自治都市シスネロスの街角3 ハカー一家
シスネロスの北部にあるお屋敷町 街の面積が限られているので門構えや、前庭はない。
「ジャギール・クチャタ・ハル・ヌーイ殿の屋敷はここでしょうか」
祐司は教えて貰った家のドアを叩いて大声をあげた。リファニアの家には表札などというものはないから家人が出てくるまでは自分が訪ねるべき家かどうかもわからない。
「何のようだ」
見るからに無愛想そうな老人がドアを開けた。年齢は六十ほどだろうか。視線が射るように鋭い。
「わたしは、ジャギール・ユウジ・ハル・マコト・トオミ・ディ・ワという一願巡礼です」
祐司は気押されないように一気に言った。その言葉で、老人はにこやかな表情を浮かべた。
「おお、孫のジャンマを助けてくれたというのはおぬしか。わしはクチャタの父親でガナシャン・ヌーイ・ハル・ガースト・ファネーダ・ディ・ドノバと申す。
今は隠居間近のヌーイという爺だ。宿泊場所が分かっておれば、こちらからお礼の一つでも言いに出向こうかと思っておった。わざわざ来ていただいたのは何か用がおありだな」
祐司は見覚えのない異邦人として、追い払われる覚悟をしていたが、クチャタが自分で言ったように父親には詳しい知らせをしていたようだ。
祐司は突然の訪問目的がジャギール・クチャタからの手紙を含めて盗まれたものを故買屋から買い戻したいということを話した。
その話を聞き終わったヌーイは、祐司についてきた案内の男に声をかけた。
「おや、暗闇のガンスじゃないか。とっつかまらずに生きておったか」
「ヌーイさん、元気で精を出しておりやす」
男はヌーイとある程度親しいのか前屈みになりながら言った。
「バカもん、お前らが精を出して喜ぶ奴が何処にいる。精々怠けておれ」
ヌーイの言葉に男は苦笑する。ヌーイは一転して軍人のような口調で男に質問した。
「で、ガバリはどこの一家の仕業と見当をつけておるのだ」
「ちょっと、やっかいなことにハカー一家でさ」
「ふーむ、ハカー一家か。確かにやっかいだな。が、わしが行けば大丈夫だ。ちょっと支度するので待ってくれ」
しばらくすると、ヌーイは小振りの剣を差して黒いマントを羽織って出てきた。その後に、心配げな顔をした品のよさそうな年配の女が出てくる。服装や態度から、見る限りは細君ではなく長年使えた女中のような感じだった。
「では、キナーリ出かけてくる。昼食は二人分の追加を頼む。孫達にはわしらを待つことはないから先に食べさせておきなさい」
ヌーイは女にそう言うと、マントを翻して祐司の方を見た。
「ついてきなさい。といっても今のアジトは知らぬ。ガンス、案内せい」
ガンスという男は頭を軽く下げると、立っていた時と同じように前屈みになって黙って歩き出した。その後を見かけが七十ほどのヌーイが胸を張って颯爽と歩く。
現代の日本とリファニアでは年の取り方が違うので、実際は六十そこそこだろうなどと考えながら祐司はさらにヌーイの後をついていった。
クチャタの家を出てしばらくの間は道で行き交う人々がヌーイに会釈をした。ヌーイはその度に軽く会釈を返す。ヌーイは名の知られた尊敬される人物らしい。
「ヌーイ様、助太刀は呼ばずによかったので御座いますか」
案内役のガンスは、ヌーイにおずおずと尋ねた。
「これは私用だ。手助けなど呼べるか」
ヌーイは前を向いたまま、少し声を荒げて言った。その気迫にガンスは押し黙った。
郷士のお屋敷街を出て繁華な通りにでたところで、恰幅のよい中年の男がヌーイの方へ近づいてきた。
質素な感じだが上品な外出着を身に纏った男で、顔は少したるみかけていたが気品があった。
先程までヌーイに出会った人々は、帽子を被っていれば少し持ち上げたり、あるいは、完全に脱いでしまってから挨拶をしたが、男は被っている、つばの広い山高帽のような帽子には手も触れなかった。
「ヌーイではないか?」
男はヌーイに言葉をかけた。男のすぐ後ろには、剣を持った二人の若い男が歩いてきており男が立ち止まると少し離れた場所で自分達も立ち止まった。
「これは、ブリナーレ様、今日はお忍びで御座いますか?」
ヌーイは深々とお辞儀をした。祐司とパーヴォットもそれにつられてお辞儀をする。
「芝居見物だ。正式に行くと必ず観客に紹介されるので、芝居を見ていても、なんとなくワシが見られておるようで落ち着かん」
男はヌーイに近づいて小声で言った。
「お供が少々、少なくは御座いませんか」
ヌーイも小声で返した。
「その辺の加減が難しいな。大勢引き連れてでは目立つしな」
男は微笑しながら答えた。ヌーイは少しばかりお供の男達を見た。
「なかなかの手練れで御座いますな。人数が少なくとも安心かと」
ヌーイも微笑しながら返す。
「ヌーイ、お主も流石だな」
祐司は二人のやり取り聞いていて、かなり頭の切れる者同士の会話であることに気が付いた。かなり多くの言葉がはしょられている筈なのに互いに、相手の言いたいことを理解しているようだった。
「それではお楽しみください」
もう一度、ヌーイは頭を下げて言った。男は「うん」と短く答えるとお供を引き連れてヌーイの前から去った。
ヌーイはしばらくその後ろ姿を見送った。
「ドノバ候の御従兄弟のブリナーレ子爵だ。今は社交の季節だから領地からシスネロスにご家族で来ておられる。
粋人で、気に入った芝居は一日貸し切りにして、貧民にタダで見せてやるなど、太っ腹ときておられるからシスネロスでは知らぬ人のいないお方だ。シスネロスで貴族がどう振る舞えばよいのかよくわきまえていらっしゃる」
ようやく、ヌーイは祐司に先程の人物について説明してくれた。
「リファニアで初めて貴族にお会いしました。もったいないことで御座います」
祐司の言葉通りに、祐司はリファニアにきて、初めて貴族とわかる人物に出会った。祐司は巫術に対して抵抗力があるという貴族の発する光を間近で観察した。
取り立てて、他の人物を比べて異なる色や形状の光を出している分けではなかった。しかし、決定的に異なるのは、何カ所か身体から、離れた場所から光を発していることだった。
祐司は完全に身体から離れた場所に光があり、祐司を環状に光が取り巻いている。巫術のエネルギーを完全に排斥するためである。
”空の割れた日”になんらかの理由で、元の地球元素を保持して巫術のエネルギーを部分的にも排除できる人間がおり、遺伝としてそれが伝わった。
もしくは、そのような体質に変化した人間がいた。可能性としては、祐司と同様にこの世界に来た人間がいて、その体質を遺伝的に残した。
「ユウジ殿、どうした?」
考え事をしている祐司に、ヌーイが声をかけた。
「あ、申し訳御座いません」
「うむ、急ごう」
歩き出したヌーイの光は先程のブリナーレ子爵とは、比べものにならないが時々身体から離れた場所に発せられていた。一人しか貴族に会っていないので、確証はないがヌーイも貴族の血を引いているのかも知れないと祐司は思った。
ガンスは、街の西の方へ進んでいく。とうとう、西の市壁に突き当たった。市壁にある小さな門から更に西に進むと新市街地に入った。
新市街地はもとの湿地帯にある。埋め立てをしたというが、明らかに無舗装の道は市街地とは異なりじめじめした感じがした。建物も木造のバラックが多い。
新市街地はシスネロスのスラム街でもあるのだ。
ガンスが突然立ち止まって、ヌーイの方を向いて言った。
「この先の角を曲がると小汚い酒屋があります。見かけは酒屋だが、モグリの女郎屋でさ。そこで、故買もしてます。
その店の前でうろうろしている若い奴に声をかけてください。で、わっしはここで消えます。奴らのアジトの前では会いたくありませんから」
男はそれだけ言うと、そそくさとその場を立ち去った。
「度胸の無い奴だ」
ヌーイは吐き捨てるように小走りで走り去る男に声をかけた。そして、角を曲がりながら祐司に言う。
「交渉はわたしがするぞ」
「パーヴォットはここにいろ」
祐司はパーヴォットにそう言うと、あわててヌーイの後を追いかける。
「ユウジ様、従者がついていかないのはおかしいです」
祐司の後をパーヴォットもそう言いながらついてきた。
「なんか用かい」
酒屋の前に立ったヌーイに見るからに人相の悪い男が声をかけていた。
「店の中に用がある」
「まだ、昼にもなってないのに元気な爺さんだな。いい娘がいるが営業は昼過ぎからだ。昼飯でも食ってから出直してくれ。それとも、中で酒でも飲んで待ってるか」
「近衛のヌーイが来たと伝えてくれ」
ヌーイは人相の悪い男に命令するような口調で言った。男はヌーイを少し睨んでから店の中に入って行った。しばらくして、出てきた男は顎で中に入れと合図した。
店の中は、居酒屋のような作りになっていた。そこをつききって男は奥の部屋に祐司達を招き入れた。
中はかなり薄暗かった。十畳ほどの大きさの部屋に、頭髪を剃り上げた精悍な顔の男が大きな机の後ろに座っていた。リファニアでスキンヘッドは珍しいうえに、四十代半ばほどの男は人一倍大きな顔をしておりかなり威圧感があった。
椅子に座っている男の左右には、これ見よがしに抜き身の大剣を身体の前で杖のように柄を両手で持っている男達が立っていた。
机の上には盗品であろう様々な品物が並べられている。祐司は素早く自分のポシェットがあるのを確認した。
「久しぶりだな。ハカー」
ヌーイは気押されることなく部屋に入るなり声をかけた。
「老いぼれが何のようだ」
ハカーは顔の前で手を組んで両肘を机につけたまま言った。
「盗品を買い戻しにきた」
「それは、商売の話しってことだな。まあ、立ち話もなんだ座りな。ただ、椅子は二つしかないから子供は立ってな」
祐司達の背後には部屋に案内してきた男の他にもう一人、腰に小刀を差した男がいた。二人の男は椅子を引いて祐司とヌーイに座ることを促した。
「まあ、座るか」
ヌーイは祐司に目配せをして椅子に座った。
「どんな品だ」
ハカーの問に祐司は椅子から身を乗り出してポシェットを指さした。
「中を確かめていいか」
そう言うとヌーイはハカーが小さく首を縦に振るなりポシェットを取って祐司に渡した。祐司は急いで中を確かめた。水晶と紹介状、手紙はあったが銀貨は無くなっていた。
「品物はあります。銀貨も数枚あったと思いますが」
「そいつはこっちの手数料だ」
祐司の問に相変わらず手を組んだままのハカーが言う。祐司はそれを聞くとポシェットを持って立とうとした。
すると、小刀を持った男に肩を押されて椅子に座らされた。
祐司が横を見ると同じように立とうとしたヌーイも案内してきた男に肩を押さえられていた。
「何処へ行く」
ハカーがすごんだ声で言った。ヌーイは落ち着いた声で返した。
「帰る。手数料は払っただろう」
「何を寝ぼけてる。手数料と品物の代金は別だ。これからが商売だ」
ハカーは組んだ手を解いて言った。しばらく、沈黙した後にヌーイが聞いた。
「幾らだ」
「銀三十枚」
「法外だ」
ヌーイが怒鳴った。その声と入れ替わるように祐司は静かな口調で言った。
「出します」
「じゃ、銀五十枚」
すかさず、ハカーが言う。
「何故、高くなる」
ヌーイが今度は落ち着いて言った。祐司は背後の小刀を持った男に神経を集中した。気配を察して動けば斬りつけられても避けられる自信はあった。
「オレの言い値で良いと言った。大事なモンだからだ。だから、オレは敬意を表してそれ相応の値段にしてやったんじゃないか」
ハカーの勝ち誇ったような言葉を噛むようにパーヴォットが大きな声を出した。
「ユウジ様にそんなお金を出させるわけにはいきません。わたしを買ってください」
「少し若すぎるが十年奉公で銀八十枚。お若いの良い商売をしたな」
少し値踏みするようにパーヴォットを見たハカーが言う。
「だめだ、パーヴォットはわたしの大切な従者だ」
祐司は動揺して注意が途切れた。その時、祐司達を招き入れた男が突然、パーヴォットを背後から羽交い締めにした。
そして、左手で小柄なパーヴォットを押さえながら、右手でパーヴォットの股間をまさぐった。
パーヴォットは黄色い悲鳴を上げた。
ハカーの左右の男達は大剣を祐司を威嚇するように両手で構えた。
「頭、思った通りだ。こいつは女だ」
祐司が動こうとした時には、もう一人の男が小刀をパーヴォットの頬に突きつけていた。
「お若いの動くなよ。あの男は何をするのもお構いなしだ。可愛いお嬢ちゃんの顔を台無しにしたくないだろう。女ならもう少し上乗せしてやろうか。いや、気が変わった。水晶は女と交換だ」
祐司は気取られないようにハカーを見据えたまま静かに息を整えた。ハカーはしゃっべてる間に微妙に口調が変化した。焦ってるんだと祐司は直感した。
祐司は用意してきた革袋から金貨と銀貨を取り出して机の上に並べた。
「小金貨5枚、大銀貨4枚、それに銀貨4枚、これで銀貨八十枚分です」
祐司はそう言うと、もう他の事には気取られないでハカーの目を見た。ヌーイが聞き取れないほどの声で言う。
「ハカー、お前が縄張りを無視してやりたいようにするのもいいだろう。ただ、そのとばっちりで堅気に害が及ぶことは許さんぞ」
ヌーイは一呼吸開けて言葉を続ける。
「この巡礼さんの品物は神殿で盗まれた。そのことはもうガバリは知っている」
すっと、ハカーは目をそらすと祐司に向かって大きな声を出した。
「礼はどうした」
「ありがとうございました」
祐司は丁寧に頭を下げて言った。
「あんたは本当の勇者だな。少しも怯えてない。オレの挑発にも乗らない」
ハカーは手を伸ばして貨幣を掴みながら小声で言った。そして、貨幣を自分のすぐ前に積み上げて勘定を始めた。
勘定を終えたハカーは手下に言う。
「もう手を出すな。こいつは人を殺したことのある目をしている。本気を出すと、お前らなどひとたまりもない。何かの事情か願掛けでおとなしくしているだけだ」
祐司、ヌーイ、パーヴォットは店を出ると、一言もしゃべることなく急ぎ足で新市街地を抜け出してやって来た狭い門から旧市街地へ戻った。
「本当に申し訳ございません。わたしが余計なことを言ったばかりにヌーイ様に任せた交渉の邪魔をしてしまいました」
人心地ついた一行が立ち止まると、祐司はヌーイに謝罪した。
「気にするな。ハカーは相手がどの位の金額を出すのかではなく、どの位の金額を絞れるかということをするんだ。
値切っても保管料だとか、店の奥へ案内したから案内代とかと、次々と威嚇をかけながら要求してくる。かなりの出費だが、ひょっとしたら安かったのかもわからん」
ヌーイは祐司を慰めると、さらに解説を始めた。
「あいつは小心者なのだ。自分でも小心なことは知っているから手下を使って威嚇をして主導権を取り続ける。そして、相手を制御するんだ。でも、一度相手に主導権を取られると相手の動きに惑わされる。
どうも、ユウジ殿が神殿で盗難にあったことは知らなかったようだな。故買屋組織にはそれぞれ縄張りがある。ハカーの縄張りは新市街地だ」
「神殿付近を縄張りにしているのが、宿屋の亭主に紹介されたガバリっておじいさんなんですね。それを知っているから宿の亭主は案内を出してくれたんですね」
パーヴォットがヌーイに問いかけた。
「そうだ、縄張りは命に代えても守る。この後、血の雨が降るか、それなりの詫びを入れて手打ちをするか。
どっちにしても、ハカーのもとにユウジ殿の品を持ち込んだ手下は、うれしくない体験をするだろうな」
ヌーイはちょっと茶目っ気のある言い方で恐ろしげな内容を伝えた。
「それからガバリって爺さんは見た目で騙されるなよ」
「りっぱな郷士様とお見受けいたしますが、街の裏事情にも通じておられるのですね」
パーヴォットが感心したように言った。
「わしはドノバ侯爵家の近衛におった。侯爵様が市中巡回のおりは、その手の者らにワタリをつけて厄介ごとが起こらぬように情報を集めたり、その手の者に密かに警護の仕事を依頼しておったのだ」
ヌーイはパーヴォットの問いかけに答えると祐司の方を見て言った。
「しかし、わしにはあんたが本当は強いのか、とんでもなく危険に鈍感なのか。それとも唯の腰抜けなのかよくわからん」
「ユウジ様は優しくてお強いのです。ユウジ様は格好良かったです」
パーヴォットは晴れやかな声で言った。
シスネロス西部にある新市街地 旧市街地より通りは狭く、もとは湿地帯であったため水はけが悪い。




