閑話40 より詳しい初期リファニアの歴史 四 -初期王朝時代-
初代リファニア王であるホーコン王即位から四代目リファニア王イノラ王崩御までの間は約二百三十年ほどあります。
この時代はまとまった政治単位が血縁で結びついた部族集団から地縁をより重視した地域集団への転換が起こっていた時期です。
一族の指導者ではなく地域を統べる有力者が実力を発揮して、部族集団を越えた範囲の統治をおこなうようになっていったのです。
そしてリファニア王とはその地域有力者の中の第一人者でした。この時代のリファニア王は覇者という存在です。
さて初代リファニア王ホーコン、以下二代目アイヤナ王、三代目デザバデシャシュレ、四代目イノラ王の各王は在位が四十年から八十年続いたとされています。
アイヤナ王とデザバデシャシュレ王はそれぞれ四十三才、三十九才で即位したという記載があり、この二人の王の統治は七十五年と八十年だったとされます。
これが本当ならばアイヤナ王は百十八才、デザバデシャシュレ王は百十九才という長命ということになってしまいます。
これは前王が崩御してすぐに次王が即位するといった後世の原則を無理に当てはめたからだと思われます。
ホーコン王は初代リファニア王ですが、ホーコンが王として即位したのは軍事的才能によります。
ですからホーコンの子が王を継ぐという保証も感覚もなかったと思えます。そして王と万人が認めるような人物が登場して王を名乗ったと思われます。
ですから初代のホーコン王から四代目リファニア王イノラ王までは、前王と次王の間には相当な王位空白期間があったようです。
大まかですがリファニア王がいた時期といなかった時期は同程度だと推定されています。
そして各王の血縁関係は従甥(従兄弟の子)程度ですが、先代の王とまったく血縁関係がない者は指導者になれても王という称号を名乗れなかったようです。
さて王位が空白の期間があるのにそれが記録されていないのは、この時代の記録が六代目リファニア王バハナの時代に公式記録として再編纂されたからだと思われます。
バハナ王の父は五代目リファニア王リブラレルです。リブラレル王からは王の子が王となる世襲が固定していきます。
自分の王位継承の正統性を認めさせるために世襲は新しい試みではなく昔から続いていたことだとして、バハナ王の時代に嘘は書かないが都合の悪いことは記載しないという方法が取られたためと思われます。
さてヴォス族系のリファニア王がリブラレル王以降に登場しなくなった経緯も六代前の第六十九代リファニア王ロセニアルの時代から徐々に禁制となっていた資料が公開されるようになって詳らかになりつつあります。
公開されだしたのはリファニア王室にとって現代の目から見れば都合の悪い資料ではなかったからです。
実はリファニア王家には王族でも閲覧禁止の門外不出の資料が伝えられていましたが、王立図書館を創立した第二十六代リファニア王であるバシパルニア女王がこの資料が入っている葛籠ほどある大きさの箱を開けさせました。
箱にはこの箱を開けた場合は中のモノを全て焼却せよと書かれていましたが、バシパルニア女王は箱を開けさせると、文字が読めない者に文字の形を似せて複製品を作らせると全ての資料を焼却させました。
このバシパルニア女王の英断はパハナ王が秘匿した資料を後世に伝える上で重要な働きをしました。
実はバシパルニア女王が箱を開けさせると中に入っていた羊皮紙はほとんど朽ちかける寸前だったのです。
資料は新しい羊皮紙とさらに薄い板、すなわち木簡の二種類を使用して再度記録し直されたのです。
そしてバシパルニア女王自身は自分の師であるペレルヴォ神官の助言で、リファニア王家が千年続き盤石であることが確立するまで、何人も読むべからずと自署した封印をした箱の中に入れました。
そしてバシパルニア女王自身も一切読むことなく複製資料を再び門外不出にして後に王立図書館の倉庫に厳重に保管させました。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲21 十二所参り 十五 バシバルニア女王の生涯 下 参照)
一般にはまだ公になっていませんがこの資料が今から五十年前、第六十九代リファニア王ロセニアの時に開けられたのです。
入っていたのは二種類の資料でした。一つはリブラレル王が編纂させたホーコン王から自分に至るまでのリファニア王の出自と事跡を記した紀伝です。これは発表されることなく隠匿されたので名はつけられていませんでしたが、関係者の間では「五代記」と呼ばれています。
もう一つは「部族記」という歴史書と地誌書を併せたような資料です。
これにはリファニアの各地にいたヘロタイニアから渡って来た部族の来歴や居住地、主な部族長の事跡が書かれていました。
このような部族に関する資料はリファニアの”風土記”である”諸国伝”に記載はありますが、”諸国伝”が完成したのは第十七代リファニア王フェデルトの時代であり、完全に部族というものが意味を持たなくなって数百年後のことで伝承の類になります。
それに比べてまだ部族社会の記憶がある時代に王家が編纂した記録であるので資料価値が高いモノです。
現在のグレートブリテン島とアイルランド島からヘロタイニア人の圧迫を受けてリファニアに渡来した部族は百ほどもありましたから、記述が多い部族でも千字を超えることはなく、少ない部族では百字ほどの記述しかありませんが比べる資料がないので貴重なモノといえます。
ただ前述したように現在のリファニア王室の正統性をなんら毀損しないどころか、現代王室が初代リファニア王ホーコンの血を受け継いでいることを証明する資料です。
では何故この資料が隠匿されたかは、第六代リファニア王パハナが君臨した当時の時代背景によります。
現代古来から公開されている断片的な記録から推測されるに、王位が空白の期間はコニーレックと呼ばれる者が王としての権能を行っていたことはわかっています。
現代のリファニアではコニーレックは侯爵のことですが、現代日本語に直訳すると”小さな王”ということになります。
このコニーレックは初代ホーコン王と二代目アイヤナ王の間に二人、二代目アイアナ王と三代目デザバデシャシュレ王の間に一人、三代目デザバデシャシュレ王と四代目イノラ王の間に三人、四代目イノラ王と五代目リブラレル王の間に二人が確認できています。
そうなると二百三十年を十二人の”王”と”小さな王”でつないだことになるので納得出来る人数です。
”王”と”小さな王”の相違は、”王”はホーコンの跡を継ぐような優れた者というような諡号的なもので死後に聖職者達が名付けられました。このために”小さな王”は”王”としての権能は存命中は”王”と同等です。
そして”王”は先代の”王”が亡くなると実力者の中の第一人者や前王が指名していた者が”小王”として即位してました。
このあたりの研究は進みつつありますが現王室の起源に関わることなので、王家の意向を確認しながら慎重に行なわざるを得ません。
さてリブラレル王から途切れることのない世襲に王位継承が移行した理由は、リブラレル王の実力が他の地域を基盤とした実力者を圧倒していたからです。
王家の公式記録では初代リファニア王ホーコンから五代目リファニア王リブラルまでの間に血筋の記載のあいまいな三人の王しかいませんが、現代では隠匿されていた資料からおおよその初代リファニア王ホーコンから五代目リファニア王リブラルまでの系図が作られています。
この系図を見ると初期リファニア王には二系統があることがわかります。
一つは初代リファニア王ホーコンを祖とした系統です。二つ目がホーコンの義理の叔父にあたるジクマルデを祖とした系統です。
ホーコンはホルメト族の貴族階級出身でおそらくその軍事的才能を妬むか怖れた族長とその周辺から排除されます。
そのために自分に忠誠な手勢を引き連れたホーコンはヴォス族を頼って部族から離脱したのでしょう。
ヴォス族は外様になるホーコンをその軍事的才能を見込んで部族長カレタの娘シスネリアを嫁がせました。
このヴォス族の見込みは当たっており、ホーコンは周辺の部族を平定して現在のリファニア南西部にヴォス族を盟主としたリファニア王国、実体はヴォス王国を形成することになります。
そのヴォス王国系リファニア王国の部族長は系図では太い斜め文字であらわした人物です。
初期のリファニア王は覇者でありその時代に最も軍事的才能があり、武威で平和をもたらす人物です。
ただヴォス族系の王ないし小王は最後までヴォス族に頼った権力維持という形からは脱却できませんでした。
これに対してホーコン王系は血族に依存しない発展性のある国家を創出していきます。ホーコン王はヴォス族に従った地域の幾分かを戦利地として支配していました。
これがホーコンという個人が統治する国家でこれをホーコン王国と名付けます。このホーコン王国がリファニア王国の源流といっていいでしょう。
ホーコンは伝承では自分の出身部族であるホルメト族をリファニア王に従わないとして討伐して討ち滅ぼしたとありますが、実際にホーコンが行ったのは旧支配層の一掃です。
そしてその部族民は自分が支配する地域の民としました。これによりホーコン王国は並の部族以上の領域を支配する王国に成長します。
このホーコン王国は次第に領域を広げながら時にリファニア小王を輩出します。リファニア小王ではない世代も小王に次ぐ平行小王という称号を得てリファニア王や小王の権威に従いながらもホーコン王国の独立性を保っていました。
この並行小王とは同時代に複数おり地域の有力者ないし有力部族長が王か小王に任じられました。並行小王はリファニア王やリファニア小王に建議を行う朝議の構成員でした。
さて系図で見るとホーコン王国系の小王や並立小王は有力部族との婚姻を行って同盟者の獲得に力を入れています。
それに反してヴォス族系統では配偶者は「女」としか記載していませんが、実際は名と出自は或程度わかっており全てヴォス族内有力者の娘です。
他勢力と結んで勢力を拡大する相手に身内ばかり固めていても相対的な力は低下するばかりです。
そして現在五代目リファニア王として知られるリブラレル王が即位すると飛び抜けた勢力があり、また同盟者の多いホーコン王国の血筋が代々リファニア王として即位するようになったのです。
ホーコン王国系の指導者をリファニア王家の王として認識するならば、初期のリファニア王家は「初代リファニア王ホーコン-二代目アイヤナ王-三代目デザバデシャシュレ-四代目イノラ王-五代目リブラレル王」という繋がりではなく「初代リファニア王ホーコン-二代目オペド-三代目ボウド-四代目ヘルデ-五代目セルセ-六代目テデ-七代目サルド-八代目セリガ-九代目リブラレル王」ということになります。
そしてホーコン王家の王朝と時に交代しながら「初代ウェブト-二代目アイアナ-三代目デザバデシャシェル-四代目グラン-五代目イノラ」というヴォス族系の王朝があったという形です。
六代目リファニア王バハナの時に歴代王の認定をした編集者がリファニア王の呼称にとらわれずに、ホーコン王国系の小王ないし平行小王をホーコン王直系のリファニア王として認定していれば、現在見られるような実際より王の寿命を引き延ばしたり出自を曖昧にしておくような操作をしなくてよかったでしょう。
ヴォス族王系は前述したように後半は部族長と王ないし小王が一致してきません。これはホーコン王系が勢力を拡大したこと以上にヴォス族の内部対立に起因します。
ヴィオ族族長家はホーコン王時代の族長ジクマルデからみて曾孫のネルデとウェルデの時代に南北の二つの勢力に分裂します。
そして時代が経るに従って南ヴォス族の兄系ネルデの系統が部族長を出すようになるかわりに、北ヴォス族の弟系ウェルデの系統はリファニア王と小王を出すという形になっていきます。
この南ヴォス族と婚姻関係を通じて接近したのがホーコン王系です。
ヴォス族系の王や小王は一族の内訌に大きな力を注がざるを得ないので、部族連合体にしか過ぎなかったリファニア王国を纏めていくのにホーコン王国系の小王や並立小王の力が必要でした。
第五代リファニア王リブラレルの父であるハルデ並立小王の時代にヴォス族は大規模な内乱を起こします。
ハルデ並立小王は自分の娘ヴァルを嫁がせている北ヴォス族のエルドラ小王に加勢して他の部族勢の力を借りて北ヴォス族の討伐を行います。
この紛争は長期化して完全に北ヴォス族が平定されたのはリブラレル王の初期ですが、リブラレル王が小王にならずすぐにリファニア王に即位したのは北ヴォス族との戦いで戦功があったことと不安定な部族連合体が崩壊してしまわないようにリファニア王という権威を部族連合が求めたことにあります。
リブラレル王はエルドラ小王の子で自分の甥でもあるメタデタを部族長として認定します。
これが契機となって部族長はリファニア王が定めるという形が始まります。
むろん最初は部族が選んだ部族長を形式的にリファニア王が部族長に任じるという形でしたが、すぐに部族長はリファニア王に認定されなければ部族長ではないという意識の変化が起こってきます。
そして大部族が小部族を併合することが進んだ結果、部族の領域というモノがあまり意味を持たなくなり、また緩い連合体ながら各部族の支配層同士の婚姻が進んで自分の部族の構成員との紐帯より指導層間の結びつきの方が意識面で進みました。
この支配層は自分達の権威と身分の後ろ盾になるリファニア王という存在をあまり抵抗なしに受け入れます。
リファニアはホーコン王からリブラレル王に至る時期に血族で結びついた集団が単位になった部族性社会から現在に至る身分制社会に移行したのです。
その時流を理解せず部族の紐帯に頼り部族長という地位に固守した北ヴォス族は滅亡しました。
リブラレル王は公式記録にあるように地域毎に”コーニック”を置きます。この”コーニック”は前述した”小王”という意味でしたが、自分とその子孫が”コニー(王)”という名称を使うことに抵抗が少なくなるように王に次ぐような有力者に”コーニック”という言葉を当てて”コーニック”は”ノボブナ”すなわち太守であるとしました。
そしてリブラレル王はこの”ノボブナ”とリファニア王の間に”ハトック”を置きます。
現在のリファニアでは公爵は”コニーヴァスト”で王佐という意味がありますが、古くは”ハトクネと呼んでいました。”大臣が”ハトネル”ですが、この”ハトック”が語源になります。
リブラレル王は部族長という名称を”氏の長者”程度の身内だけで意味のあるものにして公式な身分制度の埒外にして自分を頂点とした身分制社会を構築します。
そして”王”と同等の権限がある”小王”という存在が復活しないように、その上に自分が任命する”ハトック”、すなわち大臣を置いたのです。
またリブラレル王はそれまでのリファニア王の所在地であったアンマサリクから現在の王都タチに都を移しました。
ホーコン王はアンマサリクに王宮を置きましたが、これは王都といったものではなく王の所在地程度のモノでした。
アンマサリクに王宮を置いたのはそこが出身部族のホルメト族の本拠地でホルメト族という集団は消滅させましたが、平生の暮らし向きは変化のなかった住民は戦上手な英雄であるホーコン王は新しい部族長という意識でいたために本拠地としては居心地が良かったのです。
歴代のリファニア王もアンマサリクに王宮を置きました。しかしリファニア王がいないときはただの寒村に戻るということを繰り返してしました。
もしリファニアで近代的な発掘が行われるようになるとアンマサリクでは四層の宮殿跡が見つかるでしょう。
リブラレルがアンマサリクに王宮を置かなかったのは、政治的にはそれまでのリファニア王と自分が異なった存在であることを示したかったからです。
そして王宮だけではなく王都といったモノが建設出来る地歩がアンマサリクには不足していました。
アンマサリクは猪苗代湖(103.2平方㌔メートル)ほどの大きさのサリ湖に面した半島のような場所にあり、当時は湖岸がかなり湿地に覆われており周辺に拡大する余地がありませんでした。
またアンマサリクにはホーコン王が創建したとされるフェラスベム神殿が、防衛に適した半ば突き出た半島のような場所にあったので意味のある場所に軍事的な施設をおけませんでした。
なお祐司とパーヴォットは二度フェラスベム神殿を参拝しています。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲16 十二所参り 十 フェラスベム神殿の参拝船 参照)
(第十二章 西岸は潮風の旅路 春風の旅1 マイルストーン 参照)
リブラレル王が選んだのはアンマサリクから南西に十五リーグ(約27キロメートル)の位置にあるタチです。
タチはイス人の古語で岬という意味です。
タチはフェラスベム神殿と同様に海に突き出た半島に立地しますが地積はフェラスベム神殿の百数十倍以上あり、十分な平地と中央に城塞を兼ねた王宮を築くのに適したマーレー山がありました。
当時の城塞は土木技術が未熟なこともあり、山城や丘城といったものが主体でしたから王宮は小高い場所に造りたかったようです。
さらにタチに遷都した理由は経済的な側面もありました。タチは海に面していながら波の静かな内湾であるイギナ湾にあります。
当時盛んになりつつあった沿岸航路の収束地としても適しており、イギナ湾に相応の大きさの船舶が遡航出来るヴォガ川が流れ込んでいましたので内陸部からの物資の輸送の点でも優れていました。
これだけのことを一代でなしてリファニア王国の形を造ったリブラレル王は有能な王といっていいでしょう。
そしてリブラレル王の事業は自分の子であるパハナに王位を世襲させたことで完成します。
この為に初代ホーコンが王になった時に神々はホーコンの子孫がリファニア王を継ぐとしたということを強調してそのような歴史書の編纂も行います。
ところが系図を見るとホーコン王とは女系では血が繋がっていますが、二代目アイヤナ王-三代目デザバデシャシュレ-四代目イノラ王はヴォス族系の王です。
そのためにワザと血統を曖昧にしておく必要があったと思われます。この歴史を曖昧にする作業は六代目リファニア王パハナの時代にも続けられて、多くの不都合な資料が隠されたのです。
この辺りのことを知るヴォス族最後の部族長メタダテが二十才代で死亡して、多くのヴォス族関係者がリブラレル王の治世半ば以降に文献に出てこなくなることが知られています。
ただこれは禁断の資料が公開されても、リブラレル王の行為なのか偶然かは、まったく理由を書き残した資料が存在しないので解き明かすことは出来ないでしょう。
さて系図に関して最後の知見は王妃の役割です。
現在のリファニアではリファニア王妃は前王が崩御してから新王が仮即位する間は、王妃に王の権限があるとされます。これは貴族領主家でも同じです。
また王や領主が遠方におり不在の時は王や領主に代わって妃が内政を総覧することになります。
しかし現在は小規模な領主家でも家老以下の家臣団が具体的な行政と軍事を担当していますので王妃や貴族家の妃が実質的な政治に関わることはなく、形式的なものに過ぎません。
ただ当主不在という期間があると家中が不安定になりますので、妃、時には男性配偶者が治世を行うという制度は今でもその有効性が認められています。
ただ家臣団組織が整備されていない初期リファニア王国では実際に王妃が政治に関わることがありました。
初代リファニア王ホーコンの妃シスネリアはホーコン王が外征や地方への行幸に出た時は実際にホーコン王に代わって王妃名で種々の行政文書を発給していました。
また各部族や地域集団からの貢ぎ物とそれらに対する下賜品などの取り扱い、そうした品物のやり取りを行う儀式は王妃の仕事でした。
現代日本に例えれば家族経営の会社で夫が社長で、妻が経理担当の専務であるというような感じです。
系図の中で赤枠で囲んだ王妃が実際に政治や儀式の運営に関わった王妃です。
注目点は全ての王妃に政治に介入したり儀式を執り行う権限があったわけではないことです。
王妃の中でホーコン王の血筋の女性だけがその権限を有したことがわかっており、ホーコン王の血筋は男女関係なく尊重されたこととホーコン王系の実家が強大だったからです。
特に大きな権限があったのはヴォス系の小王ヴェルトの王妃ピアです。
ピアはホーコン王の嫡子であり、ヴェルトが小王になったのは妃がピアだからです。ピアは政治全般に関わっておりヴァルトが従という存在でした。ピアはリファニア王国最初の女王だといえます。
最後に王妃として政治的な権限がありその力を実際に使っていたのが小王セリガの妃オレアです。
オレアは確かにホーコン王の血を引いていますが七代ほどの隔たりがある上に男系が優先されるリファニアでは不利な女系での繋がりです。
ただオリガはヴォス系最後の王であるイノラ王の異母姉でした。イノラ王は比較的若い年齢で恐らく脳溢血を発症して体が不自由だったようです。
そこでオレアの夫セリガが小王となって実質的に政治を行っていました。王と小王は同時代に併せて存在することはありませんので、セリガが小王と名乗ったのはイノラ王が崩御して自分も亡くなるまでの数年に過ぎませんが実質的にイノラ王とセリガ小王は並立していました。
これは権力の二重構造になり好ましい事ではありませんが、セリガは弟のイノラ王に代行して妃のオレアが政治を行うという形にしたのです。
最後に初期リファニア王国の版図について記述します。
リブラレル王の時代のリファニア王国の版図もしくは勢力圏は以下の図の範囲です。ようやくリファニア南部ほぼ全域を勢力圏においていますが、マルタン周辺以外のリファニア北部はもちろんのことまだ広大な中央盆地にはリファニア王の権威が及んでいません。
おおよその支配地域面積は現代日本の面積よりやや広く、人口は二百数十万人程度であったと推定されています。
マルタンから南はまだイス人の部族国家の勢力圏ですが大方はリファニア王に臣従しており、”北辺鎮護役”や”北東護国役”といったような役職を与えられて時に朝貢と下賜が行われました。
これらのイス人部族は日本史でいえば奥州の原住地に留まり、租税を免除されたうえに陸奥や出羽の国衙から食糧と布を与えられて朝廷に服従を誓い、特産物を貢いでいた奥州俘囚と似た存在でした。
彼の地の住民はナデルフェト州を除いて、現在ではほぼ他のリファニア地域の住民と差のない生活を送ってイス人伝統の文化もほとんど残っていません。
リブラレル王時代のリファニア王国勢力圏




