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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
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閑話42 リファニア世界の寿命と農業労働 下

 中世世界リファニアの農村部の仕事は機械力に欠けるので重労働であり、リファニアの平均的な農家の耕作地は一モルゲン(約五ヘクタール)ほどで江戸時代の本百姓や高持百姓と呼ばれた自営農家が一町(約一ヘクタール)ほどの水田を耕作していましたから四から五倍ほどもあります。


 リファニアの耕作面積が広いのは気候と栽培種の違いによって江戸時代の日本と比べて土地の生産性が格段に低いからです。


 米作の場合、江戸時代でも播種した量の五十倍以上の収穫がありました。それに比べてリファニアではライ麦は播種量の十数倍、大麦でやっと十倍、主に年貢用で栽培される小麦では気候によって五倍から十倍の間を変動します。


 リファニアの農民の耕作地が江戸時代の農民の耕作地と比べて四五倍ほど広くても収穫量で見ればよくてほぼ同じで大方は低いのです。


 このために江戸時代の農民が課せられた年貢率よりは低くなっています。学校で「五公五民」などと教わるので江戸時代の農民は収穫量の半分を差し出さねばならなかったと思われることが多いですが、実際は時代により変動がありますが収穫物の三十パーセント台です。


 そして基本的に年貢は米のみに課せらていましたのでカロリーベースからするとさらに低くなります。

 時に裏作で作る麦に課税しようとする場合もありましたが、それは麦まで収奪する苛政とされ一揆を誘発してしまいます。


 リファニアでの年貢率は武装した自治村が多いこともあって二十パーセントを越えることはなく、平均で十五六パーセントほどです。


 もちろんリファニアの農民が江戸時代の農民と比べて耕作地が四五倍ほど広いからといって四五倍ほども働いているワケではありません。


 リファニアの農業と日本の農業の大きな違いの一つにリファニアの農業が有畜農業であることがあります。


 有畜農業とは作物栽培と家畜飼養を組み合わせた農業形態のことです。畜産物による収入と畜力利用による作業能率の向上をもたらします。そして休耕地で放し飼いにされる家畜の排泄物による肥料効果を得ます。


 日本では連作障害を考慮しなくていい水田耕作が主体です。水田では湛水と落水の時期があるため環境が大きく変化して耕作地がリセットされて結果として安定した土壌を保つことができます。


 ヨーロッパでは畑作ですので作物が土壌に含まれる特定の養分を吸収したり根から土壌に物質を出したりすることで土壌の養分バランスが崩れます。これは結果的に作物の体力を奪います。

 さらに土壌の微生物が特定の種類に偏る「微生物相」ができることで病気が発生して収量が悪化します。これが連作障害です。


 このために耕作地を区分して作物をローテーションさせるともに、休耕地を設定して土地を涵養するのです。この土地の涵養のためにも家畜が必要です。


 リファニアの南部の平均的な農家では二三頭の馬、驢馬あるいは四五頭の牛が飼われています。

 馬と牛はどちらがよく使用されているかは土地柄によります。一般にリファニア南部ほど牛が使用されて北部は馬という傾向はあります。


 これは馬の方が作業効率がいいので農業に適した期間の短い北部では素早く作業を終えたいからです。

 ただ馬は使役する以外には用途が限られますし、牛以上に力を出さすにはそれなりの飼料の与えなければなりません。

 それに対して牛は雌であれば牛乳の生産が期待できますし、老いて力が衰えれば肥育して肉として現金収入を得られます。


 馬も食肉として利用されますが肥育が出来ず、また硬いからと牛肉より馬肉は一段劣った肉として扱われます。こうした理由でリファニア北部でも牛耕を行う農家はあります。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 この牛馬の畜力を利用するからこそ、重い大型の有輪犁を使って広い耕作地を耕やすことが出来るのです。

 またリファニアでは農具を工夫して収穫時にも畜力が利用されています。さらに収穫物は中世リファニア農村の軽トラックともいえる家畜が牽引する荷馬車で運びます。


 ここでリファニアの農民がどれほどの距離を有輪犂を使って起耕するか計算してみます。

 一気に二条の畝を耕せる犂の間隔は二ピス(約60センチ)とされていますので、平均的な五モルゲンの耕作地を耕すには八キロ以上の距離を耕さなければなりません。


 力を入れるのは家畜ですがそれをコントロールして真っ直ぐに進ませてしっかり地面に有輪犂を固定する農民にもかなり過酷な労働となります。


 さてリファニアでは取り回し、特に反転するような方向転換に手間の掛ける重量犂を用いるので出来るだけ方向転換しなくていいように、幅三十間(約50メートル)、長さ五百五十間(約1000メートル)といった極端に細長い耕作地が主流です。


 土地、栽培作物と気候条件からも日本とリファニアでは農作業の内容が大きく異なってきます。


 まず日本より寒冷で真夏でも日本の中央部の五月程度の気温ですから、雑草の生育が全く異なります。

 農業をしていなくとも庭いじりをしているだけで、日本では夏季は雑草の繁茂に悩まさせれます。


 日本は気候的には世界有数の農業適作地ですが、それには作物だけではなく他の植物にとっても条件がいいということですから油断するとすぐに耕作地が雑草に覆われてしまいます。

 

 明治期から大正期に活躍した小説家徳富蘆花の随筆に「草取り」という短編がありますがそこに以下のような文集があります。

*徳富蘆花は1927年没で没後70年以上経過


・・・・・・・・


 六、七、八、九の月は、農家は草と合戦である。自然主義の天は一切のものを生じ、一切の強いものを育てる。うつちやつて置けば、比較的脆弱ぜいじやくな五穀蔬菜は、野草やさうに杜ふさがれてしまふ。…(略)…こゝに人間と草の戦闘が開かるるのである。

 老人、子供、大抵の病人はもとより、手のあるものは火斗じふのうでも使ひたい程、畑の草田の草は猛烈に攻め寄する。飯焚めしたく時間を惜んで餅を食ひ、茶もおち/\は飲むで居られぬ程、自然は休戦の息つく間も与えて呉れぬ。


「草に攻められます」とよく農家の人達は云ふ。人間が草を退治せねばならぬ程、草が人間を攻めるのである。


唯二反そこらの畑を有つ美的百姓でも、夏秋は烈はげしく草に攻められる。起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとる。日の傾いた夕陰ゆふかげにとる。取りきれないで、日中にもとる。やつと奇麗になつたかと思ふと、最早一方では生えて居る」


・・・・・・・・・


 二反(平均的な耕作地の五分の一)でも草取りには手を焼いている様子が描かれています。

 有機的な農業を心棒する人は毛嫌いするかもしれませんが、”除草剤”の登場は大いに農家に恩恵をもたらせてくれました。


 リファニアの農民にはこの草取りの作業がないとはいえませんが、四五日に一度耕作地で雑草が目立った場所を草取りするだけですみます。


 さらに草が繁茂する状態では昆虫類も多く生育します。草取りはまた虫取りでもあります。

 リファニアではまれに農作物に病気が出ることがありますが、虫害はほとんど対策をする必要がありません。


 歴史的にも蝗害がリファニアで起こったという記述はありません。気温が低いので多少晴天が続いてても干害は滅多におこりません。リファニアの農民が恐れる自然災害は長雨と霜害だけといっていいでしょう。


 そして日本の農業の主力である水田がリファニアにはありません。


 何故水田は水が抜けないのでしょうか。それは下部が粘土状になっているからです。粘土状の層がある場所を水田にしたのではなくそういった水田を造るのは人間の業です。

 

水田をわざと水を張った状態でかき混ぜることで土を泥状にします。泥状にして細かい粒子の層を作ることにより水の浸透を可能な限り抑制しているのです。

 こうした作業は通り一遍に耕作地を耕すより難しい作業でそれなりの労働力が増してしまいます。


 日本を含めた稲作を行う東アジア地域では歴史的に農家の耕作面積は1ヘクタールほどですが、機械力無くして一戸の農家が水田を水田として維持できる面積だったのでしょう。


 また水を張ったら張ったらでその水の管理に多大な労力が必要になります。


 リファニアの農民にはこの水田を維持する労働は不用です。春に起耕して播種すれば時々見回りしていればいいといえます。ただし耕作地が広いので刈り取りは年間の労働で最も重労働となります。

 また刈り入れが終わると麦藁や入会地から刈り取ってきた草を耕作地にすき込むという作業もあります。


 日本でも草やそれを焼いた灰を水田にすき込む刈敷という作業が古来からあり、一部地域では昭和期まで残っていました。


 リファニアではこの草あるいは灰のすき込みを日本の何倍も行います。この理由は土壌が痩せているからです。

 リファニアの平地の表土は氷河が基盤岩を削って出来たレスと呼ばれる細土です。この土壌は通気性がよく植物の根の発育にはいいのですが如何せん有機養分が乏しいのです。


 また表土自体の堆積も薄く数十センチほどしか無く表土の下は基盤層になっています。

 この為に毎年人為的な肥料の追加を行わないと農地として維持することが出来ないのです。


 日本の農家でも繁農期と農閑期という概念がありますが、リファニアの農民の場合は繁農期と農閑期の差が極端です。

 春は広い農地の起耕を行い播種をしなければなりません。その上農業に適した期間が短いのでこの作業を十日と開けずに行わなければなりません。


 その後は収穫時期まで時々の除草や入会地からの草の刈り取りと見回り程度ですみますが、収穫期にはこれも迫り来る秋霖に追われるように脱穀乾燥までの作業を行い、溜め込んだ草を急いで農地にすき込みます。


 リファニアの繁農期はそれこそ睡眠時間まで削って一家総出で一日十数時間も重労働をしなければならないのです。

 リファニアの農繁期の労働時間は日本より長くなります。これは高緯度のリファニアでは昼間が長い分だけ作業できる時間帯が長いからです。


 この事情は本文では「第六章 サトラル高原、麦畑をわたる風に吹かれて」で描かれたマール州バナミナの伯爵舘包囲戦に出てきます。


 バルバストル伯爵を首領とするバルバストル伯爵家の地元派家臣は農民を偽りの一揆に駆り立てて、バルバストル伯爵妃を担ぎ上げる王都派家臣団にクーデターを仕掛けました。


 この一揆が起こったのが七月十三日です。そして祐司とパーヴォットも加わった地元派は農民兵の応援を受けて王都派が立て籠もる伯爵館の包囲戦を開始します。

 そして八月二日の時点で地元派は総攻撃を計画しています。これは純粋に軍事的な理由で決められたわけではなく収穫時期が近づいて農民の腰が浮き出したからです。


 反対に言えば農民兵として参加していた一家の大黒柱である青年壮年層の男性が七月は家を留守にしていても農作業には支障がなかったのです。


 一年を単位としてみると同じ農民でも日本の農民とリファニアの農民の労働条件は相当異なります。


 日本の場合はスタート時とゴール前にスパートをかけるマラソンのような持久型で、リファニアの場合は春場所と秋場所がある相撲の様な感じで、場所が行われているときは一日に数回取り組みをしているような極端な集中型です。


 一年か二年程度なら兎も角も生涯に渡るこのような歪な集中労働は老化の進行や寿命に影響してきます。

 これは前述した競技ごとによる平均寿命の差からも明らかなようにリファニアの農民の平均寿命を引き下げます。


 特に十代後半から二十代の非人間的ともいえる重労働は老化進行の要因になります。前の話に書きましたが人間は通常はじっとしているか軽作業程度の体力で遊ぶことが本業の動物です。


 それが長時間重労働するのは人間の特性に反することですので、多大なストレスがかかり老化が進行するのでしょう。


 さらに食生活の問題があります。日本でも農繁期には多少多めの食事量がありましたが、リファニアは極端です。


 リファニアの農民は長い農閑期は穀物と根菜を中心にした質素な食事を一日に二度ないし三度とりまます。

 ところが農繁期は一日五食になります。それは”早い朝食・間食・昼食・間食・遅い夕食”でそれぞれが腹一杯食べて重労働に耐えます。


 そして食事内容もこの時期のために溜め込んだ肉類や油脂をここぞとばかりに摂取します。

 特に”遅い夕食”を食べた後は長くても五六時間の睡眠をとっただけで働き出しますからどう考えても体に負担になります。


 以上を含めてリファニア世界の平均寿命を推測します。


 まず過去帳などから比較的平均寿命を算出しやすい江戸時代の平均寿命は二十歳代などと言われますが同時代の人間の感覚としてはもっと長かった筈です。


 信州諏訪の人別帳によれば2才児の平均余命は次の通りです。


 江戸時代前期の寛文11(1671)年から享保10(1725)年は男36.8才、女29.0才。そして江戸時代中期の享保11(1726)年から安永4(1775)年は男42.7才、女44.0才です。


 乳幼児死亡を除くと人生五十年という感覚です。


 「19世紀初期の庶民の生命表-狐禅寺村の人口・民政資料による-」(立命館大学 長澤克重)によると江戸時代後半の60歳の平均余命は、男性14.3歳、女性13.3です。


 またそれなりに生存して歴史的な事象をなした歴史上の500人の人物については戦国時代:60.4、江戸時代前期:67.7、江戸時代中期:67.6、江戸時代後期:65.2、明治大正時代60.6、昭和時代:72.0となっており若い頃を乗り切ると結構寿命を得ています。


 実はリファニアには神殿が保管する信者証明の写しがあるのでかなりの精度で平均寿命がわかります。


 祐司とパーヴォットが王都に滞在していたオラヴィ王八年の王都の一歳まで生きた者の平均寿命は男43.1歳、女45.5歳、王都近郊の農村部で男43.5歳、女43.7歳です。


 祐司が領主をしているマール州ビルボラ村はオラヴィ王初年からオラヴィ王十年の間で見ると男40.7歳、女41.1歳です。


 そしてモンデラーネ公の主邑カルヤニーネは戦死者を除いて男34.2歳、女33.9歳、モンデラーネ公支配下のデレット州の農村部では男31.1歳、女29.4歳になります。


 都市部の比較では王都とカルヤニーネでは十歳以上王都の方が寿命が長くなっています。一般に中世世界では人口過密で衛生状態が悪化しやすい都市住民の寿命が短くなりますが、王都は完備した上水道と一部未整備ですが下水道があります。


 また王都の風呂好きと洗濯好きという慣習によって住民の体は比較的清潔で病原菌を媒介する蚤や虱もかなり数が抑えられています。さらに王都の中間層から上では自然由来ですが害虫の忌避剤が用いられています。


 それに対して衛生状態の悪い純然たる中世都市カルヤニーネでは死亡率が高いのです。


 王都近郊は豊かな農村地帯で、飢餓に苦しむ農民はほとんどいません。苛政が起こらず自治が行われている農村部では一般的な寿命です。


 反対にモンデラーネ公の苛政によって疲弊するデレット州では普通に暮らしていても死亡率が高くなることがわかります。


 以上のことを纏めると以下のような結論になります。


1.リファニアでは巫術により中世世界ではあるが計画出産が行われており、子供の数の適正に保って子供に手厚い保護を与えるので乳幼児の死亡は中世世界としては低い。

2.中世世界としては清潔な状態で生活する人間が多いので、流行病の蔓延は抑えられている。

3.リファニアの人間の主体である農民は体に負担になるような過食をしながら短期間に過酷な労働をするという生活スタイルがあるので、中年以降は成人病を含む種々の疾患に悩まされる。

4.為政者によって人々の生活は大きく左右されており、生まれた地域によって別の国かと思えるほど寿命が左右される。 


 戦乱の世が治まれば人々の多くは五十の坂を見ることができるようになって、現在の後進発展途上国程度の寿命を期待出来るようになるでしょう。

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