表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第一章  旅路の始まり
7/1148

”小さき花園”の女2  いわゆる主婦

 祐司の森の中のテント暮らしは、結局一泊で終わった。スヴェアの軟膏は驚異的な薬効があり、まる一日ほどですっかり足の腫れは引いた。

 傷みは残っているが杖を頼りに、祐司が一人で歩けることがわかるとスヴェアは祐司を住処に案内した。


 森の中の空間を巧みに利用して大小三つの建物があった。一番大きな建物はスヴェアの住居である。大きいと言っても十坪程度の藁葺きの平屋である。祐司はこの中にはかなり長い間入れてもらえなかった。


 小さい二つの建物は倉庫と家畜小屋に使われていた。祐司があてがわれたのは倉庫である。倉庫部分から切り離して三坪ほどの小部屋があり祐司の居住に与えられた。

 母屋も同様であるが家屋は頭ほどの大きさの石を積み上げて、隙間に藁を混ぜた泥を押し込んで土壁のようにした素朴というか未開な造りである。


 祐司はこの住居で二三日過ごすうちに覚悟を決めた。電気はなく、通信手段もない。夜になって辺りを見回しても人工燈火どころか火を起こしているような気配はなかった。ここからの脱出は長期戦になると。


 後で思えばこの覚悟は正解だったが、その長期とは祐司の想定した長期とは桁が違うものだった。



 祐司がスヴェアに助けられたのは春だった。そして、祐司は初夏には日常会話が秋が訪れた頃には少し怪しいが母語なみの会話がスヴェアとできるようになった。


 これは祐司の会話取得能力が高かったわけではない。むしろ、その逆であった。


 スヴェアは祐司に茶色い煎じ薬のようなものを与えた。もとの主材料は沿岸に時々やってくる海棲動物の母乳を乾かしたものだという。


 祐司は何のためにこの薬を飲むのか知らされていなかったが一週間ほどで妙に”言葉”の習得が進んだことから薬効を知ることになる。スヴェアの話す言葉は広大な地域で話される単に”言葉”とよばれる共通語である。


 辺境とされる地域には土着の言語を母語として話すグループが残存しており、成人後に共通語を習得する際に使用するのが祐司の服用した薬だそうである。赤ん坊が言葉を覚えるように言語を取得するという薬である。


スヴェアの描いてくれたスケッチからすると薬を得るための動物はジュゴンのような生物らしい。生息数が少なく授乳期の雌を捕らえて母乳を得ることは非常に難しいためかなり高価な薬剤だそうである。


 そのため祐司が服用した濃度の百倍から千倍に薄めて飲むのが一般的な量だという。最初の日からこの薬を料理に混ぜて祐司に服用させていたが、薬効が出てこないので直接服用させたのだと後でスヴェアが教えてくれた。


 ”言葉”は共通語と言うだけあって、簡単な言語体系だった。祐司にとってさらに幸いなことに語順は日本語に似ていた。


 動詞の時制の変化は無く補助動詞とも言える品詞で過去や未来、完了を決めていた。


 やや情緒的な要素もあって副詞関係の単語が豊富だった。名詞には冠詞があったが英語のように種類は基本的に一つだけだった。そして日本語と同じく名詞の立場を示す格助詞があるという構造も祐司には習得しやすい要素だった。

 

 単語は一回聞いただけでどんどん頭の中に入った。

 

 スヴェアの薬があれば、学生時代はさぞ楽だったろうと祐司は思った。


 少しスヴェアと会話ができるようになった頃、祐司は種々の説明を求めた。しかし、スヴェアは完全に言語を習得してからと一切応じなかった。


 言葉の取得の間、祐司はスヴェアの日常の仕事を手伝った。スヴェアの生活は基本的に自給自足である。


 森のあちらこちらに分散した野菜畑や薬草畑の世話に始まり、一頭の馬、二頭の雌牛と一頭の雄牛の飼育、ただし祐司が知っている牛と比べるべくもなく大変小柄な牛である。

 十数頭ばかりの毛の長い山羊も飼育する。毛は刈り取って繊維の原料にされた。祐司は自分が命からがらにおりてきた山を勝手に尖塔山と呼んでいたが、その尖塔山からの下山で使ったロープはこの山羊の繊維だった。山羊は時々屠殺されているので数は変動する。


 家畜以外の動物には、大犬のリッポー以外にハヤブサがいた。スヴェアの住居の横に大きな巣箱があり時々余った肉などをスヴェアが与えていた。ハヤブサは気ままに出入りをしており飼っているのか居着いているのか祐司にはわからなかった。


 一週間に一回くらい落とし穴に落ちた鹿を捕まえた。これは燻製の原料にされた。ちなみに、肉をさばいて細かくし燻製肉を作るのは祐司の仕事になった。

 一日でかなりの量の肉を加工して燻製作業までもっていくのは慣れるまではかなり大変で、最初は肉の大部分を燻製しそこなったことがあった。その時は一週間に渡って浅い燻製の肉が主食という時期もあった。


 燻製は実家でも何回か自分で試したことがあり特に困ることはなかったが、鹿を捕まえるための、スヴェアの落とし穴の作り方が通常とは異なっていた。


 スヴェアは森の中で鹿の通り道を見つけると、小さく口の中で何事かを唱える。ドンという鈍い音がしたかと思うと、土煙が上がって直径深さとも二メートルほどの穴ができる。


 祐司は最初のうちは火薬を使っているのかと思っていた。しかし何回かそれを目撃している内に、この世ならぬ巫術ふじゅつというものの存在を受け入れざるを得なくなった。日本語的には魔法という言葉が一般的だが、巫術は地の精霊など導きを利用する術である。


 燻製作り以外の祐司の仕事は、森の中に数カ所点在する薬草畑の世話だった。気温が低いので日本のように雑草がはびこることはなかったが、それでも草ひきや木のバケツで運んだ水を畑に撒いたりと結構仕事はあった。


 祐司は薬草の中に、少しばかり光を発するものがあることに気がついていた。同じような光は希だが森の木の中でも発する木があった。


 スヴェアは時々、薬草畑を見回ってはほんの少し薬草の葉を齧っていた。そして、決まって薄い光を発する薬草は引き抜いてしまった。

 スヴェアは囓って、食感か味で引き抜くべき薬草を判断しており光は見えていないようだった。


 祐司は北極星の位置からかなりの高緯度にあることはわかっていたのであまり驚かなかったが、季節が進み初夏の頃には太陽がほとんど沈まなくなった。


 そして、一月以上白夜が続いた。太陽は沈んでもすぐに姿を現した。太陽が沈んでいる間も薄明が続いて夜はこなかった。


 気温も日本のゴールデンウィーク並になった頃、突然雪が降った。一日だけであったが気温はほとんど氷点下に下がった。スヴェアはこのことを察していたらしく、雪の降る前日、祐司に薬草畑に枯れ草と藁を敷き詰めさせた。


 夏の間は嵐のような日が数回あった。雹が降った日もあったが、やはりスヴェアは前日に祐司に薬草畑に枯れ草と藁を敷き詰めさせた。


 反対に一週間ほどは日本の夏並みの高温多湿な日もあった。夜のない季節のため涼を取る時間がなく祐司はかなりバテた。祐司は漠然と高緯度の夏はこんなものかと思っていた。


 夏が過ぎ、夜がもどってきた。


 森の木の大半は針葉樹で色づくことはないと思っていたが秋の訪れと共に森の木々は一斉に色づいた。

 祐司は山歩きの経験から多少の樹木の名は知っていたが、本州の温暖な地域の出身のため、北海道にあるようなこの森の木の名は落葉松カラマツの類かと想像するしかなかった。


 ジャガイモは栽培しているのに穀物や豆の栽培を行っていないことからなんらかの交易をしているのだろうと祐司は思っていた。予想のようにスヴェアは秋の訪れと共に夏の間に採取した薬草やかなりの量になった鹿の燻製肉を荷車に積んだ。


 スヴェアは祐司に細々した留守中の指示を出すと荷車を夏の間、遊ばせていた馬に引かせ自分は荷車の横を歩いて出かけた。


 十日ほど留守にした後、スヴェアは若干の麻のような布地の他にパンにして食べているライ麦や大麦、レンズ豆をちょうど二人で一年分ほどの量を積載して帰ってきた。


 スヴェアがもどってくると気温は急速に下がり始めた。そして雪が舞いだした。すでに、夜は昼より遙かに長くなった。


 ほぼ不自由なくスヴェアと会話できるようになった祐司はスヴェアがもどってきた日に止められていた質問をしてみた。教えてくれたのは地名ぐらいだった。


「このあたりの森は”小さな花園”、あの山は”岩の花園”という。夏になれば岩の隙間から多くはないが可憐な花をつける草が生えるのだ。そして、この地は”白き迷宮の森”、あるいは単に”迷いの森”という深い山野に取り囲まれておる」


 スヴェアは山を見上げながら言った。山は祐司が降ってきてから、ずっと森の二百メートルほど上から霧とも雲ともつかないもので閉ざされており頂上は見えなかった。 


「僕が頂上に居たときは綺麗に晴れて、この森まで見えていました」


「そんなことはもう二度とないかもしれないな」


 スヴェアは感嘆したように言った。


「何故です」


「今は説明できない。祐司がもっと学んでからだ」


 スヴェアは祐司の方を見てすこし微笑んで言った。





挿絵(By みてみん)

       リッポー



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ