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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
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流れ行く千切れ雲18 石室の母子 上

「どなたか居ますか。私達は旅の者です。雨宿りをしたいのですか」


 祐司は石室まで十間(約18メートル)ほどの距離で声をかけた。


 この距離なら石室から投擲兵器で攻撃されても、見落とすことがなければ自分がそれを避けうるか叩き落とした上に背後のパーヴォットも確実に祐司が守れた。

 そして祐司の目にも石室の入り口付近にパーヴォットが言ったように、二人の子供がいるのがわかった。


 祐司は「雨宿りをしたい」と言ったが、この時点ではかなり雨脚は弱くなってきており、霧雨といったような状態で人によってはそろそろ出立しようという感じになっていた。


 祐司が声をかけて相手の反応を待っていると、子供が急に石室の奥の暗がりに移動してかわりに三十前後と思える女性が石室の入り口に出てきた。


「どうぞ。早く中にお入り下さい。馬とラバも中へ」


 女性は切羽詰まったような声を出した。


 祐司は尋常な事態ではなさそうだと思いながらゆっくりと石室に近づいた。そして女性が発する巫術のエネルギーの光をじっくりと観察した。

 祐司は今までの経験から女性が迷いや恐れなどの感情に突き動かされていることを見て取った。


 馬とラバは少々の雨なら戸外に出しておいてもそう問題はない。それを狭い石室の中に入れろとはおかしな提案である。

 祐司の頭は素早く動いて、女性は石室やその付近に人の気配を残したくないのだろうと判断した。


「貴女は近在の方ですか」


 祐司は半ばカマをかえるつもりで訊いた。


「はい」


 一歩遅れて答えた女性は明らかに嘘を言っていた。


「何を焦っているのですか」


 祐司は揉め事に巻き込まれることを半ば覚悟して言った。


「焦ってなど」


 女性は慌てて否定する。


「ユウジ様、西の方から数名の男達が駆け足でやってきます」


 背後から小声でパーヴォットが声をかけてきた。


「お子さんがいるようですが貴女の子供ですか。家に帰るのに雨に降られたのですか」


 祐司の問いかけに女性は「はい」と返事をするが、事実と嘘がない交ぜになっている。 

「お嬢ちゃん、おっかさんと一緒にいるのだね」


 女性の背後に少女が石室の奥から出てきたのを見て、祐司は少し考えた質問を投げかけた。


「わたしの子です」


 女性が少女が声を発する前に答えた。


 少女の発する巫術のエネルギーによる光は複雑なものだった。嘘ではないが本当でもないというような感情である。

 一言で言えば今の状況に困っており、困った状況から逃れたいという気持ちなのだと祐司は理解した。


 そして祐司は明らかに少女の目に助けを求めている様子を見て取った。祐司は子供中心に動くことにした。


「旅のお方。そこに人がいるかい」


 パーヴォットが言っていた男達が大声で祐司に呼びかけてきた。祐司が声の方向を見ると三ペス(約54メートル)程の距離まで四人の男と一人の女が迫ってきていた。


「誰もいないと言って下さい」


 石室の奥に少し引っ込んだ女が哀願するに言った。


 祐司は迫ってきた男達の声を聞いた少女の巫術のエネルギーによる光の変化から、安堵の感情が読み取れたことでなすべき方向を決めた。 


「女性と二人のお子さんが石室にいます」


 祐司は近づいてくる人々に大声で知らせた。


 石室の女性は祐司を恨めしそうに見てから「行くよ」というと、今まで石室の奥に居て姿がよく見えなかった男児を背負って石室から飛び出した。


 取り残される形になった少女が「ジェンド!」と半ば鳴き声で叫んだ。


 すると女性の背負われた男児が後を向いて「おねえちゃん」と矢張り涙声で叫んだ。


 祐司は意図的に女性の進路に立ち塞がった。女性は祐司を避けようと立ち止まり左右に動くがそれに合わせて祐司が短槍を横向きにして動くので中々前に進めない。

 とうとう女性は「どけよ」と凄みのある声を出したが、諦めたのか一度石室の方へ引き返してから祐司のいない方向へ走り出した。


 そのことで時間を使ってしまった女性に二人の若い男が走って迫ってきた。


 女性は二ピス(約36メートル)ほど走ったところで二人の男に取り押さえられた。二人の男は女性を跪かせると後から左右の肩を持って押さえつけた。


 女性は観念したのか何も言わずになすがままにされていた。


「ありがとう御座います。助かりました」


 祐司の横を中年の男が取り押さえられた女性の方へ走りながら礼を言った。


 やがて子連れの女性を追っていたのだろう人々が全て集まった。祐司に礼を言った中年の男性はこざっぱりとした上等そうな服を着ていた。

 そして女性を取り押さえている若い二人の男と中年の男とやってきたやや年長と見える男は近在の農民のようだった。


 そして一人いた女性は二十代後半という感じで、女性が背負っていた男児を抱っこして泣きながら「ゴメンね。ジェンド、怖かったね」と声をかけていた。

 その女性に石室にいた少女が走り寄ってくると、女性は男児を地面に下ろしてしゃがむと「よかった。よっかった」と言いながら少女とともに抱きかかえた。


 そこへ中年の男性もやってきて自分もしゃがむと二人の子供を女性と一緒になって抱き抱えた。


 中年の男性との仕草から妻ではないかと祐司には思われた。


「本当に助かりました。あの女に子供を攫われて探していたのです」


 やがて中年の男性が祐司の元にやってきて取り押さえられている女性の方を見やりながら言った。


「ほとんど何もしておりません」


「いや、あそこで足留めしていただきありがとう御座います。あの女がやけになって子供を害する恐れもありました」


  

「申し訳ありませんが、事情を話していただけるとわたしにしたことがどういった意味があるのかわるのですが」


 そう言った祐司は自分が一願巡礼のジャギール・ユウジであることを名乗った。


 祐司が名乗ったことで、中年の男は驚きそして喜色を持って返した。


「ああ、お噂は訊いています。いいお人がいました。神々の深慮かと思います。貴方のしてくれたことは神々もよしとしてくれることです。わたしにとっては恥ずかしい話になりますがお話します」


 中年の男はかいつまんで事情を話出した。それは以下のような話だった。



 中年の男はドジャベ・ゴルデンといい、この石室から一リーグ半ほど西にあるヘリスナ村の富農だった。


 リファニアの農村は一般に小作にだすほどの耕作地を所有する富農が指導層になる。この富農は地主ではあるが通常は自分でも耕作を行う。ただ農作業の作男に指示だけしている者もいる。


 この富農は余裕があるが故に種々の新しい耕作方法や品種の導入に積極的で、また灌漑施設の整備なども行う篤農家という側面もある。

 リファニアは高緯度の亜寒帯気候であるが、単位面積でヨーロッパ近代初頭並の土地生産性があるのはこうした富農の試行錯誤の成果と言える。


 富農は村長そして村会役員と重なる。村長や村会役員になったとしても物理的な利益は何もない。自分の時間を取られるばかりで、更に祭礼時には吝嗇との陰口を言われないほどの金品を出さなければならない。

*話末注あり


 ただ無償で働くことと、共同体に利益を還元することで名望を得て共同体で重きをなしている。


 富農とされる農家は全体の一割から二割程度で、半数から三分の二程度は自分の所有する耕作地を経営する自営農である。


 彼等こそリファニア農業の主力であり、歴史的に自営農こそが最も効率的な耕作をすることを理解している王家以下の領主は彼等を保護しており、農村が一部の地主と多数の小作農にならないような施策を行う。


 この自営農にはピンキリがあり自分で耕しきれない耕作地を小作に出す者がピンで、反対に耕作地の一部、場合によっては半分が小作地である者がキリである。


 残りの二三割が小作農であるが、大概は狭小でも自分の耕作地を所有している者が多い。

 大まかな構図でいうと余裕のある地主や富農が新しい農地を開墾して、小作がこれを耕作するようになる。

 代を経て財を多少でも貯めることができたような小作農は小作地を買い取って本格的な自営農になっていく。


 リファニアの農村では自営農と小作農以外に地主の耕作地で働く作男がいる。これは都市に流出しなかった自営農や小作農の次男三男が多く正式な共同体の一員とはみなされていない。


 ただ地主が開墾を進めればその土地の耕作権を補償してもらって小作農へとなる道がある。


 このようにリファニアの農村の階層は断続的ではなく連続的な構造になっており、代を越えれば上にも下にも移動する。

 多少流動性がある故にリファニアの農村は指導層はいても全ての構成員が対等であるという共同体意識を持てるので自治村として外部勢力に対抗できる。


 ただ富農という段階になれば余程の放蕩者が代を続けて出ない限りは、旧家と呼ばれるほどに数代を経て存続している。

 

 ドジャベ・ゴルデンはこのような旧家と呼ばれ村長や村会役員を務める農家の当主だった。


 ゴルデンは七モルゲン(約35ヘクタール)ほどの土地を所有しており、四分の三程を小作に出して、残りは作男を使いながら自営しているリファニアの感覚ではやや大きな中規模地主であった。


 ゴルデンは十年前に隣村のヘデンネからヘッゼル・ボティルダネという女性を嫁に迎えた。ボティルダネの実家は自営農であるが、先代までは小作地もあってボティルダネの祖母はゴルデンの大叔母で、祖父は村会の筆頭を務めた人物で家の格としてはなんとか釣り合いが取れていた。


 ボティルダネは石室に二人の子供と潜んでいて、挙げ句に二人の男に取り押さえられた女性である。


 ボティルダネについてゴルデンは「わたしも若かったので、美貌に騙されてまだ存命だった母親が『あの女は腹に一物ある』という忠告を無視してしまいました」と心底悔やむように言った。


 ゴルデンが美貌と言ったように、取り押さえられているボティルダネという女性の顔を祐司がよく見ると雨に濡れた乱れた淡いブルネットの髪の毛が覆い被さった顔はやややつれた感じはするが美人と言っていい顔立ちであった。


 ただその美貌には底の薄さが祐司には感じられた。しかしこの祐司の感想はボティルダネには少々酷な感想である。

 

祐司は当代第一の美女であるトンバルデン男爵妃ドジャ・ミフェリシアを見知っており、また高位貴族の令嬢や奥方とも面識があった。

 こうした女性は代々の育ちの良さが自然と外面に滲み出ており、品のよさという雰囲気に裏付けられた美貌である。


 さらに祐司は性技と男性をもてなすことに天性の才を持った娼婦ルティーユと関係を持った。

 リファニアの高級公認娼婦は並の教養と心遣いでは務まらないほどの能力が要求される。祐司の性の相手をしてくれたのはこうした高級公認娼婦である。


 そして何より祐司は女性を時に商品として取り扱う渡世人アブラン親分とチェストミル組長から千人に一人の女と評価されたパーヴォットと常に一緒にいるのだ。

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春風の旅7 砂丘の追跡 下 参照)

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春嵐至り芽吹きが満つる1 きな臭い出立 参照)


 こうした女性を基準に他の女性を比べてしまう祐司の基準は知らず知らずのうちに高いモノになっている。



挿絵(By みてみん)




注:富農

 古今東西農村部で富農と区分される階層は農村の指導層であり、余裕があるからこそ新しい品種や耕作方法の導入が出来る篤農家でもあります。

 日本では江戸時代から明治以降の富農であり篤農家として知られた人物が数多く伝えられています。


 彼等は農業だけで無くリスクを背負いながら後に地域の特産品となった物品の生産を手がけたり、学校等の創立に関わってきました。


 農業の経営的な発展過程からすると農業が元気である先進国では零細農家は他の産業へ移動して、こうした富農が最期まで農業を担って大規模農業を行うことになります。


日本では第二次世界大戦後の農地改革で自営農が一気に増加しましたが、都市に暮らす寄生地主だけでなく在地の篤農家として活躍していた地主でもある富農の発展が妨げられて大規模農業への道が阻害されました。


 さてこの農村の中核である富農が政策的に排除された例があります。逆説的に見れば富農とはどのような存在であるかがわかります。


 それはソ連成立後の共産党による富農クラーク撲滅運動です。


 都市のプロレタリアートを支持母体としたボリシェヴィキは、農民は「遅れた階級」として軽蔑する傾向があり、たとえばロシア革命時社会主義者プレハーノフは農民を「荷物を運ぶだけの動物同然」だと言っています。


 このようにボルシェビキは農民を信仰心が強く、慣習に執着する未開の人々とみなす携行がありました。

 これは工場の労働者階級(プロレタリアート)を進歩的とする一方で、農民は愚昧な存在であると考えたマルクス主義の弊害によります。


 具体的な例では労働者を優位として農民は格下げをされて、労働者から代表者を選ぶのに二万五千票であったのに対して、農民から代表者を選ぶのに十二万五千票が必要とされました。


 建前では全ての人民が平等である社会主義政権下で農民は労働者の五分の一の権利しか与えらなかったのです。


1917年にロシア革命を推し進めたレーニンは「たかり屋の富農クラークを放置していると、ツァーリ(ロシア皇帝)と資本家は必ず復活する」として、富農撲滅の方針を発表します。


 そして1918年にはレーニンは「富農はソビエト権力の仇敵である。富農が数かぎりなく労働者を殺すか、でなければ労働者が強盗的富農の暴動を容赦なくふみつぶすかである」と宣言します。


 1918年5月に公布された食糧独占令では農民による自由取引を禁止して農産物を国家専売とします。

 さらに割り当てを超えた余剰穀物の徴発権限を食糧委員会に与えて余剰穀物を保有する富農に対する闘争のが奨励されます。


 そして都市労働者からなる「食糧徴発隊」が結成され、自由に富農を逮捕して食糧を徴発します。


 ただ当時富農とされた農民は平均的な農民の1.5倍ほどの収入があるに過ぎず数値で区分することも難しかったので地域の共産党が主観的に誰が富農かを断定していました。


 それは孤児の親族を育てているとかトタン屋根を使用しているからなどという理屈であったりしました。

 地域の名望家で貧窮者に多少の金を貸しているなどという農家も貧農を搾取する富農とされました。


 富農と断定されると財産を没収されて理不尽な罪状で銃殺されたり、シベリア送りなどに処されました。

 こうして追放された農民は現在では正確な人数を知ることは難しいですが一千万人を越えたと思われます。


 もちろんこうした大混乱で農業生産は六割程度になります。


また共産党に対する直接的な農民叛乱も頻発して、その弾圧と飢餓による死者は数百万と見積もられています。


 このために食糧割当徴発制が廃止されて、納税後の余剰穀物は農民の自由取引にまかされます。

 こうした政策はネップ(新経済政策〉と呼ばれておりこれにより農業生産は回復していきます。


 しかし1920年代後半になると社会主義政策が復活して農民は集団農場であるコルホーズに属させて自営農民は一掃されます。


 社会主義政権下では各職場に国が人を配属するという建前がありますので、こうした集団農場の農民は社会主義政権の農奴といったような存在であったといえます。

 またソ連では工業化を進めるために小麦をはじめ穀物の輸出が行われますが、それは自国の必要量までも輸出する飢餓輸出でした。


 1930年代の数百万位の餓死者を出したホロドモールと呼ばれるウクライナにおける飢餓が有名ですが、実はロシア全土で起きていた事象です。

 

 穀物はコルホーズから強制的に供出させましたが、農民の不満を抑えるためにさらに富農撲滅運動が利用されて「富農にとって飢饉は好都合なのだ」と富農が貧農から搾取しているというプロパガンダを宣伝して矛先を多少とでも余裕のある農民に向けるよう仕向けました。


 この結果は農村の指導層を失った上に富裕になれば富農して弾圧されるという恐怖心を農民に植えつけてて後のソ連における農業の不振という形で、遂にソ連が崩壊するまで続くことになります。


こうした事例は中華人民共和国による地主、富農を排除した人民公社設立などでも繰り返されることになります。

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