1章:導きの種
朝日が昇った。
山々はオレンジに染まっていった。
雄大な草原の小高い丘の上に、2人はいた。
「ヤイナ、起きろ」
リッドは横に寝ているヤイナの頭をつついた。
しかし、ヤイナが起きる気配は無い。
リッドは彼女の頬をつねってみた。
これも効果無し。
さらに頬を叩いてみたり、髪の毛を引っ張ったりしたが、なぜか起きない。
体温があるから死んではいないと思うが。
「ヤバイな…本当に起きないと……」
リッドがそう言うのには理由があった。
丘に向かって、怪しい影が迫りつつあった。
透明なブヨブヨした緑色の球体。
人はこれを見たまんま【スライム】と呼ぶ、れっきとした魔物である。
そのスライムが総勢約50体で、丘を登ってきているのだ。
素早さこそ無いが、さすがに危険な状況だ。
「起きろぉぉぉ!!!」
リッドは遂に最終手段を使った。
「ごぅっ!?」
鈍い音と同時に、ヤイナのうめき声が上がった。
リッドがヤイナのみぞおちを思い切りぶん殴ったのだ。
「何、するんですか……っ」
咳き込みながら彼女はむっくり起き上がった。
「許せ、なかなか起きないもんだから、つい…」
リッドは剣を抜いて、その先でスライムの群れを示した。
「あ、あれって…」
ヤイナはやっと状況を理解した。
「そういう事だ。俺1人じゃどうしようもない。援護頼むぜ」
と、リッド。
「了解しました」
ヤイナは表情を引き締めた。
スライムの群れはいよいよリッド達を取り囲んだ。
大きさこそ、リッド達の膝くらいまでしかないが、油断は出来ない。
スライムは、触れた生物を飲み込み、窒息させるのが得意なのだ。
つまり、たとえリッド達の足だけにスライムが触れたとしても、群れの中に引きずり込まれて窒息させられてしまうのだ。
見掛けとは裏腹に、狂暴なのだ。
「道を開くぞ!」
リッドはスライム達に向かって剣を降りまくった。
『ゲギャギャギャ』とか訳のわからない叫びをして、多少怯んだ所で、
「『ファイアビート』!!!」
と、ヤイナが両手で印を結んで火炎の魔法。
圧倒的火力の前に、スライム達は蒸発するほか無かった。
その作業を繰り返した結果、道を開くどころか、スライムは全滅していた。
「…やりすぎたか?」
リッドは剣を鞘に納めて言った。
「まぁ、こんなもんじゃないですか?」
と、ヤイナ。
太陽は少しずつ東の空を昇っていた。
2人は道を歩いていた。
道が出来ている、という事は、多くの人がここを通ったという事。
近くに町や村がある証拠である。
「あ、見えたぞ」
リッドが草原の向こうを指差した。
確かに、小さく赤い屋根がたくさん見える。
「【花】の事を知ってる人、いるでしょうか?」
ヤイナは少し浮かれ気味で言った。
「さあな。まだわからない。とりあえず行こう」
リッドの言葉にヤイナは従い、2人は早足で村に向かった。
【パランカ村】。
これが2人の入った村の名前。
周りはスライムなどの魔物の侵入を防ぐために、石壁で囲まれている。
「結構賑やかですね」
ヤイナは周りの人の多さに驚いていた。
「意外だな」
リッドは頷く。
「こんなへんぴな場所なのにな」
「へんぴとは失礼な」
と、いきなり2人の背後から老人がヌッと顔を出した。
「うぉっ!?何ですか貴方は!?」
胸を押さえてリッドは尋ねた。
「わしは【バン】。皆からは【バンじぃ】と呼ばれておる」
【バンじぃ】はひどく腰が曲がっていて、その角度は約90度。
ニット帽を頭にかぶった皺くちゃの笑顔は愛想が良く、2人の心に少しばかりの安らぎを与えた。
「バンじぃさん、白銀の花について何か知らないかな?」
リッドは思い付いて尋ねた。
「知っとるよ」
バンじぃはあっさりと答えた。
「……マジ?」
リッドは開いた口が塞がらない様子で目の前の老人を見つめていた。
「知らないはずがあるまい!なぜならわしは【バンじぃ】じゃぞっ!」
バンじぃは威張った。
「じゃあ、導きの種の事も…?」
ヤイナも訊いた。
バンじぃの答えは『もちろん』だった。
「なんか運が良いな。いきなり手掛かりを掴めるなんて」
リッドは笑った。
「いや、初めから【こういう筋書き】なのじゃよ」
というバンじぃの言葉に、リッドとヤイナの笑顔が真顔に戻った。
「どういう事だい?」
リッドは尋ねた。
「全ては最初から決められていた…。おぬしらがこの村に来る事も、わしに出会う事もな…」
バンじぃはしばらく間を置いて続けた。
「当然、おぬしら8人が【マスター】なる男に呼ばれた事も、決まっていた事なのじゃ」
「……バンじぃさん、あんた、何者だ?」
リッドの頬を冷たい汗が伝った。
「何を知っているんだ?」
「…わしは何も知らん。ただ、聞いただけじゃよ」
「誰に!?」
「いずれわかる…」
バンじぃは妖しい笑みを浮かべたが、それはすぐに先程の穏やかな表情に戻された。
「…この質問はこれまでにしてくれ…」
「…わかった」
リッドは渋々承知した。
「ところで、種の事だけど……」
「うむ。導きの種はこの村から道なりに1時間くらい歩いた森の中にあると聞く」
バンじぃは答えた。
「目印は【落雷で焦げた大木】じゃ」
「そこまでわかってるんですか?」
ヤイナは驚いた。
「それなら、どうして……」
「『自分は取りに行かないのか?』じゃな」
バンじぃは笑った。
「取りに行きたいのはやまやまなんじゃが……あそこには巨大な魔物がおるでな。わしのようなジジィはおろか、村の若い勇士ですら敵わんのじゃ。強すぎて」
「魔物か……」
リッドは呟いた。
それから1時間後。
2人は例の森に来ていた。
道こそあるが、ほとんど手入れはされておらず、草が伸び放題だった。
「ここしばらく誰も通ってないな」
リッドが言った。
「魔物のせいかな」
「きっとそうですよ」
と、ヤイナ。
「一体、どんな魔物なんでしょうね……」
「まぁ、出てきたらぶちのめせばいい」
リッドは既に剣を抜いていた。
「油断は禁物だぜ」
道を逸れて、森の深くに入り込んだ2人だが、ここで重大な事に気が付いた。
「焦げた大木……って、どこだ?」
リッドは周りを見回してみたが、それらしい木は無い。
そもそも、森自体が広いので、そう簡単に見付かるわけがなかった。
「困りましたね」
ヤイナはなぜか楽しそうに言った。
「おい、状況を楽しんでる場合かよ……」
リッドは溜め息をついた。
「いいじゃないですか。この方が、かえって気が楽ですよ♪」
「そうかもしんないけどさ……」
その時だった。
『ドシンッ!!!』と大きな足音が森の奥から聞こえたのだ。
「…何です、今の?」
ヤイナはビクビクしてリッドの腕にすがりついた。
「どうやら、ボスの足音らしいぜ」
リッドは足音のした方へ歩を進めた。
ヤイナもリッドの腕にすがりついた状態で歩いた。
「……ヤイナ」
リッドは言った。
「はい?」
「……歩きにくい」
彼が言うと、ヤイナはすぐに『ごめんなさい』と言って手を腕から離した。
「足音はこのへんからしたはずなんだ……」
リッド達は森の最深部というべき場所に着いた。
そこは木々に囲まれた広場になっており、変わった草花が多く見られた。
「……外の世界から隔絶されてるせいですね。珍しい花ばっかり……」
ヤイナはすっかり草花に見とれていた。
「お」
リッドは足元に、【あるモノ】を発見した。
「見ろよ。足跡だ」
「え?」
ヤイナが彼の指す所を見ると、異常に大きな人の足跡が草むらのへこみを作っていた。
「うわ……これって……」
ヤイナの胸は嫌な予感で一杯になった。
「まぁ、多分そうだろう」
リッドが言った時だった。
『ドシンッ!!!』という足音が再び聞こえた。
しかも、今度は連続して聞こえて、しかも音は近くなってくる。
「……出やがったか」
リッドがそう言った時には、彼の3倍はありそうな紫色の体を持ち、その体に黒い布を巻いた巨人が2人を見下ろしていた。
「ヤイナ、魔法の準備してくれ」
リッドは言った。紫の巨人はしばらく2人を見下ろしていたが、やがて低い声で、人間の言葉を話し出した。
「なんだ貴様らは…。わしの縄張りに何の用だ」
「導きの種を取りにきた」
リッドが剣先を巨人の頭部に向けて言った。
「渡してくれるか?」
「……貴様らは、なぜ今まで誰も種を取れなかったか知っているのか?」
巨人は尋ねた。
「ああ……やっぱり無理ってわけか、話し合いじゃあ?」
と、リッド。
「当然だ。取りたければ力尽くでな」
巨人は腰に下げていた斧を右手に掴み、高々と振り上げた。
リッドは離れずに巨人の足の間に潜り込んだ。
「ぬ!?」
巨人が気付いた時にはもう遅く、リッドの剣は巨人の右の腿を斬っていた。
「うぎゃああああ!!!」
巨人は悲痛な叫びを上げて、よろめいた。
リッドは巨人から離れて様子を伺った。
「こ、小僧!やりおるな」
巨人は汗だくになった顔の2つの目でギョロリとリッドを睨みつけた。
巨人の右足からは緑色の血が流れているが、傷は深くはないらしい。
「硬い体持ってやがる。人だったら完全に切り落とせたぜ」
リッドが悔しそうに言った。
「ふっ、ひねり潰してくれる!」
巨人は斧を横方向に振るった。
長いリーチ内にリッドが入った。
「やばいっ!」
リッドは大きな斧の一撃を剣で受けた。
当然、巨人の怪力に敵うはずもなく、体ごと弾き飛ばされて深い森の中に突撃していった。
「リッドさんっ!」
ヤイナは一瞬リッドの飛んでいった方を見ていたが、すぐに視線を巨人に戻した。
「許さない……」
巨人を睨みながら、彼女は言った。
「ふっ、その小さい体、小さい胸で何が出来る…」
さりげなくセクハラ発言をした巨人。
だが、ヤイナは聞き逃さなかった。
「……胸は余計ですっ!!!『シューティング・ボルト』!!!」
ヤイナの手から飛んだ緑色の稲妻が巨人を襲った。
「ぬああああっ!」
巨人はあまりの威力に斧を落として倒れた。
だが、そこまで効いているわけでもなさそうだった。
「小娘……!」
巨人の右手がヤイナの体を掴んだ。
「なめた真似をしてくれたな…。後悔するがよい」
巨人はヤイナを握る手に、力を込め始めた。
「っ…あああああっ!!!」
激しい痛みにヤイナは叫んだ。
骨が軋む音がしている。
その音を聞きながら、巨人は笑う。
「あの小僧を一撃で殺してしまったのは残念だが、お前は奴の分まで痛め付けてやろう…」
「――俺が何だって?」
突然、巨人の頭の後ろから声がした。
「……何だと…まさか!?」
巨人が振り返ると、リッドが倒れた巨人の左肩のそばに立っていた。
その体は鎧のお陰でなんともないが、顔は血まみれになっていた。
「ヤイナに手ェ出すんじゃねぇよ」
「小僧…」
巨人はすぐさま左手でリッドを掴もうとした。
だが、リッドはその左手の掌を剣で貫いてしまった。
「おあぎゃあああ!!!」
巨人は大ボリュームで叫んだので、リッドは耳を塞いだ。
リッドが剣を掌から抜くと鮮血が噴き出した。
彼は巨人の背中に飛び乗ると、剣を振り上げた。
「――終わりだ」
ドスッ………という音で、この戦いは幕を閉じた。
巨人の体は直後に崩れ始めて、灰になってしまった。
「ありがとうございます……」
解放されたヤイナは言った。
だが、すぐにリッドに倒れかかった。
「……痛むのか?」
リッドが尋ねると、彼女は頷いた。
「仕方ない。ほら、おぶってやる」
彼は彼女に背を向け、しゃがんだ。
「でも……」
彼女が躊躇していると、
「じゃあ、こうするか」
と、リッドはヤイナに向き直り、【お姫様だっこ】を発動した。
「じゃ、行こうか姫様?」
「……はい。あれ?」
彼女は何かを感じたかのように言った。
「リッドさん、何か聞こえませんか?」
言われて、リッドは耳を澄ました。
すると、美しい声がこう言っているのが聞こえた。
『巨人の灰の中に私はいます。早く出して下さい』
ヤイナを横たえて、巨人の灰をリッドはかきわけた。
すると、小さな青い宝石のような物が見つかった。
宝石から声が聞こえる。
『ああ、やっと見つけて下さった。どれだけ待ったことか……』
宝石は眩く光り、次の瞬間にはごく普通の植物の種に変わった。
「……これが【導きの種】か……?」
「そーだよ」
「うぉっ!?」
リッドが『そーだよ』という声がした方を見ると、青い髪、青い目、青い羽根、青い服を着た妖精が目の前にいた。
「…なんだお前?」
リッドは尋ねた。
「私?私は種の精・リリアだよ♪よろしくね」
「『よろしく』って……」
――こうしてリッド・ヤイナは【導きの種】を手に入れ、半ば強引に妖精リリアも仲間になった。
【1章:導きの種】
―――《Fin》