Parent-2
次回が結構なグロありなので、嵐の前の静けさ的な何かで結構ほんわかに。私はBL展開書くのが殆どなので勘違いされがちですが、この物語にBL展開は一切ありませんので安心してご覧くださいませ。親友ってとっても大切なモノですからね、ね。
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日比谷は浅井の「君には私がどのように見えているんだ?」という質問の意味を、自分の見ている視界をもって理解した。
今、日比谷の視界に入り認識しているものは紛れも無く、浅井という人間だった。
それに気がついた時に、日比谷は長い間悩みだった幻覚のことを思い出した。それは人間を人間として視認できなくなるというものだったはず。それなのに、浅井のことは認識できている。今までどおり優しく、温かい浅井のことを人として認識していることにようやく気がついたのだ。
何故、今までそのことに気が付かなかったのかは分からないが、今見えている光景は紛れも無く人間であり、浅井という一人の人物であった。
久しぶりにみたまともな人間に懐かしむこと無く、日比谷は自身の抱いた疑問を浅井に投げかけた。
「な、なんで……ちゃんと、見えてる……」
「僕にも君が見える。多分、僕と君は同じ症状に悩んでいる者同士だろう?」
浅井は最初からすべて知っていてこの話をした、日比谷は直感的にそう感じ首肯することしか出来なかった。否定する程の材料もないし、日比谷自身もそうではないかと感じているから、無意味な否定をすることを躊躇わせた。
それに、浅井は半年近い療養をしていたと言っていた。それならばこの幻覚の原因や意味について知っているかもしれない、その淡い希望をのせての首肯だった。
「……多分」
「この症状は同じ症状を持つものは人間として認識するらしい。僕も数回同じ症状を持っている人にあったことがあるからね」
「この幻覚って、一体なんなんですか?」
日比谷がそのことを尋ねると、浅井は少し顔を歪めながら首を横に振った。その様子から、彼自身この幻覚がなんなのか分からないことを察するのは容易なことだった。
だが、浅井もただ何もしないまま手を拱いていたわけではなく、独自で集めた資料を日比谷に手渡し、自分の調べたことを伝え始めた。
「"狂幻症"、突然人を人として認識することができなくなる精神疾患だそうだ」
「狂幻症……?」
「まだ一般的に広まっている病気じゃないらしい。そればかりか発見されたのもつい最近のもので、精神医学に携わるものですら知らない人間がいるとのことだ。現に僕も、狂幻症と診断されるまで幾つの病院をハシゴしたかわからないよ」
「それってどういうものなんですか? 治療法はあるんですか?」
「治療法に関してはまだ確立されていない。症状はたった一つ、今まで普通に見えていたものをものとして認識できなくなる、それだけだ。それが人間の場合もあるし、建物や他の生物まで渡る人間も居る。酷い時には文字や食べ物さえも幻覚に侵されるものもいる」
「……おじさんは、どこまで幻覚が見えているんですか?」
「狂幻症には三つの型がある。一つは人間だけ幻覚が及ぶⅠ型狂幻症、二つ目は建物や他の生命体までに幻覚が及ぶⅡ型、そして文字や食べ物までに影響が及ぶⅢ型だ。僕はその中でも最も重いⅢ型に入る」
「食べ物や、文字まで……」
浅井の症状の重さは日比谷が一番理解できた。人間は歪んだデッサン人形のように認識され、鳥や犬に至っては腐った臓器に手足がついたような異質な光景に映る。植物は随所に眼球のような奇妙な塊がこちらを覗きこんでいる。
そんな幻覚が文字や食べ物まで影響すれば精神が滅入ってしまうことは容易に想像がつく。ましてや食べ物など、どのように認識されているのかを想像するだけで苦だった。
浅井の苦衷を察すように、日比谷は口元に手を当てながら資料を眺める。気持ち悪そうにしている日比谷に、今度は浅井が彼の症状について質問した。
「日比谷君はどこまで見えているんだい?」
「僕は……、Ⅱ型です」
「そうか、Ⅱ型か。辛かったろうねぇ、君の様子を見るにだいぶ前から続いているんだろう? 本当に今まですまなかった」
「どうしておじさんが謝るの? 幻覚を見るようになったのは僕の問題でしょう?」
「たとえ君のせいだったとしても、その時に側にいなかったのは紛れもなく僕だろう? 僕は君を息子同然に思っているんだ。だから、尚更君には迷惑をかけている」
「……おじさん...」
浅井は、開きかかった日比谷の口の上にそっと指をのせて、何か言いかけた言葉を遮った。その意図は日比谷にも分からず、ただ浅井の制止を受け入れることしか出来なかった。その後、浅井は利口に口を噤んだ日比谷の頭をそっと撫でた。
まるで本当の父親のような優しい笑みと優しい手のひらで撫でられた頭には、未だに温い感覚が残っている。その少しむず痒い優しさが日比谷を心地よさへと誘い、浅井へ甘えるように言葉を発する。
もう既に日比谷の父親の認識は、実父ではなく浅井へと変わっていた。自分の一番憧れている父親、偶像ではなく本当に存在している浅井に対する強い愛情は紛れもない真実であるとともに、それと同様の愛情を浅井自身発していた。
「日比谷くん、狂幻症は確かに苦痛だ。だけどね、人間にとって非常に重要なことでもある」
「それはつまりどういうことですか?」
「僕は半年近く狂幻症と接しているうちにとある法則に気がついたんだ。その法則が非常に重要なものだ」
「人間にとって重要な法則が狂幻症にはあるということですか?」
「そうだ。狂幻症は特定の条件をみたすことで、今まで見ていた人から人間へと移り変わる場合がある。一つは同じ狂幻症の人間、そしてもう一つ、自分自身が一番望んでいる欲求を満たしてくれる、または満たすことができる人間に対して狂幻症の幻覚が人へと変わるんだ」
「……その欲求って、なんですか?」
「それは人によって異なる。だけど、日比谷くんもあるはずだ。幻覚から人へと変わる光景を、その瞬間を知っているはずだ」
その話を聞いて最初に脳裏をよぎったのは、自ら手にかけた下沢絵美菜と担任の高橋だった。あの二人だけ、幻覚から人へと変わる瞬間があった。まるで粉のように分解されていく様な、幾分婉曲的な世界の中、抽象的に人へと形成されていった瞬間、もしかして浅井の言っているものはそれではないだろうか。日比谷が思いつく最も可能性のある人間、それがあの二人だった。
酷く曖昧な世界にリアリティが歪んだ瞬間、浅井の話に合致するようなものはそれくらいしかなかった。
「多分、みたことがあります。二人ほど……」
「その人物の共通点ってあるかい?」
「……僕の、嫌いな人種でした。今すぐにでも殺してやりたくなるような、そんな人間です……」
「どういう人たちなの?」
言葉を濁しながら、その二人に抱いた感情をつらつらと並べる日比谷は少し震えていて、瞳にも光がなくなっていった。
浅井は、あからさまに恐怖を感じている日比谷の肩をそっと抱き、背中を擦りながら日比谷にゆっくりと深呼吸を促した。浅井の言葉に呼応するように、ゆっくりと深く呼吸した日比谷は更に言葉を並べ初めた。
その様子を、浅井は満足そうに見ていた。
「もう一度聞くよ、その人達はどんな人なの?」
「……そいつらは、僕のことを否定する。叶わないものは棄てて、頑張ってとか、無責任なことばかり並べるんだ...」
「君は、その人達をどうしたいの?」
「...殺してやりたい。殺す、殺す、殺したい」
静かに、それでいて強い殺意を感じさせる言葉を並べた日比谷は、荒く呼吸しながら浅井の躰に身を委ねるように力を抜いた。特定の人物へに対する殺意が沸々と湧き上がってくる様に、日比谷は「殺す」という言葉をいつまでも反芻した。
体中に深い汗が刻まれるようにふきだし、病んだように何度も吐息を漏らす日比谷を子どもをあやすように介抱する。さながら子どもが欲しい物を強請っているようにも見え、何度も何度も嗚咽を零しながら言葉を反復する。
「いい子だね、もっと言ってごらん? 君がしたいこと、君が成し遂げたいことを」
「...殺す、殺す、殺したい。色々な人間を、否定する人間を.....」
「そうだね。殺すといい。きっと楽しいよ。人を殺すっていうのはなかなかの快楽さ。その感情を抱いたまま、お家へ帰りなさい」
「……おうち、帰る? 帰るの?」
未だに深い嗚咽を漏らしながら言葉を連ねる日比谷の口調は、非常に幼く舌足らずなものだった。まるで幼児退行でも引き起こしたかのような喋り方だった。
その様子を嬉しそうに眺めている浅井の顔は快楽に歪み、父親が息子に深い深い愛情を注いでいるようにも見えた。
「そう、君が最も殺したい人が犇めいている。そして次こそ、自らその引き金を引くことになる」
「殺したい? 殺していいの?」
「うん。いいよ。思う存分殺すといいよ。きっとそれは楽しいことへの序章となるから」
「……うん、おじさんの言うとおりにする」
「いい子、じゃあ少しの間、寝んねしようね?」
目まぐるしく移り変わっていくものたちの中、日比谷は浅井の言葉に首肯しながら僅かばかりの眠りについた。
薄っすらと微睡む日比谷を、浅井は本当の父親のように見届けながら、その場を立ち去った。苦痛に歪んだ笑みを残して。