。不思議そうな顔をしている。自分は、やっとの思いで口を動かし、力のない声がしゃべるのを聞いた。

 「自分は、いさお、小川功二等飛行兵曹です。」と。


 入れ替わりもの、とでも言うらしい。いさおが、自分は帝国海軍軍人で飛行予科練習生であり、戦闘機の操縦士としてついさっきまで飛行訓練を行っていたのだと力説しても、周りの4人はイサムが急に何を言ってるんだ、という顔をするばかりだった。言っている本人だって、自分が何を言っているのか、自分の身に何が起こったのか、自分は本当は誰なのか、まったく半信半疑になってきていた。服はまったく見慣れない洋装で、鏡に映った顔はまったくの他人、日付を聞かされると平成27年と訳が分からず、西暦で2015年と言いなおされても70年後の途方もない数字で、騙されているのでなければ自分は気が狂ったとしか思えなかった。それでも繰り返し自分はいさおであり、イサムではないと頑なに告げていると、4人もただふざけて言っているのではないと思いだした。

 「「転校生」のパターンかな。心が入れ替わったという。」サクラさんが言った。

 「予科練生の魂がイサムに憑依したとか。」タカユキが、自分でも信じていないのがありありの口調で告げた。

 「アニメの世界なら良くある話だよ。」と言って、興味津々なのはアキラ。

 そんな中、一番真剣になっていさお(と名乗るイサム)の話を聞いてくれたのはミクちゃんだった。

 「出身地は? お父さんのお名前は? お母さんのお名前は? 兄弟はいるの? お父さんのお仕事は? どんな風に育ったの? なんで軍隊に入ったの? などなど」矢継ぎ早に質問し、答えを聞いては、うんうんとうなずいてくれた。

 「出身は佐賀県、父の名は法之、母の名はスミ、2つ上に兄がいたが既に戦死している、父の仕事は、、、」答えながら、いさおは途方に暮れた。父の職業が直ぐに答えられず、記憶をたどると「ビール工場工員」という聞いたこともない職業が出てきたからだ。そして気付いた、記憶が自分のものでないことに。恐らく皆がイサムと呼ぶ若者の記憶なのだろう。

 彼らがいるのは、土浦の有名なラーメン店だった。ラーメンフリークのイサムが、前日に調べていた店の一つ。そこへ皆を連れてきたのは、誰あろう、いさおだった。皆にお薦めのラーメン店を聞かれ、直ぐに記憶から店名をあげ、おまけにイサムのスマホを使って地図を表示したのもいさおだった。何でそんなことができたのか? いさお本人が一番戸惑ったが。

 「入れ替わったのが心にしても、魂にしても、脳全体が入れ替わった訳ではないから、記憶とかは元の身体のものってことか。それはそれで合理的だけど。」と、そこは納得したようにタカユキが言った。

 いさおにすれば、自分のことを思い出そうとしてもまったく知らない記憶しか出てこないということは合理的で済まされる話でもなく、自分は誰かを表現する単語を精一杯ならべることしかできなかった。

 自分は20歳で、去年飛行予科練習生に志願したこと。戦闘機の操縦士となったこと。特別攻撃隊に志願し、来週には土浦を離れるだろうことを。

 「特攻隊になるんだ。」サクラさんが口をはさみ「じゃあ、いさおという人は戦争で死んでいるかもしれないのね。」

 そのことばに、他の3人は黙り込んだ。それはいさおにしても気づいていたことで、自分は70年前、あるいは例え戦争を生き延びたとしても、すでに死んでいる存在なのだった。


 結局何の解決もなく、確信もなく、中途半端な気持ちのまま、皆は家路に就いた。家まで送ろうか、という申し出もあったが、いさお(身体と記憶はイサム)は何となく大丈夫と分かっていたので、独りでイサムの部屋まで帰ることにした。ミクちゃんは最後までいさおに話しかけ、話を聞き、いさおが電車を降りる際に、

 「あわてなくても大丈夫だからね。ゆっくり思い出したらいいよ。落ち着いたら一緒に病院行こうね。」と言った。

 自分のことを病気と思っていたのか、とぼんやり考えながら、オルゴールのような音楽が鳴り途切れ、ドアが閉まって電車が動き去っていくのを見送った。

 「JRっていうのか。」昔なら官鉄だったのにと思いながら、わざわざ敵性語を使っていることに戸惑い、でも脳はそんなこととっくに知っているので驚くわけでもなく、ふわふわした心地で改札口の前に立った。機械が並んだ通路を、人々が通り抜けて行く。乗る時はみんなと一緒だったので意識なく通り抜けてから戸惑ったが、小さな板を機械にかざせば電車に乗り降りできるとは、改めて魔法でも見せられているような気がした。それでも身体は自然にカードを取り出し、機械にかざして「ぴっ」と鳴るのを聞き、改札を抜けると立ち止まるでもなく右手に歩いていく。いさおとしての驚きや疑問、躊躇もイサムの身体と脳は一切頓着せず行動していく。70年前の人間であるいさおにとっては、全てが目新しく驚異的なものなのだが、驚きや感動を感じる前にイサムの脳が知ってるよと告げてくる。自分がふわふわとした幽霊みたいな存在に思えてくる。そんな戸惑いを無視して、イサムの脚は自分の部屋にたどり着いた。

 ドアの鍵を開ける(もちろんいさおが)。スイッチを押して明かりを灯す(もちろんいさおが)。白い光が部屋中に広がり一瞬たじろいだが、イサムの身体は平気で背中を押していさおを部屋に上がらせた。いさおはまた一瞬だけ何をしたら良いか戸惑うが、直ぐに脳が着替え、着替えとサインを送ってくる。上着を脱いで所定の位置のハンガーにかけ、ベッドの上に置いてあったトレーナーに着替えると、身体は自然に部屋の真ん中に置かれたコタツの前に座った。そしてコタツの中に両足を滑り込ませながら、いさおはもう一度、自分はイサムの身体に巣くった幽霊みたいな存在なのだと思った。

 コタツの正面の壁側には、四角い板がガラスを向けて置いてあった。操作する機械はコタツの上。意識するより先に手が動き、指が赤いボタンを押した。四角い板に電気が走り、明るくなると音楽と人間の声が聞こえどこかの街並みが映る。いさおとしては驚きたかったが、イサムの脳がそれはテレビで、ちょうど見たかった番組をやっている告げてきた。街の名所や有名店がランキング形式で紹介される番組で、当然ある有名なラーメン店が紹介されるはず、という情報も合わせて。ただいさおとしてラーメンに興味がなかった(というよりもラーメンそのものを知らなかった)ので、もう一度赤いボタンを押してテレビという機械の電源を切った。うん、少なくとも意識すれば自分の意思で行動することもできるんだな、といさおはちょっと安心した。

 とはいえ。部屋は見たこともない、けれど自分が充分に知っているはずのものであふれていた。できるだけ余計なものに触らないようにして、机の脇の本棚に向かった。本棚は、イサムという若者が好きだという食べラーメンの本が大半だった。その他は特にお気に入りで故郷から持ってきたマンガ本。いさおとしては、戦争の結果を詳しく知りたかったが、歴史書の類は置いてなかった。戦争の結果は先ほど皆に教えられたし、イサムの記憶でもおおよそは分かっていた。あれから4カ月後に日本は降伏すること、広島と長崎に原爆という爆弾が落とされ多くの人命が一瞬で失われたこと、結局特攻隊は日本を守れなかったこと、、、それでももっと詳しく知りたいと思ったが、イサムはあまり歴史が好きでなかったようで、はっきりしたことは覚えていなかった。机の上に一台の機械が置いてある。その機械パソコンのことを使えば、大抵の情報を手に入れることができる。そのことは知っていた、操作できることも分かっていた。さっきまで上着のポケットに入っていた小さい白い道具スマートフォンのことも、いさおは誰に聞かなくとも使うことができた。イサムの記憶をたどれば、イサムができることは自分でもできる、ただそこにためらいがあった。悪い、という感覚が先に立った。イサムという人間の心の奥まで覗き見るようなハレンチな行動は、できればしたくなかった。本棚の本も背表紙だけ見て、中までは見ないようにした。ただ一冊だけ、手に取って表紙の絵を見た。イサムが一番好きなアニメの登場人物が描かれていた。何かに乗っている青い服の少女。次の瞬間、絵が動きだし空を飛んだ、のではなく記憶の中にアニメの一シーンが映し出された。あわてていさおは、本を棚にていねいに戻した。

 自分でも自分のことを幽霊としか思えない、いさおはもう一度自分のことを思い出そうとした。名前、家族のこと、生まれ故郷、友人たち、幼いころのこと、大きくなってから、好きな女性の名前、ただ知らず知らずイサムの記憶が紛れ込んでどれが自分のことなのか分からなくなった。母親のことを思い出し、やさしい母だったこと、時に叱られたこと、料理が得意だったこと、良く作ってくれた料理を思い出そうとして、その味は「ハンバーグ?」という食べたことのない料理にたどり着く。そこでイサムの記憶の断片を一つ一つ消し込みながらたどっていくと、残ったものはあまり多くなく、それも予科練に入る直前と入ってからのことがほとんどだった。

 体が大きく良く自分のことを庇って兄の戦死公報が届いた日のこと、予科練習生を受けると伝えた時の両親の様子、合格から入隊までと入隊後の訓練に明け暮れる日々、同期の仲間たちの顔、そして特別攻撃隊へ志願した日のこと。操縦士としての特性が優れていたらしく、良く教官に褒められたこと。絵を描くのが好きだったこと。好きな女性が故郷にいたこと(けれど名前は思い出せない)。ただその中で一番強く覚えていたのは、自分は日本男子として戦争に往き、この国と故郷に残る家族達を守るため敵と戦うこと、そのために自らの命を落としても当然、ということだった。

 いつの間にか、ベッドの上で横になっていた。時間はとうに夜半を過ぎていた。その時、いさおははっとして起き上がるとカーテンを引いて窓を開け放った。夜の街に街灯が灯っていた。まだ灯りをつけたままの窓も多かった。耳をすませると、通りすぎる自動車の他は静かなものだった。

 灯火管制のない街、遠くで空襲警報のサイレンもならず、東京の空にB29の爆音は聴こえず、爆弾が降り注ぎ街が燃える炎も西の空を染めていない。いさおは改めて知った、ここは自分が生きた時代の70年後なのだと。


 翌朝、もしかしたら元の自分に戻っているのではという期待もむなしく、いさおはイサムの身体として目覚めた。その日から数日間、サクラさんとミクちゃん(それに時々、アキラやタカユキも参加して)が東京の街を案内してくれた。

 まず図書館へ行き「小川功」という予科練生に関して調べられる限り調べた。サクラさんは事前にインターネットで特攻隊の戦死者名簿を調べてくれていたが、どこにも「小川功」という名前はなかったという。図書館で見た名簿にも「小川功」の名前はなく、ただいさおには何名か知っていると感じた名前があった。はっきりと誰かは思い出せなかったが、恐らく予科練の同期なのだろう。同時に歴史書で、戦争の結末と戦後の歴史についてをいさおは学んだ。戦後の焼け野原から、奇跡と呼ばれるほどの経済復興を果たしたことも知った。軍隊を放棄し、しかし東西冷戦という世界政治構造の中で自由主義陣営へ属し安保条約によってアメリカの庇護を受け、自衛隊と言う名前で再武装したことを知った。東京でオリンピックが開かれたことも、5年後にもう一度開かれることも知ったが、特に感慨はなかった。

 ミクちゃんとアキラの案内で、秋葉原という街を巡り、その後一番高いタワーに上って東京の街を空から眺めた。秋葉原では、一瞬ここは日本ではないような気がし、記憶が直ぐに否定するという繰り返しだった。いさおの感覚では、街を歩いていると金髪で前掛けをつけた少女が「おかえりなさい」と日本語でしゃべりながら紙を渡してくる。イサムの記憶が直ぐに、メイド喫茶のメイドさんがメイド服のまま健気にチラシを配っている、と訂正をいれる。外国人の姿も良く見かけた。アキラに誘われて入ったアイドルグループのショップでは、イサムの記憶で思わずニヤつきそうになる自分に気づいて、いさおは無理に表情を押さえた。ほとんど全て、自分が知っていたり経験したりしていること。ただ、タワーから見た東京の街並みは、純粋に感動した。歴史書でいう戦後の経済復興の意味を、目の当たりにしたような想いだった。

 サクラさんとタカユキと一緒に、靖国神社へ参拝した。戦死者が英霊として祭られる聖地、本来なら自分もここにいるはずの場所、都会の中でそこだけ静けさを保つ参道を歩きながら、いさおはイサムの感情に神妙な気分を呼び覚ますので苦労した。油断すると、イサムが前々から狙っていた九段下のラーメン店情報が顔を出す。それでも展示施設で太平洋戦争での戦死者の遺物や遺書を見ていくと、イサムの感情が悲しみにあふれ、それを理由にいさおは恥ずかしかったが涙を流すことを自分に許した。

 サクラさんは、ずっと親切で、ときおり予科練や特攻隊のこと、そこに集まった男たちのことを質問してきた。なぜ特攻隊に志願したのか、ということを一番知りたがった。いさおは、他の記憶はあいまいとなっていたが、その点だけは確信を持って答えた。兄を殺した米軍への恨み、男子として国を守るため戦争へ行くのは当然という思い、このままでは日本本土が戦場となり両親や恋人の命も危ないという危機感、強大な敵を押し止める残された手段が特攻しかないという事実、ならば自分の一命を賭しても国を守り愛する人を守ることに何ら躊躇はない、ということを。サクラさんは熱心に聴き、ときに涙を拭きながら、いつの間にか特攻隊員のことを「隊士」「隊士」と呼ぶようになった。

 イサムの身体にとり付いた幽霊のような存在として、いさおは東京の街を巡った。イサムの記憶からすれば全てが当たり前のこと、当たり前の風景だったが、いさおは改めて、東京の清潔で華やかな街並みと、行きかう人々のきれいな服装や安心した表情に感心した。いさおが生きていた時代よりも安全で豊かであることは確かだった。それでもいさおの感覚の底に不満めいたものが徐々に溜っていった。きらびやかで華やかなファッションや流行が、どこか軽薄でハレンチなものに思えてきた。街中やテレビの中で見る若い女性の仕草や話し方も鼻につくようになってきた。まるで媚を売っているように思える。戦争やそこで死んでいった者たちの記憶が、ほとんど全くというほど日常の中で忘れ去られていることも不満だった。英語の文字やことば、歌や食料品が街に当たり前のように溢れていることは不満以前に拒絶反応が生じた。その上「日米同盟」という、アメリカとの関係を表すことばが平然と使われているのを知っていさおは絶望的な気持ちになった。兄を殺した米国だぞ、自分だけでなく多くの日本人を殺した米軍だぞ、恨みを忘れたのか。戦後の歴史を知るにつけ、敗戦と同時に米国に尻尾を振り、媚を売り、国を守ることを忘れ、商売だけに精を出して得た豊かさに、どんな意味があるというのか。そんな鬱積した思いが、ある瞬間に噴出して、いさおを叫ばせた。

 「俺たちは、日本をこんな国にするために死んでいったんじゃない。」

 きっかけは些細なことなのだろう。大学の食堂で、タカユキとアキラがゲームのことで話しているのを、いさおがぼんやり聞いていたときだった。

 「雪風ちゃんがやられちゃったよ。」とタカユキが言うのに、多分いさおが興味を示したと思ったのだろう、アキラがゲームとは日本海軍を擬人化(美少女化)したもので、「雪風ちゃん」とは駆逐艦をモデルとしたキャラクター、タカユキのゲームで戦闘で損傷したということを説明した。

 その瞬間、連合艦隊を茶化し馬鹿にしているという怒りがこみ上げてきて、いさおは爆発した。

 「連合艦隊の軍艦を少女にして遊んでいるだと。その軍艦では何百人という人間が死んでいるんだぞ。ふざけるな。」そして先の叫びになった。「俺たちは、日本をこんな国にするために死んでいったんじゃない。」

 次の瞬間、タカユキが血相を変えて立ち上がり言い返してきた。

 「遊んで悪いか。連合艦隊だって過去の遺物だぞ。だいたい戦争に負けたのはお前たちじゃないか。特攻隊だって、戦果を上げたのは最初だけ、後はほとんどアメリカ艦隊に返り打ちにあって戦果すら上げられない、無駄な悪あがきだったんだぞ。」

 「悪あがきだと。」

 「敗北に敗北を重ねただけ、結局は犬死だったんだよ。」

 次の瞬間、いさおは右の拳を振りしぼりタカユキの顔面目がけて打ち出した。はずだったが、イサムの身体が聞いてくれなかった。それでも眦だけはタカユキを睨みつけることができた。

 アキラが立ち上がり二人の間に入ると、小さい声で話題をそらそうとした。

 「ところで前から疑問に思ってたんだけど、今はイサムくんの身体にいさおさんの心というか魂が入っているよね。それなら70年前のいさおさんの身体には、何がいるんだろう? イサムくんの魂が入れ替わっているのかな? それともあっちはあっちでいさおさんの魂のまんまなのかな?」

 いさおはことばにつまった。そのことは考えたこともなかった。ただぼんやりと、今自分がいる身体の中に、イサムという人物の心なり魂は存在していないように感じた。だとしたら。

 「今のイサムの身体にいさおの魂がいるように、70年前のいさおの身体にはイサムの魂が宿っている、ということか。」タカユキが半ば揶揄するようにことばをつなげた。

 「だとしたら大変だ。イサムって運動神経悪くて自動車の運転も苦手って言ってた。とてもゼロ戦なんて操縦できないんじゃないか。」さらに、

 「それとも平成生まれだから、自殺攻撃に怖気づいて逃げ出したとか。それで特攻隊員の名簿にいさおの名前がなかったとか。」

 いさおは、今度こそ本当に絶句し途方に暮れた。そんなことにでもなっていたら、男子一生の恥辱、幽霊のようにこのまま消え去りたいと強く願った。

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