光の歩み22 ファンニの回想と決意(ファンニ視点) 三 付録:麦
”ブレアラエ号”はムリリトを出港した翌日の正午前に無事にフィシュ州のネシェルに到着した。
予定では午後遅くという予定だったが、風が強く海が多少荒れた代償に予定以上の速力が得られたのだ。
動力船ではないので定期船と言ってもリファニアでは予定通りの航行時間とはならない。
そのために途中の港では新たな荷の積み卸しが終われば予定出港日の一日前に出港することがあるという約束のもとで航行しており、定期船に乗ろうとする者は一日前には港に到着する必要があった。
さてムリリトとネシェルは直線距離で八十リーグ(約150キロ)ほどあり、この距離を歩かずに寝ていて移動したことになる。
陸路であれば子供連れなので四日から五日ほどは見ておかないといけないから、定期船の出発を二日ムリリトで待っても日数の節約になった。
また陸路では人口が少ないフィシュ州北部を移動しなければならないので、治安が比較的いい北西誓約者同盟の版図ではあるが旅の安全に不安が残る。
それならば多少金がかかっても四日分の宿賃も節約が出来る船の方を利用した方がいい。
ネシェルは祐司とパーヴォットも通過した港町である。フィシュ州南部では最も大きな都市ではあるが、波止場は一つしか無くムリリトと比べると半分以下の大きさの港湾である。
ネシェルは別名で”風の街”という。
そう強風ではないが春から秋は常に旗が靡く程度以上の風が吹き込んでいる。
ただ沖合では風が強くリファニア西岸航路ではベラ半島北岸はやや難しい航路帯である。
祐司とパーヴォットはベラ半島北岸のテテイック村から捕鯨にも使用する大型の漁船でネシェルに向かったが、危険を感じるほどではないがスリリングな航海をしている。
(第十五章 北西軍の蹉跌と僥倖 上 薄暮回廊3 黄金の星、フィシュ州 参照)
王都から船で宗教都市マルタンに巡礼に行く場合はネシェルまで行くと陸路が一番短縮できる。これはマルタンから王都に向かう場合も同じで、不出生の大女優アリシアを見いだした王都三座の一つであえるムレッテ座のジュルゼ・セシネルとホゲッデ・エヴァゲド夫妻は彼女を連れてネシェルから王都に向かった。
(第十八章 移ろいゆく神々が座す聖都 地平線下の太陽26 煎じ薬 参照)
ただ中には少しでも荒れた海を航行したくなかったり、あまり見るべきものがないネシェルよりもその南の王都に継ぐ港湾であるナデルフェト州イカルイトとその周辺を物見遊山したい者がいるので、船で王都からマルタンに行く者はネシェルとイカルイトで半分づつ下船する。
ムリリトから乗船した者でネシェルで下船したのは、シェルヴィス神官一行の他は一組の老夫婦だけだった。
この家族はマルタン街道を利用してマルタンに巡礼を行うムリリト近郊の農家の夫婦だった。
ムリリトからはファンニ達も通過してきたマルタン・サルナ街道でマルタンに直行できる。その距離はネシェルから”北国街道”を少し北上して”マルタン街道”に向かう距離とほぼ同じである。
ただマルタン・サルナ街道はタラナスト高原を通過する山道である。今の季節では高山に残る残雪と芽吹きだした木々の様子、そして高原の澄み切った湖などを間近に見ることが出来る。
現代日本人からすれば格好のトレッキングコースであるが、中世世界リファニアの人間は自然を尊重する気持ちはあってもその美しさを苦労してまで味わうという感覚がない。
それよりも街道沿いには寒村と地元の者の為の田舎神殿しかないマルタン・サルナ街道よりも、種々の巡礼すべき名のある神殿が街道に沿ってある為に”神殿街道”という異名がある”マルタン街道”を通過してマルタンに向かいたくなる。
シェルヴィス神官はネシェルの主神殿であるフィシュサルナ神殿で監査を行った。フィシュサルナ神殿は昨年の監査で問題点を別の監査官から指摘されており、それが改善されているのかを確認するのがシェルヴィス神官の役割だった。
本来は監査は一都市で終わるのだが、シェルヴィス神官がムリリトの他にネシェルを訪れたのはこのような理由があった。
確認だけなので監査は一日で終わったが、その日はファンニ達はそう大きくもないネシェルの街中や海産物が豊富でその場で調理してくれる店も多い市場を見学した。
そして次の日はシェルヴィス神官とその助手を含めて、二台の馬車を仕立ててネシェル近郊を巡った。
実は”風の街”と呼ばれるネシェルの近郊は風光明媚な場所が多い。
リファニアに風車はないことはないが、風向風速が一定しない風車の利用より低山と丘陵の国であるリファニアは水資源も豊富で水車が動力源の主力である。
ところが例外的にネシェルの近隣は風車が数多く利用されており、風車で脱穀や穀物の粉砕、そして農業用水の揚水が行われている。
風の通り道のような場所には何連も風車小屋が造られており、水の都でもあるマルタンで風車を見たことのなかったファンニは何故風車が回るのか最初は不思議でならなかった。
ネシェルの近郊の丘にはストーンサークルがあった。マルタンで壮大な神殿や石柱を見知っているファンニの目からは自然石を建てただけの貧弱な遺跡にしか見えなかった。
ファンニをはじめ子供達がつまらなさそうにしているので、知識豊富なシェルヴィス神官がその来歴を話してくれた。
ストーンサークルが建設されたのは千五百年程前らしい。造ったのは当時この地に住んでいたイス人である。
イス人は狩猟採集と遊牧で暮らしていたので、暦は太陰暦で漁労の為の潮の満ち引きと月が出ている時間帯がわかれば十分だった。
ところがヘロタイニアからの移民が来るようになり次第に農耕を開始した。
農耕を行うのには一年の日数と一年の何日目を知って、今年は季節の移り変わりが早いのか遅いのかを理解する必要があった。
そこで太陽の出入りする位置から一年の移り変わりを判断する為に造られたのが、ネシェル郊外のストーンサークルである。
このストーンサークルの建設を行ったのはコノトン族というイス人の部族長の娘メルガキカクを見初めたヘロタイニアからの移住者でコノトン族の捕虜になったボノドという青年だった。
ボノドがストーンサークル建設を行い、正確な暦をコノトン族が使えるようになったのでボノドは捕虜ではなくなりメルガキカクと結婚してコノトン族と移住者の宥和も進んだ。
ボノドとメルガキカクは死後に一番南の石と北の石の下に葬られてストーンサークルを守っているという。
シェルヴィス神官はこうした話は、リファニアの風土記である”諸州伝”のフィシュ州版に簡潔に記載されていると説明してくれた。
ファンニら子供達はさらにストーンサークルでどうやって一年の移り変わりを知るかという説明を神妙に聞いた。
ファンニは「コノトン族って今もいるの」と訊いた。
シェルヴィス神官は「移住者と交わってノード人になった。でもフィシュ州のフィシュとはイス人の言葉で”風”のことだ。そしてここはコノトダド郡だ。もちろんコノトン族からきている。ボノドとメルガキカクは大勢の子を残したというから我々にもボノドとメルガキカクの血が伝わっているかもしれない」と話してくれ、これも子供達は神妙な顔で聞いていた。
*話末注あり
ところがストーンサークルの近くで昼食を食べた後で子供達は、ストーンサークルで鬼ごっこを始めてしまいシェルヴィス神官は苦笑いしながら「一番南と北の石の周りにある敷石を踏んではダメだぞ。ボノドとメルガキカクが葬られているからな」と言って子供達を眺めていた。
ネシェル近郊で一日遊んだ翌日シェルヴィス神官一行はマルタンへの帰路についた。
今回もマルタンからムリリトへの中間点であるイェルノルマデまで馬借に同行したように、再び馬借に同行させてもらった。
春から夏に向かう時期はそろそろ巡礼も増えてくることに従ってマルタンに向かう荷も増えるので、毎日のように物資の集散地であるネシェルからマルタンに馬借が向かう。
馬借は自分の荷があるので普通は同行を頼まれても渋い顔をするが、シェルヴィス神官一行が易々と同行を認められるのはシェルヴィス神官がリファニア第一のマルヌ神殿に奉職する聖職者だからである。
ネシェルのすぐ北で”北国街道”は二又になり、東へ向かう”マルタン街道”を進んでマルタンに帰ることになるが、”マルタン街道”はマルタン近くの峠などを除いてほぼ平坦な道行きである。
マルタンからイェルノルマデに向かった時にファンニら子供達は荷馬車に乗せて貰ったが、今回も子供は歩くことなく荷馬車で移動した。
平地での荷馬車の速度は一刻で二リーグ(約3.6キロ)ほどであるから歩くより遅い。
荷馬車から見ている風景は実にゆっくりと移り変わっていく。ただ春が深まっていく時候なので生気が満ちているような風情の農耕地や森林を眺めていると子供でもあきがこない。
農耕地では芽吹きだした作物を見て、子供達が「あれはライ麦だ」「あれは大麦かな」と話しているとシェルヴィス神官が栽培されている耕地の立地から推測出来る作物の見分け方を詳しく教えてくれた。
中世世界リファニアでは都市に住居する子供でも作物は身近な存在である。
*話末注あり
ネシェルから七日をかけてシェルヴィス神官一行はマルタンに帰還して、ファンニが初めてマルタン以外の世界を見知った旅は終わった。
注:ネシェルのストーンサークル
ファンニが見たネシェル近郊のストーンサークルでシェルヴィス神官が「一番南と北の石の周りにある敷石を踏んではダメだぞ。ボノドとメルガキカクが葬られている」と言っていますが違和感のある話です。
シェルヴィス神官は”ボノドとメルガキカクは大勢の子を残した”とも言っていますから二人は長く夫婦生活を続けたと思えます。
愛し合った夫婦が死ねば通常は同じ場所に葬ると思えますが、一番離れた南北の石の下に葬ったというのはおかしな事です。
またストーンサークルは天体観測の場ですので、幾らボノドが建設に寄与したといってもそこに葬るのも違和感があります。
史実はシェルヴィス神官が語ったこととは異なっているように思えます。
これまで本文で先住民イス人とヘロタイニアからの移住者の軋轢については何度が出てきました。
しかし伝えられた話はいずれも最後は双方が満足するような解決案を、聖職者や時にリファニア王が提示して仲良く暮らしましたという決着になっていることがほとんどです。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲9 十二所参り 三 ネルガファサス王子の金太鼓 下 参照)
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光15 寒参り 七 -モリゼ湖神殿~王都へ- 参照)
ヴァンナータ島にいたというベラッロト族に至っては、聖地を大切にしてくれればとして島を移住者に譲り別の場所に行くといって消え去ったという話がありますがあまりにお人好し過ぎる話です。
(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記13 カヴァス岬の異邦人 一 ヘルネルネ 参照)
実際は各地で凄惨な出来事が多発していた可能性がありますが、イス人が次第にリファニア王国に従うようになると出来ればお互いに封印したい話があり融和的な話にすり替えられていったと思われます。
幸いにリファニアには同時代の複数の資料がありますから、ボノドとメルガキカクの話は以下のようなモノだった思われます。
まずメルガキカクという女性は実在しません。ボノドという男性もストーンサークルを造ったワケではありません。
ボノドはストーンサークルを建造したコノトン族によって捕虜になった移住者です。コノトン族は先にストーンサークルによって暦を判断する方法を布教に来た聖職者から得ていました。
しかしコノトン族はストーンサークルは観測機器というよりも、神意を示してくれる宗教施設のような捉え方をしていました。
そこでストーンサークルを神々に捧げて正しい季節の移り変わりを教えてもらうためにボノドを人身御供として捧げたのです。
ボノドは殺されると一番南の石の下に人柱のように埋められました。
後世、フィシュ州の南のナデルフェト州はリファニア王家の施策もあってイス人勢力が温存されたので新たな移住者は金が産出したフィシュ州に殺到しました。
移住者の勢力に圧倒されだしたコノトン族は我々は昔から移住者とは和気藹々とした関係を築いていたのだから、それを守って我々の生活圏を保証して欲しいと移住者に要求しました。
ボノドとメルガキカクの話はその時代に作られた”お話”です。
無論シェルヴィス神官はそのことを知っていましたが、子供達を怖がらせないように”いい話”の方を語ったのです。
注:リファニアの麦
リファニアでは小麦、大麦、ライ麦、エン麦といった現在の世界でも知られている麦の全てが栽培されています。
これらの麦は米とは異なり全て属の段階で異なっており、お互いに交雑できない別種の植物です。
このことから英語では麦に相当する単語はありませんが、リファニアの”言葉”でもそれは同じです。
小麦はコーカサスからメソポタミアにかけての地域で一万年前に栽培が始まった最も古い穀物でその栽培の歴史の中からかなり多くの種類を生み出しています。
リファニアで栽培されている小麦は二系統あります。一つは一般的なパン小麦です。数多い小麦の品種の中でパン小麦は耐寒性に優れているのでリファニアでも栽培できますが肥沃な土壌を要求することを含めてリファニア南西部が栽培の中心地です。
もう一つの系統はスペルト小麦です。スペルト小麦は殻があることから耐寒性が高く、パン小麦ほどの肥沃さを求めない小麦です。
スペルト小麦は中世ヨーロッパでも広く栽培されていました。グルテンの配合もパン小麦に近いことから同じようなパンを作ることができます。
一見スペルト小麦は寒冷で土壌が薄く肥沃さに欠ける耕作地の多いリファニアに適した小麦のようですが、パン小麦と比べると脱穀に難があり農作業に手間がかかります。
このために少しでもパン小麦の栽培が可能なら農民はパン小麦を栽培しようとします。
スペルト小麦の方が耐寒性があるといっても、パン小麦と比べてましという程度です。そして農民にとって小麦は頭から年貢用という思いがあります。
そのため小麦は出来るだけ手間暇はかけることなく栽培して他の作物に傾注したい為に、スペルト小麦の栽培は土壌がパン小麦に適さない場所かパン小麦栽培の北限に近い場所となります。
大麦は小麦より耐寒性が高く、小麦が栽培できないような地域では年貢として納められるのは大麦となります。
大麦は大きく分けて二条大麦と六条大麦がありますが、リファニアで多く栽培されているのは二条大麦で一粒が大きな大麦です。
リファニアで栽培される二条大麦と六条大麦の品種は二条大麦の方が高い耐寒性を持っています。
単位面積当たりの収量としては六条大麦の方が多くなりますが、大麦が凶作になると農民はかなり困窮してしまいますので二条大麦の方が農民には好まれます。
大麦はグルテンがないためにパンや麺には出来ませんが、煮たり焚いたりすればそのまま食べることが出来る簡便さを持っています。
リファニアでは大麦の粥はパンと並んで準主食という立ち位置になります。
祐司は王都では大麦の粥にしないで麦飯にしてもらい、焼き魚に醤油代わりの”チキバス”と呼ばれる魚醤をかけ、時に大麦から作られたリファニアの”もろみ”である”トルスカン”で麦飯を食べて疑似和食を楽しんでいました。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光12 寒参り 四 -ジェレルド村、魚醤との出合い- 参照)
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト16 バーリフェルトの虹 参照)
祐司は何故リファニアの人間は麦飯にして食べないのか不思議に思っていますが、そういった食文化だとしか言いようがありません。
さて大麦の用途としてビールがあります。祐司の世界と同様にリファニアのビールも大麦の麦芽が主原料です。
リファニアではそれこそ子供までが水かわりに飲用するビールの原料なので、栽培北限ギリギリまで大麦畑が見られます。
大麦には二条大麦と六条大麦以外にハダカムギがあります。
麦の類は千二百年前に始まったヘロタイニアからの移住者が栽培技術とともに持ち込みましたが、ハダカムギの伝播は新しく六百年前のリファニア王家分裂時代にネファリア(北アフリカ)のアサデル人移民によって伝わりました。
本文で王都でのパーヴォットの家庭教師だったヘルヴィが”南王ハニパルトが、ヘロタイニアからもたらした”と言っていますがこれは間違いです。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲26 十二所参り 二十 ハダカムギと巡礼の母娘 参照)
食味の関係からかハダカムギは大麦の中では人気がなく、農家が地味の痩せた場所でついでに栽培しているような感じです。
しかし飼料として優れていると判断されており、馬にここ一番の勝負と思えるような時に与えます。
リファニアの庶民にとって一番身近な食材はライ麦パンです。
ライ麦はグルテンを含まない為に小麦パンのようには膨らみません。その為にライ麦パンは目の詰まった重量感のあるパンになります。
また色合いが黒っぽくなりますが、これは全粒粉や胚芽を含む精製度の低い粉を使うことによります。
全粒粉や精製度の低い粉を使用する理由は、ライ麦パンの場合は麦の旨みを味わえるパンができるからです。
そして堅めのライ麦パンは食べごたえがあって腹持ちがいいことと、酸味があって長持ちすることから、燃料の節約の意味で一度に大量の焼き上げて保存しておくことが出来る実にリファニア庶民の主食としては適したパンです。
ヨーロッパでは十九世紀に小麦の品種改良と農業革命で小麦の収量が増加するとともに新大陸から大量に輸入され出すと、小麦の柔らかい白パンは上等であり黒っぽいライ麦パンは黒パンで下等なパンとされますが、東ヨーロッパではライ麦パンが好まれますので味に優劣があるワケではありません。
ライ麦は大麦よりさらに耐寒性があるので、それこそリファニアで農耕が出来る場所ではくまなく栽培されています。
気候による豊凶差が少ないので小麦を主力にするような温暖な地域でも、いざという時に頼りになるライ麦が栽培されています。
食べ残して古くなったライ麦パンはお湯に溶かして麦芽や酵母によって発酵させることが出来ます。
するとアルコール度数が一から三パーセント程度のビールに似た低アルコールの酒が出来ます。
これはロシアやウクライナで現在も飲まれているクワスと同種のもので、リファニアでは”ライ麦ビール”といい代用ビール扱いです。
都市部では余った食材は残飯屋に売られますが、農村部ではビール代わりにこのような飲料物を飲んでいます。
ライ麦の欠点としては麦角菌が寄生することです。麦角菌はアルカロイドを作り出して、ライ麦パンを食べて人が中毒を起こします。
(第三章 光の壁、風駈けるキリオキス山脈 キリオキスを越えて8 ヌーヅル・ハカンの”情けは人の為ならず” 四 参照)
ライ麦よりさらに耐寒性があるのがエン麦です。
ライ麦もそうですがエン麦は元々は小麦や大麦畑の雑草でした。ところが天候が悪く小麦や大麦が全滅しても育っていたので次第に作物化されました。
ライ麦は畑の姿を初めて見た人でも作物であると認識するでしょうが、エン麦は今でも雑草と見間違うような外観をしています。
野生種はカラスムギで日本でも一般的な雑草です。
作者はカラスムギの穂を炙って食べられるか試したことがありますが、飢饉の時であれば食糧になるだろうという感じでした。
またネットで見るとオートミールなどにして結構食されています。
エン麦はグルテンを含まないのでパンにすることは出来ません。(ライ麦もグルテンを含まないが同種の働きをするグリアジンを含む)
食用にする場合はエン麦を押し潰してオートミールとして食しますが、リファニアでの主な用途は馬糧です。
エン麦は麦の仲間では最も悪条件に耐えるので、ジャガイモを除けば農民の最後の砦のような作物です。
ただ平年作の時にエン麦を食べるとなるとかなりの貧窮者と見られます。




