マルタンの春12 霊峰巡り 六 -③オウキク山から④ネルキ山へ-
”マルタン十霊山巡礼”の三番目の山であるオウキク山で祐司達一行は雷鳥の出迎えを受けた。
オウキク山は先に登ったケルナ山より明らかに標高が高いが、ガレ場が続くケルナ山よりオウキク山は登りやすく道行きはどんどん弾んだ。
東から来た場合にオウキク山の前峰となる小オウキク山とオウキク山の鞍部はすでにかなり標高が高いので、オウキク山自体の登山に要した時間は四半刻(三十分)強ほどであった。
オウキク山山頂の祠に祭られているのは、牧畜の神ニエルドルである。
詠唱の終わった後に祐司は山頂からの景色を楽しんだ。ケルナ山ではガスがかかったような状態であったが、やや強めの北風が吹き続いているので地平線までくっきりとした風景を楽しめた。
「今まで見えていなかったと思うのですが、北西方向にあるひときわ高い山は?」
「あれは”クアリ十霊山”で最も高く険しいメルキナ山です。あの山があるので”クアリ十霊山巡礼”は誰にでも出来るものではないのです」
祐司の質問にヴァルナドもメルキナ山を眺めながら言った。
「まだ山頂は雪で覆われていますね。でも残雪ではない気がします。なんか微妙に色合いが違います」
「わかりますか。メルキナ山の山頂付近は大きな雪渓というか氷河があるのです」
話に加わってきたパーヴォットにヴァルナドが感心したように言った。祐司はパーヴォットの目にはどのように風景が見えているのだろうかと思った。
メルキナ山はタラナスト高原の最高峰ではないかと目されている山である。
中世世界リファニアでは正確な測量がなされていないが、祐司がマルタンのマルヌ神殿付属図書館で見た資料では海抜千八十尋(約1950メートル)とあった。
これが正しいとすると東京都の最高峰である雲取山(2017m)ほどの山となるが山容は遙かに険しい。
さらに高緯度という条件が加わると日本の三千メートル級の山を相手にする覚悟がいるだろう。
*話末注あり
その山を相手に”登山家”などという言葉がない中世世界リファニアの人間が登るには相当の困難があるだろうと祐司は思った。
「険しく高い山でも山頂には祠があります。祠を造れたのなら登れると安易に考える人が多いです。
高さ一尋(約1.8メートル)に満たない石の祠は十年という歳月をかけて少しずつ石材を運び上げて造ったそうです」
ヴァルナドが誰に言うことでも無いような感じで言った。
「ヴァルナドさんはメルキナ山の先達をしたことは?」
パーヴォットが訊いた。
「いいえ滅相もありません。”クアリ十霊山”全体の先達というのはいません。それぞれの山を管轄している神殿の先達を頼むのです。ですから十人の先達を頼むことになります。
巡礼に来た人を先達がいないという理由で断るワケにはいきませんので各神殿は先達を置くのに苦労があります。
”クアリ十霊山”の先達は一年に十組も先達をしません。ですから私達マルタンの先達のようにひっきりなしに巡礼の先達をして生活させていただくようにはいきません。
専門の先達ではなく山に詳しい神人や地元の猟師、木樵などが頼まれて先達をするのです。
”クアリ十霊山”を参拝する者も”マルタン十霊山”のように一気にとは行きません。今年は何処と何処といった感じになります。ですから毎年満願成就を達成するのは数人から多くて十数人ほどになります」
”クアリ十霊山”は岩手県ほどの大きさのクアリ州の周囲にあるから一つ一つの山の間も相当離れている。
そして基本的に登れるのはリファニアの短い夏季の間であるから数年がかりになるのは理解出来るが、信心深いリファニアの人間にしては達成する人数が意外に少ないと祐司は思った。
「ヴァルナドさんは”クアリ十霊山”に参拝したことはあるのですか」
パーヴォットが重ねて訊いた。
「先達をしている人間なら達成したいとは思います。しかしでこぼこはしていますが垂直に近い岩壁や、足幅ほどもない岩壁の道など難所は数知れずあるのです。
元々登山道などないのです。”クアリ十霊山”の山は登ることが出来そうなルートがあるという感じなのです。
わたしは五峰登りましたがそれでもマルタンの先達では多い方だと思います。”クアリ十霊山”とは年寄り女子供が行ける場所ではないのです。あ、パーヴォットさんなら登れるかもしれませんね」
ヴァルナドは最後はパーヴォットの顔色を見ながら言ったが、祐司は真摯な言葉だと思った。
「女性で達成した人は記録では五人です。全員が神官です」
ヴァルナドの言いたいことは中世リファニアの人間からは理解出来る。”クアリ十霊山巡礼”を行うには人並み外れた信仰心が必要ということである。
「それでは下山しますが、少し降った所に平坦な場所があるので昼食にしましょう」
ヴァルナドはせかすような口調で言った。
本当なら祐司は山頂かその付近で昼食を食べたいが、山頂は祠のある神聖な場所であるので飲食は慎むべきだというのが中世世界リファニアの感覚である。
幸い直線距離で二アタほど降った場所がヴァルナドの言った平坦な場所でほぼ山頂で見る景色と同じ景色が見ることの出来る場所だった。
祐司とパーヴォットはそこにあったベッドのほどの大きさの平たい岩の上に腰掛けてセウルスボヘル山神殿の食堂で作って貰った弁当を広げた。
この弁当は樹皮紙で包まれているが、昭和の中期までよく見られた竹の包みと似たものである。
平たい岩の横にはかなりがっしりと石を組んで作られた竈があった。そこに弁当を包んでいた樹皮紙を焚きつけにして持参した薪と途中の森林地帯で各自が拾っていた柴を燃料にして火を熾した。
中世世界リファニアにはガスバーナーや固形燃料といった便利なモノはないが、その分現地調達現地消費で廃棄物はほとんど出ない。
祐司達はこの竈で湯を沸かして温かいハーブティーを楽しむとともに、弁当として用意されていたチーズと燻製肉を炙って食べた。
持たされた弁当の中身は切り分けたライ麦パン、チーズ、燻製肉、茹でて塩味をつけたジャガイモとニンジンだけが入っており現代日本の感覚では料理では無く料理素材である。
そのままでも食べられないことはないが火を通すことで、美味しく温かい食事をすることが出来る。
「旅をしている時は毎日こんな感じでしたね」
大方食べ終わってからパーヴォットが何故か嬉しそうに言った。
祐司一行は昼食のためにオウキク山山頂付近にいたのは半刻(一時間)弱ほどで、急いで下山にとりかかった。
この日は後二つの山に登る予定である。次の山はネルキ山で二つ目の山はハルデ山である。
ただオウキク山とネルキ山の間は尾根で結ばれているのであまり高低差がなかったが、ネルキ山とハルデ山は尾根で結ばれていないので周囲の平地からまともに登山になるので尾根道から登ったオウキク山より時間がかかることが予想された。
オウキク山の下山自体はかなり急ぎ足であったことから四十分ほどですませた。そこから一リーグ(1.8キロ)ほど森林地帯を歩くとネルキ山の登山口に到着する。
その途中に個数が十戸ほどの集落があった。集落の周囲には耕作地が広がっていたが、十戸の耕作地にしては狭小で自家用に毛が生えた収量しか期待出来ないのではと祐司には見えた。
「ここが先程話してくださった遭難した人達が宿泊しようとした集落ですか」
パーヴォットが集落にさしかかると訊いた。
「そうです。セウルスボヘル山神殿から委託巡礼宿の鑑札を持っています。本業は猟師がほとんどです」
ヴァルナドが説明する。
委託巡礼宿とは祭礼時などに神殿付属の巡礼宿舎に巡礼を収容できないような時に近隣の民家を臨時の宿舎として開放するように委託するものである。
巡礼宿舎は素泊まりなら無料であるが巡礼は自分の資産に応じた奉納金を出す。貧者の場合は無料でも宿泊させる。
また裕福な巡礼が貧窮者の為に食費を委託することもある。
これに対して委託巡礼宿は宿泊するには相場がある。神殿の方でも宿泊費を出せそうな者を委託巡礼宿に回す。
ただ現在通過している集落は普通の委託巡礼宿舎とは性格が異なる。
”マルタン十霊山巡礼”はセウルスボヘル山神殿が管轄しているが、当然セウルスボヘル山神殿から相当離れた場所で宿泊する場合もあるので”マルタン十霊山巡礼”のコース状にある集落のうち四つの集落が委託巡礼宿の鑑札を持っている。
いずれも山村といっていい集落ばかりなので、安価でも現金収入を得られることは有り難いことだろうが、巡礼宿舎を名乗っている以上は巡礼に満員だといって宿泊を断ることは出来ない。
しかし”マルタン十霊山巡礼”で集落に収容しきれない人数の巡礼がやってくることなど考えられない。
祐司は通過しつつある山村と言える集落の家々の屋根が茅葺きであることに気が付いた。
一見藁葺き屋根と茅葺き屋根は同じようなものだと思ってしまうが、耐久年数が異なる。藁葺き屋根は積雪のあるリファニアでは十年程度とされるが、茅葺きは四五十年は屋根の役割を果たす。
街中でも防火に関する規制がなければ茅葺き屋根の方が快適だとして裕福な家でも茅葺き屋根を選ぶこともある。
*話末注あり
リファニアの茅はリファニアヨシという独自の種で茅の中でも耐久性がある多年草であり、商品作物といっていい。
近くに自生地や栽培地があるのだろうがその金になる茅を自家の屋根にするということは余裕のある家が過半であることが見て取れた。
これはマルタン周辺を治めるセウルスボヘル伯爵家の年貢率が他の地域より低いことに関係がある。
リファニアの平均的な年貢率からすれば一割ほど低い。
生産力の低い中世世界リファニアではこの一割というのは大きな意味を持ってくる。領主に対して物言うことの出来る武装した自治村が多いリファニアであるが、多くの農村は年貢を納めると自家消費分と自村外から買い入れる生活必需品がやっと入手できる収穫物が残る程度である。
それがセウルスボヘル伯爵家領の農村では少ないながらも蓄えや、生産拡充のための投資的な資金が得られる。
それによりマルタン周辺の農村は祐司の目から見ても温暖で肥沃、さらに先進的な農業を行う王都周辺の農村に遜色ないほどの景観になっている。
農村に多少余裕がある方が長期的には増収になることは心ある領主なら理解しているが、戦乱の絶えないリファニアでは自家が存続していくためには経済力ギリギリの軍備を保っておく必要があるためおいそれと年貢収入を低下させることは出来ない。
その点セウルスボヘル伯爵家には宗教都市マルタンからの収入という打ち出の小槌がある。
マルタンには年に十数万人ほどの巡礼が訪れる。この巡礼相手に幾多の商人が生業を立てており、彼等からの冥加金は金貨で数千枚にもなる。
これは領地の規模と農村の支配人口からは日本の江戸時代に換算して二万石ほどの規模しかないセウルスボヘル伯爵家にすれば非常に大きな収入である。
*話末注あり
「おーい、ヴァルナドさん、今日はお見限りかい」
先達として先頭を歩くヴァルナドに傍らの耕作地で播種をしていた中年の男が声を掛けた来た。
「エデド、すまないな。今日はヘリデキ集落まで足を延ばすんだ。三泊四日だよ」
ヴァルナドは顔見知りのようですぐに歩きながら返した。
「そうかい。別嬪さんがいるが大丈夫かい」
「このお嬢さんは並の男より健脚さ。キリオキス山脈を越えて北クルトから来たんだよ。その上神学校で聴講生をしていた頭のいい郷士のお嬢さんだ」
祐司はパーヴォットのことについて少ししゃべりすぎかと思ったが、互いに情報交換をして共同体を維持する中世世界ではいたしかたないかと黙っていた。
「あの男の家は順番で今度”マルタン十霊山巡礼”の宿泊を引き受けることになっていたんです。ただああ言ったが内心はほっとしていると思います」
「どうしてですか」
ヴァルナドの言ったことにパーヴォットが質問した。
「主に宿泊の謝金は人数に比例しますから。貴方達は二人だ。普通は五六人はいます。あの集落は全部で十二戸で順番に巡礼を宿泊させてます。
”マルタン十霊山巡礼”はそう多くはありません。一シーズンで多い年でも十組ほど泊めるだけだから人数が多い組を泊まらせたいんです」
「じゃ、今日、宿泊する所では歓迎されませんね」
ヴァルナドの返事にパーヴォットは少し不安げに返した。
「大丈夫です。今通過したエネサという集落とは違い今日泊まるヘリデキという集落は専用の巡礼宿舎を二棟持っています。ジャギール・ユウジ殿は地の料理をふるまって欲しいと望んで一棟を前金を出してまるごと借りてます」
ヴァルナドの言葉に祐司はパーヴォットにウィンクした。
身分社会である中世世界リファニアでは王都やシスネロスのような大商業都市ではやや崩れてきているとはいえ、金があるからといって贅沢三昧の振る舞いをすれば身をわきまえない成り上がりと陰口を叩かれるし人物としての評判も落ちる。
ただ祐司は大商人タイストの離れに住み大捕物に動員されていることは、それなりに知られているだろうから、無理をすれば十人ほども宿泊できる宿舎を貸し切りにしても眉をひそめられるというようなことはないと判断していた。
*リファニアの高山
リファニアは最北部の一部を除いて分厚い氷床が融けたグリーンランドです。グリーンランドの地形を大まかに言うと中央部が平坦で沿岸部には東西に山脈があります。
今まで描いてきたリファニアも南部地域を除いて概ねそれに従っています。この東西にある山脈の中で東沿岸の山脈が険しく高峻な山が見られます。
これは本文に出てきたキリオキス山脈とスラセオ山脈に相当します。
グリーンランドで元も標高の高いギュンビョルン山(3,694 m)は南東部沿岸にあります。ただ三千メートルを越えるような山は少なく、西部地域では二千メートル級の山もほぼありません。
注:茅葺き、藁葺き
草木を使用した屋根は世界中の伝統家屋で見られます。その中で一般的なものは農耕で大量に得られる藁です。
わざわざ屋根材として刈り取らなくとも毎年の通常の農作業の中で得ることができます。
これに対して茅はそれを取得するための別の労働やあるいは対価が必要になってきます。ただし藁の屋根の耐久期間は十年未満なのに対して、リファニアでは茅葺き屋根は専門職に拭くことを頼んで少し手入れをしていけば五十年は使用できます。
リファニアでは農家はほとんど藁葺きか茅葺きです。藁と茅の差は貧富の差より近くに茅が容易に得られる場所があるかどうかの差によることの方が多いようです。
板葺き瓦葺きの技術はありますが、藁葺き茅葺きは保温性が高いことから選択されていると言えます。
藁葺き茅葺き屋根の短所は火災に弱いことです。
現在の日本では防火の必要な市街地などの指定地域では新築の家の屋根材には、不燃材の使用が義務付けられているので藁葺き茅葺き屋根にすることは出来ません。
同じ理由でリファニアでも都市では藁葺き茅葺き屋根は禁止されたり制限されています。
王都やシスネロスでは城壁内の市街地では藁葺き茅葺き屋根が禁止されています。ただマルタンでは大通りの住宅密集地を除いては許容されています。
(第十八章 移ろいゆく神々が座す聖都 マルタンの光と陰6 祐司とパーヴォット、道場へ行く 参照)
これはマルタンには城壁がなく市街地周辺部では家屋の間にかなり距離があることと、リファニア北部という土地柄冬季の保温性を捨てることを惜しんだからです。
実は王都やシスネロスではまったく藁葺き茅葺きがまったくないかというと、隠れ藁葺き茅葺き屋根はあります。
これは藁葺き茅葺きにした後で更に板屋根や瓦屋根を上に載せる方法で、断熱材として藁葺き茅葺き屋根を利用する方法です。
注:セウルスボヘル伯爵家の所領
本文でセウルスボヘル伯爵家は江戸時代の石高にすれば二万石規模と記述しています。この規模は祐司とパーヴォットに深い縁が出来たバーリフェルト男爵家とほぼ同じです。
バーリフェルト男爵家は本貫の地であるベムリーナ・サルナ州のバーリフェルト盆地で四千三百余戸の農家と放牧を生業にしている家、百三十余戸の専門の木樵、五十余の専門の猟師、商人など七十余戸、その他職人行商人二百七十戸を統治しています。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト9 監査官、遠見祐司 上 参照)
このバーリフェルトの村は直轄村が六村、自治村が十六村で総人口は一万四千五百人です。一村の平均人口は660人です。
そして王都のあるホルメニアに散在していますが、同程度の所領と小作地それぞれあり全部で二十二村、村の平均人口は620人です。
さらにマルトニア(現バッフィン島)ポンテテ郡を所領にして五村で人口が三千人の人間を統治しています。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ15 マルトニア見聞記六 -ポンテテ郡- 参照)
ここでも一村の平均人口は600人となります。
それに対して「第十五章 北西軍の蹉跌と僥倖 上 薄暮回廊1 行き詰まり」で「セウルスボヘル伯爵家の領地はセウルスボヘル山とその周辺にある四村規模の直轄自営地と自治村の七村だけである」と記述しています。
すると農村の総人口(三万三千)が同じなら一村で3000人となり、バーリフェルト男爵家の統治する地域の村の五倍の人口となります。
実はバーリフェルト男爵家の統治下の村の規模はリファニア農村集落の平均値に近い人数になり、セウルスボヘル伯爵家統治下の村の人口は異常に多いのです。
これには次のような理由があります。
初期リファニア王国から前期リファニア王国へ向かう時代に、全ての国土は王家が統治するという建前の元で地方豪族の封土は荘園と名を変えて農民は耕作権が保証されたうえで地方豪族による制限された司法権がある所有地という形になります。
この荘園は一郡に十程度ありました。郡の面積は千差万別ですが平均では鳥取県(約3500平方キロ)ほどあります。
すると一村は350平方キロでこれは福岡市(343平方キロ)に匹敵して、農村共同対の村としては大きすぎますが荘園官を長として統治するには手頃な大きさです。
古い時代に世襲聖職者の家系から世俗領主になったセウルスボヘル伯爵家の統治地域では、今では消滅した荘園という単位が残存しており、その荘園の行政区画が村とされています。
この為にセウルスボヘル伯爵家領内の村は異常に大きな単位になっており、全体として村の数は少なくなっています。
実際は村は数個の集落に分かれて集落長が他の地域の村長の役目を果たしてします。そして村は集落長が集まった合議体で運営されています。




