霜柱の国8 冬籠もりの家 上 -両替商タイストと連-
シェルヴィス神官の言ったように四半刻(三十分)ほどして屋敷の主人であるカマロ・タイストが客間に入ってきた。
祐司はタイストを見てかなり思っていた容姿とは異なることに驚いた。
祐司は今まで出会った大店の主人像から少し肥満気味で大柄に見えるような体格と、マルタンの神殿為替を扱うことを認可されているということから相応な年配であると思っていた。
ところが部屋に入ってきたタイストは現代日本人男性よりも小柄なリファニアの男性の中でも背丈が低く、ようよう五ピス三アタ(百六十センチ弱)ほどだった。
体格も痩身の部類といってよく体重は四ドナムと少し(約五十キロ)ほどだろうと祐司は判断した。
そして最も想像と異なっていたのは見た目の年齢だった。
リファニアでは人々は現代日本より早く老けるので、二十代後半から以降は数歳から十数歳ほども見た目が違う。
タイストは現代日本基準で三十代半ば、リファニア基準で見てもタイストは三十歳前後である。
タイストは典型的なアサルデ系であるが、祐司が今までリファニア見てきたアサルデ系の人物の中では最も皮膚の色が濃かった。
リファニアの世界のアサルデ人は祐司の世界の北アフリカに居住するベルベル人に相当する。ベルベル人はコーカソイドとネグロイドの混合人種で個人差が大きい。
ただベースはコーカソイドであるのか顔の容貌はヨーロッパ系の人間に近い。
そのため祐司が今まで出会ったアサデル系の人間でも皮膚の色合いが濃い人物でも日本で日焼けしすぎたといった程度の色合いだった。
目の前のタイストは焦げ茶といった色合いであるとともに、アフリカ系によく見られるどっしりと左右に広がった鼻だった。
リファニア人の大半がヘロタイニア系(ヨーロッパ系)とイス人(アジア系)の両方から遺伝子を受け継いでおり、それに少数派のアサデル人が混じっているので個人の美醜以外の容貌が人間関係に影響することはない。
そのことに慣れ親しんでいた祐司はタイストがリファニア人の中では飛び抜けてアフリカ系の要素が多い人物だと判断した程度であるが、タイストが少数派であるアサデル系の中でも滅多に見ないアフリカ系の要素が強い人物だとは想像していなかったので驚いたのである。
タイストは祐司の世界では黒人と認識されるだろう。
その予想外の容姿と見た目の年齢が若くとも祐司が客間に入ってきた男が屋敷の主人であるタイストだとわかったのはリファニアの大家の主人らしいゆったりした上等な服装であることもあるが、男性が発する悠然とした雰囲気から男性が主人であると祐司は判断した。
「カマロ・タイスト様、お忙しいのに申し訳ありませんでした。こちらがジャギール・ユウジ殿です」
シェルヴィス神官が椅子から飛び上がるようにして立ち上がると客間に入ってきた男性に一礼をしてから言った。
シェルヴィス神官は正式な神官で権勢のあるマルタン神殿の別当の助手であるから通常は一般人が彼を目上としてたてるだろうにシェルヴィス神官の方が下手に出ていることからタイストはマルタンでも有数の商人なのだろうと祐司は感じた。
少なくとも先立って訪れた宿屋や下宿屋の主人はシェルヴィス神官に平身低頭という感じだった。
そこで祐司は流石に跪くことはなかったが相手が貴族並の丁寧な挨拶と自己紹介をした。
「カマロ・タイスト・ハル・ウィチェス・グルニデ・ディ・ドノバです。神殿為替も扱います両替商を営んでおります。お目にかかれて光栄です。
ジャギール・ユウジ殿の数々の武勲は聞き及んでいます。そのような方が我が家の離れを利用していただけるとなると家名が上がります」
*話末注あり
タイストも丁寧に返すが、矢張り大家の主人といった威厳があった。
「持ち上げすぎです。わたしはそのような名のある立派な人間ではありません」
祐司がそう返すとタイストはとくとくと語り出した。
「ご謙遜なさらずともよろしいです。王都のシスネロス商館のプシュベ・フロランタンとは個人的にも付き合いがありましてマルタンにジャギール・ユウジ殿が到着するはずだから便宜をはかるようにと連絡を受けています。何より貴方はモンデラーネ公のドノバ州侵攻に敢然と立ち向かってくれた英雄です。
特にシスネロス存亡の危機を救った”バナジューニの野の戦い”で大きな手柄を揚げたシスネロス市民ですからマルタンではわたしは貴方を保護する責任があります。
後先になりますがお待たせしたことを謝ります。本来なら妻が先にお相手をしなければなりませんが生憎病に伏せっております」
「不躾なことを聞くようですが奥様は大丈夫ですか」
パーヴォットが恐る恐るという感じで聞いた。
祐司はパーヴォットも聞き方が大分上達してきたと感じた。今のパーヴォットなら可愛い女の子が聞いたことだですむが大人になってくるとそうはいっていられない。
「はい、どうしたものかこの春から咳が止まりません。時々発熱すると寝汗がひどくて体が重たい感じがするようです。
今はほとんど寝て過ごしています。医者の話では肺病ということです。兎に角滋養をつけて安静にしている他はありません」
タイストが少し額にシワを寄せながら言った。
リファニアで肺病といった場合はまず結核のことである。祐司もタイストが説明する病状から結核である可能性が高いと感じた。
リファニアには結核に対抗する抗生物質による治療は出来ないのでひたすら安静にして病状を進ませずにして自然治癒に任せるしかない。
*話末注あり
現代日本人である祐司はBCGの接種を受けている。BCGは大人に対しては、有効性に疑問があるものの結核菌に或る程度の耐性があるだろうが、パーヴォットは無防備なのでタイストの奥方に挨拶するような場面では用心しなければならないと祐司は思った。
*話末注あり
「先ほどお名前を聞いたところドノバ州の御出身ということですが、お若いのにこのような身上を」
祐司が思っていたよりタイストが若かったので素朴な疑問を口にした。
「身上を大きくしたのは祖父と父親です。わたしはまだ父親の手伝いといった身です。祖父はなくなりましたが父はシスネロスで本店を営んでいます。わたしはマルタンでの出先ということです」
タイストの返事で祐司は相手がかなりの大店の跡継ぎだということをようやく理解した。
神殿為替の取引を行う公認業者はかなりの資本を持っていなければならないので、大きな両替商が担っている。
さらにこうした両替商は連という相互扶助組織を組織してさらに資金を融通しあっている。
両替商の連の最大の収入は借財の保証である。
この両替商の連は祐司の世界ではロンドンに本拠をおく”ロイズ保健市場”に近い組織である。
*話末注あり
ドノバ州シスネロスにはリヴォン連とドノバ連の二つがあるが、一つの都市に二つの連があるのはあとは王都だけで普通は二三州といった広範囲な地域に一つの連がある程度である。
「ユウジ様、この方はグルニデ屋の御曹司ではないのでしょうか。シスネロスを旅立つ時に金貨を両替してもらいました。
大手で質のいい貨幣と交換してくれるという評判でユウジ様は選んだのではありませんか」
急にパーヴォットが思いついたように言った。
「ああ、申し訳ありません。家名で察するべきでした。リヴォン連の一党ですね」
祐司は自分の不明を恥じて言った。タイストはグルニデという家名を名乗ったが”グルニデ両替”はシスネロスでも大手の両替商である。
ただいちいち自分がどの両替商で両替したかなど祐司はすっかり忘れてしまていたが、パーヴォットは時に些細なことでも憶えており祐司を驚かせる。
「そうです。叔父も王都で支店を営業しております。王都に戻られたらご贔屓にしていただけたらと思います」
「ところで離れはまだ空いていますか」
シェルヴィス神官が唐突に本題に入った。
「空いております。今年はどなたの利用もありません。いつもなら大家のご隠居などが使われるのですがモンデラーネ公軍の侵攻騒ぎで皆さんマルタン詣は様子見をしたようです。
今年は借り手がないままかと覚悟していました。ですからジャギール・ユウジ殿は大歓迎です。執事のヘルドルに案内させますので離れを見てから決めて下さい」
タイストもすぐに返事をした。
結局、シェルヴィルはタイストと別件で話があるということで、祐司とパーヴォットは執事のヘルドルに案内されて離れを見学することになった。
タイストの屋敷には五棟の建物があり、祐司とパーヴォットが案内された客間は門の正面にある二階建ての大ぶりな建物で母屋のようだった。
その背後に母屋の半分ほどの瀟洒な造りの二階建ての建物があり、家族の私的な空間だろうという感じだった。
この二棟は一階が石造りで二階が木造といういう中層以上の階層が居住する典型的なリファニアの住居である。
さらにその背後には簡素な造りの全て木製の二階建ての建物があった。多分のその建物が使用人の居住区や倉庫ではないかと祐司は思った。
この南北に三つ並んだ建物の西には平屋の厩があった。
この四つの建物とは離れて敷地の東側には全木製の二階建ての建物があり、他の建物とは祐司の胸当たりの高さの石塀で隔てられていた。
平均的なリファニア人は祐司より小柄であるので、何とか向こう側を見通すことができる高さである。
敷地全体はもう少し幅の広い頑丈な感じの石塀で囲まれているが、高さは似たようなものである。
軍事的な観点から防衛を意識した貴族家や高位郷士の屋敷では城壁並みの壁を設けるが、一般の家屋では敷地を囲む塀は敷地の境界線を示している意味合いが強く内部が見通せないほどに高くすることはない。
これは防犯を共同体相互の監視によって行っていることと、人に隠すようなことは行っていないということを明らかにするためである。
祐司が住んでいた王都の屋敷も隣家との境に腰ほどの高さの石塀があるだけで通りに面した部分は全て開け放たれていた。
同じ敷地のなかに塀があるということは、その区画が母屋のある区画とは独立しており別目的で使用されることを内外に示している。
敷地内の石塀には門がなく幅が一間半(約二.七メートル)ほどの開口部があった。
その部分を通って祐司とパーヴォットは執事のヘルドルに案内されて離れのある一角に入った。
離れのある一角は敷地のおそらく十分の一程であるが、敷地全体が一町屋敷で三千坪ほどもあるので三百坪近い敷地となる。
これは城壁で囲まれた都市内ではかなり高位の郷士階級の屋敷の面積に等しい広さである。
離れは二階建てで現代日本の住宅でいえばかなり大振りな家で、数軒ほども部屋のあるアパートといった規模である。
ただ祐司ががっかりしたのは総石造りであったことだ。寒冷地のリファニアでは石造りの家屋は寒さを凌ぐのには適していない。
ところが建物の中に入ると、内側が全て木造になっていた。外壁だけ石造りにする手法はリファニアでは贅沢な家の建て方である。
「ここは前室になります。一階には食堂、調理室、洗濯室、女中部屋があります。二階は客間と主寝室が三つとどのような用途にも使えます二つの部屋があります」
建物に入ったヘルドルが口を開いた。
リファニアの大きな家屋にはまず前室がつきものである。この前室があるかないかというのがリファニアの住居のランク付けを二分する。
前室がある住居は身分のある人物が客として訪れるということになっているから貴族の住居には必ずあり、郷士階級では前室のない住居に住んでいれば軽輩者ということになる。
平民の場合はただ金があるということで前室のある家屋を建てても前室で接待する人物が訪れない者なら物笑いの種になってしまう。
祐司の場合は今は名のある武芸者という立場であるので王都で住んでいた屋敷と同じく前室のある家屋に住んでも問題はない。
祐司とパーヴォットは一部屋ずつヘルドルに案内して貰って部屋を見た。当然と言えば当然だがどの部屋にも家具がしつらえてあった。
住居の大きさは部屋数とともに祐司とパーヴォットが住んでいた王都の屋敷より一回りほど小振りであるが備え付けの家具はより上質のモノだった。
一階の台所には室内であるが井戸があり、寒く暗い時期でも表の凍るであろう井戸から苦労して水を汲み上げなくともいいようになっていた。台所の隣には洗濯室があり、台所で湧かした湯で洗濯が出来るようになっていた。
また洗濯室には大型の暖炉があって悪天候の時や冬季は室内で洗濯物を干せるようにもなっていた。
リファニアでは火災は用心しなければならないので、洗濯室の壁は他の部屋と異なり板張りではなく建物を構築する石壁がそのまま露出させてあった。
祐司は一番気になっている風呂のことをヘルドルに聞いた。
ヘルドルが「あります」とそっけない返事で案内してくれたの風呂は洗濯室の隣にあった。
風呂は洗濯室の暖炉の裏という位置にありその面が熱せられるような構造になっていた。もちろん風呂場のその面の壁は石壁であったが他の面は雪と天井を含めて板張りになっており保温性が考慮されていた。
洗濯室との区切りになって熱せられる石壁の上部、すなわち天井との岩壁の間に二アタ(約六センチ)ほどの開口部があった。
その開口部について祐司がヘルドルに聞くと、洗濯室の暖炉の上部に水を入れられる窪みがあって水が湧くと蒸気が風呂場に入ってきて湿式の蒸し風呂になり水を入れなければ乾式の蒸し風呂になるということだった。
リファニアの風呂屋は湯気を内部に満たしてものが一般的であるが、大きな風呂屋では乾式の浴室を備えたものもある。タイストの屋敷の離れの蒸し風呂はその二つを兼ね備えた造りということになる。
(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都の熱い秋10 フルセ浴場 参照)
ただ風呂は蒸し風呂であり三人も入れば身を寄せ合うほどの最小のサイズのモノであったが、それはドラム缶ほどの大きさの樽がおいてあるためでもあった。
「この樽は?」
祐司が半ば答えを予想しながらヘルドルに聞いた。
「水を入れておく樽です。出るときに水を浴びることができます」
パーヴォットがヘルドルの返事に被せるように祐司の背後から「お湯を入れれば入れますよ」と囁くように言った。これは祐司にとっては悪魔の囁きである。
一通り離れを案内された祐司は王都で五人の使用人と同居していたとはいえ王都の屋敷は現代日本の無理に分類するとすれば下位中産階級出身という祐司の感覚ではパーヴォットと二人で住むには少し大きすぎる感じだったので手頃な大きさだと感じた。
「どう思う?」
祐司はこれも半ば答えを予想してパーヴォットに聞いた。パーヴォットも祐司の気持ちを察したかのようにすぐにダメを押すような返事をした。
「素敵な屋敷です。お風呂もありますしね」
「では交渉してみよう」
祐司は意図的に気取った口調で言った。それに対してパーヴォットは「ユウジ様ったら…」と笑顔で返した。
祐司はなんとなく新婚のカップルが新居を決めているみたいだなと感じた。
そして祐司はシェルヴィス神官が何故最初に複数の宿屋と下宿屋を案内したのかということに思い至った。
シェルヴィス神官自身は最初からタイストの屋敷の離れが最善であると判断していたが、祐司に他の選択肢を見せることで離れが最適の物件だと納得させようとしたようだ。
それがわかると祐司がシェルヴィス神官が万事に手を抜かない真面目で気が良く回る人柄であると思えた。
注:両替商の連とロイズ
リファニアは金貨、銀貨、銅貨という計数貨幣と金塊、銀塊といった秤量貨幣が流通しているうえに計数貨幣でも摩耗した場合は額面通りの使用を拒まれてしまいますので秤量貨幣扱いになります。
秤量貨幣は使い出が悪いようですがいまだに使用されているのは金銀の重量からみれば計数貨幣よりかなり有利になっていますから、大きな取引や貯蓄用には適した貨幣だからです。
ただし日常では秤量貨幣は使いずらいので計数貨幣に両替してもらう必要がありますし、計数貨幣でも金貨となると普通の商店では釣銭が出せないこともあります。
こうした事情からリファニアでは両替商が商売として成立しています。
本文では出てきたことはありませんが、祐司とパーヴォットは都市に宿泊すると両替商を見つけて金貨を数日分の銀貨と銅貨に両替して貰いながら旅をしています。
ただ両替商は両替時の手数料が主な収入源ではなく金融による利潤が収入源です。
リファニアでは金融については免許制ではなく王領では王家の印紙、他の領主領ではその領主の印紙が証文に貼ってあれば法的に裏付けのある正式な証文になっており返済されなければ「お恐れながら」と訴えることが出来ます。
このため資金に余裕のある商人が金を貸し出すことはままあることで、本文では祐司から聞いた複利計算による数字では低利の利子でヨスタが金貸しを行っています。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 西風至りて南風が吹く16 懐かしき人々の便り 六 -子福者- 参照)
ただ中世世界リファニアは濃密な地域共同体ですから、阿漕な金貸しは共同体でも評判を考慮するとやりにくいので貸す方は信用のある相手にしか貸そうとしません。
また借りる方も焦げ付かせてしまえば共同体での信用をなくしてしまいます。そこで資金を融通してもらおうとするとしても現代よりかなりハードルが高くなります。
それでも何とか資金を都合したい者は存在しますから多少金利が高くなっても借金をします。
ただそういった借主はリスクがありますので、貸主は何らかの保証を求めます。この保証を与えてくれるのが両替商でつくる連が金利から幾分かを受け取ることで最大で元金までを借主が返済遅延になった場合に補償してくれます。
もちろん両替商は借主の信用度を把握して金利からの受取金と幾らまで補償するかを判断しています。
両替商の連は補償金を貸主に支払えば証文を受け取ってできるだけ借主から資金を回収しようとします。
もちろん悪意があったり諸般の事情で遠隔地に貸主が逃亡する場合もあります。このあたりは両替商の連同士のつながりや、あるいは渡世人を使って居場所を明らかにします。
借主の居場所が判明すれば連の担当者(しばしば渡世人)が取り立てに出向きますが、遠隔地だとその土地の連に証文を割引で買い取ってもらい土地の連が取り立てることもままあります。
リファニアは中世世界ですが借金の時効がなく自己破産などという制度がないので、借金をしたものはひょっとしたら現代日本より逃げ切ることが難しいかもしれません。
そしてリファニアには無給で人を使う奉公という合法的な制度がありますので、借金が払えなければ奴隷同然にタダ働きをさせられます。
ヨスタも本格的に金融業を展開するのなら両替商の鑑札を得て連に加盟しようとするでしょう。
リファニアの連がロイズに似ているというのは以下の理由によります。
保険はいざという時には大きな助けになりますが、大震災や未曾有の台風などが甚大な被害を与えると保険会社は存続の危機になり顧客も折角の保険金を受け取れないかもしれません。
そこで保険会社はさらに自社の保険に保険をかけてリスクを分散させます。この最終のゴールキーパーの位置にいるのがロイズです。
ロイズは世界で最も有名な保険組織ですが単体の会社ではありません。ロイズはロイズ・オブ・ロンドン(Lloyd's of London)と名称が広く用いられているようですが、ソサイエティ・オブ・ロイズ(Society of Lloyd's)が正式名称でロイズ評議会(Council of Lloyd's)によって運営されています。
ロイズの起源は十七世紀の後半のロンドンのエドワード・ロイドのコーヒーハウス(Edward Lloyd's Coffee House)に客として集まっていた海運業者や商人の間で行われた海上保険取引です。
そしてロイズは保険取引が行われるコーヒー店の名前から保険引受市場へとなったのです。
ロイズにはアンダーライターという保険の引受人がいます。このアンダーライターがシンジケートを組織して長い間無限責任を持っていました。
ただし近年になって大規模な災害でアンダーライターが大きな損失を受けて、新たなアンダーライターの引き受け手がなくなったので有限責任での参加ができます。
なにはともあれロイズはリスクを出来るだけ分散させて色々な種類の保険を成立させてきました。
リファニアの神殿為替の取り扱い商人も連をつくって基金を積み立てて互いの損失を分散させるということを行っています。
そして最もロイズとリファニアの両替商の連が最も似ているのは、連自体が借金保証を引き受けるのではなく連に加盟している両替商に引き受けを斡旋することです。
この時に複数の優良不良の借財をまとめてリスクを分散させたり、複数の両替商が組んで引き受けたりします。
すなわち連がロイズでその中の両替商はアンダーライターということです。
両替商でなければ連に参加できませんが、両替商は王家や領主の鑑札を取れば認められるので一般の商人が本業をしながら形ばかりの両替商となって連に参加して借財保証で利を上げることは少なくありません。
注:近代までの結核
リファニアは史実の地球とは異なった歴史を歩んできたので疫病の種類も多少異なります。リファニアではチフスが最も恐れられる疫病です。
チフスには腸チフス、パラチフス、発疹チフスがありますが、腸チフスとパラチフスはいずれもともにサルモネラに属する細菌によるものです。
これに対して発疹チフスは発疹チフスリケッチアによるものですが、症状が似ているので長く混同されてきました。
リファニアではチフスは恐れられてはいますが、腸チフスとパラチフスは糞尿に混じった細菌が手を通じて経口感染、発疹チフスはシラミを媒介しますので実際の中世ヨーロッパよりは頻繁に風呂を利用して洗濯をまめに行い便所も人口数にあったものがあるリファニアでは感染数はかなり抑えられています。
そしてリファニア世界の人間にとって幸いなことに天然痘とペストは見られません。
しかし結核はリファニアでも広く見られる疫病です。史実の地球とリファニア世界を大きく分けたのは祐司の推定で紀元前紀元前二千六百六十年前後頃に起こった”空の割れた日”です。
天然痘とペストはこの時代に比定される記録はありません。
しかし結核は紀元前五千年と思われるドイツの墓から結核の病巣が発見されています。また紀元前四千年頃のエジプトのミイラからも結核の痕跡が見つかっておりエジプトでは結核は一般的な病気であったと思われます。
日本列島にも少なくとも弥生時代には到来していました。
結核は空気感染もしくは飛沫感染ですから伝染性の強い疾病です。ただ感染しても発病する者は一割から二割程度です。
もし結核が感染してほぼ発病するような疫病なら人類という種は滅亡の危機に陥っていたでしょう。
リファニアは寒冷地域ですから、冬季は暖房や照明に使う費用を節約することもあって人々は狭い一室に閉じこもりがちになるので結核にとっては蔓延しやすい環境です。
抗生物質のない時代にはひたすら安静にして自然治癒を願う以外に結核の治療法はありませんでした。
二十世紀中頃までは高原や海辺に設けられた結核患者のためのサナトリウムを舞台に、日常は明るい光に包まれたような雰囲気の中で死の影が潜んでいるような「サナトリウムもの」とでもいえる小説が書かれています。
安静療法のみに頼った場合の五年後の生存率は五割です。すなわち致死率は五割ということになります。
厄介なのは自然治癒で回復した者も三四割が健康なまま結核菌をまき散らす排菌者となって新たな患者を増やすことです。
現代では薬物投与で治癒しますが半年はかなり大量の薬剤を飲まなければならないので治癒したからとして途中で薬剤を飲むことをサボると排菌者となる可能性があります。
日本では弱い結核菌に感染させて抗原を得るBCG接種が行われていますので、大人は結核には抵抗力があると思っているいる人もいますがBCGの効果は十年から十五年ほどで減退します。
祐司は二十代後半ですからリファニアにおいては結核には用心する必要があります。どうも祐司はBCGの有効期限に関しては勘違いをしているようです。




