輝くモサメデスの川面3 準男爵の憂慮
キリオキス山脈の西麓に位置するキリオキス・エラ州は広大な針葉樹林地帯に覆われた標高が千メートルから数百メートルほどのちょっとした高原である。このため降水量はそこそこあるが気温が低く、人口も疎らな地域である。
その高原地帯地域には小規模な領主が割拠している。ダウディアンニ準男爵領は、そのような小領主領の一つである。
領地は東西に五十キロ、南北には三十キロに広がって、貴族の最下層である準男爵にしては、かなり広いが、東側はキリキオス西斜面であり、西側も大半は生産力の低い針葉樹に覆われた丘陵で、狭小な川沿いの低地に僅かの農地と牧草地があり、四千人にすこしばかり足りない人口をようやく養っていた。
この日、当主のバニュートリー・ゲニャルナー・ハル・ゲニャルナー・ダウディアンニ・ディ・キリオキス・エラ準男爵は、朝食の後で領地を貫通する街道の領地境界に設けた関所からの報告を聞いた。
「昨日、昼頃に二人の男が馬とラバを連れて、キリオキス側の関所を通過しました。巡礼とのことで定めのように銅貨二十枚を徴収いたしました」
「それから、その二人に同行する形で、女とその子供が二人、まだ小さい子です」
「キリオキスから子連れの女?」
「はい、ジャンブリ村出身の者でした。北クルトの銀山に一家で出稼ぎに行っていたようですが、亭主に死なれて故郷に帰るとのことでした」
「ふーむ」
ダウディアンニ準男爵領からは、狭い耕地ゆえに食い扶持減らしのような出稼ぎが多い。適正な人口というものは理解しているが、過度の人口減少は収入に関係してくる。子供が帰郷することは歓迎すべきことである。
報告に来たのは、幾つかある集落の長の息子だった。準男爵領からの租税では、常時は三十人ばかりの兵士兼役人、数名の家僕と下女を抱えるのがやっとだった。
それを補佐しているのが、武芸礼儀作法を教えるという名目で衣食住付き無給で募集した村長層の二男三男といった男手である。
「男が二人いたと言ったな。馬にラバがいたのならキリオキス越えの行商人ではないのか。なぜ巡礼と判断した?」
ダウディアンニ準男爵は少し厳しい口調で言った。
商人と巡礼では関所の通過料金が異なる。巡礼は格安なのだ。巡礼と偽って関所を通過しようとする行商人は珍しくない。
「一願巡礼の証明書とナチャーレ・グネリというノーマ神と千年巫女の神殿に仕える神官長の紹介書を持っておりました。
また、武勇にも優れた男のようでヘルトナ守備隊と市参事会連名の捕縛協力への感状を持っておりました。更にヘルトナの神殿での奉納印と旅人用信者証明書も持っておりました」
「千年巫女神殿の神官」
ダウディアンニ準男爵が呟くように言った。
「何か気にかかりますか?」
「うん、ダランディ・カマル殿を呼んでくれ。それから、お前は話次第では西の関所に使いに行ってもらうから部屋の外で待っておれ」
朝の報告に来ていた関所からの使いに準男爵は命じた。家人の少ない準男爵家では、家人は特定の仕事だけでなく臨機応変に準男爵の命令に対応することが求められていた。
しばらくすると、神官姿の痩せた老人が現れた。
「いかがいたしました?」
「カマル神官、よき朝を。さて、挨拶はここまでで堪えてくれ。昨夜、巡礼宿舎に宿泊したものがいるか」
準男爵はカマル神官に礼を尽くすため、椅子から立ち上がって尋ねた。
「はい、今年初めてキリオキスからの巡礼がまいりました。執事殿には報告しておきましたが、殿のお耳には届いておりませんか」
執事は奥方が嫁いで来た時に、相場からは少々見劣りのする持参金の足しに実家から送り込まれた男だった。
それなりに如才なく使用人を統制して仕事はこなすのだが、今でもダウディアンニ準男爵の家臣というよりも奥方の家臣という意識でいるのが難点だった。
「いいや、執事は取るに足らぬ報告だと思ったのだろう。最近、あの者は自分で判断したがる。注意せねばと思っておったところだ。で、どのような者だ」
「ヘロタイニアより東から来たという背の高い若い男とその従者です。男はイス人のような容姿をしておりました。
品がよく、なまりがありますが言葉遣いも丁寧でした。故郷ではそこそこ身分のある者だと思いました。従者はまだ子供です」
カマル神官は準男爵の意図を探るようにゆっくりした口調で言った。
「まだ逗留しているか」
「いいえ、わたしがここに来る大分前に出立いたしました」
「カマル神官。ナチャーレ・グネリという神官長を知っているか?」
「はい、キリオキスの向こうにございますアヒレス村の千年巫女を祭る神殿の神官長でございます。数年前にヘルトナの神殿で一回会ったことがあります。
巡礼の男はそのナチャーレ・グレリ神官長の紹介状を持っておりました。本物でございました」
「千年巫女か?何故か異端の風を感じるのはわたしだけであろうかな」
一度、壁の方を向いた準男爵はカマル神官をあらためて見据えた言った。
「何がご不審なのでしょう?」
「ナボレ・イルムヒルトが妙なことを言っておった」
ナボレ・イルムヒルトは先月までこの屋敷に逗留していた巫術師のことである。
「殿の前ですが、あの女巫術師は信用できません。術はそれなりでしょう。もちろん奥方の見解には賛成しておりません。しかし、あの女巫術師は腹に一物ありました」
カマル神官はナボレ・イルムヒルトが逗留している時にも何度か彼女に対して否定的な意見を述べていた。
「それは否定せん。しかし、あやつが此処で越冬するようになってから周辺が、特にクルト盆地が寒さによる凶作であっても、この地はほぼ平年並みの収穫があった」
「あの巫術師の術だと?」
「偶然かもしれぬ。しかし、あやつがこの地の豊穣を約束したのも確かなことだ。だからこそ五カ年に渡って面倒をみた。
あやつが研究のためにという道具や得体の知れない素材とやらを購入したり領内で探させた」
準男爵は思い出すように言った。
「人出をかけてキリオキスの峠まで泥を運んでやったこともありました」
「ラーヴァ神を祭る祠の周辺にあったものだったな」
「あそこはラーヴァ神の祠と言われておりますが、古き神の印も彫られております。わたしはどのような神の祠であるか確信が持てるまではそっとしておいた方がよいと申しました」
カマル神官は聞かれない限りは政治に口は出さない典型的な神官である。ただ、信仰に関する事柄や、場所に関しては職務柄積極的に準男爵に意見をした。
準男爵は話しが逸れていくことを恐れて、話題の方向を少し変えた。
「ナボレ・イルムヒルトはこの地を去る日に、気になることを言っておったのだ」
ダウディアンニ準男爵はカマル神官とは異なりナボレ・イルムヒルトを評価していた。ナボレ・イルムヒルトは自分で器用貧乏といっていたが、驚くほどの多様な巫術を行えた。
ダウディアンニ準男爵は複数の巫術師を抱えられるような規模の領主ではない。
そこそこの術や平均以下の術でも一人でなんでもできるナボレ・イルムヒルトはダウディアンニ準男爵のような小領主にとってうってつけの巫術師だったのだ。
ナボレ・イルムヒルトは最初にダウディアンニ準男爵に仕官を求めてきた時に、家族は南クルトの内戦で離散したが、郷士の出であると言った。
それを、裏付けるように、ナボレ・イルムヒルト自身は亡くなった父親は郷士身分であるという信者証明を持っていた。ダウディアンニ準男爵は伝を求めて調べたが本当のことだった。
そのことを知ってから漠然と、ダウディアンニ準男爵はナボレ・イルムヒルトを昨年妻を亡くした弟の後妻にしようかとも考えていた。そうなれば、禄を与えることなく一生召し抱えられるからである。
ところが、ダウディアンニ準男爵の奥方がナボレ・イルムヒルトを追い出すように言い立てたのだ。
ダウディアンニ準男爵の奥方は先代の南クルト公爵の姪という出自で本来ならば、爵位では下級貴族である準男爵に嫁ぐような女性ではない。
しかし、美男美女が多いことで知られるリファニア貴族階級の中ではダウディアンニ準男爵の奥方は醜女といってよい女性だった。
このため婚期が遅れてあせっていたところに内乱が起こった。実家の逃亡先を確保の目的もあってダウディアンニ準男爵に嫁いできた女性だった。
準男爵夫人は領地内の郷士の奥方を束ねて、ままごとのような宮廷をつくり女王のような振る舞いをすることで悦にいっていた。ところが準男爵夫人は悋気の強い女性で、ナボレ・イルムヒルトと準男爵の仲を邪推したのだ。
カマル神官がナボレ・イルムヒルトについて奥方の見解に賛成できないといったのはこのことである。
数ヶ月間の奥方との激しいやり取りを思い出してダウディアンニ準男爵はため息をついたが、すぐに気を取り直してカマル神官に言った。
「巫術の気が乱れている。それはここから東にある一点から発している。そして、その点は移動したり、どこかに居着いているように感じるとナボレ・イルムヒルトは何度も言っていた」
カマル神官が黙っているのでダウディアンニ準男爵は言葉を続けた。
「一昨日から雨が降り風も強くなった。それも西風だ。急に寒さがもどって来て霜もおりた。芽吹いたライ麦がかなりやられたと聞く。
ナボレ・イルムヒルトは三年ほどはこの地で冷害は無いだろうと言っておったのだがな」
「あの巫術師の術がいい加減だったのでは?もともと、冷害を防ぐ巫術などというものがあるのでしょうか。あるとしてもそれは神々に属する術と思えます」
「カマル神官、ご意見ありがとうございました」
準男爵はカナル神官に丁寧なお辞儀をすることで退出を促した。カマル神官と入れ違いに、関所からの報告を持ってきた男が部屋に入ってきた。
準男爵は中々気配の読める男だと感心した。準男爵はそのことには触れずに男に命じた。
「西の関所に使いを出してくれ。お前が報告した巡礼が領内を通過していなかったら関所で足止めしろ」
「どのような理由で?」
「適当にいちゃもんをつければいい。ただ、そうしてでもここに留めおかねばならない気がする」
男は一礼をすると急いで部屋を出って行った。
「ユウジ様、関所の方で何か騒いでいますよ」
パーヴォットが馬の手綱を持ちながら関所の方を見やった。数分前に通過した関所は次のカーブを曲がれば見えなくなるところまで来ていた。
「もどれって言ってるんじゃないですか?」
「前を見ていろ。聞こえないふりをするんだ」
祐司は振り返らずに言った。事前にスヴェアやヨスタから、田舎領主の関所では時に法外な通行料を要求されたりするので気を付けるように言われていたからだ。
準男爵領に入った時は、二人と馬、ラバを併せて銅貨二十枚、出るときは入領したという手形を回収され、反対に銅貨十六枚を返された。
それぐらいが相場らしいが、関所の役人が気が変わって酒手を欲しくなったのかもと祐司は考えていた。
「こんなパターンは逃げるに限る」
そう言いながら心なし祐司は歩みを速めた。
「大丈夫ですか?忘れ物とか、何か教えてくれるとかはないんですか」
なおも心配げにパーヴォットが尋ねる。
「良い方のことだったら少しばかり領地を出ても気にせずに追ってくる。追ってこないのは司法権を行使するつもりなんだ。司法権は領地内でしか行使できないからな」
「ひょっとしてユウジ様が寄った祠で私たちが知らないような決まり事で間違いをおかしたとか。祐司様は近くの沼で手を洗われていましたが霊水か何かではなかったのですか」
このパーヴォットの言葉に祐司ははっとした。
確かに立ち寄った祠の近くの沼から巫術の高濃度かつ大量のエネルギーの集積を示す光が出ていたので沼に入って、一部は水晶に取り込み、大部分は、それを大気中に、最終的には宇宙空間に放出させたからだ。
もし、巫術の光の幕を造った人間が知ったならば、貴重な資源を無駄にしたと激怒しただろうと祐司は思った。
祐司は黙って次第に歩く速度を速めた。
やがて、道が曲がっている部分を歩ききって関所は完全に見えなくなった。そして、呼び声もしなくなった。
こうしてダウディアンニ準男爵が強権を傘にして祐司を拘束できる機会は永遠に失われた。数ヶ月ほどすると、零細な田舎貴族が容易く拘束できないような属性が祐司に備わってしまったからである。
この時にダウディアンニ準男爵が祐司を拘束していたら、その後のリファニアと世界の歴史はまったく別の歩みを進むことになった可能性があった。
そのことに、万が一、ダウディアンニ準男爵が思い至るとしても、まだ遙か先のことである。
祐司達が関所からの呼びかけを無視して、半リーグほど山道を進むと隣接した領主の関所があった。祐司が一願巡礼であることがわかると、簡単な手続きと銅貨二十枚の補償金で関所を通過できた。
関所を通過してからパーヴォットが祐司に問わず語りのような感じで質問をしてきた。
「ユウジ様、テポニナさん?」
「心配か」
「ええ、タラちゃんたちは、お婆ちゃんの所で幸せに暮らせますか」
タラとはテポニナの上の娘である。僅か二日ほどでパーヴォットは、その子とかなり親しくなっていた。
「何を持って幸せとするかだな」
祐司達は、昨日、関所を通過すると街道から少し外れたテポニナの実家まで、テポニナとその子供達を見送った。
数日前まで同行していた隊商に自分達の到着を知らせるように頼んでおいたとのことだったが家の周囲の耕地で野良仕事をしていた兄夫婦は、テポニナとその子供達を見ても無関心といって良いほどの様子だった。
テポニナの母親だけが再会を喜び、兄夫婦は醒めた目で見ていた。
僅かな面積、条件の悪い耕地にしがみつく一家に、三人の人間が加わるのは、きついことだということは祐司も理解していた。
そして、無自覚な「魔性の女」が、あの集落でどのような行状にいたるのだろうかと気にはなった。
祐司はテポニナに無理矢理に餞別として、銀貨一枚を握らせると早々に立ち去った。




