表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第十六章 北西軍の蹉跌と僥倖 下
750/1166

北西軍の僥倖11 森林戦 下

 この話の後半に残虐な表現が出てきます。そういった描写が苦手場方は・・・・に挟まれた部分は読み飛ばして下さい。



 迷彩や各自が警戒する方向を決めての行軍方法は、イルマ峠周辺でのモンデラーネ公軍との森林戦で大きな効果を上げていたが、王都貴族義勇軍に参加したバーリフェルト男爵家の郷士家臣エドヴァルナドも最初の敵を討ち取ったのは森林地帯での待ち伏せ攻撃だった。


 エドヴァルナドは十人の兵士と案内役の猟師で構成された隊の長として一人を前方に進出させた傘型の隊形で哨戒、すなわちパトロールを行っていた。



挿絵(By みてみん)




 森林の中の微高地を越えたところで案内の猟師とともに隊で最も視力が優れた先頭を行く兵士が屈むと指信号で異常を知らせた。

(第六章 サトラル高原、麦畑をわたる風に吹かれて 嵐の後2 姉弟、レティシアとアルカン 上 参照)


 エドヴァルナドはすぐに散開して遮蔽物の後方に隠れるように指信号で合図を出した。エドヴァルナド自身は三人の兵士とともに倒木の後に隠れて地面に伏した。


 案内役の猟師は無言で後方へ走って移動した。案相役の猟師は戦闘に参加することは求められないが、敵と遭遇した時は相応な距離の後方に下がって隊が潰滅したような時はすぐに逃げて本陣に一報を入れる役を担っていた。


 この森林地帯の哨戒には巫術師が同行することはほとんどなかった。巫術師が貴重だということもあるが、木々の生い茂った森林では”雷”の効果が期待できなかったからだ。


 エドヴァルナドは弩に装填した矢を点検すると、自分の右にいる弓を装備した兵士に矢をつがえて待機するように伝えた。

 バーリフェルト男爵家軍が哨戒をする時には、弩と弓を持った兵が二人で一組になるように構成してあった。


 弩は近距離の精密射撃ができて甲冑を貫く力もあるが速射が効かない。弓は貫通力が弩に負けるが速射が効くので互いに援護するためである。


 しばらくすると木漏れ日に磨き上げたヘルメットとラメラアーマーをきらめかせながらモンデラーネ公軍の兵士が一列になって森の中をやってきた。


 モンデラーネ公軍の兵士達は長く歩いてきたのかヘルメットのひさしを押し上げて時々額の汗を拭うような仕草をしていた。


 エドヴァルナドは先頭のグレイブを持ち甲冑の上に左が黄色で右が赤に染めわけられた陣羽織を着た人間が長だと判断した。その背後に弩を持った兵士が四人、槍を持った兵士が三人続いていた。


 エドヴァルナドの隊は全員がレーザーアーマーか鎖帷子といった比較的軽量な甲冑だけを装備して弩と弓で武装しており、長柄の武器や楯は携行していなかった。

 これは攻撃は基本的に待ち伏せ攻撃だけを行い、敵わないと判断すれば隠れるか逃げるということが優先されたためだ。


 そのために万が一白兵戦になると武器は剣だけだった。


 エドヴァルナドは指信号で弩を装備した兵を狙えと合図した。エドヴァルナドから見えない位置にいる兵士にも伝言ゲームのように指信号でエドヴァルナドの命令が伝えれた。


 エドヴァルナドの位置から一ペス半(約二十七メートル)ほどの距離で突然モンデラーネ公軍の先頭の男が「止まれ」と声を出した。

 そして男は後方の槍を持った兵士を一人呼び寄せると、手でエドヴァルナドらが越えてきた前方の微高地を調べろというような仕草をした。


 エドヴァルナドらが隠れている場所はモンデラーネ公軍の兵士達がいる場所からは緩やかな登りに斜面になっている場所で、その背後からまた降っているというような地形だった。

 モンデラーネ公軍の長は兵士に微高地の斜面の反対側に敵がいないか調べさせるつもりのようだった。


 槍を構えた兵士はおっかなびっくりという感じでエドヴァルナドらが潜む場所に接近してきた。


 もちろん迷彩姿で隠れていても至近距離なら発見される。


 元々エドヴァルナドも迷彩の機能は遠距離で進んでくる軍勢を少しばかり見落としやすくさせ、発見されても軍勢の人数を誤認させれば十分という認識である。


 エドヴァルナドは迷った。先に攻撃はできるが一ペス半(約二十七メートル)という距離は弩、弓とも当てごろ外しごろという距離だからだ。

 大方の兵士を最初の一撃で倒せればいいがそれが出来ずに斬った突いたの白兵戦になれば所持する武器から不利である。


 そして自分が弩で狙いをつけているモンデラーネ公軍の長が自分と同じ年頃だと気がついた。

 ふとあの男も自分と同じように子供の父親かも知れないなどと余計な思いが頭に浮かんできた。


 エドヴァルナドはモンデラーネ公軍の兵は犯罪者で情けなどかける必要はないと自分に言い聞かせた。

 モンデラーネ公は公然とオラヴィ王に敵意を示しているわけではないが、他領に武力を行使することを諫めたオラヴィ王の書状に従ったことはない。


 王都貴族軍のエドヴァルナドからすればモンデラーネ公はオラヴィ王の権威をないがしろにする犯罪者でそれに従う者達も犯罪者である。


 エドヴァルナドは「撃て」と声を出した。エドヴァルナドが放った矢はモンデラーネ公軍の長の腹の上部に命中して装備した鎖帷子を貫通した。


 男は膝をつくと両手で刺さった矢を押さえて動かなくなった。


他の兵士達が放った九本の矢のうち四本が三人の弩を持った兵士に命中した。

 

二本が命中した兵士は喉と右肩に矢を受けて派手に後方へ倒れ込んだ。それぞれ一本の矢を受けた兵士は甲冑で保護されていなかった右太股と左胸に矢を受けた。

 残った弩を持った無傷の兵士が慌てて矢を発射したが、これは狙いもつけずに放った為にあらぬ方向へ飛んでいった。


 バーリフェルト男爵家軍の弓を持った五人の兵士が膝立ちになって連射を始めた。弓の利点は速射が出来ることである。


 弓で敵を足留めしてその間に弩の装填を行う。


バーリフェルト男爵家隊からすれば最も厄介なのは槍を持った兵が吶喊してくることだ。矢を避けて接近されれば逃げ出すしかない。

 飛翔する物体が最初はゆっくりした速度であるリファニアの物理法則によって矢の発射さえ見逃さなければ矢を避けることは比較的容易である。


 ただ近距離からそれこそ矢継ぎ早に矢が飛んでくる中では槍を持った三人兵士は木の背後に隠れて出てこようとはしなかった。


 モンデラーネ公軍の弩を持った三人の兵士は二人が動けない状態で、一人はその場で再装填している間に複数の弓の矢を受けて動かなくなった。


 モンデラーネ公軍の弩と槍を持った兵士が真逆のことをすればエドヴァルナドの率いるバーリフェルト男爵家隊は困ったことになっただろう。

 弩を持った兵士はまず木などの遮蔽物を確保してから射撃をすれば、バーリフェルト男爵家隊はもっと手間取っていたはずだ。


 そして槍を持った三人は勇気を出して吶喊してくれば、弩や弓の射撃精度は必ず低下する。

 彼等が装備している重厚なラメラアーマーなら弩は無理でも弓の矢は防げる可能性があった。


 顔以外の場所に命中しても致命傷にはならなかっただろうし、槍で接近されてしまえばバーリフェルト男爵家隊は防御のしようがない。

 

 弩の矢を再装填したエドヴァルナドは立ち上がると、「撃ち方やめ」と戦闘が始まってから初めて声を出した。

 木の後に隠れた槍を装備した兵士を始末するには射撃を続けていてもらちがあかないと思ったからだ。


エドヴァルナドはまだ腹に受けた矢を両手で握ったまま跪いているモンデラーネ公軍の長を右足で蹴り倒すと、弩を弓を持ったペアの兵士に渡した。

 兵士は弓を背中に背負うと弩を受け取った。エドヴァルナドはモンデラーネ公軍の長が持っていたグレイブを拾い上げると二回突いてからグレイブの中央部を持って右手だけで数回円を描くように回転させた。


 エドヴァルナドはグレイブの使い手だった。リファニアのグレイブはやや湾曲しており斬るということを重視はしているが切っ先は両刃になっており刺突という機能も持っている。

 ただ斬ることに特化した薙刀、突くことに特化した槍と比べるとリファニアのグレイブは二兎を追った扱いにくい武器である。


 エドナルヴァドがグレイブを回転させる時に不気味な風を切る音がした。グレイブを扱ったことがある者ならその音で彼がどれほどグレイブに手慣れているかがわかる。

 

「出てきて降伏しろ」


 エドヴァルドはグレイブを構えながら言った。


 しばらく沈黙の時が流れる。木の後ろに隠れた三人の兵士が槍を次々と投げ捨てた。エドナルヴァドのグレイブとやり合うのは不利と判断したようだった。


「剣も投げ捨てろ。心配するな。こちらの言うとおりにしていれば殺したりはしない」


エドヴァルナドはさらに声をかけた。


 今度は二つの剣が木の陰から投げ捨てられた。エドヴァルナドは「早くしろ」ともう一人に促した。


 その時剣を投げ捨てなかった兵士が抜刀したまま木の陰から飛び出して逃げ出した。

エドヴァルナドは「撃て」と命じる。一本の弓の矢と二本の弩の矢が逃げ出した兵士の背に深々と射込まれた。

 

 リファニアの物理法則によってしっかり矢を見ていれば避けられるとはいえ、敵に背を向けて逃げたとなると絶好の標的である。


 ただこのことですでに投降の意志を示していた二人の兵士から誰もが視線を逸らしていた。

 一人の兵士が足元の剣を拾い上げると一目散に走り出した。それに気がついたエドヴァルナドは横合いから駆けて兵士の前に出るとグレイブを構えた。

 

 兵士は剣を抜くと顔の前に突き立てるようにエドヴァルナドの方へ走り込んできた。長柄の武器と戦うときは手元に飛び込めといわれるが、これはリファニアでも同じである。

 薙ぎ払うようにグレイブが動いてくるなら剣で受け止めてから飛び込む。グレイブが突き出されてくれば剣で逸らしながら相手の喉元を突く。


 エドヴァルナドはグレイブの先端にある刀状に反った穂先の背の部分に接近する剣を誘導するとグレイブを捻った。

 すると剣は何かに挟まれたかのように大きな力で兵士の手からもぎ取られた。エドヴァルナドのお得意の武芸である。


 祐司ならエドヴァルナドのグレイブの動きを見きれるのでグレイブをかいくぐってエドヴァルナドの胸元に飛び込んだだろうが、リファニア人同士の戦いではエドヴァルナドの武芸は圧倒的だった。


 エドヴァルナドはグレイブを兵士の胸に突き出した。素手になった兵士が両手を挙げた。


 エドヴァルナドのグレイブの切っ先は兵士の喉元半アラ(約一.五センチ)の場所で止まった。


「オレがグレイブの達人で命拾いしたな。並の使い手だと勢いを止められずにグレイブの切っ先は喉を切り裂いている」


 エドヴァルナドは後でいい気になって増長したことを言ってしまったと思う言葉を口にした。



 エドヴァルナドは投降した二人の兵士を縛り上げさせると、地面に横たわっている六人の兵士を見聞した。

 指揮官は鳩尾に矢を射込まれておりすでに虫の息だった。最初に矢を受けた四人の弩兵は二人がそれぞれ肩と腕に矢が命中してはいるが手当てをすれば歩ける様子だったのでエドナルヴァドは手当てをさせた。


 あとの二人の弩兵と逃げ出した槍兵はすでに絶命していた。


 エドナルヴァドは死んだ三人と虫の息の指揮官の首を刎ねることにした。


「オレからするから後はオレが指名した者が首を刎ねるんだ」


 エドヴァルナドは自分から首を刎ねるとは言ったもののこれが初めての経験であった。


 祐司にはリファニアの風習習慣で幾ら中世段階の世界ではあっても首肯できないモノがある。

 その一つが合戦において敵の戦死者の首を刎ねるという風習である。無論日本でも戦国時代を中心に合戦で盛んに首を刎ねるということは行われた。


 しかしリファニアは中世世界でも領主を含む信者の寄付で神殿が貧者の為に病院や孤児院を開設したり、領主も領民に限るという範囲ではあるが種々の撫恤ぶじゅつ策を講じる。


 また現実に敵対するヘロタイニア人を除いては人種民族に対する偏見や差別も見られない。

 身分社会であってもそれぞれの身の丈にあった行動をして、目上の者に相応の敬意を持って接していれば無礼打ちなどと言う理不尽な行為は処罰の対象となる。


現代日本人の祐司にも居心地のいい中世世界である。


 合戦においても味方が優先となるが置き去りにされた敵の負傷者も懇ろに手当てする。

 これは人道的な心からではなく身代金を要求したり一生奉公にしようという下心があるが、実際にリファニアの合戦に参加した祐司の目から見て捕らえられた負傷者は人道的に扱われていた。


 それなのに負傷者が死ねば首を刎ねてしまう。


どうも先住民のイス人も千数百年まえにリファニアに渡って来たヘロタイニアからの移住者も敵の首を刎ねるという習慣があたっために、誰も疑問に思わずに延々と行われているらしい。


 ただ大規模な合戦だと首を刎ねるのは敵将や名のある者だけで、兵士の戦死者は指や耳を切り取って討ち取った証拠として敵の戦死者の数を調べるのに使われる。


 そういった都合はあるかもしれないが中世世界として理性的と思えるリファニアに戦死者の遺体を毀損する首狩りのような行為は祐司は似合わないと思っている。


 リファニア人と対立するヘロタイニア人には首を刎ねる習慣はない。


 ヘロタイニア人は自分達のみが神に選ばれた真の人間でリファニア人等の異邦人は亜人間と思っている理由の一つに、こうしたリファニア人が首を刎ねるという行為をするという悪しき習慣を持っているからだということがある。


 ただヘロタイニア人は首を刎ねないかわりに戦死者を火葬する。リファニア人にすれば神々が与えてくれた火で人を焼くなど神々への冒涜である。

 リファニア人がヘロタイニア人をして人の心が麻痺している恐るべき者達だと毛嫌いする最大の理由である。


 ただ現代日本人の祐司からすれば火葬は当たり前のことであるから、この件についてはヘロタイニア人の言い分が祐司には理解できる。



・・・・ここから残虐な表現があります・・・・・・


「今からお首をいただこうと思いますが、もし同意なさらないのなら連れ帰ります。同意されるのであれば首を縦に振って下さい。

 不同意なら横に振って下さい。ただし連れ帰る途中でお亡くなりになった時は首を刎ねます」


 エドヴァルナドは地面に横たえられたモンデラーネ公軍の長に跪いて声をかけた。


 エドヴァルナドは内心彼が首を横に振ってくれることを願っていた。ところがモンデラーネ公軍の長はかすかにではあるが首を縦に振った。

 すでに死相といった様相になっているはいるが、無抵抗の者にトドメをさすのはエドヴァルナドも出来れば行いたくない。


「わかりました。立派なお覚悟です。わたしもかくのごときでありたいと思います」


エドヴァルナドは頭を下げて言った。


 そしてエドヴァルナドはモンデラーネ公軍の長が着ていた陣羽織を顔に被せて首だけが見えるようにした。

 エドヴァルナドは無様な格好だが確実に首を刎ねる方法をとることにした。一撃で首を刎ねないと無用の苦しみを与えるからだ。


エドヴァルナドは剣を抜くとモンデラーネ公軍の長の首に当てた。そして剣先を右足で地面に固定すると左足を剣の柄に乗せた。

 エドヴァルナドは左手で剣の柄の端を持って固定させると一気に左足に体重を乗せた。剣は押し切りのように動いて首を切断した。


 しかし首の骨で剣は止まった。エドヴァルナドは左足を少し上げると思い切って再び踏み込んだ。


 首が完全に切断されて地面に転がった。大量の血が地面に広がり、そして飲み込まれた。


 バーリフェルト男爵家隊はエドヴァルナドの指示で二人一組になって次々と死者の首を刎ねた。

 首を刎ねたはいいが首を持ちかえるのも一苦労である。首は十斤(約六キロ)以上の重量がある。結局首を布で包んで習い通りに腰にぶら下げて帰ることになった。

 

・・・・・残虐な表現はここまでです・・・・・・



 エドヴァルナドは首を刎ね終わると胴体だけの死体から甲冑とヘルメットを脱がして、死体は浅くだが急いで穴を掘って埋めた。

 これは弔いの意味合いよりも野生動物を引き寄せないためである。あちらこちらにある死体を求めて狼や熊を引き寄せてしまっては自分達の行動も制約を受けてしまう。 


 穴を掘っている間にモンデラーネ公軍の槍兵が持っていた槍を槍の穂先を抜き取って柄だけにすると、モンデラーネ公軍の兵士に二つの担架を作らせた。

 その担架に重傷で歩けないモンデラーネ公軍の二人の弩兵を乗せた。担架の一つはモンデラーネ公軍の兵士、もう一つの担架はバーリフェルト男爵家隊の兵士が交代で運ぶことになった。


 また殺した者の武具は捕虜にした負傷しているが歩ける兵士の背に負わせた。武器はさすがにバーリフェルト男爵家隊で運ぶことになった。

 こういった戦闘で入手したものは戦利品として認められる。八人分の武器武具となるとかなりの利益が見込めた。


 バーリフェルト男爵家隊の当日の任務は猟師隊と称されるもので、モンデラーネ公軍の哨戒隊を殲滅するのが目的だった。

 エドヴァルナドは目的を果たしたので、初陣に欲をかいてはならないと警戒をしながら自軍の野営地にもどった。


 エドヴァルナドは敵から奪ったブレイブをいたく気にいった。部下達もそれは隊長が使った方が武器も喜びますと言ってくれたのでありがたく戦利品として頂戴した。


 このグレイブはエドヴァルナドの一生モノの愛器となった。



挿絵(By みてみん)




 このような様相のイルマ峠周辺の森林での戦いは毎日続いた。全て王都貴族軍が勝つとは限らなかったが、少数の兵による森林地帯の戦いはモンデラーネ公軍にとってはひどく分が悪かった。


 毎日哨戒に出す少数の兵士の隊はひどい日には半分が帰ってこなかった。そのような被害は滅多には出なかったが、毎日数名の被害といっても十日二十日となると無視できない人数になる。


 またモンデラーネ公軍の兵士も味方の野営地を離れて森林の奥に行くことに怖じけだした。

 そこで野営地のほんの近くだけを回ってきたり、複数の組が合同して人数を増やして哨戒を行うようになった。


 人数が多くなると襲撃されることはなくなった。必ず仕留めるという確信がなければ相手は攻撃をしてこなかった。ただし人数を増やすと哨戒網が疎になる。


 こうなってくると野営地に接近する王都貴族軍兵がおり、突然弩や弓の矢が飛んできた。

 実質的な被害は数日に数名が死傷する程度だが、野営地でも緊張していなければならないのは兵士の心身を疲労させた。


 モンデラーネ公軍は業を煮やして、百人単位で哨戒を始めた。王都貴族家軍は指揮官のケルマン男爵の舎弟グテナン・エルランドルから優勢な相手とは交戦せずに、敵の居場所とその意図するところをすぐに本陣に知らせよと厳命されていたのでモンデラーネ公軍の動きは空振りになった。


またやられっぱなしでは沽券に関わるので、モンデラーネ公軍輜は二百人ほどの軍勢で解囲軍の野営地を急襲しようとしたことがある。

ところがこれはその倍の人数の王都貴族軍に待ち伏せされて数十人の死傷者を出した。


 元々イルマ峠周辺の森林戦に北西軍では王都貴族家隊の千八百余を基幹にこれを機動的に用いた他に宿営地周辺の警戒に千数百を当てていた。

 これに対してモンデラーネ公軍はイルマ峠城塞包囲を行っている軍勢から時々兵力を抽出して森林地帯の支配圏を握ろうと二股をかけた戦いをしていたので、一時に投入できる兵力は多くても千弱だった。 


 当然哨戒する部隊の数の差から北西軍はモンデラーネ公軍の動きを相手より素早く正確に判断できた。


 さらに多数で森林地帯に向かったモンデラーネ公軍は敵に出会うこと無く徒労どころか人数が多いために常に数人の迷子を出すはめになった。

 どうしたことか森で迷子になったモンデラーネ公軍の兵士で帰還した者は数名に一名ほどだった。


 精鋭モンデラーネ公軍といえども兵士は中世世界の人間である。彼等はアヴァンナタの森の精霊による仕業だと噂し、そして野営地から離れて見知らぬ森に入ることを嫌がりだした。


 一度森が恐ろしと思い出すと湧き上がってくる恐怖心は止めども無く兵士の心の中にあふれ出す。ヨーロッパでも人間の力が自然を凌ぎ出す十七八世紀頃までは森は恐ろしい場所だった。


 だからこそ森には赤ずきんを食らわんとする人食い狼や、ヘンデルとグレーテルを食べようとする魔女、そして白雪姫を助けてくれたとはいえドワーフの類である小人という人外が住んでるとされた。


 迷子になったモンデラーネ公軍兵士が滅多に帰ってこなかったのは偶然もあるが数多くの王都貴族家軍の集団が活動しているので、彼等がそうした迷子を見つけることが多かったことも原因である。

 また戻ってきた兵士から話を聞くことができないので推量になるが、単独で森を彷徨っている時に敵を見かけると逃げるために益々森の奥へと入っていったとも考えられる。


 リファニア北部の針葉樹の森は”緑の砂漠”である。


 日本でいえばエゾマツの仲間であるトウヒの類がリファニア北部では優占種であるが、その実は松ぼっくりであって時間と道具をかけて加工しなければ食べることができない。

 キノコはそこそこあるが自分の故郷の森で食べられるキノコを知っているか、キノコに習熟していないと食べられるのか毒があるのかを見分けるのは難しい。

 

 そしてそこには狼の群れや熊が住んでいる。長い人間との歴史の中で彼等は集団になっている人間は獲物では無く自分達を狩ろうとしている危険な存在であると認識しているので人間の集団が来ると姿を隠す。


 ところが単独で行動している人間は彼等にとっては餌に見える。


 七月の中旬になると森林での支配圏を握って解囲軍への迂回攻撃路を得ようとするモンデラーネ公軍の意図はさらに実現が難しいモノになった。


 それは解囲軍がホフ湖北岸の物資用陸地からイルマ峠までの補給路に攻撃をゲリラ的な仕掛けてきたためだ。

 モンデラーネ公軍は補給路の確保に兵力を使う必要にかられてイルマ峠付近の森林は野営地とイルマ峠城塞包囲網を維持する以上のことは次第に出来なくなった。


 このためにイルマ峠を迂回した森林の中の臨時軍道といったルートを北西軍が確保して兵力と補給物資を東に位置するシャヤ渓谷を守っている北西軍本隊に輸送できるようになった。


 モンデラーネ公軍別働隊は最低限の仕事であるイルマ峠を封鎖して北西軍の補給路を遮断するという役割も森林戦で敗北したために出来なくなり、単に兵力を誘因されているという形になっていった。



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ