逆巻く渦に抗して7 独立不羈の旗印 五
「ここに集まるのは、今日は二回目だな」
ドノバ候は、市庁舎の控え室に集まった交渉派の市参事達にできるだけ明るい口調で声をかけた。
市参事には小さいながらも個々の控え室がある。意図的にドノバ候の控え室の並びには交渉派の市参事の控え室が並んでいた。
そして、市参事達の控え室はバルコニーで結ばれていた。ドノバ候の隣の控え室にある衣装入れの奥には隠しドアがありドノバ候の控え室に人知れず入ることができた。
このため、交渉派、或いは親ドノバ候派の市参事達は、他の市参事に知られることなく集まることができた。
「ドノバ候、いかがするおつもりでしょうか」
ルヴァルド市参事が疲れたような声でいった。
「まあ、あれがいつまでも気勢を上げているだけとは限らんからな」
ドノバ候は市庁舎前に集まった市民の気勢を聞きながら言った。
「ランブル市参事がまた煽っていますな」
アズエイ市参事もうんざりしたように言った。その時、ハタレン市長が部屋に入って来た。
「ハタレン市長、ビルケンシュト市参事殺害の件は何かわかったか」
ルヴァルド市参事が唐突に聞いた。
「即死に近い状態だったそうです。市参事の家族や秘書官は暴徒に襲われて怪我をしていますが、命には別状はないようです。下手人達は市参事が持っていた手紙をもとに、ビルケンシュト市参事を裏切り者と罵っていたようです。
そして、散々市民を煽った挙げ句に、義士きどりで傭兵隊の詰め所に自首しました。現在は傭兵隊本部で尋問しております。ただ、ビルケンシュト市参事を殺めた下手人は逃亡中です」
報告を聞くとアズエイ市参事が沈痛な声で言った。
「ビルケンシュト市参事は渉外担当だ。モンデラーネ公やその周辺からの手紙を所持していても不思議ではないぞ」
「そのような書簡は我々には報告されても市民には秘密の書簡です。当たり前のことですが交渉ごとの前提をおおっぴらに公開できる訳がない。
何よりシスネロス市民が、同じシスネロス市民であるビルケンシュト市参事を害したということが信じられません」
実務派の市参事としてビルケンシュト市参事とは、個人的にも親しかったドストレーム市参事は悔しそうに言った。
「今となっては護衛をつけなかったことが悔やまれる。ワシも太平のシスネロスにすっかり油断しておったわ」
ドノバ候は心底、悔いるように言った。ドノバ候の家宰であるバナゾ・チェレステも嘆息しながら言う。
「わたくしこそ悔やまれます。わたしも、この年になり昔の修羅場のことなど忘れさっていい気になっておりました」
感想めいたことなど滅多に言わないチェレステ家宰の言葉にハタレン市長は意外な感じがした。
「卑怯者!」
ドストレーム市参事が突然、平手で机を叩きながら言った。それを見たルヴァルド市参事があわててようにドノバ候に言う。
「ビルケンシュト市参事暗殺はランブル市参事の企みだと告発しては。少しは勢いをそげるかもしれません」
ドノバ候は、少しだけ考えてから答えた。
「いいや、今は逆らうな。機会を待て。ランブル市参事は勢いにまかせているだけだ。所詮は政治には素人だ。近いうちにランブル市参事を始末する機会は来る」
「こちらからも暗殺ですか」
ハタレン市長が声を低くして言った。
「大暴動が起こる。暗殺するにしてもその犯人はヤツが当てにする市民、それも貧民でなければダメだ」
ドノバ候は、市参事達に確認するようにゆっくりと言う。すぐさま、チェレステ家宰が補足のようにドノバ候に続いて言った。
「わたし達は少々の負けが許されております。ランブル市参事は一度でも負ければ全て終わりで御座います。
わたし達の基盤は、明文化された法規で御座います。ランブル市参事の基盤は、実態がない気まぐれな市民の支持です。いつまでも市民を酔わせておくことはできません。
次々に強い酒がいります。ただし酒ばかりでは生きてはいけません。腹が減れば市民も目が醒めます」
チェレステ家宰の言葉に、場に漂っていた剣呑な空気が少し和らいだ。
「ランブル市参事の要求しております市民総会開催の件は、いかがいたしましょう」
ハタレン市長が最も重要な議題を出した。
「認めよう」
即座に、ドノバ候が言った。それも、親しい者に挨拶でもするかのように極めて当たり前の口調だった。
「なんと」
ハタレン市長以下は、驚きの声を上げた。
「一旦、ランブルに権力を預けるのだ。ただし、無制限ではない。法規を精査しろ。何かしらの制する項目があるはずだ」
ドノバ候はそう言うと、市参事たちと細かな話を始めた。
「ここに市民総会の開催についての賛否を問う。議決の重要性に鑑みて公開参事会とする」
一刻後に再開された市参事会で議長役のハタレン市長が厳かに言った。
公開参事会とは、議事録が作成されて閲覧を要求する市民に公開される形式だった。すぐさま、二人の書記が発言を逐一記録するために会議室に入ってきた。
「ランブル市参事より要求のあった市民総会開催に賛成の者は挙手をお願いする」
賛成は一票、ランブル市参事だけだった。意外なことに職人組合代表の市参事も含めて後は全て棄権だった。
「諸君、市民総会の開催が決議された。今からシスネロスの行政権は市民総会に移行する。ランブル市参事は、市民代表として速やかに市民総会を開催されよ」
ハタレン市長が、できるだけ威厳を持った言い方でランブル市参事を見て言った。
「別に、市参事会の賛同がなくとも市民総会は開催される。ただ、わたしは市参事の一員として市参事会にも賛成して欲しかった」
ランブル市参事は、少しやさぐれたような物言いで言った。
「議決では賛成多数です。市参事会は市民総会開催を認めましたぞ」
ハタレン市長が諭すような口調でランブル市参事に切り返した。ランブル市参事は肩をすくめて見せた。
「市民総会が開催されるまで、シスネロスは開店休業ですか?」
職人組合の代表であるブリーナン市参事が隣にいた、同じく職能団体の代表者であるダネル市参事に聞いた。それを耳ざとく聞きつけたランブル市参事が怒ったように言う。
「規定では市民総会を要求した、市参事会ないし、請願書で推薦された市民代表が当面の業務を遂行するとなっておるのではないか。だから、シスネロスの行政は停滞しない」
ランブル市参事は、ブリーナン市参事とダネル市参事を怖い目で見ながら言った。市民総会発足決議で賛同してくれると思っていた二人が棄権に回ったことで内心怒りが渦巻いていたからだ。
「市参事会においても、わたしを市民代表として認める決議をお願いしたい」
ランブル市参事は自分を落ち着かせてからハタレン市長に要求した。
「市民総会が市参事会の上位にある以上、市参事会はそのような議決はできません。正式な市民総会が開かれていませんので、臨時市民代表としてドノバ候から任命していただくことにします」
ハタレン市長はドノバ候の方を向いて深々と頭を下げた。
ドノバ候は立ち上がって重々しく言った。
「ランブル市参事ここへ」
ランブル市参事は一段高い位置に備えられた床の上に立つドノバ候の前に進み出た。
「余、ボォーリー・ファイレル・ジャバン・ハル・ホデーン・ホノビマ・ディ・ドノバはシスネロス市の法規に従って、マッキャン・ランブル、シスネロスの市会参事をシスネロス市民総会における臨時市民代表と認め、ノーマ神以下の諸々の神々、シスネロスの守護神アハヌ神の前に、これを宣言する」
ランブル市参事は、ドノバ候の宣言が終わると深々と頭を下げた。
「わたしはドノバ候として、今、ランブル市参事をシスネロス市市民代表として認めた。これは法規によるものであるが、わたしはランブル市参事を市民代表と認めた責務から逃れるつもりはない。わたしはランブル市参事を市民代表とした責務を負う」
ランブル市参事は、予想外のドノバ候の言葉に戸惑った。しかし、儀礼的なものであろうと思いあまりその意味を深くは考えなかった。
「市長!市長室を明け渡していただきたい」
ランブル市参事はドノバ候の前から辞すると、ハタレン市長に言った。
ハタレン市長は聞き損ねたのか、顔を少し傾けた。ハタレン市長は、左手を後ろに回して議事録を書き込んでいる書記に合図をした。書記はランブル市参事の発言を記載しなかった。
「市長室を明け渡して欲しい」
「え?」
ハタレン市長がまた聞き返した。
「市長室を明け渡してくれ」
ランブル市参事は怒鳴るように言った。ハタレン市長は左手を身体の前に戻した。書記は、ランブル市参事の発言を言葉の調子まで形容して記載した。
「いや、市長はわたしだ。貴方の下位につくが、種々の細かな行政は、わたしと市庁舎が行う。あなたには、その指示をしていただきたい」
ハタレン市長は丁寧な言い方で答えた。他の市参事も頷く。
「では、わたしは何処から指示を出せばいい」
「ランブル市参事は迎賓室を使えばいいでしょう。そこから指示を出せばいい」
ドストレーム市参事が取りなすように言った。
「まあ、いいだろう」
「最初にどのような指示を出されますか」
ハタレン市長がより一層丁寧な言い方で聞いた。
「それは、総動員令の件ではないかな」
ドノバ候が言う。ハタレン市長は、また左手を後ろにやった。書記は記載を止めた。
数分間、市参事達の間で論議が交わされる。今度はドストレーム市参事も反対するような意見は言わず。致し方ないというように頭を縦に振った。
ハタレン市長はランブル市参事の方を向いた。そして、左手を身体の前に戻した。
「最初の指示だ。総動員令を発する」
ランブル市参事は市参事達の同意が取れたので宣言するように言った。書記は、ランブル市参事の言葉から再び記載を始めた。
交渉派の市参事たちは、籠城してモンデラーネ公が根をあげるようにすれば市民に過度な負担を掛けないと一応反対する言葉を口に出した。
ただし、それは小声で隣の市参事に愚痴を言ったような感じだったので、ランブル市参事からすれば正式な発言とは思わなかった。
「次に義勇軍召集令を発令する。今は一兵でも欲しい」
ランブル市参事の予想外の言葉に、打ち合わせをしたはずの市参事達も動揺した。
義勇軍召集令とは、義勇軍とは名がついているが、シスネロスに居住滞在する非シスネロス市民を強制的にシスネロス市民軍の一部隊として招集する命令である。
シスネロスの法規には記載されているが、非現実的なものとして誰もが現実に発令されると予想していなかった。
「なんと義勇軍招集令もですか」
ようやくハタレン市長がため息のように言った。
ドノバ候らは、ランブル市参事が、禁じ手とも言うべき義勇軍召集令を出してくることも予想はしてたが、理性的な行動を取るのなら自重するだろと考えていた。
「未だかつて発令されたことはありませんが、後々の影響がどう出るか」
ドストレーム市参事も心配げに言った。
「今は勝つことだけを考える。負ければ全てが終わりだ。打てる手は全て打つんだ」
ランブル市参事は自信満々で答えた。
「一時散会して、今の動議を考えてみましょう」
あわててハタレン市長が言った。
「動議ではない。指令だ」
ランブル市参事は畳みかけて言う。
「義勇軍招集に関しては法的にも未整備ですから細かなことは決まっていなかったと思います。また、その影響について判断しがたいものがあります。少し考えさせてください」
ドストレーム市参事がランブル市参事を宥めるように言う。
「市民代表ランブル殿、それでよいでしょうか」
ハタレン市長の言葉にランブル市参事は威嚇するように言った。
「いいでしょう。でも、急いでください。ただし、全員が反対でもわたしにはそれを実行する権限があることをお忘れ無く」
ランブル市参事は自身も、義勇軍召集令が何を引き起こすのかという不安があった。ただ、その不安も兵力を少しでも多く掻き集めていという欲求には勝てなかった。
戦争に負ければ、自身が破滅であるとランブル市参事は理解していた。戦争に勝つには相手を上回る兵力を動員するという単純な真理の前に、全ての事物はランブル市参事にとって看過できた。
「ここまでの、議事録に関して各自の署名をしてから一時退席をお願いします」
ハタレン市長は最後に何気なく言った。打ち合わせ通りに、いち早く交渉派の市参事らは一列に並んで急いで署名をする。
それに、つられて、ランブル市参事以下の、市参事も著名すると部屋を出て行った。
誰も、議事録の内容など点検しなかった。




