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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
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流れ行く千切れ雲21 老人の里

 祐司とパーヴォットは雨上がりのマルタン街道を順調に西へ進みコルダホ村の旅籠を兼ねる居酒屋で一泊すると、次の日は三リーグほど先にある小邑ポオウルトに到達した。


 もし昨日ヘリスナ村で騒動に巻き込まれなければポオウルトで宿泊しただろう。


 ポオウルトには、レンデルトット神殿という地域の首座神殿であるやや大きな神殿がある。祐司とパーヴォットはレンデルトット神殿を参拝すると、やや早めの昼食をポオウルトの居酒屋で摂った。


 ポオウルトから二リーグ半ほど西に進むとかなり深い森林地帯となる。ポオウルトの西はマルタン街道で標高の高い地域で耕作地は見られなくなった。

 リファニア北部は耕作の北限地域であるので、やや標高が高まっただけで耕作条件が悪化するため当初から耕作は諦められている。


 ただ標高が高いといっても街道が大きく左右に曲がりながら緩やかに登っていることがわかるほどの傾斜であって二リーグも進むと街道はほぼ水平になった。

 祐司は多少の起伏はあるので百数十尋(約200メートル)ほども周辺より高くなっていると感じた。


 現在歩いている地点はリファニア北東沿岸を南北に延びるタラナスト高原の中央部であるから、当然ながら標高は高い。

 その中で数百メートルもさらに高くなれば、針葉樹の森林しか見られないのは自然なことである。


 マルタン街道は沿岸部と聖都マルタンを結ぶフィシュ州第一の街道であるので、利用者や物資の移動は多い。


 しかし人や物資は離れ小島のように点在する街や比較的大きな宿泊設備がある村を朝に出立して日没前に次の宿泊先に到着しようとするので、宿泊施設のある場所付近の朝の利用者は多く渋滞とはほど遠い状態ではあるが一箇所に留まって見ていれば数分を経ずして人馬が集団となって通過する様に見える。


 それが移動速度の差でしだいにばらけて、次の目的地には一刻半(三時間)ほどの間に三々五々到着することになる。

*話末注あり


 祐司とパーヴォットの道行きは馬とラバに荷を積み手軽なことと、時に乗馬の練習で馬を利用することもあって相当に速い。

 そのために出立した頃は街道の前後に必ず誰かが見えているが、次第に人馬が見えなくなり祐司とパーヴォットだけで街道を進むような感じになる。


 そして昼過ぎになると向かいの方向からやって来る人々に出会うことになる。


 この日に森林地帯を進んだのは午前中であったので、向かいからやってくる者はいなかった。

 これが農耕地帯であれば近隣の住民の往来があるのでまったく人に出会うことが無いなどということはないが、無人の森林地帯であるので人と行き違うことはなかった。


「静かで御座いますね」


 珍しくしばらく黙って歩いていたパーヴォットが祐司に言った。


「もう三リーグいくとフェンパル神殿がある、その周囲は一寸した集落があるが、なかなか珍しい集落だそうだ。そこで昼食にしよう」


「老人集落でしょう。神学校で聞いたことがあります」


 祐司の提案にパーヴォットが笑顔で答えた。


 

 道は明らかに降りになって一刻もしないうちに森林地帯はがけて小盆地のような場所に到達した。

 この小盆地の真ん中にフェンバル神殿がある。そしてその周囲を取り囲むようにして百軒以上はあるだろう住居がやや散在した感じで取り巻いている。


 ファンバル神殿は勅願神殿として建立された神殿である。


 リファニアにおける勅願神殿は王家により建立された神殿で、王家が神殿維持の費用を負担するか神殿を維持するための神殿領を伴っていた。

 最も勅願神殿が多かったのは今から六百五十年前の第二十八代リファニア王ファロスの時代で全土に九十ほどあった。


 ところが王権の衰退で地方の勅願神殿を直接王家が庇護することが困難になり、州の太守にその維持と管理が任されることになるに従って元勅願神殿ということになっていった。

 

 また神殿領は五百年前の大神官タブリカによる神殿領の放棄という”宗教改革”で手放したり、周辺の領主が管理するという名目で次第に失われた。

 このために王家の費用で運営される勅願神殿は王都第一のヘルゴラルド神殿内にある代々の王族の菩提寺の役割を担うワステアル神殿以下ホルメニア内の数神殿しかない。


 ファンバル神殿は八百年前の第二十二代リファニア王ガファスダによる勅願神殿である。


 これはフィシュ州一帯のイス人土豪が帰順したことを慶賀として、フィシュ州東部の基幹神殿としてとなるべく建立された勅許神殿である。

 祭神は主神ノーマとイス人系の地母神で創造神とされる女神ダーヌである。主祭神が二神の神殿は珍しい存在で現在でもファンバル神殿にはそれぞれの神を祭る本殿が二棟並んで立っている。


 ファンバル神殿は四十村に及ぶ神殿領を有してフィシュ州東部では最も有力な神殿であった。


 しかしファンバル神殿も矢張り大神官タブリカの”宗教改革”により直営の神殿領を手放して当時はまだフィシュ州東部が王領だった王家に神殿領を返納して、年貢の一部を神殿経営の為に奉納してもらうという形になった。


 しかし王領はしだいに減少して二百数十年前には全てが地元領主が預かるという形になった。

 それでも収められる収量はかなり減少したので、ファンバル神殿は遅まきながら他の神殿が行っているように聖職者による農地の直営を始めた。


 この農耕を行う聖職者は職能神官であるが、ファンバル神殿独自の方法としてかつての神殿領の信者のうち五十五歳以上の者を一年の試用のちに職能神官見習としている。


 実はリファニア北部には”姥捨て伝説”がある。この伝説を背景にして次の様な話が伝わっている。

*話末注あり


 ファンバル神殿の神官長は度々耳にする村が共倒れにならないために人里離れた森林に老人を捨てる習慣に心を痛めていた。

 そこで神官長はかつての神殿領内の信仰心篤い六十歳以上の老人を見習いの技能聖職者として、ファンバル神殿で預かることにした。


 それ以来村や家族の足手まといになったと感じる老人が集まって、神殿の周囲に自分達で住居を建設して集落を形成するようになった。



「なんか神殿を中心にした街があるみたいな感じですね」


 パーヴォットが眼下に見える小盆地とも大きな窪地ともいえる場所にあるファンバル神殿を眺めながら言った。

 

「マルタン街道はファンバル神殿を通過しない方が本街道のようだが、左の道を進んでファンバル神殿を参拝しよう」


 祐司とパーヴォットはファンバル神殿がある盆地へ下る脇道の方へ進んだ。


 マルタン街道が通過する幅の広い尾根のような高所から眺めると盆地は数平方キロ以上の面積があり、耕作地と放牧地、そして一部に森林が見えた。


 マルタン街道から盆地へ下るには百尋(約180メートル)以上は降らなければならなかった。


 祐司は盆地は耕作可能な低地であり、冬季は寒気が滞留して寒いかもしれないが、夏季は周辺の高地の冷気が遮られるのでかなり温度が上がる地形になっているのだろうと思った。



挿絵(By みてみん)




祐司とパーヴォットが盆地内に下りきってファンバル神殿の方へ農耕地の中を進むと、すぐに農地に出ている者が男女とも高齢者ばかりであることがわかった。


「話に聞くとおりですね。若い者の姿は見かけません。働いているのはお年寄りばかりです」


「あそこに若い人もいるぞ」


 パーヴォットが感心したように言うので、パーヴォットが見ているのおは反対の方向を指差して言った。


 そこでは作業をする為か簡易な神官服を着た三十前後の神官が、二人の農民風の服に白い布を被せた麦わら帽を被った七十年配とも思える男女に何かを口頭で伝えているようだった。孫のような年齢の神官に二人の老人は頷きながら時折頭を下げていた。


「あの神官は職能神官見習の老人に農作業を差配しているのだろう」 


 祐司はパーヴォットに言う。


 職能神官であっても聖職者の末端であるので、立場が明確になる目印が必要である。聖職者の階位には色が用いられるが白は末端の見習い聖職者を示す色である。

 それを思い出して農作業をしている老人が全て白い布を被せた種々の帽子を被っていることに祐司は気が付いた。


「さあ、ファンバル神殿に行こう」


 祐司はパーヴォットを促した。


 ファンバル神殿に近づくと種々の建物が密集しており、門前町のような感じになるが門前町につき物の参拝者を目当てにした店はなく全て住居だった。

 また住居の中には棟割長屋のような建物も幾棟もあり下町の居住区のような雰囲気だった。


 また道を歩いているのは、先程の農作業をしていた老人同様という者ばかりである。道端には大きな机を出してその上に置いた麻糸の束をかなり高齢な老人達が砧で打っていた。


 また腰の曲がった数名の男女が混じった老人達が箒とちり取りで道の清掃作業をしていた。体の動き具合によって老人達は作業内容を分担しているようだった。


 それを見ながら祐司は近未来の日本の街とはこうした感じかと思った。



「あそこに茶屋がありますよ」


 パーヴォットがファンバル神殿の門の前にある店を見つけた。


 店の前の床机に座っていたパーヴォットとあまり年齢がかわらないような若い女性が立ち上がると「巡礼さん、参拝中は馬をあずかりますよ。帰りにお立ち寄り下さい」と声をかけてきた。


「普通なのになんか変な感じを受けます」


 パーヴォットが祐司の方を向いて小声で言った。


 祐司とパーヴォットは若い女性の誘いにのって馬とラバを茶屋であずけると、ファンバル神殿を参拝した。

 主神ノーマ、そして創造神ダーヌを祭ったどちらの本殿にも数名の職能神官見習と思える老人達が祈りを捧げているだけで他の参拝者は見当たらなかった。


 祐司とパーヴォットの道行きが速いので、まだ他の参拝者が到着しておらずまた向かいからくる参拝者が来るにも早い時間だったようだ。


「霊験新たかなことに神々の加護で心身とも歳にしてはしっかりしております。有り難いことで御座います。

 貴方方はお若くありますが、いつかは年を取って身が動きがたくなりまた心も弱くなります。


 それは神々の深慮によりますことで御座います。どうか私どものようにそれを受け入れた人生の黄昏時を憂うことないようにお願いします」


 祐司とパーヴォットが創造神ダーヌの参拝を終えると、詠唱文の文言が刻まれた太い杖をついた職能神官見習の老婆が声をかけてきた。


「有り難いお言葉です。心に刻みます」


 パーヴォットがそう言って頭を下げた。



挿絵(By みてみん)




「旦那さん、奥様はお若く綺麗でございますね。でもその姿は何時までも保てるワケではありません。どうか私の様な姿になるまで添い遂げていただきとう御座います」


 今度は老婆は祐司に声をかけてきた。


「はい。心に誓います」


 祐司は躊躇無く答えた。


 パーヴォットは本殿を出ると祐司に「まだ奥様じゃありません」と甘い声で祐司に言った。

祐司もパーヴォットと肉体関係があるわけではないが、他人から見れば雰囲気は恋人を越えて夫婦のように感じられるのだと思うと嬉しくなった。



 老婆の言うように霊験あらたかな話としては、足手まといとなってファンバル神殿に世話になるような老人がファンバル神殿で暮らし始めるとかつての生き生きとした姿となってあてがわれた仕事をなんなくこなすようになり天寿が訪れるまで寝込むような者はほとんどいないという。


 むろん祐司は合理的な解釈をしている。


 ファンバル神殿神殿の職能神官見習になるまでは一年の試用期間があるというが、実際に加齢による衰弱や病に侵された老人はこの時期に死亡する可能性が高い。 

 しかし死の直前までは看護を受けられるので、こうした老人にはファンバル神殿はホスピタルの役割をしている。


 貧窮した家族にすれば無料で身内をあずかって世話をしてくれる存在であるし、自分が親や祖父母を遺棄したという後ろめたい気持ちになることもない。


 さてめでたく職能神官見習になれる老人は若者と同様とはいかないが、今まで従事してきた仕事に経験豊富な者である。

 多くは農業労働をするが中には大工、火事、木樵、猟師などの技能者もいる。こうした者をファンバル神殿の正式な神官が差配するので組織として機能する。


 技能知識はあっても無理な仕事はできないので営利的には問題があるが、自分達の食い扶持を得る為だけなら十分な労働力である。そしてなにより神殿配下であるので年貢をはじめすべての税は免除される。


年貢分がなければ同様の人数の七割程度の生産量でも自分達の取り分としてはおつりがくる。


 老人をファンバル神殿に行かせる家族としても純粋に食い扶持を減らすことが出来るので家族単位としては余裕が出来る。


 ファンバル神殿の老人が家族と一緒にいた時より仕事が出来るようになるのも、家族であれば年長者として扱われてどうしても家族に頼る甘えが出るが、ファンバル神殿では周囲は同様の者であり自分がしっかり仕事をこなさなければ他人に迷惑をかける。


 身分社会、さらに同じ身分の中でも細かな階層が存在する中世社会リファニアでは年齢の差を超えて上位者、この場合は正式な聖職者の指示は絶対的なもので何が何でも実行しなけらばならないという気持ちが働く。


 また強固な共同体社会で生きてきた人々は家族外の者に甘えることを恥じて、また迷惑をかけることを避けようとする。


 こうした状況が老人をして以前より仕事を多くこなすように見える理由だと祐司は考えている。



挿絵(By みてみん)




注:中世段階の街道利用者数

 19世紀前半、最も利用者が多いと思える東海道の江戸日本橋と京都三条大橋の間には一日当たり6000人が通行していたといいます。

 東海道は492キロあるので一日に8時間歩いていたとすると、30メートルほどの感覚で一人が歩いていたことになります。


 ただ集団で旅をする者も多かったでしょうから間隔はもっと差があったでしょう。


 ただこの数字は宿泊設備の利用者から推計したもので、街へ所要に出たような近在の者の利用、知人を頼って宿泊したり日帰りの利用者、そして大名行列などの人数が入っていませんので実際は間断無く人が往来しているという感じだったでしょう。


 これは当時世界でも最も人口稠密な地域で前近代段階とはいえ経済活動が盛んな日本の太平洋岸であることを考慮すると、面積が広大で人口希薄なリファニアの単位距離辺りの街道利用者は繁華な街道であってもその数分の一程と思えます。



注:”姥捨て伝説”

 ”姥捨て伝説”は信州更科(長野県長野市)の話が有名です。この有名な話は今昔物語の姨捨伝説で組織的な棄老の話ではありません。


 さらに親を捨てるという話でも無く、捨てにいくのは年老いた姨母 (をば、叔母)です。ある男が叔母を家に住ませて親のように養って暮らしていました。

ところが嫁はこの叔母をまるで姑のようだと感じて年老いて腰が曲がってくるのをとても嫌っていました。


 妻は常に夫にこの叔母の心が悪いと言い立てていました。次第に男はわずらわしく思い、また心ならずも叔母を不快に思うことも増えてきました。

 そして叔母はますます老い腰も二重になってきました。妻はいよいよこれを嫌い「どうして死なないんだろう」と思い夫に「叔母の心はたいへん悪いので、深い山に棄ててきてください」と言います。


 八月の十五夜、月のとても明るい夜にあまりに妻が強く責めるので、男はとうとう「棄てよう」と言いました。


 男は「叔母さん。寺でとても貴い法事があるそうです。見せたいと思っています」と騙して叔母を背負うと山の峰へ登りました。

 叔母が下れないようなところに着くと背からおろし「をいをい」と叫ぶ叔母をそのままにして逃げて帰りました。


 しかし男は叔母を山に棄てたけれども、長く親のように養い、ともに暮らしてきことを思うととても悲しくなります。


 すると山の上から明るい月の光がさしてきました。男は叔母のことを思うと終夜眠ることができずひとりごとのように「わがこころなぐさめかねつさらしなやをばすてやまにてるつきをみて(心をなぐさめることはできない。更級のおばすて山の上に照りわたるあの月を見ては)」言いました。


 そして男は山の峰にのぼり叔母を連れ帰りもとのように養いました。


今昔物語は説話ですので最後に新しい妻の言にしたがって、悪い心を起こしてはなりません。これは古い話ですが今でもこんなことはあるでしょうと締めくくります。


この話のように老人を捨てるという話は一家庭を単位とすることはあったかもしれませんが、過去の日本でも現代のリファニアでも村をあげてというのは考えにくいと思われます。

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