自治都市シスネロスの街角1 シスネロスの夜
シスネロス近郊図 灰色の線は街道を示す。街道の太さは街道の規模ではなく交通量の多寡を示す。
中央盆地最大の都市シスネロスのことをシスネロス市民は「独立不羈の篝火 シスネロス」と自慢げに言う。
シスネロスはリファニアでは数少ない自治都市である。
渡河舟の事故に巻き込まれたために祐司達がシスネロスの市門に到着したのは、太陽がかなり西に傾いた頃だった。
シスネロスは中央盆地第一の都市というだけあって、その規模はヘルトナの優に数倍はあった。
シスネロスの立地はリヴォン川とその支流のモサメデス川の合流点にあり、南と東はモサメデス川に接して川に守られていた。
東側は狭隘な土地がモサメデスとの間にあり、西と南はリヴォン川とモサメデス川に守られ大規模な軍の展開はできない。
北には二重の市壁が築かれている。その市壁は高さが十数メートルほどもあり、この都市を攻略するには万という軍勢がいるだろうと思われた。
祐司は東の市門からシスネロスに入った。入市税として一人当たり銅貨三十枚と馬とラバに銅貨十枚づつ徴収された。ただ、市を出る時には銅貨三十枚は返却してくれるということで支払書を受け取った。
更に、市内でシスネロス市民以外の者が商売を行うためには、取引限度金額に応じた取引許可書がいると言われた。これがないと、シスネロス市民の告発によって物資をシスネロス市に没収される。
祐司は薬草を売ることを考えていた。ただ、取引許可書は市内でも発行してくれるということだったので、市内の様子を見てから適当な金額の許可書を入手することにした。
市内は、都市計画をもとに作られた街らしく不完全ながらも、東西、南北で交わる街路で方形に区切られた街区から成り立っていた。
祐司は行き交う人々もヘルトナから比べるとどこか垢抜けした服装と着こなしをしてるように感じた。
「大きな街ですね」
行き交う人の多さ、賑わう商店の様子を見て、何度もパーヴォットは同じ事を言った。
街路が交わる所にある、とある小広場に一際大勢の人間が集まっていた。台の上に立った人物の演説を聞いているような様子である。興味を持った祐司はよく見ようと近づいた。
台の上で聴衆に話しかけているのは、三十代半ばくらいの短めの着古したような上着にスラックスをはいた職人風というような服装をした男だった。
明るい茶色の髪に、薄い茶色の瞳で引き締まった顔は精力的な人物であると見て取れた。
祐司はすぐに男から、巫術師並みの光が出ているのがわかった。巫術師のように巫術のエネルギーを自分の意思である程度制御できる人間は薄いながらも常に光が出て後光のようになる。
しかし、その男の発する光は大きく噴き出すように、そして、まったく光が消滅したかと思うと再び爆発したように散発的に光の玉が飛び出るような感じだった。
祐司はあれでは不安定すぎて巫術は使えないと思ったが、気になったのは光の色だった。どこかで、見たような色合いだった。
しばらくして、祐司は猟師のドマホーテ親方が出していた光の色に似ていることに気がついた。
光が激しく出る時は男の口調が激しくなるようだった。
最初は男の光に気を取られたが、少し話の内容を聞いてみると「我らの栄光ある自治を守れ」「我らの意思を市参事会へ」といった内容の繰り返しだった。それでも、聴衆は喝采をあげていた。
あまりに喝采や拍手が続くと男は手で聴衆を制した。聴衆は一瞬にして静まりかえる。記録映画で見たヒトラーみたいだなと祐司は感じた。
そして、祐司は演説する男の光が、激しく吹き出すと、聴衆個々を取り巻く光が波のように反応していることに気が付いた。
演説する男が発する光はカリスマ光線ではないかと祐司は思った。まあ、そんな光線があったとしてだが、祐司にはその光をそう名付けずにはいられなかった。
ありきたりの内容でも人を引きつけるそんな本人が意識しない巫術があるのかも知れないと祐司は思った。
「ユウジ様、もう行きませんか」
パーヴォットが声をかけてきた。パーヴォットには男の言葉の魔術は効かないようだった。祐司には僅かに見えるパーヴォットの白い光が男の言葉に反応しているようにも見えた。
ある程度以上の巫術のエネルギーを持つ人間には、男の魔法は効かないのかもしれない。あるいは、もともと共感できるような考えがない人間には男の行っている内容が空虚に聞こえるのかもしれないと祐司は思った。
そう思って聴衆を見ると職人や、零細な商売人、使用人といった感じの者、またはその細君のような姿格好の者が大部分である。
「ああ、ともかく宿屋を決めよう」
祐司はよさげな宿屋を見つける度に値段を交渉したが、さすがにヘルトナとは二三割相場が高いようだった。
その宿の中から祐司は馬とラバの畜舎が裏にある中くらいの大きさの”リヴォン亭”という名の宿屋に決めた。
宿は馬車が行き違えるくらいの繁華な通りに面しており三階建ての建物だった。
宿で荷の整理が終わると、祐司はパーヴォットと少し早いが夕食を食べに、宿の一階にある食堂に出向いた。
「ご亭主、シスネロスのご自慢料理といったら何でしょうか」
「そりゃ、イワナの油煮だ。ちょうど今が季節だ。是非食べて下さい」
祐司は塩焼きの方が良いと言おうかと思ったが、初日から亭主の機嫌を損ねることもないかと思い直して二人分注文した。
油煮と言われたが、切り身を油を少し多めにしたハーブソースで煮込んだ料理だった。祐司はヘルトナでも同じような料理を食べたことを思い出した。ライ麦パンには塩焼きよりもこの調理法が断然あっていた。
祐司達がイワナ料理を楽しんでいると、三々五々食堂に客が集まってきた。その話題は、朝の渡河舟事故のことだった。
祐司が今日ついた客であると亭主が紹介した。すぐに何人かの客が祐司に質問をする。祐司は客に聞かれるまま自分の見たままの事故の様子をしゃべった。
ひととおり祐司が顛末を述べている間に、客以外にも宿の使用人や近所の者までが食堂に集まってきていた。
「ガカリナ子爵が溺れている人間を助けもせずに逃げ出したってのは本当なんだな」
一通り祐司の話が終わると職人風の若い男が憤慨した様子で尋ねた。
「逃げ出したかどうかはわかりませんが、衝突の後もそのまま川をのぼっていきました」
祐司は集まった人々を煽らないようにできるだけ冷静に言った。
「町内でも、自分の家族が巻き込まれたかもしれないと急いで何人かが出かけましたよ。しかし、いつかはガカリナ子爵ってのは何かしでかすんじゃないかという噂は本当でしたな」
年配の店主と言った様子の男がしたり顔で言った。
「ガカリナ子爵様というのは評判が悪いのですか」
パーヴォットがぽつりと言うと、人々は口々にガカリナ子爵のことを罵った。
それらの話はどうしても誇大や誤認があると思い、祐司は後日、宿の亭主に話を聞き返した。亭主は情報が集まってくる職業柄の利点があり、また話をおもしろおかしくしない人物のようだったからである。
宿の亭主の教えてくれた話によると、ガカリナ子爵家は、領地の大きさでは現在のドノバ侯爵直轄地よりも二倍も大きな領地を持っているドノバ州に残った領主の中では最大の領主だという。
ただ、収入の面ではシスネロス市がドノバ州で覇権を確立して以来、ドノバ侯爵家以外の残った領主は統治費用の分担金を要求される。
さらに直接の君主に相当するドノバ侯爵に領地安堵の礼という名目で、かなりの金額を上納させられるので歳入という面ではドノバ侯爵家に負けるという。
ガカリナ子爵家はシスネロス市と旧ドノバ侯爵との間で争われたシスネロス内戦では、ドノバ州北端に領地があるため北辺の安全を守るという理由で最後まで中立を維持した。
現在のドノバ侯爵家は内戦の最初から積極的にシスネロス市側にたち、旧ドノバ侯爵本城の攻防戦では武勲第一とされた。
このことが、現ドノバ侯爵家とガカリナ子爵家は旧ドノバ侯爵家との血筋では対等とか、ガカリナ子爵家の方が優位と見なされていたのにもかかわらず、明暗を分けた理由である。
最も、半分近い領主が廃されており、現ドノバ侯爵家の温情でシスネロスで末裔が僅かの捨て扶持を与えられて細々と暮らしているのに比べれば、ガカリナ子爵家へは破格の対応を行ったというのがシスネロス市民の感覚である。
こういった背景を持つガカリナ子爵家はもともとシスネロス市民には受けが悪い。
ガカリナ子爵家は内戦時に北辺の守護をうたい、結果的には外部からの干渉を防いだ功績がある。一般市民からは見えにくいが、これが評価されたおかげで領地を安堵された。
旧ドノバ侯爵家も武門を誇る家柄であったが、ガカリナ子爵家も武門の家柄である。ドノバ北辺の地で半農半兵といった郷士格の兵士を多数抱えている。
他家が郷士か裕福な郷士格の兵士で構成されたきらびやかな服装や、儀仗的な武具を揃えて年に一度のシスネロス市入場を行うのに対して、殺伐とした飾りのない甲冑に身を固めた粗野な感じの実戦形式の武具をこれみよがしにした多数の兵士をもって入場してくるガカリナ子爵家は異質な存在だった。
シスネロス市の歓楽街にとっては、領主領からの兵士が集まる時期はかき入れ時でもある。その中でガカリナ子爵家の兵士はすこぶる評判が悪い。
まず、郷士として扱うように要求はするがとことん値切る。集団で暴飲暴食高歌放吟、その後で遊女屋に繰り出す以外には遊ぶ術を知らない。
遊女屋でも、「サカリの付いたガカリナ犬」と陰で言われて女達からはいい顔をされないという。シスネロスような大きな街のそれなりの遊女屋では、最初に相手の女に幾ばくかの「心付け」を出すのが習慣である。
しかしガカリナ子爵家の兵士は「心付け」を要求した女を殴ったというようなトラブルが絶えないという。
他家の兵士は街の文化である「粋」を理解して金払いがよく、各家の兵士に対する注意が行き届いているのか市民との衝突をさけたり、市民に対する言葉遣いは目上言葉でも丁寧に対応するのとは雲泥の差だった。
このようなことからガカリナという言葉は、シスネロスでは「日和見」「粗野」「田舎者」といったような意味で取られる否定的な感じの言葉である。
しかし、シスネロス市と市民にとって、ガカリナの現在の大きな問題とは現当主のバンガ・バラストラ・ホラーツ・ガカリナ子爵にある。
ホラーツとはガカリナ子爵家ではよくある名前であり当主だけで三人目だという。リファニアでは二世とか三世と呼ぶ習慣がないことと、爵位を持った人物は美称が付くためにそれで区別される。
バンガ(卑称)・バラストラ(美称)・ホラーツ(本人の名)と並ぶが、バラストラとは見境なき勇猛といった意味である。ヨーロッパ風にいえば猪突突進公ホラーツという感じである。
バラストラという美称は、ホラーツ子爵の自称である。普通はお抱えの神官に名付けて貰うものである。自ら突進公と名乗るのは、リファニアでは自分が危険人物であると喧伝するに等しい行為である。
ドノバ州内戦を乗り切った先々代のガカリナ子爵は、他の領主が取りつぶしや、家を傾かせるほど戦費を費やしたのに比べて兵と領地の両方を損じることもなく家を保った子爵家の功労者である。
周辺の貴族の評価は、おっぴらに賞賛することははばかられるが上手く立ち回って家名を保った有能な人物である。
ところが、ガカリナ子爵家での評価は極めて悪い。部門を誇るガカリナ当主として日和見を決め込んで家名を汚した人物とされる。先代のガカリナ子爵はこの親に反発して平穏の訪れたドノバ州の中で兵を鍛え無骨な家風を保った。
その薫陶を受けて育ったのが現当主である。北辺の警護を理由に自営農民志願兵を郷士並とすることで兵を増強した。
兵力増大で悪化する財政は、先代から近隣の紛争地帯に傭兵部隊として自領兵を派遣してなんとかやりくりしていた。
これは、ドノバ州以外の領主とは交渉・婚姻が制限されているため個人的な参加だと言いつくろい。傭兵の給与の一部は他領との交易を行った場合にシスネロス市が徴収する交易税として納めていた。
このような状況はシスネロス市民もよく知っており、いつかは、現当主の軽率な行いでガカリナはドノバ州の火種になるだろうというのがもっぱらの評価だった。
「ユウジさま、ありがとうございます。このようなご馳走を」
パーヴォットは、イワナが気にいったのか、かなりの量の料理をすっかり平らげてしまった。
「よかったな。従者さん、モサメデス川のイワナは絶品だ。それにしても巡礼さんは気前がいいね。従者さんにも同じ料理とは」
近くにいた亭主が笑いながらユウジに言った。祐司は数日は宿泊するつもりだったので亭主に良い感じを持たれることは損にならない気がした。
「よし、パーヴォット、一つ言いつけをする」
「なんでもします」
パーヴォットは気楽な調子で言った。
「今から、風呂屋に一緒に行くこと」
「でも」
祐司の言いつけにパーヴォットは躊躇した。
「あの服なら、シスネロスの女の子にでもひけをとらないぞ。何しろ着る女の子がいいからな。それとも、もっと良い服を買って決定的な差をつけるか」
「ユウジ様のバカ」
パーヴォットは頬を膨らませて抗議する。ところが、次の瞬間、泣きそうな目になってあわてて、祐司に言い訳を始めた。
「いや、今のは本気ではありません。どうか堪忍してください」
祐司は、しばらくパーヴォットをいじっているのも楽しいかなと思いつつも、その欲を押さえ込んだ。
こうして祐司のシスネロスでの最初の夜は更けていった。
ただ、太陽はほとんど沈むことなく最も暗くなった時でさえ、西の空は明るい太陽の残照があるために、暗いという意味での夜はなくなり人々が疲れから街がしばらく静寂になることで、夜がきたことを思い出させてくれる季節になっていた。
後で思えばこの夜がシスネロスでの最も幸福な時間だった。
シスネロスの繁華な通り。祐司の宿泊したリヴォン亭もこのような通りに面している。通りは部分的に石で舗装されており、なんとか馬車がすれ違えるほどの幅がある。




