自治都市シスネロスの街角11 優しき雌猫の誘惑
祭りから帰った祐司は次の朝はかなり寝坊した。起きたのはパーヴォットが神殿に出かけるからと起こしに来たときだった。
遅い朝食を摂っていると宿の亭主がパーヴォットは時間を気にしながらずっと待っていたので、祐司を起こしに行くように言ったということだった。
「あんな可愛い従者さんに心配かけたらダメですよ」
宿の亭主は、笑いながらも祐司に意見をした。
パーヴォットは風呂屋に行く時にドレスを身に纏う。その姿を目撃した宿の亭主はさすがにパーヴォットが女の子だと知っていた。
ただ、宿の亭主として客の言いたくないことには口を出さない分別があるらしく祐司にパーヴォットを男装させている理由を聞いたことはなかった。
「明日、早朝の出立ですので、ここで精算をお願いできますか。今日の夕食と明日の朝食、それに明日の昼食用の弁当代込みでお願いします」
祐司は苦笑いしながら、話を逸らすために精算を亭主に頼んだ。
祐司は精算が済むまで時間つぶしに部屋にもどって荷物をまとめた。これは何気ない行動だったのだが後で考えれば、一日早く宿の精算を頼んだことと合わせて祐司とパーヴォットに大きな幸運を与えた行動になった。
祐司は宿の精算を済ませると、短槍と刀を持っていつも出かけるモサメデス川沿いの土手に向かった。
短槍と刀を持って出かけるのは自衛のためと、少しばかり野外で武芸の鍛錬をするためである。
シスネロスの西にある正門から出ると数百メートルに渡りきれいに樹木が刈り込んである。市壁に接近する者に遮蔽物を与えないためだ。
シスネロスを取り巻く森は市参事会の管理下にある。計画的に薪炭を供給するために、落ちている柴を採集する以外に個人での伐採が禁止されている。
スヴェアやヨスタの話ではリファニアでも石炭の存在は知られており小規模な炭田が開発されているらしい。
ただ、輸送費の関係から石炭は薪炭に比べると高価であり、石炭の利用は限られている。シスネロスでも鍛冶屋や特別な料理屋といった高温を必要とする場所以外では石炭を見ることはない。
祐司は街道を歩きながら、切り株だらけで疎林と言っていいほどになった周囲の森林を見て祐司の世界で石炭の使用が大規模に始まったのは森林資源の保護という面では大きな助けになったのだろうと思った。
祐司はこの森の中に囲まれたタイタニナに至る街道を暫く進む。一リーグほど行き、道がカーブしているため街道の前後の視界が限られる場所で人影がないことを確かめると祐司は川の方に行くために右に街道をそれた。
そのあたりはかなり鬱蒼とした灌木の森になっている。
数百メートルほど灌木の中を歩くと祐司はモサメデス川に出た。川の手前は高さが数メートルほどの土手、いわゆる自然堤防になっていた。
祐司が知っている日本の自然堤防よりはずっと小ぶりなのはモサメデス川自体が数千年前のリファニア(グリーンランド)での氷の大融解以降にできた若い川だからろうと祐司は考えていた。
この小ぶりな土手には灌木以外に種々の草が茂っている。祐司はそこでかなりの薬草を今まで採取してきた。
草が繁茂しているようなところでは、緑系統の色の識別に難があるリファニア人にはかえって薬草を探すのが難しいらしく同業者に出会ったことはなかった。
特に豊富にあるのは白羊草とハーブとして使うバーミ草だった。特に珍しい物ではないが需要が多いために必ず一定額で売れる。
祐司は一日の稼ぎを確保するためにそれらの草を採取してから珍しい薬草を探すことにしていた。
祐司が河原に近い場所を薬草の採集場所にしているのは、巫術のエネルギーが溜まった場所が見つかるからである。
巫術のエネルギーがあれば、手際よく水晶に回収した。巫術師自身が自分で意識はしてないが、巫術のエネルギーは自然界から補充される。それを溜め込み、自分の意思で放出することができるのが巫術師である。
しかし、補充する巫術のエネルギーが近くにないと継続して術は発動できない。祐司はこの辺りで巫術師が術を使おうとしたら、ひどく落ち込むだろうなというくらい巫術のエネルギーを回収していた。
祐司は明日の出立のために早めに切り上げるつもりだったが、幸運にもリファニア人が特に珍重する冬虫夏草を見つけることができた。
祐司はシスネロスで買った大きめの麻袋に白羊草とバーミ草を押し込むと、タオル代わりにするために買った古シャツを丁寧に冬虫夏草を巻いてリュックの中に入れた。
祐司は再び人影が無いことを確かめてから街道にもどると急いでアスキナの店に急いだ。
「一シーズンに専門でもないのに冬虫夏草を二つも持ち込んでくるなんて、どんな幸運がついてまわっているんですか」
祐司が持ち込んだ冬虫夏草を見て、アスキナは呆れたように言った。
「ユウジ様、神々がくれる幸運は限りがあります。そして、神々は試練を与えることもあります。旅に出られるということですが神々が与える幸運は取って置かねばなりませんよ」
アスキナは冬虫夏草の対価である銀貨二十枚を数えながら皮肉ではなく真顔で祐司に忠告するように言った。
本質的にリファニアの人間は神々への信仰が厚い。
「ユウジ様が一願巡礼でなかったら監禁してでもこの店で働いていただきました。出立とは残念でございます。また、シスネロスに立ち寄られましたらお越し下さい。是非、薬草の鑑定をお願いします」
アスキナはそう言うと、昼食を一緒に食べようと近くの料理屋に祐司を誘った。そこで、祐司はアスキナからシスネロスの最新情報をあれやこれやと聞いた。
事態は祐司が思っている以上に切迫しているようだったが、戦争という事態に至るまではまだ数日余裕があるようだった。
アスキナは別れ際に祐司に餞別だと言って、店の特製商品である軟膏になった傷薬を大きなイノシシの牙を加工した薬入れとともにくれた。
「ランブルのヤツが人を集めに回っているらしいです。大丈夫だとは思いますが、早めに帰った方がいいかもしれませんよ」
アスキナの最後の言葉には切迫感がなかったので祐司はいつもの集会だと思って聞き流した。
アスキナと別れてから懐の温かくなった祐司は、シスネロスも明日で最後だと思うといつもと違う道を通って宿に向かった。
祐司はいらなくなった宿屋で頼んだ弁当の包みを道端で筵のようなものに座っていた足の萎えた物乞い老人の前に置いた。残り少ない真っ白な頭髪を風なびかせながら物乞いはびっくりした顔で祐司を見上げた。
その時、物乞いからかなりの光が発せられた。
常人の光の量ではなく、明らかに巫術師レベルの光だった。光は線香花火のように斑に身体の周りで弾けると、だんだん収まって常人が出す微かな光のレベルに戻った。
ガス欠になったバイクが何かの加減で急にエンジンが動いたような感じだった。
「にいさん、オレの顔に何かついてるかい」
「大丈夫だ。弁当は腐ったりしていないから」
祐司はあわてて言った。
「ちょうど昼飯にしようと思ってところだ。貰っといてやるよ。兄さん、今日は仕事はあがりかい」
物乞いの老人が、微笑みながら聞いた。
「そんなところだ。シスネロスとももうすぐおさばらだから、何処か面白いところを知ってるかい」
「ルール通りには行ったかい」
「いいや、仕事三昧で行ったことはない。何か面白いものがあるのかい」
「お兄さん、シスネロスへ来て若い男がルール通りに行かない手はないよ。いい娘がお兄さんを待ってるよ」
祐司はここで老人は物乞いではなくぽん引きの類だと理解した。
「ああ、そういうところね」
「そこの角を曲がって少しばかり行ったところがルール通だ。通りに入るとすぐに”黒猫亭”って看板が出てる。お兄さんは初めてだからそこにしな。間違いのない店だ。そんで、リューディナて気立ての良い娘がいるから遊んでもらいな。
この時間なら店の前にいるはずだ。ガオレから話を聞いたと言えばいい。サービスしてくれる」
祐司は女と遊ぶという気はなかったが、娼婦や娼館というものも見ておこうかというくらいの気持ちで老人が教えてくれた角を曲がった。
そして、適当な料理屋を見繕いながら道を進んでいった。いつの間にか今まで来たことのない神殿の裏手の通りにやってきた。
当たり前だが、いわゆる色町といったような風情の場所だった。さすがに、真っ昼間なので人通りはまばらである。時々、明らかに風呂屋帰りと思える二三人連れの女達に出会った。
「黒猫亭か」
そして、祐司は大きいが二階建ての質素な木造の壁とスレートの屋根瓦とも黒に塗った娼館の前に立っている。祐司は濃い灰色の壁に指を押し当ててから指の匂いを嗅いでみた。木タールの匂いがした。
風呂屋帰りらしい若い女が祐司に声をかけてきた。
「あら、お兄さん。胸のおしゃれな鳥の羽はなんなの」
「お姉さんに見せたくて」
女はリファニアでも雪のような白い肌、かなり薄い茶色の髪の毛で青味の強い目の色をしていた。身長は祐司の目分量で百六十センチそこそこだがリファニアの女性では大柄な方になるだろう。
女のにこやかに笑う顔は愛らしくて、祐司は一寸天然な感じがするアイドルのような女だと思った。
「まあ、うれしいわ。ここわたしのお店なの。まだ時間が早いからたっぷりサービスするわよ」
女は”黒猫亭”の娼婦だった。女が素直な感じがするだけに想像していた娼婦のイメージではなかったので祐司は違和感を憶えた。
「お姉さんは、リューディナって名かい?」
「どうして知ってるの」
「ガオレさんから聞いたんだ。リューディナってとってもいい娘がいるって」
「ガオレさんに何処であったの。元気そうだった。かれこれ一年近くも来てくれないのよ」
リューディナは笑いながら言った。
「ガオレさんって巫術師だよね」
「そうよ、本当にわたしのことガオレさんから聞いたの?ガオレさんは傭兵隊の巫術師なのよ。格好いい巫術師の制服を着てたでしょう」
リューディナは不審さを感じたというより純粋に不思議だというような感じで言った。
「いや、オレが会った時は着てなかった」
「へー、そうなの。傭兵隊の制服は気に入ってるからいつでも着てるんだって言ってたのよ」
「実はこんな場所は初めてなんだ。作法がわからない。もちろん相場も」
祐司は興味半分で聞いてみた。
「本当に?お兄さんもてそうだから女に不自由してなかったのね。いいわ、信じてあげる。店に入るときに銅貨十五枚を払って。それから帰るときにわたしにお駄賃を頂戴」
リューディナは、愛想笑いをしながら言った。
「お駄賃の相場がわからない」
「暗くなるまでいても豆銀貨四枚よ」
豆銀貨は銀貨の六分の一の価値である。豆銀貨は大きさは銀貨より一回り小さいだけだが銀の保有率が少なく銅貨にすると十枚の価値である。
平均的な職人の日給が銅貨三四十枚であるので、物価換算で二万円ほどの感覚である。
「オレはそんなお大尽じゃない」
「お兄さんとは馬があいそうだから、銅貨三十五枚に負けてあげる。一刻(二時間)は遊んで行っていいのよ。でも、銀貨三枚なら明日の朝までいてもいいわ。寝ないでちゃんとお勤めするわよ」
銅貨二十五枚は長期滞在で契約した今の宿で一日分の宿泊料金に当たる。銀貨三枚なら七日分の金額である。
朝まで遊べば、現代日本で物価換算で五万円、人件費換算で八万円から九万円くらいの金額だろうと祐司は頭で計算した。
そこそこ高級な店の売れっ子らしい。
「まだ、昼飯食ってないんだよ」
祐司は冷やかしのつもりだったから断る理由で昼食のことを言った。
「じゃ、わたしがつくってあげる。お代はいいわよ」
「つくるって?」
「わたし、そこの店で部屋を持ってるの。そこには部屋持ちの女が交代でみんなの食事をつくるの共同調理場があるの。さあ、いっしょに来て」
リューディナは祐司の手を取ると玄関の戸を開けた。中はホールのようになっていた。壁際にホテルにあるようなカウンターがあり目つきの鋭い半分頭のはげ上がった中年の男が椅子に座っていた。
男は商人分のゆとりのある服装をしているが顔つきは明らかに堅気ではなくいざとなったら本性をむき出すよという感じだった。
「マスター、お客さんよ」
「リューディナ、今日はあまり人出が少ないから店を閉めようかと思ってたんだ。精々サービスしてやんなよ」
中年男はぶっきらぼうに言った。
「わたしも変だと思ってたの。なんかあったの」
「相変わらずリューディナは気楽だな。ランブル組が動員をかけたんだよ。風呂屋に行ってたから知らなかったようだが、半刻ほど前に知らせがあちこちに出向いて大声を上げてたよ。
それで、いつも昼の安い時間に来る見習い職人や召使い連中がこないんだ。傭兵も警備で非番の奴らも引っ張り出されたそうだ。他の女は部屋でふて寝してるぞ」
「ねえ、お兄さん。マスターに銅貨十五枚払ってね」
「いや、まだどうするかは」
祐司はまだ躊躇っていた。
「あんた一願巡礼かい。この店に初めてきた一願巡礼さんだ。一願巡礼さんには勉強しない手はない。それに、店を開けて客がこないまま閉めるのは、この商売では一等ゲンが悪いんだ。銅貨五枚に負けておくから遊んでいってくれないか」
マスターの言葉から断る理由を言い出せなくなった祐司はとうとう財布から銅貨十五枚を取りだした。
「銅貨五枚では気の毒です。でも、負けていただくのはうれしいですから痛み分けにしませんか」
祐司はマスターに銅貨十枚を支払った。
「お兄さん、粋だね」
リューディナは祐司の手を取ると階段を降っていった。リューディナの部屋は地下にあった。
「静かでいいでしょう。表でお祭りがあっても大丈夫。もちろん中からもね」
僅かに天井近くに開けられた明かり取りの窓の光が頼りの部屋で目が慣れなるまではただの薄暗い穴蔵だった。
突然、リューディナが祐司に飛びついて接吻した。祐司はリファニアに来てからいつも同じような目に会うなと思った。
「お兄さん、名前は?」
リューディナが聞いた。
「祐司、ジャギール・ユウジ」
ベッドの上で丸太のようになった祐司は上を向いて力なく言った。
「ごめんね。ユウジさん。お腹が減ってたのに餓死寸前みたいにしちゃって。直ぐに食べるものを持ってくるわ」
リューディナは暫くして、ランプといっしょに固い黒パンを細かく砕いて牛乳で茹でたおかゆのようなものと、干し肉を炙ったものを持って来た。
「ごめんなさい。今日、買い物に行く予定の子がまだ行ってなくて碌なものが残ってなかったの」
祐司はベットからようやく起き上がると狭い部屋に置かれた小さな机の上の食事を摂るために椅子に座った。リューディナも向かいの椅子に座ってポットにいれた素朴な味のリファニアビールをカップに注いでくれた。
「いただきます」
おかゆは上手に味付けしてありあわせ料理にしては美味しかった。
祐司はアスキナに奢ってもらった昼食で十分に腹はおおきくなっていたが、折角の食事を残すのは拙いと思ってなんとか腹に押し込んだ。
「さっき上で聞いたんだけど街中でちょっとした騒ぎあったらしいわよ」
食べ終わった祐司にリューディナが言った。
「何事だい?」
「モンデラーネ公の使者の宿舎が襲われたんですって。でも、マスターの話じゃ傭兵隊や市民軍が警備を強化しているから大丈夫だって」
リューディナの口調は知り合いのおばさんが転けた程度の軽さだったので祐司は、その事態の深刻さを気に留め損ねた。
「ぶっそうだな。それよりさっきの料理美味しかったよ」
「もうすぐお金が貯まるから足を洗うわ。だから料理も勉強してるの」
リューディナは誰に言うことなく言った。
リファニアは性に関してはおおらかな世界である。貧窮や掠われて売られたりする女性も多いが、自分で春をひさぐ仕事を選ぶ女もいる。
リファニアの平民社会では結婚にさいして女性は新郎の親に持参金を、男性は新婦の親に結納金を出す習慣がある。
これは、親は子供を育てるために使った費用を回収するのと、自家の労働から解放するという意味がある。
持参金と結納は親が受け取るために結婚する男女で相対にして持参金と結納をなしにするわけにはいかない。
結婚しようとする男女は働き出したら自分で幾ばくかの金を貯めないと結婚ができない。貧しい家の女性の中には手軽に金を貯められるのと、出来るだけ多くの持参金を用意して少しでもステータスの高い男と結婚するために身を売る者がいる。
特に豪の者(女)は、特に気に入った男ができれば無理矢理にでも自分の持参金と男の結納金を両方の親に払って強引に結婚にまで持ち込むという。
祐司はこれらの知識をスヴェアや、とくにこの手の話が好きだったのと、自分でもかなり遊んでいた亡きキンガ師匠から得ていた。
キンガ師匠によるとこの手の女は、よさげな独身の男を狙っているから、優しくされて女に直ぐ入れあげるようなウブな男は手を出してはいけないそうだ。
「実はオレは既婚者だ。子供も生まれる。理由があって離れて暮らしているが妻を愛している」
リューディナの料理を食べながら祐司はあわてて予防線を張った。
「わたしには婚約者がいるの」
リューディナの言葉に祐司は拍子抜けした。
「へー、おめでとう」
「元々傭兵さんをしてた人なんだけど、わたしは、この街で小さな食堂を始めようって言ってるの。でも、その人は仕官したいから余所の土地へ行きたい言っていうんだ。
最後は付いていくつもりだけど、仕官なんて簡単にできないでしょう。どちらにしても頑張ってお金を貯めないとね。ユウジさんも協力してね。だから、このお酒を飲んでみて。銅貨二十枚はするけど良いお酒よ」
リューディナは半分透明のグラスに酒をついで祐司に渡した。酒はアップルワインのようだった。
「今日は十分に遊んでいってね。わたしもうすぐ結婚するから。そうしたら、わたしの身も心もあの人のだけのものになってしまう、わたしで楽しむなら今のうちよ」
「のろけかい。まあ、いいだろう。その前に手紙を届けて欲しいんだが誰か頼めるかな」
「いいわよ。今日はみんな暇にしてるから」
祐司はパーヴォット当てに、知り合った人と意気投合して酒を飲んで帰るから先に寝ておくようにという内容の文章を、ヌーイに貰った矢立を利用して書いた。
その時、ドアをノックする音がした。リューディナが声をかけると入って来たのは、三十前という感じのやつれた感じのする女だった。
「暇だからみんなで飲んでるんだけどお姉さんたちがリューディナ姉さんに差し入れだって」
女は新しい酒瓶を持っていた。声はひどく疲れた様子がした。
「ボティル、ちょうどいいわ。ねえ、小遣い稼ぎしない。手紙を届けるだけでいいの」
リューディナが声をかけると女はこくりと頭を振った。「一寸待って」とリューディナは女を廊下に待たしたまま祐司のもとに手紙を取りに来た。
「あの人、具合が悪そうだけど大丈夫?」
祐司はリューディナに手紙を渡しながら不安げに言った。
「ボティルはまだここで半年ほどしか商売をしてないんだ。先月、堕胎したんだけど金を惜しんで下手な巫術医者にかかってから体調を崩して商売もできないのよ。だから手間賃、お願いね」
「半年?ボティルって人は年は幾つなんだ?」
「十七よ。十六にならないとこの商売をする許可が出ないの」
祐司にとって十七の娘があんなにやつれてしまうのはどのような目に会ったのかということは想像の埒外だった。
祐司は届け先を教えると手紙と一緒に銅貨を十枚ほど奮発してやつれた女に渡してやった。
祐司はスヴェアが巫術を禄でもことに使う医者もどきがいると言っていたことを思い出した。元来、巫術は医業には向かない。巫術のエネルギーを個人に使用すると人を殺めたり傷つけることになる。
ただ、そのことを利用して堕胎を行う術があるという。堕胎を専門にする者を医者と言うべきなのだろうかと祐司は奇異に感じた。
祐司は避妊に関してはまったく無防備なリューディナも堕胎をしたことがあるのだろうかと思ったが口に出すことはなかった。
「お酒が飲みきれなくなるほどきちゃったわね」
リューディナはボティルという少女が持って来た酒瓶を祐司の目の前に出した。
「今日は飲みたい気分だ」
「その後のお楽しみを忘れないでね」
「リューディナはこの商売は長いのかい」
「うん、十五の年にここに来たんだ。最初は下働きしてたんだ。十七でもうこの商売を初めて六年になるよ。
父ちゃんは行かなくて良いって言ったけど、父ちゃんが商売をしくじったんだ。下に兄弟が三人いたし、露店を始めた父ちゃんの稼ぎじゃ持参金は厳しいから自分でなんとかしようと思ったの。
それに、母ちゃんもこの商売してたんだ。それで羽振りがよかった父ちゃんに見そめられたんだ。
だから父ちゃんみたいに優しい男が見つかると思ったんだ。で、やっと優しい男を見つけたんだ。でも、ユウジさんが先に来てくれたらきっとユウジさんと結婚してたよ」
「うまいこと言うね」
「本当よ。下働きは辛かったけど一所懸命にしたんでお姉さんらには可愛がってもらって色々教えてもらったの。ボティルみたいに急にきてわけのわからいまま商売を始めたらと思うとぞっとする。
一番の売れっ子だったお姉さんが教えてくれたのは客は選ばなくっちゃいけないってこと。数をこなすより常連さんをたくさんつけた方がいいって。
ボティルにも忠告したんだけど聞いてくれなかったわ。ユウジさんわたしは客は選ぶんだ。そん中でもあなたは上客だよ」
リューディナはそう言うと祐司を誘うようにウインクをした。
祐司は結局、花代まで含めて総額で銀貨四枚を払うことにしてリューディナに夕食までつくってもらった。そして祐司は酒の働きもあって疲れ切って寝入った。
「おい、今、何刻だ」
目が醒めた祐司は隣で寝ているリューディナに声をかけた。
「多分、第一刻(午前四時)くらいだと思うわ」
「それは拙い」
祐司はあわてて服を着ると洗面器で急いで顔をすすいだ。
「悪いがこれで失礼する」
起きてきたリューディナは祐司に口づけした。
「また、会える?」
「いいや。お別れだろうな。でも、リューディナのことは忘れないよ」
リューディナは玄関まで見送りに出てきてくれた。
「さよなら」
祐司が走って通りの角を曲がるときにリューディナは叫ぶように祐司に声をかけた。
高緯度のリファニア、それも夏に近い時期の午前四時というのは太陽が低い位置ながら顔を見せており、すっかり明るくなっている時間だった。
ただ、明るいからといってやたらと早く働き始めるわけにもいかないために、街が活気づくのはもう少し経ってからのはずだが、 すでに、かなりの人間が通りを歩いていた。
時折、数人ごとに隊列を組んだ傭兵とおぼしき集団とすれ違った。
祐司は昨日と一変した感じの街の様子に次第に不安な気持ちをつのらせた。
宿に飛び込むと、いつも主人のいるカウンターには誰もおらず。食堂を兼ねたホールには数名の傭兵がいた。
傭兵達は食堂の一角に押し込まれた宿の従業員達の信者証明を点検したり何事かを聞いたりしていた。
「おい、ここの客か?」
隊長らしき男が祐司に近づいて聞いた。祐司が気がつくと背後にも二名の傭兵がいつの間にか立っていた。
「はい、一願巡礼のジャギール・ユウジといいます。なにか騒ぎがあったのですか?」
祐司はできるだけ落ち着いて答えた。
「信者証明を見せろ」
「非シスネロス人だ。ご同行願おう」
祐司が取りだした信者証明を一目見るなり隊長は慇懃無礼な口調で言った。シスネロス市民はアハヌ神殿で信者証明を貰う。その証明書の色は青みがかった独特の物だった。証明書の中身を見るまでもなく祐司が非シスネロ人とわかる。
「おい、こいつには同行者がいるか」
隊長が食堂の隅に押し込まれた授業員に怒鳴った。従業員たちが押し黙っているので一人の傭兵が槍を突き出して威嚇した。
「パーヴォットという従者が同行しております。たいそう可愛がっているようです」
仲居の一人が震える声で言った。祐司は仲居が知っているのか知らないのかはわからないが、パーヴォットのことを女だと言わなかったことに安堵した。
「他の客は?それと宿のご主人は?」
祐司はさらに自分を落ち着かせて隊長に聞いた。
「すでに全員、市民防衛隊司令部に出頭してもらった。ここの宿の主人は昨日押し込み強盗に切られて人事不省だ」
祐司の問に隊長は事務的に答えた。
「押し込み強盗?」
祐司は反射的に聞いた。
「昨日の街中の騒ぎに乗じて逃走中だ。残念だが市街に逃亡した可能性が高い」
隊長はゆっくりと剣を抜いて祐司の方に向けた。
「まず、武器をこちらに渡せ。武器は一時こちらで保管する」
祐司は反射的に持っていた短槍で剣を防具するような構えをした。
「抵抗するな。抵抗すると先に市民防衛隊司令部へ出発した従者が痛い目にあうぞ。まあ、従者ごときのことは気にしないかな」
従業員達の真ん中にいた番頭が祐司に声をかけた。
「ユウジ様、武器を渡して下さい。あなたが幾ら強くても傭兵隊にはかないません。ここをしのいでも街中は傭兵や市民軍で溢れております。
お荷物は他のお客様の分といっしょにわたしが責任を持って皆様のお帰りまで保管しておきますからご安心ください」
祐司は短槍を床にそっと置き、刀を隊長に差し出した。短槍と刀は傭兵の一人がヒモで縛って小さな木の札をつけた。その行為から単に没収されるのではなく返却を考慮しているのだろうと祐司は思った。
祐司は捕縛こそされなかったが、傭兵に囲まれて宿から連行された。




