表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
954/1161

マルタンの春21 霊峰巡り 十五 -酒宴の論議 下-

 祐司は明日登る予定のトッキナク山北麓の開豁地でロカンチコド子爵家の隠居した家臣エルランドと居酒屋の論議のような話をしていた。


 その中で昨年”西の海”に侵入したヘロタイニア人海賊のことが出てきてエルランドの妻クラウディヴァがヘロタイニア人”海賊討伐に戦功のあった祐司に詳しい話を聞きたがった。


 そこで祐司は慌ててロカンチコド子爵家と対立しているハーメンリンナ子爵家の話を持ち出して「ロカンチコド子爵家が王家の側に立つことを鮮明したおかげで、後先を考えること無く対抗上モンデラーネ公に接近したということですが、その辺りのお話をもう少し聞かせていただけないでしょうか」と言って話題を変えた。



 元々ハーメンリンナ子爵はハーメンリンナ伯爵であった。ところが三百年前のマルナガン王とトランテオン僭称王との王位を巡る争いであった”白狼の乱”のさいに敗者となった領主派のトランテオン僭称王の陣営につくと言明したのがハーメンリンナ伯爵であった。


 ”白狼の乱”のさいにはトランテオン僭称王を担いだのは南部地域の雄とされたイルコミット侯爵に代表される大領主である。


 リファニアの畿内とも言えるホルメニアやその隣接地、西岸地域の領主は最終的に勝者となったマルナガン王を支持していたが、比較的大きな領主の中でハーメンリンナ伯爵家だけがトランテオン僭称王の陣営に着いた。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖3 史実グラニダニの戦い 上 参照)


 マルナガン王の三代前のシタファバ王の治世時、リファニア王家から妃を得たさいにハーメンリンナ伯爵家は王家から持参金代わりにタダラテ州にも領地を得ているリファニア西岸ではかなり大きな領主だった。


 リファニア王家とは可もなく不可もないという間柄で、騒乱地域からは離れていることもあり普通なら日和見をするのだが、この当時のハーメンリンナ伯爵は乾坤一擲の勝負に出たのである。


 この理由は当主の妻が領主派の首魁イルコミット侯爵の三女、当主の母親がもう一人の領主派の大勢力スロヴァク子爵の妹であったことから、南部の領主派貴族に気脈を通じており早くから旗幟を鮮明にすることで戦後の勢力拡大を狙ったためだった。


 それに対して不忠者を討つという名目で北のヘルコ州ロカンチコド子爵、南のタダラテ州ブランブルド男爵、そして当時はジュルムデル郡を一円支配していたバドルガス男爵の軍勢が攻め込んだ。


 ”白狼の乱”の帰趨を決したグラニダニの戦いの結果が判明して近隣の領主達がおっとり刀で兵をマルナガン王のもとに送っても、ハーメンリンナ伯爵は最後まで情勢の好転に期待してトランテオン僭称王支持の姿勢を崩さなかった。


 しかしトランテオン僭称王が海外に逃れてたいとわかるとハーメンリンナ伯爵はあわてて抗戦を打ち切って、マルナガン王に恭順の意を示して家の存続を求めた。


 マルナガン王の裁定は伯爵位から子爵位へ降等して、さらに現在占領されている地はその地を占領している領主に割譲するというものだった。


 ハーメンリンナ伯爵家は唯々諾々とこの裁定を受け入れたが、日和見に近い形でマルナガン王のだめ押し勝利となったイルミコット伯爵本城の陥落の報が届いてから参戦したロカンチコド子爵家には相当の恨みを抱くことになった。


 特に領内南部に攻め込まれたために大半の軍勢を南に配置したおりに、まだ参戦していなかった当時東の位置にあったロカンチコド子爵に対して、領主派のトランテオン僭称王が王位につけば恩賞を取りなすので敵対的な行動はしないようにと要請して内諾を得ていた。


 ところがロカンチコド子爵はこの約束にほおかぶりして、マルナガン王の叛乱を起こした者を討つべしと言う勅命が下ったという理由で突如ハーメンリンナ子爵領へ攻め込んだのだ。


 ハーメンリンナ子爵はかなりの領地を失ったが、南部で失った地は後にノヒェネ大砂丘になったような不毛な地と住民がほとんどいないタダラテ大丘陵北部の山岳地帯である。


 しかしハーメンリンナ子爵からすれば騙し討ちのように攻め込んできたロカンチコド子爵が得た土地は重要な港湾都市タウルを含む沿岸の肥沃な平野地帯だった。

 このことが遺恨となって三百年に渡り一族家臣を含めてお互いに通婚しない間柄になっていた。


 ただロカンチコド子爵家も実際にハーメンリンナ子爵家を討伐せよとのマルナガン王の勅命を受け取っており、これを無視すれば自家に害が及ぶことから致し方なかったとう事情があるからハーメンリンナ子爵家からだまし討ちと思われる筋合いはないという感覚である。


 この両家が一層険悪な関係になったのは、三十年前の事件による。


 当時ハーメンリンナ伯爵領の東端はハーメンリンナ伯爵家の家老を代々務めてきたエルバスティ士爵オリヤルヴィの領地だった。


 このエルバシティ士爵オリヤルヴィには男子の継嗣がいなかったために、ハーメンリンナ伯爵イラクシネンはもう一つの有力家臣ハパライネン士爵の次男を婿に迎えよと命じた。


 ハーメンリンナ子爵イラクシネンは独善的な気風を持った人物で、細かな気遣いで家臣団を率いるのではなく自分の権威で家臣団を引っ張るという手法を取っていた。


 イラクシネンがことある事に対立していた有力家臣間に婚姻関係を結ばせていたのは家内の団結強化を図るためであったが、不満を募らせたエルバシティ士爵オリヤルヴィにロカンチコド子爵ニエミサロからの調略が及んだ。


 昔ながらの慣習のみにとらわれて他領に比べて種々の事柄が見劣りするハーメンリンナ子爵領の家老として内情を知っていたエルバシティ士爵オリヤルヴィは改革の意気はあったが、ハーメンリンナ子爵イラクシネンのもとではそれは叶わないと半ば見限ってきた。


 すでに漠然とした不満を持っていた上に我慢出来ない婚姻を押しつけられたエルバシティ士爵オリヤルヴィに対してロカンチコド子爵ニエミサロは自分の長女をオリヤルヴィの甥に嫁がせて領地を安堵するから自分の家老にならないかと誘ったのだ。


 子爵の長女を士爵の甥に嫁がせるとは破格の好条件である。これでエルバシティ士爵オリヤルヴィの心は決まった。


 ロカンチコド子爵ニエミサロの誘いにのったエルバシティ士爵オリヤルヴィは、ハパライネン士爵家との婚姻を取り止めハーメンリンナ子爵イラクシネンの次女を自分の甥の嫁とすることと、全ての実権を自分に譲って改革を行う事を承知しなければ相応の考えがあるという喧嘩腰の書状を主家に送った。


 こんな条件をハーメンリンナ子爵イラクシネンは呑めるワケがない。家臣として傲慢不遜につき領地没収という書状を受け取ったエルバシティ士爵オリヤルヴィはロカンチコド子爵に寝返った。


 これに対してハーメンリンナ子爵イラクシネンは兵を向けるが、自家を頼ってきたエルバシティ士爵オリヤルヴィを救護するという名目でロカンチコド子爵ニエミサロが兵を出した。


 この結果最初から一戦を覚悟して兵備を整えていたロカンチコド子爵ニエミサロの軍勢にハーメンリンナ子爵勢は敗れた。


 さらにこの時の戦傷がもとでハーメンリンナ子爵イラクシネンは半年後に命を落とすが、息子のブリエルドに失地の回復と復讐を遺言として残した。


 ただこの遺言はすんなりと実行するワケにはいかなかった。後継者のブリエルドがまだ十代前半であったことから家中をまとめる必要があり、失った領地の経済的な影響を沈静化させるために内政に力を注ぐ必要があったからだ。


 この時に失ったエルバシティ士爵領にはハーメンリンナ子爵領に残されていた唯一の港湾カラシャが含まれていた。


 エルバシティ士爵が寝返る以前のハーメンリンナ子爵領は八十リーグ(約百四十四キロ)に及ぶ海岸線を持っていたが、その海岸はノヒェネ大砂丘に続く砂浜海岸で浜辺から幅が一リーグ以上の砂丘地帯になっていた。


 その上に引き潮の時にはさらに海岸線が海の方へ一リーグから二リーグは後退するという遠浅で、大型船が接岸できるような港湾はカラシャ以外一つもなかった。


 さらに厄介なことに冬季はむろんのことハーメンリンナ子爵領沿岸は風の強い地域で沖に船を停泊させて、遠浅に対応できる喫水の浅い小型のはしけで荷を運ぶことも極めて限定した時期にしかできなかった。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 このためにカラシャはハーメンリンナ子爵家にとって特別な港湾だった。


 ハーメンリンナ子爵家は天然の良港タウルを失ってから比較的水深がある場所を探して多額の費用と人手をつぎ込んで砂浜を営々と掘り込み、人工的な港湾カラシャを建設したのである。


 カラシャはエルバシティ士爵の知行地にあったが、ハーメンリンナ子爵家が建設したということでハーメンリンナ子爵家の直轄地だった。

 それがエルバシティ士爵オリヤルヴィが寝返った見返りにロカンチコド子爵ミエミサロはその管理をオリヤルヴィに任せて税の半分を受け取る権利を与えていた。


 唯一の港湾カラシャを失ってハーメンリンナ子爵領からの物資の搬出入はきわめて不便になった。


特にハーメンリンナ子爵家領の重要な特産の麻の領外輸送はタウルやカラシャといった港湾を使用しない場合は、南のノヒェネ大砂丘の東の回廊のような脇街道かタダラテ大丘陵の中にある幾つかの間道のような道を利用して南隣のタダラテ州ジュルムデル郡に運ぶしかなかった。


 経済的なことを考えればリファニアの経済の中心であるホルメニアに物資を出荷する場合は忌々しいことだが、かつて自分達の資力で建設しながら他領となったカラシャから港湾の利用税を払って運ぶことが合理的である。


 それはハーメンリンナ子爵家の矜持が許さなかった。カラシャで払う税の半分はかつての家臣でハーメンリンナ子爵家から見れば裏切り者のエルバシティ士爵オリヤルヴィの手に入るからである。


 そこでハーメンリンナ子爵家は自領からタウルとカラシャへの物資の輸送を禁止していた。

 意地を通すことと感情の折り合いをつけるには役だっても、これは経済的には引き合わない方策である。


 しかし実際は馬借によってタダラテ州ジュルムデル郡に運ばれた麻はさらに結局タウルかカラシャに運び込まれて王都をはじめとするホルメニア地域に出荷されていた。


 一度領外に売り出した麻までタウルとカラシャから出荷するなとはいえないので、費用をかけて馬借によって遠距離を運ばれた。

 そして運送費が割高になるので領内で販売する時にはハーメンリンナ子爵領の麻は買いたたかれた。



挿絵(By みてみん)




 これを打破するためにハーメンリンナ子爵は軍勢が通過することなど出来ないと思われていたサムロム峠付近の森林地帯を突破してカラシャに奇襲攻撃をかけてこれを奪取しようとした。


 この計画ではカラシャの管理者エルバシティ士爵プボガヅ・ラシュエリクの伯父ネキネニュ・ボナヴェントを抱き込んでおり、ネキネニュ・ボナヴェントがエルバシティ士爵プボガヅ・ラシュエリクとその周囲を殺害して内部からカラシャを押さえる事になっていた。


 しかし森林地帯を苦心して突破してきたハーメンリンナ子爵軍は祐司とパーヴォットがいたジェルムデル郡ベスカラ村の馬借ヴァルビン組を中心にした一隊と出会ってしまい、祐司に指揮官ダブト・ルヴァドルドを早々に殺害された上にサムロム峠の廃城に立て籠もったヴァルビン組らと交戦して足留めされた。

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春嵐至り芽吹きが満つる11 サムロム峠の攻防 五 敵中突破 参照)

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春嵐至り芽吹きが満つる16 サムロム峠の攻防 十 矢戦 参照)


 そして急遽駆けつけたタダラテ州ジュルムデル郡を仕切るジュルムデル誓約者同盟の軍勢に殲滅された。

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春嵐至り芽吹きが満つる17 サムロム峠の攻防 十一 殲滅 参照)


 またハーメンリンナ子爵軍の到着が予定より遅れたためにネキネニュ・ボナヴェント一党の中から密告者が出てネキネニュ・ボナヴェントは縛り首、他の主立った者は斬首された。  


ハーメンリンナ子爵軍がカラシャを狙っただけなら戦乱の世のことでお互い様だが、ハーメンリンナ子爵軍は所属を示す記章ロカンチコド子爵軍に偽装していたことからロカンチコド子爵家では怒りが満ちていた。


 戦乱の世とはいえ所属軍を偽装することは合戦の最低限のルールを守らない行為と見なされるからである。


 とはいっても闇雲にロカンチコド子爵家がハーメンリンナ子爵家と本格的な戦闘に入ることは長期の消耗戦になる畏れと、周囲の勢力が味方として介入してくれる望みも薄かった。


 ところがハーメンリンナ子爵家がモンデラーネ公側勢力として動くなら状況は一変する筈である。

王家とモンデラーネ公が正面衝突するなら係争地から離れており南部地域は別として中央盆地周辺とリファニア西岸の領主はどちらの陣営にたつのか旗幟を鮮明にしなければならない。


 中立などといってどちらの陣営にも組みしなければ、戦後勝者によって面白くない仕置きが待っている。


 ロカンチコド子爵家とハーメンリンナ子爵家のあるヘルコ州の北隣イティレック州とロクシュナル・サルナ州を統べる大領主ノヴェレサルナ女連合侯爵デデゼル・リューチル・ミラングラスが王権派として王家に忠誠を誓うことを公表して、さらにその北の根っからの王権派大州ナデルフェト州の大部族長ナデルフェト公爵と同盟したことで周囲の中小領主は心根は如何なるものであっても王権派に与するだろう。


 しかし彼等は直接モンデラーネ公軍と干戈を交える勇気はないだろう。


 ただハーメンリンナ子爵家がモンデラーネ公に与したとなると、これはハーメンリンナ子爵家周辺の中小領主にとってはハーメンリンナ子爵家はよき敵となる。


 ハーメンリンナ子爵家は隣接するロカンチコド子爵家と対立しており、軍勢を領外に差し向ける余裕はない。

 こちらからは攻め放題で情勢が悪くなれば退いても相手は追撃してくることはまずない。


「ジャギール・ユウジ殿もわが主君ロカンチコド子爵様がハーメンリンナ子爵家との抗争に勝利した後のことを見据えていると思うか。


家中では目先の利く者はそのことを心配しているといっていい。我等は主君ロカンチコド子爵ザゼドル・ジャデルバ・ニエミサロ様に忠義を尽くすことはあたりまえだが、我が身のことも考えねばならん。


 ハーメンリンナ子爵家がどういう形で始末されるのか、そして始末された後で王家はロカンチコド子爵家をどう扱うのかが問題だ」


 エルランドは祐司の問いかけに少々声を潜めた。


「オオカミがいなくれば猟犬は始末され、ムクドリ(正確にはホシムクドリ)がいなくなれば鷹狩りの鷹は食われる」

*”狡兎死して走狗烹らる”のような意味のリファニアでの成句


「少なくともロカンチコド子爵ザゼドル・ジャデルバ・ニエミサロ様はいらなくなる猟犬ではありません。ザゼドル・ジャデルバ・ニエミサロ様は王都へ表敬訪問に行かれたそうですから王家との約束事はもう定まっていると考えられます。


 反対にいうといらなくなる猟犬にしないと王家が保証したので表敬訪問をされたのだと思います」


 祐司の言葉にエルランドが頷いた。


 リファニアは戦乱の世が続くだけあって外交術も発展している。実際に干戈を交えるるような事態になるのは外交の失敗による。


 そうした外交術の常識として領主が王都に表敬訪問に行くとなると、重大な案件が王家と領主の間で合意に至ったので領主が最終的な返事をしにいった、或いは条件を受け入れてくれた礼に行ったと考えるのが妥当である。


「どのような約束だと思う」


「まずわたしの考えを述べます。オラヴィ王はリファニア王による親政を目指しています。そしてリファニア全体を実務的に取り仕切る才能ある宰相を求めていると思います。

 ただオラヴィ王は現実的な方です。それは”オラヴィ王八年の政変”を見ればわかります。


 政変後、王都貴族はこぞって領地返納を行いましたが、実質は王領と看板をすげ替えただけで元の領主が代官という名で統治を続けています。無理に領地を取り上げることなど出来ないとオラヴィ王が知っているからです。


 統一リファニア王国が成立しても早くから王権派を標榜したドノバ候ボォーリー・ファイレル・ジャバン様、ナデルフェト公爵バンジャ・ビリデル・イキニパラガク様、ノヴェレサルナ女連合侯爵デデゼル・リューチル・ミラングラス様などの大領主は独自の兵を含めて大きな統治権を残せましょう。


 中小の領主のうち領主派は改易されるとでしょう。そして領地は完全な王領になるでしょう。


 問題は中小の王権派領主です。


 大勢が決してから王権派に鞍替えしたような領主派は王家が無理難題を言い立てて武力で併合するなどということもあり得ますが、おそらく先程の大領主周辺の領主は王家権派の大領主傘下に入れるでしょう」


「そんなことをすれば大領主が王家に匹敵するような力を持つようにならないか。今の当主なら王家に従順だろうが代が変われば野心を持った当主が出てくるかもしれんぞ」


「もしもですよ、ロカンチコド子爵家がノヴェレサルナ女連合侯爵デデゼル・リューチル・ミラングラス様の傘下になったら、家臣のように従順にご無理ごもっともと従いますか」


「いや言うべき事は言う。大小があるとはいえ同じ領主……。そういうことか」


「王家は千年以上に渡って数百家に及ぶ領主家に手こずってきました。従わせなければならないが無碍にも出来かねます。

 大領主の中には屈服させた領主家を家臣としている家もあります。モンデラーネ公がそうですよね。


 服従した領主はモンデラーネ公の武威に従っているだけです。この為にモンデラーネ公は潜在的に自分の武威をそれらの領主に振り向けていなければなりません。


 飴はほとんど与えず鞭ばかりです。飴を惜しんでいるのでしょうが長期的には不効率ですし、いざという時の忠義は期待できません。


 貴族領主家に飴を与えて奪胎換骨だったいこんかつをしたのがドノバ候、あるいはドノバ候と手を組むシスネロス市です。

 ドノバ州は太守ドノバ候家以外にも三十家の貴族領主がいます。しかしその三分の一以上は全ての領地経営をシスネロス市に委託して収入を得てシスネロス市で優雅な暮らしをしています。


 自分で領地経営をしないので家臣は以前の十分の一以下です。極端な家では直参の家臣は二三十名程度だそうです。


 ですから以前の年貢収入の数分の一の収入でも十分に贅沢な暮らしが出来るのです。


 ただこの状態に持って行くのにドノバ候とシスネロス市は三世代をかけています。シスネロスで統治に思い悩むこと無く優雅な社交生活に明け暮れさせることで徐々に貴族家の意識を変えていったのです。


 またドノバ公家はそうでない領主と婚姻で一族に取り込んでいくという方策も取っています。


 その実例がドノバ州で最も武勇の才があるアンドレリア子爵ガスバ・キルレット・ルヴァルド様へドノバ候は唯一の女性嫡子であるベルナルディータ様を嫁がせたことです」


 この最後のベルナルディータがアンドレリア子爵へ嫁ぐという話は、まだ祐司とパーヴォットがシスネロスにいた一昨年に決まっていたことだが公表は昨年の秋にされたので祐司とパーヴォットはマルタンに来てから知ったことである。

(第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 ドノバ連合候国の曙4 ドノバ候の居間 参照)


 一州の太守である侯爵家と傘下の子爵家との関係を考えればこれは普通では考えられない格差婚である。


アンドレリア子爵ガスバ・キルレット・ルヴァルドはこの婚姻の対価として本拠地であるドノバ州北西部のアンドレリアにごく狭小の本の地を残して、新しくドノバ州が手に入れたリヴォン・ノセ州南東部に領地換えになった。


 山岳部がほとんどを占めるアンドレリアからリヴォン川流域の耕作地域に領地換えになりアンドレリア子爵家は経済的には以前に倍するほどの収入を得ることになったが、これはドノバ候が傘下の領主家を領地から切り離して”鉢植え大名”のように動かすという前例となった。



 少し間を開けてから祐司が再びしゃべり出した。


「いずれドノバ州の貴族家は領地の支配権を手放して地主収入を確保した上で役職を求めるのと優雅な社交生活をするか、単なる地域の行政長官として生きるようになるでしょう。


 こうした方策はいまだに進行中で、ドノバ候家のみがドノバ州に君臨して他の貴族家はドノバ候の宮廷貴族になるのはまだ二世代ほど先でしょう。


 実に百年以上をかけた遠大な計画です。


 わたしはオラヴィ王はこうした方策をリファニア全土で矢張り百年をかけてとると思います。

 その時代時代の人間には変化は僅かですが百年すればリファニアはまったく別の体制を持った国となるでしょう。


さてここからが本題です。


 腐っても貴族家は役職を求めての宮仕えの苦労はあるでしょうが、宮廷貴族として存続していくでしょう。

 貴族は王家を守る藩屏であるからです。ただし藩屏でない行いをする貴族家は容赦なく排除されるでしょう。


 問題は貴族家の郷士家臣です。封土があれば家臣を退いても地域の名家として存続出来ます。でも過半の郷士家臣はそうではありません。


 ただ王家主導の統治体制になっても統治のための人間の人数はそうかわりません。またその能力を生かして独立してもいい。その能力を持った者は郷士階級という名誉を持って生き残れます。


 ロカンチコド子爵家領には好例な方がいるではありませんか」


「ギスムンドルか」


 祐司が振った質問にエルランドはすぐに答えた。


 ギスムンドルはリファニア西岸で最大の船問屋を営む大商人である。


 ギスムンドルは根っからの商人ではない。


ギスムンドルはエルバシティ士爵に使える郷士の次男で港町カラシャの船舶出入差配所で手代として身をたてていた。

 この船舶出入差配所は当時カラシャを支配していたハーメンリンナ子爵家が管轄していたのでギスムンドルはハーメンリンナ子爵家の雇員という立場になった。


 ギスムンドルには才覚があって数年で手代頭となった。船舶出入差配所とは関税の仕事と港湾警備を兼ねるのでギスムンドルは若くして港湾長及び関税の部長になったということである。


 するとギスムンドルはヘルコ船舶商会という船問屋を営んでいた商人から婿に来てくれないかと誘われた。


 この相手の娘は美貌で名を知られたアルシャネルである。


 ギスムンドルは現代風に言えば税関の部長に任命された男が、船会社のオーナー社長に仕事ぶりを見込まれて引き抜かれたということである。

そして義父の目に狂いはなく十年経たないうちにヘルコ船舶商会をリファニア最大規模の船問屋に発展させたのだ。



挿絵(By みてみん)




 ギスムンドルが船舶差配所を辞して一年後にハーメンリンア子爵家が管制していたカラシャ周辺を収めるエルバシティ士爵オリヤルヴィがロカンチコド子爵ニエミサロに寝返った。


 その結果カラシャはロカンチコド子爵領となりエルバシティ士爵が差配することになった。

 この時にハーメンリンナ子爵家に属する船舶差配所の役人や雇員は追い払われてしまった。もしギスムンドルが手代頭に固守していたら同様の目にあっていただろう。


 さてカラシャの差配を任せられたエルバシティ士爵オリヤルヴィは港湾管理のノウハウがないために、船舶差配所の元手代頭で自分の家臣の息子であるギスムンドルに頼った。


 エルバシティ士爵オリヤルヴィはギスムンドルに郷士身分の家臣にならないかと持ちかけたがギスムンドルは義父に見込まれてヘルコ船舶商会を任された身であると言ってそれを固辞したものの、エルバシティ士爵家の者が港湾管理の実務を取得するまでその指導を熱心に行った。


 これでギスムンドルはエルバシティ士爵、そしてその主家のロカンチコド子爵家と深い繋がりができ物品の輸送を任される御用商人になった。

(第十二章 西岸は潮風の旅路 春嵐至り芽吹きが満つる3 お大尽と神旗 参照)


「そうです。多少偶然と運のよさはあったとしてもギスムンドルさん先見の明がありました。そしてロカンチコド子爵様とでも直接話が出来るほどの権勢がありますよね」


 祐司がけしかけるような話し方をするとエルランドは腕組みをしながら言う。


「あいわかった。武芸に突き進む者は一時の栄華はあろうが、泰平の世では無用の者。得々とこの話は息子にしよう。

 どうしても戦場に行きたいのなら小荷駄や金柩きんびつ役で仕事をするように説得する。それが孫の代の世過ぎになるとな」

*リファニアでは金柩役は戦地での給与を含めた支払いを担当する役


 祐司はエルランドの言葉を聞きながら、彼が王都の情勢や雰囲気を他の地域の郷士よりよく知ることの出来る王都との人と物資のやり取りが盛んなリファニア西岸の郷士だからこそ主家に忠義は尽くすが、自分および子孫の行く末も考えられるのだろうと感じた。



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ