自治都市シスネロスの街角8 ドノバ候
祐司と料理屋で別れてから半刻、ヌーイはドノバ候公邸の地下にある、一部の使用人しか知らない部屋にいた。
「どうだった」
ドノバ候の私邸から出頭してきたヌーイに、五十手前の威厳のある男が挨拶の言葉もなく声をかけた。
簡素な造りの椅子に座ってそうヌーイに聞いたのは、ジャバン公正候-ボォーリー・ファイレル(公正な)・ジャバン・ハル・ホデーン・ホノビマ・ディ・ドノバ、通称ドノバ候、その人であった。
「やはり微量な毒が混入している食材が用いられています」
ヌーイは貴族に対する正式な礼を行うと、事務的に言った。
「やはりそうか。いくら年だと言っても若い頃から風邪一つ知らなかったワシが、立て続けに腹を下したり、微熱が出るなどおかしいと思っておった」
そう言うドノバ候は、最近、用心のために私邸を忍びだしては、古い城塞で暮らしにくいと敬遠していた公邸で晩餐をとっていた。
ドノバ候は”飾り”と言われているが、ドノバ州におけるその政治的価値は決して低いものではない。そして、そのことはドノバ候自身がよく知っており、普通の者なら気にしない体調のちょっとした変化に機敏に反応したのだ。
「心当たりは?」
自分の命を的にした出来事ながら、自身の予感が当たったのがうれしのかドノバ候は少し笑みをもらしてヌーイに聞いた。
ドノバ候とはそのような人物である。
「常識的には特定の人物を狙っていれば内部の調理人か配膳係が怪しゅうございます。しかし、これらの人間はかなり厳選して採用しており、我が手の者も潜ませておりますので考えにくいかと」
ヌーイの口調は相変わらず事務的だった。
「それは信用いたそう」
「毒は特定の食材に偏っており料理を食べる不特定多数の人間に害を与えます。このことから犯人は食材の納入商人かと。
今日、毒の混入していた料理からどの商人か特定できております。ただその商人自身が下手人なのかその使用人が下手人なのかを確かめてから捕縛いたそうと考えております」
ヌーイは暗に判断をドノバ候に求めた。
「ふむ、慎重に確かめてくれ。ただ捕縛する必要はない。食材も続けて購入しろ。食べなければ良いだけだ。それよりも、こちらが毒を食べ続けていると思わせておいて、じっくりと黒幕をあばけ」
ヌーイはドノバ候から指示を得ると催促を始めた。
「ランブル市参事のもとにも数名忍ばせております」
ドノバ候はヌーイの意図をすぐに察した。
「多少人手が足りぬということか。少し金を出すから手抜き無しだ。ただし、今日の費用を含めて書類にして報告せよ」
ドノバ候は支出に対しては細かい。ただし、納得すれば金の出し惜しみはしない。
「ランブル市参事は、大した人気のようだがいつまでも続く嵐はないぞ。さて、ランブル市参事が黒幕という場合はあるか」
ドノバ候の声が少し感情的になった。シスネロスの上層階層でランブル市参事の支持者は皆無である。
より多くの情報を持っている上層階層からすればランブル市参事の言っていることは、額面は正論だと認めても内容の乏しい理想主義に過ぎない。
「ヤツの取り巻きを含めてそこまでは、裏の世事にたけた男ではありません。そもそも密かに政敵を暗殺しようという発想がありません。ましてや、直接敵対しておりませんジャバン様を第一にどうこうしようということはございません。もちろん先入観念を廃してランブル市参事も含めて調査は行っております」
上位の家臣からはドノバ候は名前のジャバンを基本にした名で呼ばれる。下位の家臣からはファイレル(公正な)・ジャバン様と呼ばれる。反対に言えば、ジャバン様とドノバ候のことを呼ぶヌーイはドノバ候の直接指揮で防諜を行う裏高官ともいうべき存在である。
「身内も手を抜くな」
ドノバ候は事も無げに言う。
「ジャバン様を含めてでしょうか」
ヌーイの言葉に、さすがのドノバ候も苦笑いしながら答えた。
「残念ながら自作自演はない。わたしが食した物の記録はあるから調べろ」
「ありがとう御座います。手間が省けました。調べますがお身内は安心かと思います。それにつきましてはジャバン様も御確信がおありかと」
「普通に考えれば一番怪しいのは次期当主のエーリー、次に弟のロムニス。庶子のバルガネンだが、あやつらがワシを密かに亡き者にするくらいの謀議ができれば次期ドノバ侯爵も安泰であったろうな」
「お戯れを」
ヌーイはとっさにそう言ったが、ドノバ候は半ば本気であった。
ドノバ候は家庭内では、形式を嫌い乳母をつけても子供達は常に自分の傍らに置いて育てるという中産階級のような生活をおくっていた。
そのためか、子供達も貴族としてのたしなみは教育されるが父親を身近なものとして育っていた。
ただ、一般庶民と異なっていたのは、正妃との家庭の他に、愛妾との家庭があった。そして、その家庭の庶子の息子バルガネと、嫡子の唯一の娘ベルナルディータを含めて家族団欒というものに親しんでいた。
それを知っているヌーイは、自分を尊敬して家庭円満に務める息子達を不甲斐ない者のように言わねばならないドノバ候の立場に同情した。
「身内の調査範囲は念の為にすぎない。ワシの兄弟、従兄弟連中の嫡子、それも長子まででいい」
ドノバ候は少し声を大きくして言った。
「ありがとうございます。大分、手間が省けますゆえ、本命へ手を割けます」
「お主の考える本命とやらは、ワシと同じようだな」
ドノバ候は悪戯っ子のような目で言った。
「はい、このような手段はドノバ近辺では知られておりませんから」
ヌーイは自分の推測を言葉に混ぜて、誰が黒幕であるかとい意見を言った。ドノバ候が何も言わなかったのでヌーイは別の質問をした。
「費用の程はいかほどまで」
ドノバ候はヌーイの言わんとするところを察すると、ゆっくりした口調で返事をした。
「命に関わることだ。いかなる遠方の調べであろうと金に糸目をつけるな。ただし報告書だけはしっかり出せ」
ドノバ候の言葉にヌーイは平伏した。
「それはそうと、今日は政について新しい知見はあるか」
ドノバ候は、少し温和な顔になって言った。
「はい、公営住宅というものを考えてみました」
ヌーイは祐司との雑談で多くの知識を得ていた。祐司も余計な知識をひけらかさないように用心しているのだが、ヌーイは誘導尋問の達人でもあった。
「今は使っていない兵舎があるな。あれを間仕切りすれば、かなりの部屋ができるぞ。そうだ、新市街の北にいくつか倉庫があるな。船着き場から遠いために、あまり使われていないらしい。その倉庫を買い上げるという手もあるな」
ドノバ候は一人で話を進めだした。
「買い上げるとなると、多少の金が入り用です」
ヌーイはドノバ候が予想以上に話にのってきたのでかえって焦り始めた。
「土地自身に価値があるわけではない。耕地になり、家を建ててこその土地だ。土地に名を刻むことはできないが、倉庫を改良した集団住宅には名をつけることができる」
ヌーイの心配をよそに、ドノバ候はすでに公営住宅を具体的な計画で考え出していた。
「ドノバ侯候営住宅とすれば、家作で稼げるな。それに、ドノバ候の家に今までより安く住めるとなると」
ヌーイは自分から言い出した話なので反対することもできずに相づちを打った。
「はい、毎月、家賃を納めるときにそのことに思いいたすと存じます。民の心証は金で買いがたい物でございます。よい投資かと思います」
「土地が誰の者かは知らなくとも、壁にでもワシの紋章を描いておけば、字が読めぬ者でも建物は誰の物かはわかるだろうしな。面白い。実現させる方向で少し財務方に研究させてみよう」
ヌーイはドノバ候の言葉から、かなり本気であることを察した。
ドノバ候はリファニア貴族の中でも経済観念が発達した人物である。その他のリファニア貴族が経済的な感覚に乏しいわけではない。
むしろ、リファニア貴族の持つべき資質の一つに経済的に領地を上手く経営する能力があげられる。リファニアは太平の世ではない、小規模な戦いがどこかで絶えない世界なのだ。
戦いに勝ち抜く、否、戦いを仕掛けられないような武力を保有し続けるのは先立つ物が必要なのだ。それでいて、貴族の体面があるから、ケチな生活も限度がある。ケチや節約でしのげないとなると収入を増やすしかない。
例えばモサメデス川で渡船との衝突事故を起こして、シスネロスでは嫌われているカリナ子爵は無骨一辺倒と言われる。そのガカリナ子爵でも自分の兵を傭兵としてドノバ州以外に貸し出して収入を得る才覚はある。
江戸時代の大名なら、商人からの借財で凌ぎ、それを踏み倒すという手もある。薩摩藩のように百年を越えても支払い不可能なほどの借財を抱えた藩でも破産したり、商人に領地を差し押さえをされることはなかった。
幕府の財政的に藩を潰さないという方針が幕府の威光と相まって、大名貸しをする商人が最終的に泣きを見たからである。
江戸の商人は経済力があっても、自身の武力、あるいは自身を守ってくれる武力を行使したり示威を行ってくれる政治権力がなかった。
鎌倉幕府が困窮した武家の為に、借財棒引きの徳政令を出せたのも、弱体とは言え、また京都周辺に限ったことであったが室町幕府が徳政令を出せたのも武力が背景にある。
ところがリファニア国王にそのような力はない。領主が借財を免れるためには、自身の武力を行使するしかない。
一度や、二度はその手が使えるが、金を貸してくれる商人がいなくなる。商人達が領内から逃げ出す。結託した商人らにより交易路から外れる。
経済的に破綻した領主は周辺の領主から草刈り場にされた。生産力の低いリファニアでは、多くの家臣を常時維持するのは難しい。
そのために危急の時に兵力を増強しなければならない。この理由のために存在するのが傭兵である。
経済的に破綻した領主は傭兵も満足に雇うことはできない。また、そのような領主は領民からの年貢を数年以上に先取りしていることが多い。何度も書いているが、リファニアの農村は武装している。
そのような、農村から年貢を取れるのは領主が、農村から見て侮りがたいの武力を持っていること、その武力により、自分達の手間をかけないでも治安を守ってくれるからという理由しかない。
武力の低下した領主は、農村にまで侮られる。孤立無援のまま、周辺の領主に言いがかりをつけられて言いなりになり緩慢に滅亡するか、武力侵攻を受けて一気に滅亡するしかない。
滅亡してしまえば、借財は本当に払わなくてすむのだが本末転倒な話である。ここ数百年でリファニアの幾多の領主が滅んでいったが大部分は経済的に破綻したことが原因である。
これはリファニア王にとって悪いことではない。貴族の数は、慣例で制限されており、また土地と爵位が結びついていることが原則であるから、いくら、巫術に耐性があっても新興貴族は出現しにくい。
ある領主(貴族)が滅んでアキが出れば新しい貴族を任命できる。大概は、領主を滅ぼした、領主が一族の誰かを、ある地域の施政権を有する領主貴族の任命権を持つリファニア王に推薦してくる。
ところが、決まって滅ぼされた領主の遠縁とか日和見をしていた近隣の領主がからんでくる。
この時に仲介手数料的な金がリファニア王に入る。大概は、実力を行使して、破綻領主を滅ぼした領主がその封土の数分の一から半分程度を領有して、残った部分に新しい領主が任命される。
この新領主、すなわち新しい貴族の叙任には、リファニア王に対して多額の献金が必要になる。例外的に、リファニア王に忠誠を尽くす者を叙任する場合もある。
中国の歴史に例えれば、周王室の権威が認められ、利用されていた春秋時代、それも前半の歴史に似ている。日本の歴史で言えば、応仁の乱以前の室町時代のようなものである。
中央政権に実力はないが、権威があり、それを利用することにより大儀名分を得る世界がリファニアの現状である。
今、リファニアにいる領主は、そのような、領主達の栄枯盛衰の過程を生き延びてきた家である。勢い、貴族としての体面を保ちつつ、経済的な安定をもたらすことが当主の大きな仕事になる。
これが、ドノバ候が経済政策に長じる理由の大きな要因だが、他の領主と比べて、決定的に異なるのは、公営住宅経営の話を即座に理解して乗る気になった能力と計画に対する分析の細かさである。
ドノバ候公邸
シスネロスの北端にある。北側はシスネロス市壁として利用される。もともとは、旧ドノバ家時代の城塞である。そのため、建物の半分はシスネロス傭兵隊の管轄下にある。その残りの部分だけでも、大きなホールや食堂を入れて大小百ちかい部屋数がある。ただし基本的に石造りで冬の居住にはあまり適さないことから、ドノバ候は公式行事以外には利用しない。シスネロス防衛の最後の抵抗拠点でもある。




