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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
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流れ行く千切れ雲30 感状授与と山城が見下ろす街

 祐司とパーヴォットが目覚めて窓を開けてみると夜中にかなり雨が降ったのか通りに水溜まりが出来ていた。


「水争いで大事なことにならなくてよかったですね。水争いで怪我人が出た夜に雨が降るなんて冗談にもなりません」


 パーヴォットはまだ小雨が降っている空を見上げながら言った。


 ただ雨は上手い具合に祐司とパーヴォットが朝食を終える頃にはやんで日差しも出てきた。


 雨がやんだので祐司とパーヴォットが出発しようとしていると、タタチナキ奉行所からの使いが来たという宿の者の知らせを受けた。


 奉行所からの使いなので「出発しますので」という断りも出来ないため会ってみると、昨日祐司とパーヴォットを半ば奉行所から追い返すような態度をとった同心だった。


 同心はいたく恐縮して「天下に名高い武芸者のジャギール・ユウジ殿に対してあらざることをしました」と謝ることから始めた。

祐司はあまり時間を取られたくないので「奉行所に出頭せよということでしょうか」と訊いた。



 同心は「是非にわたしとともに奉行所へ御足労をお願いします」とへりくだるように言うので祐司とパーヴォットは多少衣服を整えて、同心と供にタタチナキ奉行所に出向いた。


 タタチナキ奉行所では昨日とうってかわって丁寧な扱いだった。


 祐司とパーヴォットはまず謁見室に隣接した瀟洒な感じのする小部屋に案内されたが、そこには先客がいた。


 昨日祐司が大音響でいきり立ったハムデク村とレスネディル・ノヴェ村の住民の気勢を削ぐ時に”拡声術”を発動してもらった巫術師ラオンとその妻であった。


「ああ、ジャギール・ユウジさん、どうなるのでしょうか。宿を出ようとすると無理矢理に連れてこられました。わたしは何か咎をおかしたのでしょうか」


 脚絆造りが本職の”街の巫術師”ラオンは祐司を見るなり不安げに言った。


「心配しないで。お仕置きなど受けませんからここで待っていましょう」


 祐司は巫術師の不安を取り除くために笑顔で言った。


 リファニアの庶民にとって奉行所などという所は敷居が高い場所である。奉行所の主要な仕事は治安維持であるから普通の蘇民が奉行所に入る、あるいは連れ込まれるのは犯罪者と疑われた時という感覚である。


 奉行所は地域の裁判権も担っているので、訴訟がある場合は自分で出向くことはあるがその時は村長や町会の代表者と行くことになる煩わしさがあるのと、共同体が堅固なのでその中で話をつけるか、地域の親分である渡世人に仲介を頼むことがほとんどである。


 数分ほどして祐司とパーヴォットを連れてきた同心が現れて「どうぞ謁見室へ」と導いた。


 謁見室に入ると一段高い演壇のような場所に昨日戦車に乗っているところを見かけたタタチナキ奉行所奉行デヴォー・ベクレルドと二人の役人が立っていた。

 謁見する者が一段高い場所に陣取るように造るというのが中世世界リファニアの習いである。

 

 そして謁見室の後方には、奉行所の総員を集めてたという数の人間が互いにくっつかんばかりに四列になって立っていた。


「タタチナキ奉行所奉行デヴォー・ベクレルド様である」


 役人の一人が声を上げたので祐司達は片膝をついて屈んだ。


「一願巡礼ジャギール・ユウジ、そして巫術師デベ・ラオンに間違いないか」


 デヴォー・ベクレルドが声をかけてきたので、祐司は頭を上げて「相違ございません」と言ったが、ラオンという巫術師は頭をさらに下げて「はい」とだけ言った。


 役人が「では全員立ちなさい」と言うので祐司とパーヴォットはすぐに立ち上がったが、ラオンとその妻は恐る恐る屈んだような姿で立った。


「昨日、ハムデク村とレスネディル・ノヴェ村の住人による不測の事態を機転を利かせて阻止したこと見事である。

 タタチナキ奉行所奉行デヴォー・ベクレルドの名で感状を遣わす。ここに取りにくるように。ジャギール・ユウジ」


 リファニアに来てから祐司はすでにこのような場面は何度も経験しているので、丁寧で謙譲の風がある中でも威厳も兼ね備えた感じでタタチナキ奉行所奉行デヴォー・ベクレルドの前に進み出て一礼をした。


「流石に天下の武芸者であるな」


 デヴォー・ベクレルドはそう言って横の役人から感状を受け取ると書かれている内容を読むと再び感状を役人にもどす。

 役人はそれを祐司に渡した。祐司はそれをうやうやしい感じで両手で受け取るとデヴォー・ベクレルドに一礼して元いた場所に戻った。


 このデヴォー・ベクレルドの祐司に対する接し方は身分社会リファニアの慣例からして間違ってはいなかったが、デヴォー・ベクレルドは後にヘルヘンキ伯爵家の窮地も救うことになった北西戦役の英雄であるジャギール・ユウジに何度も頭を下げさせて、手ずから感状を渡さなかった”お偉いお方”とヘルヘンキ伯爵家家中で揶揄されることになる。 


 続いて巫術師ラオンが呼ばれたが、祐司が見ていて気の毒なくらいに緊張していた。 

 ラオンは名を呼ばれると「はい」と素っ頓狂な声を出した。ラオンは膝をやや曲げてさらに背中を曲げて上半身も前方に突き出るような姿で小刻みにタタチナキ奉行デヴォー・ベクレルドの方へ歩いていった。


 そいて最後の一歩で足が絡んだのか、デヴォー・ベクレルドの方へ突っ込むような形になってデヴォー・ベクレルドの膝を押すような形になった。


 そのあおりでデヴォー・ベクレルドは尻餅をついた。


 ラオンはその姿を見て「申し訳ございません」と言ったきりひれ伏してしまった。


 二人の役人がデヴォー・ベクレルドを起き上がらせると、ラオンの妻が彼に覆い被さって「お慈悲でございます。どうか命ばかりは」と泣き叫んだ。

 祐司はとんだ騒ぎになってしまったと思ったが、デヴォー・ベクレルドが怒りを発露させるようなことがあれば仲介に入らなければならないだろうと覚悟した。


 しかしデヴォー・ベクレルドは体裁が悪かったのか、苦笑しただけでラオンを叱責するようなことはなかった。

 祐司は感状を出すのにデヴォー・ベクレルドが大仰な事をするから、このような場面に慣れていないラオンが緊張のあまり失態を犯したのだと思った。


 幾多の紹介状や感状をタタチナキ奉行など足元にも及ばない人物達から配給されきた祐司にしてみれば、小都市の奉行所の奉行が出す些細な感状などどこかの小部屋で気楽に手渡せばよいという感覚である。


 そして昨日チェバ川の橋に向かうデヴォー・ベクレルドが戦車に乗っていたことを祐司は思い出した。


 民間の揉め事の仲裁に出向くのに、戦闘指揮に使うような戦車を持ち出してあたかも一軍の将のように振る舞うのは自意識過剰としか思えなかった。


「たいしたことはない。私の前にしっかり立て」


 デヴォー・ベクレルドがそう言ってもラオンには妻が覆い被さり、ラオンは伏したままだったので、壇上の二人の役人は妻に「後ろに下がっていなさい」と声をかけて所定の位置まで導いた。


 そして伏したラオンを起こして「そのままじっとしていなさい」と声をかけながら直立不動の姿勢になるように立たせた。


今度はラオンは直立不動でデヴォー・ベクレルドの方を見て目玉が飛び出さんばかりに目を開いた。

 これはこれでかなりおかしな光景で祐司とパーヴォットはそっと顔を見合わせて微笑んだ。



とんだ騒ぎになった感状授与がなんとか終わると、祐司達は最初に招き入れられた小部屋にしばらく待っているようにと言われて戻された。


 しばらくすると「与力のムガサ・ミルバドルです」と名乗る男と同心が入ってきた。


「実はハムデク村のハムデク家とレスネディル・ノヴェ村のレスネディル家がお礼をしたいという。

 ただ昨日の揉め事の後始末のためにタタチナキ奉行所まで来られないので、その礼を預かってきた」


 ムガサ・ミルバドルと名乗った与力は同心が持っていた二つの小さな革袋を机に置いた。


「それぞれ中身を確かめられよ」


 与力に促されて祐司とラオンは袋を空けてみると銀貨が六枚入っていた。


「確かめられたらここに著名を」


 与力は”銀貨六枚を受領”と書かれた受領書を出してきた。祐司はすぐにラオンは戸惑いながら著名した。



「いつ倒れるかと思うほどに緊張しました。でもお礼を貰いまして今回のマルタン巡礼の費用が大分助かりました」


 奉行所の門を出るとラオンがほっとしたように言った。


 銀貨六枚は物価相当で現代日本の十万円ほどの使い出である。ラオンの住むヘルヘンキ伯爵家の主邑ナルネドからマルタンまでは七日から八日ほどはかかるので、マルタンでの滞在を含めると二十日ほどの旅になる。


 現代日本では二人で二十日も旅行すると十万円は微々たる助けではあるが、リファニアの旅は基本的に徒歩なので交通費は必要ない。

 また雑魚寝であれば宿泊費としては格安と言っていい巡礼宿舎を利用すれば一泊千円前後のお布施ですむ。


 どうしてもかさんでしまうのが飲食費であるが、ライ麦パンに僅かな副食という粗食を我慢すれば思いの他に安く上がる。


 その事を考慮するとラオンが銀貨六枚を貰って助かったというのは本音である。

 

 祐司とパーヴォットはラオン夫妻と奉行所の前で別れて旅籠に戻りようやく出立ということになった。


「随分時間を食ってしまった。予定をまた変えて今日はナルネドを目指そう」


 祐司は嘆息するような感じで言った。



挿絵(By みてみん)




 当初の予定ではセルパソナを出立してイェンデド、タンダラ、ワザマに宿泊という予定だった。

 ただタンダラとワザマの間が長いので、天候や道行きのはかどり具合でヘルヘンキ伯爵家領西端のセトルでさらに一泊することも予定していた。


 しかしイェンデド宿泊以降は、ハムデク村とレスネディル・ノヴェ村の水争いに巻き込まれてタンダラの手前のタタチナキでの宿泊を余儀なくされた上にタタチナキの出立時刻が遅くなったのでヘルヘンキ伯爵家の主邑ナルネドに宿泊することにしたのだ。


 それでもセトナに宿泊する可能性も考えていたので、セルパソナからワザマまでの三日ないし四日行程が四日行程に決まったと言うことである。


 タタチナキを出立したのが四刻(午前十時)であったので約二十リーグ(約36キロ)先のナルドナに到着したのは八刻(午後六時)を回るというかなり遅い時間になった。


 ただナルネドは北緯七十度付近にあるので四月も末となると日没が九刻(午後八時)をかなり回る時間になるので明るいうちに到着したことになる。


 ナルネドはマルタン街道には面しておらずマルタン街道から北に一リーグ半(約2.7キロ)ほどの位置にある。

 領主貴族家の主邑が主要街道に面していない例は多い。祐司とパーヴォットが訪れた例ではナデルフェト公爵家の主邑ヘテテルックがある。


 ヘテテルックは”北国街道”から三リーグ(約504キロ)ほど離れた位置にある。


 また一昨年通過してきたシスネロスから王都へのシスネロス街道沿いの最大の領主レルスマイアー伯爵家の主邑もシスネロス街道から外れた位置にあった。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖26 かんなぎの道 上 参照)


 これは街道沿いに立地すれば物資の搬入搬出に便利な面があるが、商業の面で有利な街作りとなってしまい軍事的な側面が等閑視される恐れがあることと、尚武の気質を好む文化背景から過度な絢爛けんらんで情弱な文物が流入することを出来るだけ排したいからである。


 祐司とパーヴォットは元々ナルネドを訪れる予定はなかったが、低い位置の太陽から照らされるナルネド背後のヘルヘンキ伯爵家本城の姿はそれなりに荘厳に見えた。

 ヘルヘンキ伯爵家の本城は比高百尋(約180メートル)ほどの小さいながらかなり急峻な山に築かれた山城である。ナルネドの街区は山の麓に広がっている。

*話末注あり



挿絵(By みてみん)




 祐司とパーヴォットはナルネドの市門付近でしばらく山城であるナルネド城を見た後でナルネドに入った。


 ナルネドは巡礼と物量の多いマルタン街道から離れているので、宿屋が少なく祐司とパーヴォットの到着時刻が遅かったこともあって宿泊出来る場所があるか不安だったが、なんとか居酒屋に併設された部屋を見つけることが出来た。



注:本文に出てきた城

 現用されるリファニアの行政機能を併用した城塞のほとんどは日本でいうところの平城が主流で丘城や平山城も多く見られます。

 平城が多いのは本城を主邑に設けて周辺の平坦地に造られた街区全体を城壁と堀で囲んでしまうからです。


 本文で出てきた例ではシスネロスがこの形式です。


 祐司とパーヴォットが籠城したイルマ峠城塞は緩やかな斜面にあるという特徴がありますが、周囲の地形から考えて城壁に全面的に防御を頼った平城です。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 ただ丘陵や高台が街区にあればそこに城塞が築かれます。これは防御面の向上に加えた統治者の威厳を示す意味合いがあります。


 本文で出てきた例ではマール州バナミマの南端の高所に築かれたバルバストル伯爵家の本城と、王都の王宮、ノヴェレサルナ連合侯爵の本城であるイトリト城があり、ナデルフェト公爵家の本城は周囲の街区を含めて孤立した台地上に立地していました。

(第六章 サトラル高原、麦畑をわたる風に吹かれて 虚飾と格式、領主直轄都市バナミマ8 緋色の街とコトリの仇討ち 上 参照)

(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 イティレック大峡谷を越えて4 中州の街イトリト 参照)

(第十四章 ミツガシワの雫を払い行く旅路 道標は北の高き北極星17 北の衛兵ヘテテルック 参照)



挿絵(By みてみん)




 ただ本城が山城であるというのは現在のリファニアでは珍しいといえます。


日本では中世から戦国時代までは山城が多かったのは、自然地形を防御に用いるためです。

 それが土木技術の進化で石垣や水が漏れない堀といった人工物で防御効果を任せることが出来るようになると、統治の都合や常の生活が楽になる丘城、平山城、そして平城が築かれます。


 リファニアでは千年以上も前から城壁が築かれていますが、工事量を節約する目的で自然地形に頼った山城も営々と築かれてきました。

 本文に出てきた例では廃城同然になっていましたが、バーリフェルト男爵家の本貫の地であるバーリフェルトを見下ろす山にあるダゴル城があります。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト7 祐司、虎の尾となる 上 参照)



挿絵(By みてみん)



 

 純粋に軍事的な観点から現在でも境界線付近に新たに短時間の工事でそれなりの防御力を持たすことが出来る山城が築かれることはありますが、ヘルヘンキ伯爵家のように本城が山城というのは珍しいのです。


 しかし本城と言ってもヘルヘンキ伯爵とその家族が常時山城に住んでるワケではなく、ヘルヘンキ伯爵はナルネドの街区の中にある屋敷で暮らしており本城はナルネドが攻撃された時の最後の抵抗拠点になる詰めの城です。


 またシスネロスのドノバ候公邸は街区に接続しているので山城のような移動の不便はありませんが、軍事的な要素が強く居住性に劣るのでドノバ候は普段の統治行為や生活は市街地中心部のドノバ候私邸と呼ばれる建物で行っています。


 またマール州バナミナでも伯爵舘包囲戦の前まではバルバストル伯爵はバナミナの中心にある居住性のいい伯爵舘で暮らしていました。


 軍事的な観点からすれば総石造りの建物は建物自体が城壁の役割を果たしてくれるほどに堅牢で理想的なのですが、高緯度で冬季の寒冷が厳しいリファニアでは木造建築に比べて居住性が劣るのです。

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