Preceptor-1
ギリギリ年内にもう一つ投稿出来た……と思ったらなんだこのクオリティ...(´・ω・`)
もう一つ位は年内に投稿したいところです。あと今回支離滅裂な気がします。次回から気をつけます。
「ただいま」
誰もいない室内に響き渡る自分の乾いた声、少しだけ間を置いて反響するその声は何処と無く悲哀に包まれていた。
つい数時間前、日比谷は自分にしつこく言い寄ってくる下沢を殺害した。あの状況ならば過剰防衛ということになるのだろうか、曖昧な定義の中で揺れているうちに、日比谷は自分の行った罪の重さがどれほど大きい物なのか分からなくなっていた。
人として認識することが出来なかった存在を、自分が手にかけている最中には人に見えた。まるで統一性のない自分の幻覚が恨めしくなる一方、自分が自分に見せている幻覚が原因となり人を殺しているようにも思えたからだ。
「(……人殺す感覚って、喧嘩と同じなんだなぁ)」
少し赤みがかった手のひらに、水道から流れ落ちる水流が冷たく当たり少しだけ痛い。その痛みが、未だに手に残っている扼殺の足跡を物語っていた。
日比谷は、人を殺したことで今まで理解できなかった感覚を理解した。今までは人を殺すということはとても罪なことであり、強い憎悪が原因となり人を狂わせるものだと思っていたのだが、実際に人を殺したことで自分のその感覚が間違っていたことを知った。
人を殺すことなんて、ただ喧嘩で人を殴ったことと同じなんだ。少しだけ後悔しても、その後悔すらもすぐに消えてしまった。
自分のしたことに対して、少しも間違っていたとは思っていない。僕は殺されかけたから、やり返して殺した。ただそれだけ。あまりにも単純かつ簡単なものだった。
日比谷の考えはあまりにも残酷で自分勝手なものだった。それでも日比谷は自分の考えを間違っているとは少しも思わなかった。当たり前のことをただ当たり前にやっているだけ、今の日比谷に残っているのは、それだけだった。
「でも、バレちゃうかなぁ」
今日の日本は、幸か不幸か法治国家だ。法というフィルターに掛かったものはそれ相応の処罰を受けてしまう。だがそれはあくまでもフィルターに掛かった時の話。そのフィルターを上手に掻い潜ることができれば処罰などはない。
だがそれにはいくつかの壁がある。例えば警察、ある程度の証拠を積み上げられればこちらが動けなくなってしまい、すなわちそれはフィルターに掛かったことと同じだ。
ある程度の小細工はしたが、それでどこまでごまかせるか、日比谷には想像が出来なかった。
首吊りでの自殺と違って、ロープを用いた絞殺の場合は溢血点や死斑、うっ血の違いだけではなく吉川線の有無などで自他殺が判断されてしまう。それらの点についてはかなり運が絡むものだった。
それでも日比谷は、特に不安を感じることはなかった。
本人は理解できていなかったが、それは自分がどちらに転んでも問題ないと心の底から思っていたからだ。このまま殺人がバレて刑務所に入れられても、バレずに普通の生活を続ける事になっても、最悪処刑されても良かったのだ。
もはやこの世界に希望などない。生きていく意味もなければ死ぬ意味もない。だからこそ、日比谷は殺人を犯してもこれほど冷静でいられるのだ。
「……"なんで私の事好きでいてくれないの? 本当に嫌だ。どうせ叶うはずのない恋なんて棄てて私と付き合えばよかったのに、お前も死んでしまえ! 私も死ぬ!!"、なんて少し、
臭かったかな」
少し皮肉った声色で、自分の携帯電話に表示された冒頭の一文を読み上げた。その文章を皮切りに凄まじい量の日比谷に対する恨み辛みが打ち込まれたメールの受信時間は、日比谷が下沢を殺害した丁度五分後だった。
長ったらしく打ち込まれたメール文を眺めながら、日比谷は嘲笑に近い微笑を浮かべながら携帯電話をベッドの上に投げ捨て、今までのことをなかったような表情を浮かべながら机に向かい参考書を開いた。
次の日、下沢の死体が公園の池の近くで発見されたということが報道されていた。
テレビを通しても相変わらずマネキンともデッサン人形とも取れぬ人の群れがやけに異常に蠢いている。自分が人と認識していないそれらは忙しなく近くの公園周辺を映像として映しだして、煽り立てるようなインタビューを続けている。
『えぇ、警察は自殺の線が強いとして捜査が進めると発表しています』
『近年若者の自殺が多いですね……リストカットなんかの未遂に終わっているものも含めると...』
朝起きて最初に飛び込んできたニュースを見ても、日比谷は不安を感じるどころか心地よさすら感じた。自分が殺した人間が全く見当外れな方向で調べが進んでいることが、おかしくてたまらなかった。
スタジオの専門家は、自殺の線が非常に強いと見てまず間違いない、そのようなコメントをして持論を必死に他のコメンテーターに説明している。それが馬鹿らしくて、日比谷は無意識のうちに顔を綻ばせた。
「何にやにやしているの? 早く食べて学校にいきなさい」
日比谷は母親にそう言われるまで自分の顔がだらしなく歪んでいることに気が付かなかった。
相変わらず殺したくなるほど冷えきった母の声と、声すら発そうとしない父の威圧感、日比谷はいつになってもこの感覚が苦手だった。相変わらずデッサン人形のような形状で何を話すかと思えば、自分に対する皮肉であることに少し安心したし、殺したくなった。
それでも日比谷の視界には、ぎこちなく出された食事を食べる二つのデッサン人形だけだった。
***
「……皆さんに悲しいお知らせがあります。クラスメイトの下沢絵美菜さんが...自殺しました」
とある日のホームルーム、担任の強張った声明が震えながら残響し、そのほんの少し後、クラス全体が激しくざわめいた。
それは下沢が自殺をするような人間ではなく、自殺するような理由も見当たらないこともあったが、クラスメイトの死という非現実的な状態に激しい嫌悪感、恐怖感のようなものがあったからだ。
自分に少なからず関連している人物が自殺という形で死亡した、その事実がクラスメイト全体の強いざわつきを生み出し、多くの人間の不安を煽った。それは普段冷静な磯崎も例外ではなかった。
「(下沢の自殺、日比谷は大丈夫なのか……)」
磯崎が最初に感じたことは下沢に対する追悼の意ではなく、虚ろげな表情を浮かべながら窓の外を見つめている日比谷に対する憂いだった。
小学校から彼と一緒だった磯崎は、直接的には日比谷と話すことは少なかったものの、陰ながら彼のことが心配だった。というのも磯崎は日比谷の親友であった浅井晴人と仲が良かったため、日比谷のことは他のクラスメイトよりも把握しているつもりだったし、浅井が事故死した後は浅井に変わって日比谷と話すことも多くなっていた。
日比谷自身、磯崎のことをどう思っているのかは分からないが、磯崎は日比谷のことを他の友だちよりも大切に感じていた。
今回の下沢の件については真っ先に日比谷が話題に出されるだろうし、それがどのように日比谷に影響するのか磯崎は不安で仕方がなかった。
ここ数ヶ月の間、彼の表情が更に虚ろげになっているような感じがする。なんというか誰と話しても焦点が定まっていないというか、常に不安を感じているような表情をするようになったことが、磯崎の不安を更に掻き立てた。
確かに直接話すことは少なくとも、磯崎は彼の性格を十分に理解しているため、尚更彼のことが不安に感じていた。彼のことだから、今日一日クラスメイトから逃げるように行動するであろうことは薄っすら想像できる。
そもそも二人っきりの状態でなければ満足に話してくれないため、彼とゆっくり話す時間は放課後しかない。磯崎は不安を抱えながら放課後を待つことにした。
「やっぱりここにいたのか」
放課後の屋上で佇んでいる日比谷に、ためらうこと無く磯崎は声をかけた。
元々日比谷は放課後に屋上からの景観を眺めていることが多かったため、磯崎が日比谷を見つけることは難しくなかった。
声をかけられた日比谷は、少し驚きながら振り返り、相変わらず定まらない視点で磯崎に躰を向けた。
「磯崎くん? どうしてここに?」
「いや、下沢のことがあったから大丈夫かなって思ったのね。一応、浅井との約束があるから」
「……晴人との約束?」
「だいぶ前の話だけど、浅井はいつまでも会話に入れないお前を心配してたから、それを俺が引き継いだってこと」
磯崎が浅井から受けたという"約束"は、磯崎の半ば強引なものであったが、浅井もそれを望んでくれたことだと思うことにして彼にそのことを伝えた。
日比谷には最期まで言わなかったが、浅井は日比谷が虐待を受けていることを疑っていて、当時から担任や養護教諭に伝えようとしていた。浅井の事故死は、その矢先の出来事だったため、結局日比谷の虐待に関してはそのまま黙殺されることになってしまい、磯崎自身強い罪悪感を感じていた。
だからこその"約束"だったのかもしれない。
「……そうなんだ。晴人も、磯崎くんは信頼してたのかな」
「日比谷さ、俺に隠してること無いか? 特に浅井の事故死についてとか」
「...なんで、そう思うの」
「あの時から様子がおかしいって言えば信用してくれるのか?」
「さぁ、君は下沢絵美菜の話をしに来たんじゃなかったの?」
「じゃあ明確に言おうか。お前は見てたんだろう、晴人を轢き殺した犯人を」