光の歩み11 ”蚋(ぶゆ)”と”水蠆(やご)”の算段
マルタンにおけるモンデラーネ公側間諜組織の現地中枢の代書屋コルネドとビール醸造業者のエッカルトは長年街角で情報収集を行っていた焼栗売りのメルベル婆さんが、おそらく王家の間諜組織により排除されたということから善後策を探し続けていた。
「何故今になって消すんだ。何気にメルベル婆さんにガセを掴ませ続ける方が向こうには利用価値があるだろう」
エッカルトはそう言って口をしかめた。
「メルベル婆さんがガセじゃないネタを掴みかけていたとしたら」
コルネドが問うたことにエッカルトは少し姿勢を正した。
「メルデル婆さんは何か報告してたのか」
「ああ、メルベル婆さんは焼き栗売りをしながら半分くらいは勅使ルクヴィスト子爵デンゼバ・ハルヴィルドの随員の顔を覚えていたんだ。
すると顔を覚えていた随員がしばしばドナト神殿の裏の通りにやってきては気が付かれないようにして何処かの家に潜り込んでいることに気がついたんだ。
それで随員がどこの家に行くのかを探れと命じておいた。随員が七子に接触している可能性がある」
マルタンのモンデラーネ公間諜組織も馬鹿ではないので、勅使ルクヴィスト子爵デンゼバ・ハルヴィルドに従って王家の間諜やその援助者がマルタンに入り込んでいると警戒していた。
コルネドはモンデラーネ公間諜組織”ブユ”に属する焼き栗売りのメルベル婆さんに命じて勅使ルクヴィスト子爵デンゼバ・ハルヴィルドの随員らに怪しい動きはないかを探らせていたのだ。
「随員は若い男が多いので、何人かは町家の娘といい仲になっているらしい。案外そんなところじゃないのか」
エッカルトはコルネドがメルベル婆さんに七子のことを探れと命じたことに懐疑的だった。
エッカルトはコルネドが最近組織がじり貧になってきて誇るような成果どころか日々の情報収集にも支障が出ていることで上層部から叱責されており精神的に追い詰められて一発逆転を追い求めていると判断していた。
「やってくる随員が一人ならな。ところが少なくとも三人の随員が日々立ち替わってやってくるということだった。だから仲良くなった町娘に会いに来るような事案ではないと分かる」
コルネドは少々牽強付会気味だった。
「町娘が蓮っ葉だったり、三人姉妹ってこともあるだろう」
エッカルトの疑念にコルネドが黙っているので左手で顎をさすってしばらく天井を見上げていた。
「五日前に姿を消した行商人のバルデンもドナト神殿辺りを探っていなかったか」
エッカルトはコルネドが焼きが回っていると思ったが、突然気になることを思い出した。
バルデンという行商人は二系統あるマルタンのモンデラーネ公側間諜組織のうち”ヤゴ”と呼ばれる組織の者である。
”ヤゴ”は積極的には動かずにただ耳にした情報を集める組織で、一般に草と呼ばれる者で構成される組織である。
それが七子の情報を得るために行商人という立場を利用して自ら情報を集めることに受持していたのだ。
「そうだ。ようやく気が付いたか。バルデンはドナト神殿の西側でそれとなく聞き込みをしていた。偶然でないと考える方がいいな」
コルネドが薄ら笑いを浮かべながら言う。
「急いでメルベル婆さんとバルデンを消すからには二人は真相に近づいていたということか」
エッカルトは少し前のめりになった。
「もしそうであって”蜘蛛”があわてて消したとなると、”蜘蛛”は焦っているのかもしれない」
コルネドはやや希望を込めて口にした。
コルネドがいう蜘蛛はマルタンの王家側間諜組織のことである。
読者の皆さんはすでに知っているように祐司の遊び仲間であるマルタン市庁舎のペヘヅ・キアフレドはこの組織の一員であるが、彼等王家側間諜組織の者はモンデラーネ公側間諜組織を”蠅”、自分達のことを”蠅取蜘蛛”と自称している。
ペヘヅ・キアフレドは”蠅取蜘蛛”のうち王都から来た夫婦者で居酒屋を営むルヴァルドとフェリシアの夫婦に、七子の事を調べているモンデラーネ公側間諜組織の者を二人ばかり始末するように命じていたがこれが実行されたのだ。
(第十九章 マルタンの東雲 光の歩み3 迎日祭とモンデラーネ公の七子 下 参照)
メルデル婆さんは間諜の仕事をしているが家族には完全に秘密であり、見た目は孫を可愛がる近所では気さくで親切な年長者である。
また行商人のバルデンも傍目には気張って商売をする子煩悩な家族思いの男性である。
この二人を殺害するとなると家族は悲嘆にくれるだろう。特にバルデンの家族は”ヤゴ”が支援してくれなければたちまち困窮してしまうかもしれない。
そのようなことをまったく気にせずにルヴァルドとフェリシアは人を殺害できるサイコパス的な資質があるので暗殺任務を担当していた。
暗殺要員は人を殺害する技術を持っていることは重要だが、最も必要な資質は人を殺すことに躊躇することがなく殺害相手に感情移入することがないという人間としては壊れていることが必要である。
「もしくは関係の無い場所で二人を消して陽動しようとしている。しかし二人は七子のことを探っていたんだ。そのことから必ず七子は実在する可能性が高い」
コルネドはエッカルトに頭を近づけて言った。
コルネドは本来の”蝿取蜘蛛”の目的である陽動という正しい答えを口にしたが、すぐに別の要素に思考が飛んだ。
「ところでバルデンは自分で逃げた可能性はないのか。あるいは蜘蛛に寝返ったとか」
エッカルトの質問にコルネドは妙に自信を持って答えた。
「大丈夫だ。バルデンのかみさんはバルデンがいなくなったと大騒ぎだ。裏切るなら嫁と子供を先にどこかに逃がすだろう。嫁や子を棄てるなんて度胸はバルデンにはない」
寝返りが出てくるようなら間諜組織としてはゆゆしき状態で、自分達の安全も危うくなっていることなので、それを否定したいがためにコルネドが決めつけるように言ったのではないかとエッケルは感じた。
「ところで急に来て貰ったのはメルデル婆さんとバルデンの話だけではないんだ。実は今日報告に来る筈のワゼドルが来ない。朝一番に来ることになっていたんだ。あいつはドナト神殿の東側の聞き込みをしていた」
コルネドは小出しにするように悪い情報を口にした。
「ワゼドルは腕に覚えがあるだろう。面が割れているだろうから用心していたはずだからどこかに隠れているんじゃないか」
エッカルトは腕を組みながら言うが希望的な言葉である。
ワゼドルとは渡世人崩れの一匹狼のヤクザ者である。渡世人の中に法律の向こう側にいってしまう行為をしたり、仲間内に不義理をして破門される者がでることがある。
こうした者は大概ヤクザ者となってしまう。現代日本人の目からは時に暴力をともなう威圧的な態度で問題解決をはかるリファニアの渡世人とヤクザ者との区別はほとんどないように思えるがリファニアではまったく異なった存在と認識されている。
渡世人は法ギリギリの場所までは行くが法のこちら側の人間であって、渡世人が堅気の職に衣替えしても違和感はない。
しかし一旦ヤクザ者と認識されると、どこか遠方に移って自分を知らない場所でコツコツと下っ端仕事をしながら過ごさないかぎり堅気の人間に戻ることは出来ない。
その為にヤクザ者となった者はヤクザ者の組織に入るか、賭博を主にした借財の取り立てや家賃滞納者の追い出し、公にしたくない人捜しといった仕事を単独でする。
ヤクザ者の組織に入らずに単独行動する者がいるのはそういった人間の需要があるからだ。
リファニアでは官憲は渡世人は鬱陶しいこともあるが使い出のある存在として扱うがヤクザ者は犯罪予備軍の扱いである。
そこでヤクザ者の組織に入っている者が犯罪行為を犯すと、組織犯罪と決めつけて何人かを連座で捕らえようとする。
またヤクザ者に何事かを依頼した者も犯罪教唆の罪に問われることがある。
そこでそう大事でなければヤクザ者の組織から単独のヤクザ者へ仕事が回ってくるのだ。
ワゼドルはそんなヤクザ者でモンデラーネ公側諜報組織の”ブユ”の仕事を時々請け負っていたのだ。
「隠れているだけならいいが。ワゼドルは死んだメルヒオンの女だったエベネルって女から話を聞き出していたところだ」
コルネドの話にエッカルトが少し興味を示したように訊いた。
「で何がわかったんだ」
「メルヒオンはエベネルに王都で贅沢な暮らしをさせてやると言ってたそうだ。お姫様につかえる侍女になれるってな」
「侍女になれる女なのか。エベネルってのは」
コルネドとエッカルトは会話しながら自分達の言っていることに、七子へのヒントがあることに気が付きはしなかった。
メルヒオンがエベネルに王都で侍女になれると言ったのは、真実の一端を示しておりまったくの軽口ではなかったのである。
「いいや。普通の子持ちの三十女だ。仕立屋の女房でメルヒオンは間男だった。侍女なんぞになれるような女ではない。せいぜい女中差配だろう。
気になるのはエベネルって女はメルヒオンが死ぬ前頃に、おざなりな構いしかしてくれなくなっていたから好きな女が出来たと思っていたと話していたことだ。
メルヒオンは金づるになる女を見つけたと何度かエベネルに言ってたらしいが、ワゼドルはメルヒオンがその女に惚れたんじゃないかと言っていた。
その時期が丁度メルヒオンがオレに七子の手がかりを見つけたと売り込みに来ていた時期とあうんだ」
「後悔先に立たずだがその時に少しばかりでも探りを入れていればな」
エッケルトが悔やむように言った。
「今更なのはわかっている。でもメルヒオンは確かなことを知るためだとしてかなりの金を要求してきた。
しかしあの頃はメルヒオンが金に困っていたのはわかっていたし、メルヒオンが自分で仕立てたガセネタを持ち込んできたのは一度や二度じゃない。だから物証を持って来いと突っぱねた。
お前だってメルヒオンは信用三分ほどの男だから、持ち込んで来る話にすぐに乗るなと言っていただろ」
コルネドはたしなめるよな口調だった。そしてあらためてエッカルトに事情を説明しだした。
「メルヒオンが七子を見つけたとしたらその女かその周囲にいる人間だと思う。オレがメルヒオンの話に乗らなかったので、メルヒオンは直接脅かしをかけて金をまきあげようとしたと思っている。
それはかなり成算のある話だったのだろう。だからメルヒオンは自分の女に王都で贅沢な暮らしをさせてやるなどと言ったのだろう。
兎も角メルヒオンが関わっていた女が誰かわかることが七子への唯一の手がかりだ。そこでワゼドルにメルヒオンの知り合いにもう一度聞き回れと命じたんだ」
「メルヒオンを殺したのは七子かその周囲の者か?」
エッカルトの質問にコルネドは肩を竦ねてからしゃべり出した。
「わからん。何しろメルヒオン殺しは迷宮入りだ。メルヒオンには敵が多すぎた。しかし殺すほどの動機となるとどうかな。
メルヒオン殺しを自分なりに考え直してみたんだが、メルヒオンが殺されたのは人家もないゲレ川の土手だ。
そんな場所にまだ夜が明けるか明けないかという時間帯に行っている。わざわざ誰かと待ち合わせるか呼び出されたと思う。
言い争ったような様子はなく突然刺されたらしい。最初から殺そうと思って呼び出して不意に一突きとなると明確な殺意があったとしか思えん。
そしてメルヒオンは相手が自分を殺害しようなどとは想像もしていなかったので、抵抗することなく一撃を喰らった。
そうなるとメルヒオンが強請っていただろう七子かその周辺の犯行っていうのがもっともらしい。
だが奉行所は嗅ぎつけていないが、エベネルの亭主が間男のメルヒオンのことを知っていたようだとワゼドルが言っていたからエベネルの亭主は嫌疑大だな。
そうだとするとメルヒオンの言っていた七子はまったくの作り話という可能性もある」
「自分で呼び出した。もしくは呼び出された相手が浮気相手の亭主だと用心するだろう。エベネルの亭主ってのは下手人としては芽がないだろう」
エッカルトは懐疑的に言った。
「別の人間の名で呼び出して不意打ちを食らわせた可能性はある」
コルネドはエッカルトの言うことを予想していたようにすぐに返した。
「たらればの話になっては先に進まない。ところで亭主はエベネルって女を責めていないのか」
「責めていないから嫌疑大かな。お前が女房の間男を殺したら女房を責めるか」
コルネドはエッカルノの質問に自分から新たな質問をした。
「いや。女房があんにオレの仕業と感づきながら黙っていたら、何事もなかったかのようにするさ」
リファニアの社会では夫が妻に浮気されると、妻と間男にかなり手荒いことをしても司法からはお目こぼしになる。
しかし妻に浮気されることは夫として恥辱であるので、身も心も持って行かれた妻を再度自分に振り向かせるのが男気のある行為だとされる。
エッカルトが何事もなかったようにすると言ったのはリファニアの一般的な男性の心情である。
「エベネルの亭主がメルヒオン殺しの下手人という線は相当あると思っていた。だから七子の話はメルヒオンの作り話とも思っていた。
ところが自分で言い出したことを打ち消すようだが、メルヒオンをことを再度調べていたワゼドルが今日来なかったことでオレの考えが少し変わったんだ。
矢張り七子がマルタンにいて七子かその周辺のメルヒオンが油断する相手が口封じの為にメルヒオンを殺したんじゃないかとね。
それに”蜘蛛”の動きが活発だ。モンデラーネ公にとって都合の悪い人間は王家にとっては都合のいい人間だ。
だから七子を守る為にこちらの手駒で真相に近づいた者を次々に消しているんじゃないかとね」
コルネドの話にエッカルトは渋い顔をした。
「兎に角最近やられっぱなしだ。ワゼドルもやられたとなるとこの一年で八人消されている。こちらに寄りつかなくなった者も何人かいる」
マルタンにおける王家側の間諜組織”蝿取蜘蛛”が専属のプロで構成されているのに対してモンデラーネ公側の間諜組織”ブユ”と”ヤゴ”は現地の人間をふわっと包んだような組織である。
”ブユ”と”ヤゴ”はコルネドやエッカルトのような専属メンバーは少なく、金銭で雇った人間をその場その場で使用することが多い。
リファニアが戦乱の時代を経るに従って州を一元支配するような大規模領主に収斂されてきている。
それに伴ってマルタンの幾多の領主の間諜組織も大が小を潰すようになってきており、潰された間諜組織の人間が潰した間諜組織に使われることが多い。
”ブユ”や”ヤゴ”の末端構成員はこのような出自の人間が多いが、利がないと見れば容易に離れていく。
「端金で動く奴はいらないさ。端金でいとも簡単に寝返る」
コルネドが投げ捨てるように言った。
「端金も送ってこないんだろう」
エッカルトは自嘲気味だった。
「いや。金貨六十枚を送ってきた。それを半分持って来た。バンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様のことがあるから情報を集めて出来れば逃がせという命だ」
*バンガ・セレドニオルはモンデラーネ公の乳母兄弟シュテインリット男爵の嫡男でモンデラーネ公が期待する若き武将だが”北西戦役”で落ち武者になり、神学校に侵入したときにパーヴォットに棍棒術の一撃を受けて捕縛された。オパデバ・ビオンネリーナは現ノシェット男爵の妹で神学生。パーヴォットを害しようとするが反対に屋根から転落して捕縛された。
(第十八章 移ろいゆく神々が座す聖都 マルタンの光と陰10 敗残の武将、バンガ・セレドニオル 上 参照)
(第十八章 移ろいゆく神々が座す聖都 マルタンの光と陰37 マグラの巫女十八 調書⑪ -12月18日未明- 参照)
「二人ともマルタン奉行所にいるんだぞ。金貨五百枚で頼まれても逃がすのは無理だ」
エッカルトは大仰に手の平を開いて体の前で左右に腕を振りながら言った。
「バンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様のことに全力を尽くして七子のことは今は手出し無用というイルデフォン子爵様からの直々の命も来ている」
コルネドが名を出したイルデフォン子爵は現在モンデラーネ公の間諜組織の長である。
”バナジューニの野の戦い”に付属した”余録の戦い”で討ち死にしたシュテインリット男爵にかわってモンデラーネ公の間諜組織を引き継いだ。
これはシュテインリット男爵の世子が幼少だったために、他家に重要任務を振り替えなけらばならなったからだ。
しかし二代に渡って間諜のノウハウを蓄積したシュテインリット男爵とは異なりほとんど間諜に関する知識も経験の無いイルデフォン子爵には荷が重すぎる役だった。
また間諜組織の中枢部がシュテインリット男爵家の家臣からイルデフォン子爵家の家臣に入れ替わったが彼等も暗中模索といった感じだった。
これは中世封建制度の欠点で家単位で専任任務を行っていると、任務を行う家を変えるとヘッドとともに体幹をなすスタッフも入れ替わってしまう。
残っているのは現地のスタッフだけであるが、現地スタッフは長年シュテインリット男爵家の担当家臣と個人的な信頼で繋がっていたのでイルデフォン子爵の家臣とはまず顔つなぎから始めなければならなかった。
このために一気にモンデラーネ公間諜組織は弱体化しており、王都ではほぼ有効な活動は出来なくなっている。
そして次から次へと偽情報を掴まされているが、そのことを正当に評価することもできないほど組織として凋落している。
それは程度の差こそあれマルタンでも同様だった。
「しかし今の状況を打破して起死回生を狙うには七子しかないだろうな。バンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様の件は牢番に金をつかませて様子を探るぐらいで精一杯だろう」
そんな劣勢を意識しているエッカルトが言う。
「それはした。ところが罠だった。牢番に金を掴ませようとしたこちらの手の者が二人捕縛された。
牢番を買収するだろうくらいは誰でも思いつくからな。でも何もしないワケにはいかないので下っ端にやらせた。下っ端といっても動かせる者はもう数少ないから手痛かったがな」
「二人パクられて手痛いとはブユも落ちぶれたものだ」
エッカルトは半ば呆れた口調だった。
これはエッカルトは上司の手前何事かをしないわけにはいかなかったコルネドを同情したからこそ口にした言葉だった。
ブユとはマルタンで活動するモンデラーネ公間者組織のうち積極的な諜報活動や工作を行う組織である。
リファニアのブユはカナダ北極圏のツンドラで夏季に活動するブユと同種のブユで大群をなす。
リファニアで夏季にツンドラ地帯に入る場合はブユが群れている場所がないかを常に意識しておく必要がある。
ブユは衣服の隙間を見つけては忍び込んで吸血することから、間諜組織としてはブユのような働きをする組織でありたいと名付けられた。
「”ブユ”は大方 面が割れていると考えた方がいい。だから”ヤゴ”を動かすしかない。ここが正念場だと思って頼むぞ」
コルネドはエッカルトが嫌がることを口にした。
「この件で草が根絶やしになったらどうする。それに何をさせようというんだ」
コルネドはエッカルトの方が上位なので苦々しくも聞いた。
「いざという時に働くのが草だ。いざというのは今だろう。直接バンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様に連絡をとるのが難しいとしても、まず牢内の様子を知っている人間に近づいて情報を集めて欲しい。
それからメルヒオンが通じていたエベネルに接近して再度メルヒオンがどんな情報を持っていたのかを聞き出すんだ。
今が”ヤゴ”の働き時だ。バンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様奪回と七子探しの両にらみだ」
”ブユ”は積極的に動く回るが、”ヤゴ”は水中に身を潜めて時に自分の体ほどもある魚まで捕食することから、草は隠忍していざという時に大きな仕事をなすものだということで名がついた。
「草といっても積極的に動けるような奴で残っているのは五人だぞ。王家の草はおそらくその三倍ではきかないだろう。
何年も王家側の草を探しているが、王家の草ではないかと目をつけたのは居酒屋のカリネルって女だけだ。
わかったといっても殺されたメルヒオンがカリネルの店に執着していたからメルベル婆さんが聞いたら、メルヒオンがカリネルが草だから探っているといった話だけが根拠で確かな証拠など何もない。
メルヒオンがカリネルって女に横恋慕していた言い訳という方が本当らしく思える。人妻と不倫するような奴はすぐに他の女にも惚れて手を出す。
オレも一度見たがカリネルってのは大年増も突き抜けたような年頃だが、王都生まれのなかなかいい女だ。
それであんたから頼まれたように草に見張らせてしばらくカリネルらを泳がせていたがボヤを起こして店仕舞いしてからまったく動く気配がない。そしてカリネルは今は娘と一緒にジャギール・ユウジの屋敷に逃げ込んだ
ジャギール・ユウジの屋敷がある敷地になるタイストという商人の本宅には勅使ルクヴィスト子爵麾下の王家直参が下宿していて迂闊に手は出せない。
カリネルが草だとしたら勅使ルクヴィスト子爵と一緒に王都に凱旋するつもりだろうが、カリネルが草としてもそんな小物に手を出している余裕はない」
エッカルトは自分の思いを整理するように話した。
読者の皆さんは半ばヤクザ者のメルヒオンが、エジェネルの母親マルハレタに懸想してカリネルに頼まれた渡世人プシェベ・カジェタノから叱りを受けていいたことを知っている。
メルヒオンは仕事もせず女に手を出して自分で動きにくくしていることがバレるのを恐れてエジェネルとその母親マルハレタのことはコルネドには告げずにカリネルが王家の間者らしいから探っていると適当なことを言っていた。
これは偶然あたっていたのだが、コルネドはカリネルと亡くなった亭主のことを調べさせると各地からやってきた神学生から情報を得ていた草ではないかとこれも図星をついた疑いを持つようになっていた。
ただメルヒオンの日頃の行状の悪さからコルネドらは半ばメルヒオンが適当な話をでっち上げているという方の考えにすぐに傾いていった。
そしてそのためにコルネドの頭からは”故郷亭”の女中になったマルハレタと娘のエジェネルのことは完全に抜けてしまっていた。
「まあバンガ・セレドニオル様とオパデバ・ビオンネリーナ様のことについては、オパデバ・ビオンネリーナ様は裁判が終わったら実家のノシェット男爵家が引き取るという事になるだうから積極的に手を出してマルタン守護役のセウルスボヘル伯爵家を怒らせることはない。
このことはわたしが責任を持ってオルベ・デンデルド様を説得する。
問題はバンガ・セレドニオル様の方だ。バンガ・セレドニオル様はおそらく勅使ルクヴィスト子爵が一緒に王都に護送するだろう。
一旦王都で囚われの身になればもうどうすることも出来ない。その道中で奪回するしかない」
コルネドが言ったオルベ・デンデルドとはマルタンにおける間諜組織の長でイルデフォン子爵の家臣である。
もちろん表向きは浪人といういうことになっている更衣家臣である。ただ前述したようにイルデフォン子爵の家臣はまったく間諜に関する経験も知識も無い。
そして普段はマルタンにおらず時にモンデラーネ公家中枢からの指図をオルベ・デンデルドにコルネドに伝えにくるだけで仕事は丸投げしている。
「おいおい相手は百人以上いるんだ。クアリ州を出るまではセウルスボヘル伯爵家の護衛もつくだろう。クアリ州からは北西誓約者同盟のフィシュ州に入る。
フィシュ州でも北西軍の護衛がでるだろうし、フィシュ州にはまったくこちらの手がかりがない。
そしてフィシュ州のネシェルから船で王都まで一直線だ。海に出られたら指一本手出しは出来ない。どこでバンガ・セレドニオル様を奪回するというんだ。万余の大軍でもいなければ無理だ」
エッカルトは溜息混じりになった。
「だからこそクアリ州にいる時しか狙えない。駄目そうなら七子に全力を挙げる」
「本気で出来ると思っているのか。下手に動けばこちらが根絶やしになるぞ」
本気で止めにかかってきたエッカルトにコルネドは薄ら笑いを浮かべると、エッケルトに来て貰った本当の理由を口にした。
「大事なことが一番遅くなったが、昨日イルデフォン子爵様の家臣のキャナン・ルチバドルというお人がマルタンに到着した。それなりの軍資金を持ってな。
バンガ・セレドニオル様奪回の命を帯びている。ただそのお人の判断でバンガ・セレドニオル様奪回を行うかどうかを決める。
そのお人も立場があるからバンガ・セレドニオル様奪還に”ブユ”と”ヤゴ”が全力を出しても無理とわかれば、七子に傾注せざるを得ないのではないか」
「ははん、そういうことか」
エッカルトはコルネドの真意をすぐに汲み取った。
どう転んでも現在のマルタンのモンデラーネ公側の間諜組織ではバンガ・セレドニオルを奪回することなど出来ないので、そのことを納得させるとともに手柄を上がる方策があると焚きつけて豊富な軍資金をキャナン・ルチバドルという家臣からせびり取って七子探索に当てようというのである。
もちろん軍資金の一部はコルネドらの臨時収入になる。
「エッカルト、オレはお前を信用している。この十年ずっとお前を見続けてきた」
少し間をおいてコルネドが口を開いた。
「何だ。あらたまって」
「オレらはモンデラーネ公の家臣ではない。主家が傾けば羽振りのいい店に乗り換えるなど平民ではあたりまえのことだ。最後は我が身がかわいい」




