輝くモサメデスの川面7 戦士長クチャタ
「わたしは、ジャギール・ホト・クチャタ・ハレ・ヌーイと申すドノバ侯爵家に仕える郷士格の戦士長だ。我が息子、ジャンマを助けていただき言葉もない」
祐司が救命処置を行い、息を吹き返した子の父親があらたまった口調で名乗った。
リファニアの軍は近代軍とは違い、階級がそれほど細分されていない。戦士長とは郷士の次男以下が軍務で最初につく戦士長補佐の上で、郷士の長子が最初に任命される階級である。そして、平民の古参兵が望みうる最高の階級でもある。
戦士長を無理に近代軍の階級に当てはめると、特務曹長や准尉に相当しており、将校と下士官の中間にある位であり、日本の戦国時代では小物組頭に相当する。また、組織の面からは戦士長は、二三十人の兵士を率いるので小隊長に相当する。 注:文末参照
ジャギール・ホト・クチャタと卑称と名の間に”ホト”が入る者は身分の相続権があるという称号である。同種のものに”レ”がある。女性の場合はエルないしエレを使用する。
祐司は口調と格好から自分と同じジャギールの卑称を持つ男は郷士階級で長子であろうと思ったが、年から考えると戦士長というのはいささかそぐわない。
スヴェアから聞いた知識から判断すると少なくとも、戦士長の上位の半隊長か、百人長に就いていて当たり前の年の筈である。
クチャタが戦士を名乗ればそれはそれで納得がいく。郷士や郷士階級のものだけで、構成された精鋭部隊があり、士族戦士という正式名称で、一般兵からは戦士長並みの敬った扱いをうける戦士がいるからである。
祐司には、そのことからクチャタが戦士長と名乗ったことに違和感があったのだ。
「逃げやがった」「憶えてろ。ご領主でもただじゃすまさんぞ」
祐司が立ち上がると、舟に乗っている人々が次々非難の声をあげていた。渡河舟にぶつかった御座舟はそのまま救助を行うこともなく立ち去ったらしい。
すでに、はるか上流を何事もなかったように進んで行く御座舟が見えた。
祐司の乗った渡河舟はしばらく流れに乗って流される人を拾い上げて、泳いでいる馬は舟の横に繋いで沈まないようにしてやって泳がせた。
船頭は甲板の下にあった三隻の舟を失って筏のように漂っているぶつけられた渡河舟にロープを投げた。
まだ、甲板に残っていた水夫がそのロープを筏のような舟にくくりつけた。筏のような舟を曳き始めて渡河舟は大きな負荷がかかり、あちらこちらから軋むような音をあげた。
川の両岸から大事を聞きつけて多くの舟が集まってきた。
「よーし、もういいだろう。岸に向かうぞ」
船頭が大声を出した。渡河舟は流れに乗って動くことが前提の舟で小回りが利かない上にぶつけられた渡河舟まで曳いている。
すでに、流れに沿って浮き沈みしたり、荷に捕まって流されたいた者は大半が救い上げられた。また救助された人で甲板が手狭になってきたことから船頭が救助の打ち切りを判断したらしい。
すぐに渡河舟は対岸に近づいた。土手の上には二人の男がいてロープを舟に投げ込んできた。船頭はそのロープを舟に固定すると手を振った。土手の上には男達の他に二頭の馬がいてロープを引っ張る。舟は無事に着岸した。
舟を降りると祐司達は役人から素性あらためと見知ったことを話すように言われた。そして、トリンカ神官が言っていた対岸の神殿の隣にある渡船詰め所の前まで他の舟客と一緒に連れていかれた。
渡船詰め所の前で待たされていると、担架に乗せられた遺体が次々に運ばれたきた。詰め所の隣にある神殿は小規模で少し大きめの民家ほどの木造の建物だった。
すぐに神殿は一杯になったようで、神殿の前にも遺体が並べられた。遭難者の家族や知り合いが集まってきて遺体を確認するとあちらこちらで号泣する声がこだました。
やりきれない、風景をしばらく見せられた後、祐司はパーヴォットとともに渡船詰め所に入れられた。
「え、ジャギール・ホト・クチャタ。あなたが取調官ですか」
祐司は目の前に机の向こう側にいる男を見て素頓狂な声を上げた。
「いや、手が足りないそうだ。わたしがドノバ侯爵の配下であるとわかると応援を頼まれた。緊急時はシスネロス市当局の指揮下に入ると規定されておるので断れんのだがな」
行政組織はえてして縦割りであり、通常なら指揮系統が異なる人間に命令は下せないのだが、シスネロスは商人の規範に従って動く行政体なので柔軟性があるのかと祐司は想像した。
「先程、言いましたようにわたしは、ジャギール・ユウジ・ハル・マコト・トオミ・ディ・ワ。一願巡礼です。これは従者でローウマニ・パーヴォット・ハレ(女性につける父親の名に対する前置詞)・キンガ・ヘフトル・ディ・クルト。名のように女です。見た目は男ですが旅の安全を考えてのことです。その他に女を男と偽っての目的も話す必要がございますか」
「いいや、結構」
クチャタはしばらく祐司の差し出した信者証明、一願巡礼の証明やメダル、紹介状などを見てから返事をした。
それから、事故の被害者に聞き取られるというのも変な話であるが事故の目撃談をクチャタに聞かれた。クチャタは祐司の話を書き留めた。
「これからどこに行かれるのか」
「シスネロスです。周囲の神殿なども含めて参拝しますのでしばらく逗留するつもりです」
クチャタの事務的な問いかけに祐司も判で押したような言い方で返した。
「ジャギール・ユウジ殿、実はわたしには兄がいて郷士位を継ぐことになっておった。しかし、この冬に風邪をこじらせて死去いたした。
兄には子供がなく、わたしが優先相続者になった。このことを領地の神殿に報告するため妻と長子を連れて故郷を訪れた帰りだったのだ。まあ、領地と言っても小作に出している土地が僅かばかり残っておるだけだがな」
祐司がクチャタが郷士の優先相続者でありながら年齢の割には戦士長という低い地位であることの理由がわかった。
「妻と子は今回の事故で、今日立つとはいかぬ様子だ。わたしも事故の報告書を書かねばならないだろから三四日日はここに滞在することになる。
ユウジ殿には今日の御礼すぐにでもしたいのは、やまやまであるがそうもいかん。是非、五日後に拙宅を訪ねて欲しい。
それまでに何か困ったことがあれば昔気質の人間で気むずかしいが我が父に頼って欲しい。人の難儀は見て見ぬふりをできぬ人間だ」
「お父上様にあなた方が無事でいることをお伝えしましょうか」
「いいや、お気遣い無用だ。すでに別の者に使いを頼んだ。これは父にあてたあなたの素性と、息子を助けてくれた経緯を書いたものだ。
先程言ったようにわたしが戻るまでに困ったことがあれば父に見せて援助を求めるといい。屋敷の場所もいっしょに書いてある」
クチャタはそう言いながら羊皮紙の手紙を祐司に渡した。
「短い時間にいつ書かれたのですか」
「書くことが本職だ。侯爵家の近衛隊で出納組頭をしておる。戦士長というのは緊急動員になった場合の軍での位だ」
クチャタは見た目と違って文官だった。
祐司は事故と取り調べですっかり時間を食ってしまったが、まだお昼を少し過ぎた時間であったのでシスネロスへ向かうことにした。
道はモサメデス川の右岸の土手沿いに、シスネロスまでほぼ一直線だった。話ではシスネロスに近づくと、モサメデス川から道が離れていくと言うことだった。
土手道から見る多くの命の飲み込んだモサメデス川は、何事もなかったかのように蕩蕩と流れている。
少し風が、吹くと浪が立って川面が煌めいた。
「遠くまできましたね。キリオキスの峰は昨日までは本当に遠くに見えていました。ここでは、もうそれもわかりません。キリオキスはヘルトナからは、はっきり見えました」
パーヴォットが立ち止まってモサメデス川を挟んで東の方を見ながら言った。パーヴォットの耳元をモサメデスからの風が駆け抜けて細い髪の毛を揺らしてした。
「そうだな。でも、まだ、旅は半ば処か、その半分も来てないぞ。わたしの寄り道もあるが、パーヴォットの目的地に着くのは来年の今頃かもしれなしな」
祐司も立ち止まって、パーヴォットの横に立ち、東の方を見て言った。
「まだ、一年あるのですね」
パーヴォットは、そう呪文のように言うと祐司の方を見て、思い切ったように聞いた。
「ユウジ様、ユウジ様は、パーヴォットに何かお望みになることがありますか?」
「そうだな。わたしはパーヴォットに幸せになって欲しい」
祐司は少し微笑んで答えた。
「まだ、一年あるのですね」
また、パーヴォットは、先程と同じ事を呟いてから、祐司と同じように少し微笑んで、歩き始めた。
晩春から初夏にかわる時分の、心地よい日差しが二人を照らす。その中を、しばらく祐司とパーヴォットは無言で歩いた。
「昼飯はシスネロスで食べるつもりだったが、遅くなってしまったので途中の料理屋で食べよう」
祐司は、タイタニナの宿屋の主人から薦められた店のことを思い出して言った。
「料理屋がこんなところにあるのですか?」
パーヴォットはびっくりしたように聞いた。
「料理屋といっても川漁師の家だ。夏の間、茹でた川エビを食べさせてくれるそうだ」
「エビって食べられるんですか?」
パーヴォトが不思議そうに言った。
しばらく進むと、土手の上に少し大きめの家が見えてきた。河原には小振りな船が二隻置かれていた。
「あの家じゃないかな」
家に近づくと、祐司には懐かしい匂いが漂ってきた。家の前に床几の様な物が幾つか並べられており巡礼姿の男女が数人、大皿に盛った茹でたエビを食べていた。
祐司は二人分を注文した。エビが茹で上がる間に、シスネロスから来たという巡礼達に渡船の事故のことを根掘り葉掘り聞かれた。巡礼達は道の途中で、行き交った隊商から事故のことを聞いていたのだ。
巡礼達は事故の原因がガカリナ子爵の御座船だと知ると、あしざまに罵った。これは、事故現場でも聞いただが、普段からガカリナ子爵はシスネロスでは評判が悪いらしいことが分かった。
やがて、茹エビが運ばれてきた。数センチほどの大きさの祐司には見慣れた川エビである。それが、皿に十匹ほど並んでいた。付け合わせに、卵ほどの大きさのジャガイモが数個並んでいた。
北クルトではジャガイモはピンポンほどの大きさだったから、中央盆地はジャガイモの大きさに影響が出るほど気候がよいのだろうと祐司は思った。
種は異なるだろうが、川エビは日本の手長エビに似たエビだった。祐司が食べて見ると味も似ているようだった。
気が付くと、パーヴォットは半分ほどエビを囓ったまま手に持って持て余していた。
「口に合わないか?」
「ええ、なんか虫みたいです」
パーヴォットが情けなさそうに言うので、祐司は、付け合わせのジャガイモを全部パーヴォットにやって残りのエビを美味しくいただいた。
「ユウジ様は泳げますか?」
料理屋から出発して、しばらくするとパーヴォットが思い詰めたように聞いてきた。
「ああ、少しならな」
祐司はそうは言ったが、学校のプールを二三回往復すれば息が上がってくるほどの泳ぎである。
「それは凄いですね。泳げる人など滅多にいませんよ。じゃ、今日のようなことがあってもパーヴォットは安心で御座います」
「そうだな。なんならパーヴォットに泳ぎを教えようか。これからまだまだ川を渡船で渡ることはあるだろうかなら」
ちょうど、通りかかった土手道の下の川で、近所の子供らが上半身裸になって水遊びをしていた。男の子ばかりで、川で泳いでいる子もいた。
祐司はその様子を見ながら何気なく言ったのだ。
「え?それは…」
パーヴォットは黙り込んでしまう。
「恐いのか?」
「どんな格好で泳げばよいのですか」
パーヴォットはか細い声で言った。
祐司はパーヴォットの問には答えなかった。そして、リファニアには水着はないだろうなと祐司は思った。
シスネロスへ向かう道はやがて土手を離れて川から少し離れた場所を通っていた。実は本来の街道は土手の向こう側にあり馬車などが時折通過していた。
土手道は脇道なのである。ただ初夏の時分はモサメデス川から気持ちの良い風が吹いてくることと眺めがよいので、徒歩の者や祐司達のように馬を牽いた者は土手道を利用していた。
これが冬になると、モサメデス川沿いの土手道は寒風を遮る物がないために利用する者はいなくなる。
「こんな季節だと旅も苦にならないな」
祐司は北クルトでは見かけることのなかった花が咲き誇った小さな丘を通りすぎるときに言った。
「シスネロスでは長居するので御座いますか」
パーヴォットも風景に満足しているのか幾分弾んだ聞いてきた。
「シスネロスのアハヌ神殿は、”太古の書”の写しを幾らか所蔵しているらしい。できれば、写しを得たいと思っている。写しの許しが出れば十日ほどは留まるつもりだ」
祐司はシスネロスまで四リーグと刻んだ小さな石の標識を見ながら答えた。
-一般的なリファニアの軍階級-
兵士補<兵士<戦士<戦士長(この辺りから郷士階級)<半隊長<百人長<千人長<武将
初夏のドノバ州 南西沿岸地域と並んで気候が温暖な、中央盆地南東部のドノバ州は北海道の夏が、気温・湿度ともにもう少し低くなった程度である。




