自治都市シスネロスの街角6 にわか薬師 下
祐司は宿に帰る道すがら、明日からの行動の算段を考えていた。アスキナの店で午前中に二三時間は鑑定の仕事で取られる。日本で失業中であった祐司には、その不安さから定期的な収入は断るという選択はなかった。
そして、その後に、市外で本業とも言える薬草採取もしたい。そうすると、旅の目的の一つである神殿で見せて貰えるであろう”太古の書”の研究ができない。
祐司が気がつくと小さな店が並んだ通りに来ていた。祐司は”ファネーダ樹皮紙店”という慎ましげな看板を出入り口の上に掲げた店が目にとまり立ち止まった。
「どうしましたユウジさま」
今日は商売の話なので、余計なことは口にするなと釘を差されていたパーヴォットが、おずおずとたずねた。
「ファネーダ?まさか」
祐司は神殿へ通う時間が当面都合がつくかどうか判然としないままに、”太古の書”を引き写すのに手持ちの樹皮紙では足りないと思って店に入った。
一心に樹皮紙を木槌で叩いていた店の主人が顔を上げた。
「いらっしゃい。どのような用途の樹皮紙がご入り用でございますか」
祐司は主人の顔つきと声でその正体がわかった。
「ひょっとして、あなたはドノバ侯爵に仕えていますヌーイさんの弟さんでしょうか」
「ええ、そうです。バママ・ナレント・ハレ・ガースト・ファネーダ・ディ・ドノバと申します。兄のお知り合いですか」
主人の名はバママ・ナレント。平民の娘と駆け落ちをしたというヌーイの弟だ。祐司はかいつまんでヌーイとの間柄を説明した。
「甥一家を救ったいただきましてありがとう御座います。あの渡船事故に甥がまきこまれていたとは聞きましたが、たいしたことはないという知らせでございました」
ナレントは頭を下げて言った。
「そのことはさておき商品を見せていただけますか」
「どのような用途にお使いですか」
ナレントは商人の顔になった。祐司はこのような人物の方が好感が持てると感じた。
「神殿の写本を写したいのです。写本の上に載せて書き写したいのでできるだけ薄いのがいいのですが」
ナレントは店の奥から幾つかのサンプルを取りだしてきた。
「これでしたら写字にも使えますよ。ただ値もそれなりに張ります。こちらは、少し色がついていますが丈夫です」
ナレントは祐司の要望をさらに細かく聞いて何種類もの樹皮紙の特性を話してくれた。
祐司はナレントから薄い上質な樹皮紙を銀1枚で三十枚買った。人件費が安く食料品や衣料が高いリファニアと日本の物価を比較するのは難しいが、A4の紙一枚を四百円近くで買うくらいの感覚だろう。
祐司は予定を変えて宿屋に帰る途中にアハヌ神殿に立ち寄った。まず、銀貨五枚をお布施として出したいと神官に差し出してから、要望を伝えた。
ここでも一願巡礼であるということとグネリとヘルトナのブレヒトルド神官長の紹介文はかなり効力があった。二三の注意をされただけで祐司の願いが聞き遂げられたからだ。
翌日、少し早めに宿をパーヴォットをともなって出た祐司はまたアハヌ神殿に立ち寄った。
「では、パーヴォットよろしく頼む」
昨日、話をつけたヘミンキという神官補が出迎えてくれた。
「こちらで御座います。本は一冊づつしか貸し出しません。写本が終わりましたらわたしが点検いたします。もし本を傷めば補修代を持っていただきます」
ヘミンキ神官補は神殿の二階にある小部屋に案内してくれた。
「写本をするのはこの子でしょうか」
パーヴォトを見てヘミンキ神官補はあからさまに不安そうに言った。
「できるでしょうか」
パーヴォットも自信なさげに言う。
「大丈夫だ。昨夜練習しただろう。ただ、原本を傷めないようにあまり力を入れて書き写さないこと。ゆっくりでいいから正確に書き写すこと。これだけを守ってくれればいい」
祐司はパーヴォットに言ってからヘミンキ神官補の方に向いて手に持っていた樹皮紙に包んだ荷を持ち上げた。
「大丈夫です。この子は慎重な性格ですから。それと、これをお納めください」
「これは」
もちろん、ヘミンキ神官補も祐司が持って来た荷は何であるのかおおよそ予想がついているが大人の対応である。
「御礼でございます。神官様には他のお仕事で多忙な身でありながら、写本の出し入れや点検という手間を押しつけてしまいました。ほんの些少でございます。お食事の足しにでもと思いました」
中央盆地の様な内陸部でもリファニアでは海産物の乾物は好まれる食材である。祐司は宿屋の主人に神殿で写本をしたいというような場合はどうすればよいかをあらかじめ聞いていた。
宿屋の主人も写本という頼み事は初めてだったが、適当と思えるお布施の額と、神殿に何か特別の依頼をする場合は、世話になる神官に手土産を出すのが普通だろうと教えてくれていたからだ。
「神殿へ一旦、供物として捧げた後で、みなと分けていただきましょう」
ヘミンキ神官補はうれしそうに祐司から荷を受け取った。
祐司はパーヴォットを神殿に残してアスキナの店に毒草鑑定に出かけた。午前中は入荷してくる薬草や、飛び入りで持ち込まれる薬草の鑑定を行う。
初日は,ごく僅かに巫術のエネルギーが認められる薬草が持ち込まれた。かなり珍しい薬草だった。
祐司は、そんなに害になるようなものではないだろうと言った。しかし、アスキナが歯牙にもかけないでいると持ち込んできた男は怒って帰ってしまった。
祐司は商人としてのアスキナを見直した。彼は一代でシスネロス有数の薬問屋に店を成長させたという。
薬という商品の性質上、わずかの妥協も危険もおかさないという商売の方法が成功の秘訣なのだろうと思った。
その日、祐司がアスキナの店での仕事を終わってシスネロス市外へ薬草の採集に出かけようとした時に、巫術のエネルギーに汚染されている薬草を毒味するベドが声をかけてきた。
「旦那、精がでますね。ここの稼ぎだけでもそこそこでしょう」
巫術のエネルギーに汚染されている薬草は祐司には一目瞭然であるので、なるべく、ベドが不快な思いをさせないように少ない量を試して貰っていた。
それでも、味は一緒なので吐き気がするほどには口に入れてもらう必要があった。どう考えても祐司のことを、好いているとは考えられない。祐司が現れなければ、そんな不快な仕事をしなくてよかったからだ。
祐司はベドに気取られないように用心してしゃべることにしている。
「旅の身ですから、明日はわかりません。できるだけ蓄えはあったほうがいいですから。それに、シスネロスにきてちょっと散財することがありましたので」
「散財とは豪儀ですな。女ですか」
ベドはすいた前歯を見せながらへつらうような声で言った。
「いいえ、贅沢ではありません。一寸した物を盗まれまして故売屋に金を使いました」
「ほう、それではシスネロスにあまり良い印象はありませんね」
ベドが妙に、にやついて聞いてきた。祐司はタイタニナのトリンカ神官からシスネロスでは密告者がいるということを聞いていたので、シスネロスに関することで批判したり、悪く言うようなことは避けていた。
「いや、そんなことはありません。賑やかで活気があり、わたしのような余所者にも平等に稼がせてくれます。シスネロスは好きな街です」
祐司が乗ってこないのでベドは話題をずらした。
「ユウジ様の故郷では、どのような方が御領主で御座いますか」
「わたしは故郷のことは知らない。ただ、ここのドノバ候は、市参事の方々と同様にシスネロスのことを考えている立派な方だと思います」
祐司は当たり障りのない、公式見解のような内容で返した。
「独立不羈を守るためには、わしは必要だとは思えん。なんで、あんなものを、自分らの頭の上にかつぎあげんといかんのだ」
頭に血が上りだしたベドは段々、言うことが過激になってきた。
「頭を日差しや、雨から守るためには帽子があったほうがいいと思いますよ。第一、見栄えがします」
祐司の言葉にベドは、まだ何か反論したそうだった。
「では、また明日。アスキナさんに商品の是非について報告してきます」
祐司はそう言うと店の奥に入っていった。
次の日、ベドは仕事の前にアスキナに呼び出された。なにやら叱責されるかと恐る恐るアスキナの前に出たベドにアスキナは思わぬことを言った。
「毒味をしている間、手当を出すことにした。ただし、そう多くはない。お前は自分の立場をわかっているな。
お前が多額の手当を貰うとなると、他の店員が必ず妬む。面白くないことも起こるだろうからな」
ベドは店の金を横領したために、十年奉公のただ働きをしている。本来なら治安を担当する傭兵団に突き出されてもいたしかたない罪である。
商人の理論が優先するシスネロスでは、自分の技術で物を盗み故売という行為で利益を上げる手合いよりも、雇用契約を破って自己の立場を利用した横領は重大犯罪と見なされていた。
当然、それに対する風当たりはきつい。アスキナはベドを寛容な罰則で許したが、他の店員からは無視され、汚い物を見るような態度を取られていた。
そのベドが不相当な金を貰っているとなると、ベドへの風当たりは一層苛酷なものになるだろうということは、ベド自身も容易に想像できた。
「ホンの気持ちだ。毒味している間、毎朝取りにきなさい」
アスキナがベドの手に握らせたのは銅貨が四枚だった。小麦パンを買えば一日分相当の金額である。基本が無給で、時々、小遣いの様な物を貰えるだけのベドにとってはありがたい金である。
「ありがとうございます」
ベドが部屋を出て行くと、奥のアスキナの書斎から祐司が現れた。
「ありがとうございます。これでベドも仕事に、多少張り合いがでましょう」
「あなたの金だ」
アスキナは片方の眉だけを上げて言った。
ベドが貰った金は、祐司がアスキナに渡した物だった。祐司はアスキナにベドが、毒味を罰としてではなく、気を入れた仕事をしてもらうためにと頼み込んだのだ。
祐司はアスキナに、祐司から金を出せば恵みか、金でつるという行為にしかベドは理解せず更に多額の金を祐司からせしめることを考えるようになるだろう。だから金はアスキナから渡すことによってこそ給金として理解されると言った。
「あなたは、どこで、そのような人を使う術を憶えた?」
アスキナの問に祐司は黙っていた。
実は祐司が日本で働いている時に読んだビジネス書に似たような話があってそれを応用しただけである。
罰をやる気のある仕事にするというのも方便で、身近に密告者になるかも知れない男を無害な男にしたかったからである。
「そうでしたな。一願巡礼に関することは言えませんな」
アスキナがそう言うと、祐司は一礼をして今日の仕事に向かった。
シスネロスの中小規模商店が密集している地域 ナレントの店もこのような一角にある。




