2章:哀しき青年
照り付ける日光。
元気な草木も乏しい乾いた大地を裂くように延びる1本の道の上―――。
「何ィ!?」
リッドは言った。
「種は1つじゃ【花】を探せないのか?」
「うん」
妖精リリアは頷いた。
「最低でも3つは必要だよ」
「という事は…」
ヤイナが人差し指を唇に当てた。
「妖精が3人になって賑やかになるわけですね♪」
「そう!楽しくなるよ!」
「しかしなぁ…」
リッドは頭の上で手を組んだ。
「他の種を探すにしても、どこにあるかもわからない状況だぜ?」
「それなら大丈夫」
リリアはウインクした。
「私達は他の妖精の居場所がわかるようになってるから」
「へぇ、そりゃ便利だ…。じゃあ、妖精がどこにいるか教えてくれ」
「…あっちだよ♪」
リリアはこの道の続く先、地平線の向こうを指差した。
「なるほど、道なりに行けってことか」
3人はこうして道なりに進んでいった。
【ピケラの町】に着いたのは夕方であった。
木製の赤い屋根の家々が夕日に照らされて、何とも言えない美しさを演出していた―――。
「さて、どうするか」
リッドは腕を組んだ。
「いや…とりあえず飯か」
「そうですね。お腹空きましたし」
ヤイナが嬉しそうに手を合わせた。
「リリア、何か食べたいものあります?」
「妖精は何も食べないの」
リリアは首を横に振った。
「強いて言えば、自分の周りにあるエネルギーを吸収してるって感じかな」
「うーん、じゃあ私達が食べてる間、暇ですよね」
「大丈夫だよ。私は散歩してるから。じゃ、また後でね♪」
リリアは高く飛んでいった。
「…妖精っていいな」
リッドは呟いた。
「さーて!」
リリアはピケラ上空で独り言を言った。
「久しぶりに人間の町を探索だっ♪」
彼女は視界に入った中で一番大きな家の屋根に着地した。
その時だった。
「……あれ?」
彼女は神経を研ぎ澄ませた。
―――【種】の気配。
確かにこの邸宅の中から、【導きの種】の気配を感じるのだ。
「こんな町の中に…」
リリアは煙突を見付けて、そこへ入った。
幸い暖炉に火はついておらず、リリアは難無く邸宅に侵入成功した。
彼女の入った部屋には人はいなかった。
広い部屋で、赤い絨毯が敷かれており、ガラスのテーブルの手前と向こう側に黒いソファが置かれていた。
―――【種】は……この下かな。
リリアはドアに向かった。
ドア―――?
ここでリリアは重大な問題に出くわした。
彼女の小さい体ではドアを開けられないのだ。
彼女は悩みに悩んだ。
悩んだ末、ある結論に達した。
―――この家の人に開けさせればいいんだ。
リリアは早速行動に移った。
彼女は棚の上に乗っている花瓶に向かった。
そして花瓶を壁方面から力強く押した。
花瓶はグラッと揺れて、棚から落ちた。
―――ガッシャアアン!
物凄い音が響いた。
すると、
「何だ、誰かいるのか!?」
と、男の声が近付いてきた。
リリアはドアのすぐそばで滞空していた。
ちょうど入ってきた者からは死角の位置だ。
すぐにドアは開いた。
入ってきたのは屋敷の執事と思われる、白髪混じりの短髪で、立派な口髭を生やした男だ。
ドアが開いた瞬間、リリアは部屋を出る事に成功した。
すぐに廊下の壁に掛けられた絵の後ろに隠れて、様子を伺った。
音を聞いてやって来たのは執事だけでなく、メイドやコックまで来た。
さらに屋敷の持ち主らしき若いハンサムな男も。
彼は水色の長い髪をいじりながら、執事に尋ねた。
「一体何があったんだ?」
「花瓶が落ちて割れたのでございますよ、お坊っちゃま」
執事は答えた。
「だから、僕はもう『お坊っちゃま』じゃないよ」
「わかりました、『お坊っちゃま』」
「いや、絶対わかってないだろ」
その時―――。
リリアには見えた。
屋敷の若き主人の中に、光り輝く【種】の存在が。
一方リッドとヤイナは食事を済ませた所だった。
「美味しかったですね」
ヤイナはご満悦のようだった。
「ああ。久しぶりに、あんな美味い物を食べたよ」
リッドも頷く。
「さて、リリアはどこだろう?」
「その辺ウロウロしてたら見付かるかも」
「じゃ、そうするか」
2人はとある小路に入った。
すると、いきなり怪しげな易者に出会った。
小汚い老翁だった。
「…怪しいですね」
ヤイナがリッドの耳元で囁いた。
「ああ、無視しよう」
リッドもヤイナの耳元で囁いた。
2人が老翁の前を通り過ぎようとしたとき、
「お2人さん」
老翁が2人を呼び止めた。
呼ばれたので、仕方なく2人は彼を振り返った。
すると、不思議な事に、小汚い老翁の姿は消え去り、代わりに見覚えのある老翁が立っていた。
「…バンじぃ!」
リッドは叫んだ。
「うむ。覚えていてくれて嬉しいぞ」
バンじぃは、あの優しい微笑を浮かべた。
「どうやら種は1つ手に入れたようじゃな」
「はい」
ヤイナは頷いた。
「では、2つ目がこの町にある事も知っておるな?」
「……えっ?」
「む?妖精から聞いておらんのか」
「聞いてません」
「困った妖精じゃの」
バンじぃは頭を掻いた。
「一体、どこにおるのじゃ」
と、彼は懐から地図を取り出した。
どうやら町の地図らしかった。
すると、地図のある1点が青く光った。
「【ハルファン】の屋敷……?」
バンじぃは呟いた。
「【ハルファン】の屋敷って何ですか?」
ヤイナが尋ねた。
「この町の大富豪じゃよ」
バンじぃは答えた。
「しかし、どうしてこんな所に…?」
「それはバンじぃでもわからないんだ…?」
リッドは言った。
「わしはこの町の【種】にお主らが近付いている事しか聞いておらんからの」
と、バンじぃ。
「…誰から?」
リッドが尋ねた。
「ふふ、前にも言ったじゃろ?いずれわかると」
バンじぃの笑顔を見ると、リッドはこれ以上尋ねる気にはならなかった。
「ところで妖精が屋敷にいる…という話じゃが」
バンじぃは話を戻した。
「何か心当たりはあるかの?」
「…待って下さい」
ヤイナが言った。
「【種】がこの町にあるならば、リリアは必ず探そうとします…。もしかして……」
「屋敷に【種】が…?」
リッドは首を傾げた。
「考えにくいぜ?」
「さよう」
バンじぃは頷いた。
「【種】は大抵、並の人間では手が届かぬ所に隠されていると聞く。だからお主ら【選ばれし8人】は特別なのじゃ」
「それに、昨日リリアから聞いたんですが…」
ヤイナが口を挟んだ。
「【種】は絶大なエネルギーを持っていて、力を得ようとする魔物が持っている場合が多いそうです」
「屋敷に魔物が?」
リッドは考え込んだ。
やがて口を開いて言う事には、
「よし、屋敷に行ってみよう。もし屋敷に魔物がいるとすれば、リリアが危ない」
なんであの主人の体内に【種】が―――?
リリアは若き主人を陰からジッと見ていた。
割れた花瓶の処理が終わったらしく、執事達は持ち場に戻っていった。
ただ1人、主人だけを除いては。
突然、主人は絵の方に振り向いた。
リリアの心拍数が一気に上昇した。
―――まさか。
主人は絵の方に歩み寄り、そのまま絵を取り外した。
―――もう駄目!
リリアは絵が外れた瞬間に猛スピードで廊下を飛んでいこうとした。
だが、彼女の体はバランスを崩し、床に落ちてしまった。
「な、何で…」
自分の背中を見て彼女はハッとした。
右側の羽が真ん中あたりから無くなっていたのだ。
切られたらしい。
「無駄だ、妖精」
主人の冷たい声が響いた。
リリアは自分の遥か上にある主人の顔を見上げた。
主人の右手には彼女の羽の切端がつままれていた。
「あなたは…人間なの?」
リリアは背筋が凍るのを感じながら尋ねた。
「…違うさ」
主人は答えた。
「人間であって、人間じゃない」
「どういう事よ…」
「僕は【人間から生まれた魔物】さ」
「人間から…?」
「僕の両親は2人とも酷く歪んだ心の持ち主だった。そんな2つの歪んだ心が交われば、さらに歪んだ存在が現れるのは当然だろう?」
リリアは、彼の口調が少し自嘲的である事に気付いた。
「…あなたは、ちゃんとした人間に生まれたかったの?」
その時、主人から笑顔が消えた。
彼の瞳の赤い光は、まるで彼自身の悲痛な叫びを訴えるかのように哀しかった。
「その通りさ」
彼はリリアの前に座り込んだ。
「見た目は人間だから、この屋敷の者さえ、僕を人間だと信じ込んでる。でも、僕自身はそうでない事を知っている…。彼らは知らないんだよ、僕の両親が死んだ【事故】の真相も」
「事故…?」
「あれは1年前。僕と両親は3人だけで登山に行ったんだ。その時両親は落石に巻き込まれて死んだ……と、思われてる。僕がそう言ったから」
「……まさか…」
リリアは息を呑んだ。
「そう、僕が2人を殺したんだ。【魔物の姿】になってね」
「どうして…?」
「わからない。僕の中の【魔物の本能】が、爆発したとしか言いようが無い」
「………そんな」
リリアは心からこの悲しい宿命を背負った青年を哀れんだ。
「僕に同情してくれるんだね…でも…………………………死んでくれ!!!」
「っ!?」
突然飛んだ主人の平手打ちを喰らい、リリアは壁に全身を打ち付けた。
「う…っ」
リリアは苦痛にうめいた。
―――そして見た。
青年が、巨大な怪物に変貌していくのを。
―――グォォォォォ!
「な、何だっ!?」
屋敷の前まで来たリッドとヤイナは、屋敷から聞こえた狂暴な声に立ち止まった。
「早く行きましょう!リリアが……」
ヤイナは右の掌から光弾を放ち、屋敷の鉄柵の門を破壊した。
「大胆だな。でも、それが正解だ!」
リッドは屋敷の敷地内に向かって走った。
ヤイナも続いた。
「今度は何が!?」
執事達は廊下を走り、声のした方へと向かった。
「この角の先だ!」
料理長が言った。
だが、角を曲がった途端、彼らの勢いは無くなった。
巨大な怪物がそこに立っていた。
黒い牛のような体を持ち、両の目は燐光を放っていた。
「な、何だ、こいつは!?」
料理長が悲鳴を上げた。
それと同時に彼は逃げ出した。
他のメイドや庭師も一目散に逃げ去ったが、執事だけは残った。
―――なぜだろう。
彼は思った。
―――なぜ私は逃げないのだろう。
黒牛と執事は長い間見つめ合っていた。
どういうわけか、黒牛も彼に襲いかかろうとはしなかった。
執事がふと目線を反らすと、壁にもたれる小さな姿が見えた。
彼はそれに歩み寄っていった。
黒牛はその様子をただ見ていた。
執事は【彼女】を見て驚いた。
「妖精……!?」
「ん…」
その声にリリアは意識を取り戻した。
「おじさん、誰?」
「私はこの屋敷の執事だよ。君は妖精だね?」
「それ以外の何に見える?」
「……君、この場所で何が起きたというのかね?」
リリアは、今までに起きた事を執事に全て話した。
「では…あれが坊っちゃま!?」
執事の驚きはリリアが予想したものよりずっと小さかった。
「…そんな気がしていた……」
執事は続けた。
「なぜ恐れを感じなかったかの理由がわかったよ」
静かな空気が流れた。
―――その時。
「ゴォァアァァォ!!!」
黒牛は再び吠えて、その体を2人に向かって突撃させた。
「まずい!」
執事はリリアを抱えて突撃を避けた。
黒牛の体は壁にめり込んだ。
だが、すぐに壁から体を抜き、また突進してきた。
「【ストーム・ビッグバン】!!!」
その声は、リリアには聞き覚えがあった。
突如、黒牛に超風圧がぶつかり、黒牛は後方へと吹き飛ばされた。
「その声は…ヤイナ!」
リリアが後ろを振り返ると、リッドとヤイナが立っていた。
「下がってな!後は任せろ!」
リッドが剣を抜き放つ。
「あ、でも、あの魔物はっ………」
リリアは執事に口を塞がれた。
彼女が執事の顔を見ると、彼は悲しげに頷いた。
一方で、黒牛は既に起き上がり、リッドと睨み合っていた。
次の瞬間、黒牛は床を勢い良く蹴り、リッドに突進した。
リッドは剣を一振りした。
閃光が走った―――。
黒牛の顔面に、縦に赤い線が引かれた。
そこから大量の血が噴き出したかと思うと、黒牛の巨体は床に倒れた。
執事はすぐに黒牛に駆け寄った。
「お坊っちゃま…。これで、良かったのですね」
執事の問いかけに、黒牛は微かに聞き取れるくらいの小声で唸った。
執事は無言で頷いた。
その目はうるんでいた。
やがて、黒牛の目の燐光は消え、その体は灰に変わった。
屋敷の外にリッド達と屋敷の者達はいた。
日はすっかり暮れていた。
先程までの騒動が嘘のようであった。
「そうか…、あの牛は、ここの主人だったのか…」
リッドは呟いた。
「道理で、人に近い雰囲気を感じたわけだ」
「ずっと苦しんでいたんでしょうね…自分が魔物である事に」
ヤイナはうつむいてで言った。
「剣士殿とお坊っちゃまが向かい合った時、私は悟った」
執事の目は赤くなっていた。
「【自分との決着】を付ける気だ…と」
執事は黒牛の灰を瓶に詰めたものを、庭にある立派な木の下に埋めた。
そして言った。
「この木はお坊っちゃまが生まれた時に私が植えたものです。あの方の両親に言っても、『金の無駄だ』と言われたでしょうから」
一同は、しばらくの間、木に向かって黙祷を捧げた。
「…きっと」
黙祷を終えてヤイナが口を開いた。
「次、生まれてくる時は、きっと立派な人生になりますよ」
「そうだといいな…」
リッドも言った。
いつの間にか、空には満天の星が輝いていた。
【2章:哀しき青年】
―――《Fin》