輝くモサメデスの川面2 魔性の女 下
思っていたより早く避難小屋に着いたと言っても、雨宿りで時間を費やし、ウサギを仕留めて、夕食のおかずは確保したが更に時間を費やしたことで避難小屋に着いたのは、辺りが少し暗くなり出した頃だった。
ただ、高緯度のリファニアでは、日の長くなる今の時期は薄暮がやけに長い。
祐司達が着いた避難小屋は、キリオキス西斜面の避難小屋から、人の住んでいる場所までの距離が長く、悪天候時や荷が多い隊商などは一日では走破できないために設けられたものだった。
森に囲まれた平地という場所にあり、簡単な造りで竃もなく、一間限りの小屋の真ん中に囲炉裏のようなものがあるだけだった。
さらに、その小屋の難点は水場が、離れた場所にあることだった。
水場の場所は、ここを通過したハカンに聞いたところ、半リーグ近くも離れた小川まで行かねばならないそうだった。
「取りあえず明るい内に水を汲みに行こう」
「わたしが行きましょう」
「ウサギの捌き方を知ってるか」
祐司はパーヴォットにたずねた。一応、血抜きまではしたが、ウサギを捌いたことのない祐司は途方にくれていたのだ。
「いいえ、ウサギの肉は調理に使ったりしたことはありますが、捌くのは肉屋ですから」
パーヴォットが少し悲しそうな顔で答えた。リファニアと言えども都市育ちのパーヴォットではいたしかたのないことだろうと祐司は思った。
「だろうな」
「わたしがいたします。銀鉱山ではよく捌いて調理しておりました」
テポニナがおずおずと声をかけてきた。
「ここでもできますが、水場の方が内臓の処理などが簡単にできます。糞などが腹に残っておりますし。水を汲みに行くついでに捌いてきましょう」
テポニナの目は、明らかに祐司に同行を訴えかけていた。
「子供達は疲れて寝てしまいましたし、一人で水場に行くのは大変です。また、街道から離れた水場に女が一人で行くのは拙いですから、わたしがいっしょに行きましょう。
パーヴォットは火を熾して、粥を作っておいてくれ。水はこれで足りるだろう。ついでに、馬とラバに水を飲ませてくる」
祐司は水を入れた革袋の残りの水を鍋に入れてパーヴォトに渡した。そして、祐司は荷物を降ろした馬に、全員の水筒とほとんど空になった皮の水袋を乗せた。
水場への行き方は、ところどころの木に目印の×が描かれていた。ただ、水場は小川なので、その方向へ進めばいずれ出会うはずだった。
祐司は馬とラバを牽きながら横目でエポニナを覗き見た。何故か、愛しいような気持ちがこみ上げてきた。テポニナの発する光が明瞭に、また身体の遠くまで達して祐司にまで至っていた。
もちろん、テポニナは巫術師どころか、巫術の才などまったくない。それは光全体の強さで分かる。
それでいて、薄いが激しい光がテポニナを包んでいた。祐司が考えられるのは、押さえきれない感情の湧き上がりである。
「ここですね」
十分ほど歩くと小川にであった。小川と言っても、数メートルほど川幅があり結構な量の水がせせらぎの音を奏でながら流れていた。
「ユウジ様は、上の方で水をお汲みください。わたしは下でウサギを捌きます」
テポニナはそう言いいながら、早くも小刀でウサギを捌き初めた。馬とラバを水辺につれていってやり水を飲ませると、まず水袋、それから、それぞれの水筒に水を詰める。
「捌けました」
祐司はテポニナの声に振り返ると、テポニナはワンピース型の上着の裾を持ち上げた。
祐司は急いで目をそらせた。
「あんなに、ポトのことでお世話になりましたのに御礼ができません。それにユウジ様はワタネを見逃して下さいました。私は戸の隙から見ていたので御座います」
話すたびにテポニナは祐司の方へ近寄ってきた。祐司は魅入られたように動けなかった。
「わたしは、男の方に、このようなことでしか御礼ができないので御座います」
テポニナの声、口調は男に媚びるとはどうのようにすれば良いのかを知り尽くしているような女の声そのものであった。テポニナの御礼という言葉が免罪符のように祐司の自制心を押しとどめた。
二人の様子を馬がちらりと見て軽くいなないた。
祐司は水を飲み元気を取り戻した馬とラバを牽いて避難小屋へ引き返しながら、先程の出来事を自分なりに解釈していた。
「テポニナさん、実はワタネから預かっている金があります」
祐司は早くワタネがテポニナに託した金のことを言うべきだったと後悔した。いや、先程も、そう言ってテポニナを制することもできたのだと祐司は思い至った。
「金?ワタネが?」
テポニナが驚いたように祐司の方を見た。
祐司はワタネが逃げ出す前に、テポニナに渡すようにと金のありかを託されていたこと。言われたようにワタネの財布を見つけたこと。その財布には、金貨が一枚と銀貨が十八枚に幾ばくかの銅貨が入っていたことを話した。
「そんなに?」
庶民は金貨を見たことがないとまでは言わないが、金貨を持つ事が希有なリファニアで金貨が一時的にでも自分の物になるのは驚きだろうと祐司は思った。
「西斜面の避難小屋では他の人達がいたので、テポニナさんに渡せませんでした。わたしの荷といっしょにしてありますので小屋に着いたらすぐにお渡しします」
「ワタネがですか」
テポニナは不思議そうに言う。
「手切れ金ですか」
祐司はテポニナが言った手切れ金という表現に違和感を感じた。祐司のとらえ方としては、多少同情心があったにせよ、テポニナの亭主からワタネはテポニナを奪い取り、その後、テポニナの面倒を見ることなく失踪して、再び現れた時は、半ば脅かして犯罪に協力させようとした筈である。
死んだテポニナの亭主は、テポニナに客を取らせていたという。テポニナは男にどこまでも利用される気の毒な女性というのが祐司の感覚だった。
手切れ金という表現は、テポニナがワタネと暮らしたのはテポニナ自身の意志であるという感じを受ける表現だった。
「いいえ、あなたのことを心配してました」
祐司は、急にワタネが切なく思えて、いたたまれなくなって下を向いて言った。
「ワタネのことは好きでしょう。ワタネは馬鹿な選択をしましたが、あなたの為に犯罪を犯したワタネでも、あなたがわたしに構うと傷つきますよ。
言ってはなんですが、ご主人にその無理に身体を売らされていたのを、何とかしようとしたのはワタネでしょう」
祐司は躊躇いがちに言った。
「そのことは、主人は知りません。ただ、金に困っていた時に、何人かの男が、わたしを助けようと言ってくれ、また、金もくれました。
でも、ユウジ様に御礼をしたようなことでしか、わたしはその厚意に応えることができなかったので御座います」
テポニナも少し俯いて言う。その様子が祐司には、儚げな様子に見えた。思わぬ言葉に祐司は混乱したが、目の前の魅力のある女性が誠実そうに言う内容を祐司は信じかかっていた。
「ワタネとはもう会うことはないように思えます」
テポニナは急に思い詰めたような表情で祐司の胸にすがってきた。
「ああ、ユウジ様、叶わぬ願いで御座います。できれば、あなたと旅をしとう御座います」
「テポニナさん、そんなことを言って子供さんはどうするんですか」
祐司はそう言ってからテポニナの話に引きずりこまれつつある自分に気が付いた。
「実家に預けます」
背の低いテポニナは、思いっきり伸び上がって祐司に口づけした。祐司は少しかがんでテポニナと舌をからめあった。
祐司に最後の理性が蘇った。「パーヴォット?そう、パーヴォットはどうするんだ」と頭の中から声が聞こえた。
祐司は最大の自制心を発揮して、テポニナをなんとか引き離した。
「もう暗くなります。子供達もお腹をへらしているでしょう。早く、ウサギを食べさせてやりましょう」
祐司は立ち尽くすテポニナに、そう言うと後ろを見ずに馬とラバを牽いて小屋の方へ向かった。
「遅かったですね。もう暗くなりますよ」
小屋に入ってきた祐司にパーヴォットは、そうは言ったが特に不審がる様子もなく祐司は安心した。
「ウサギは急いで焼きます。粥はできていますので先に食べてください。これから、子供達を起こします」
後から小屋に入ってきたテポニナから捌いたウサギを受け取ったパーヴォットはそう言うと、自分で用意したらしいナイフで削って先を尖らした小枝にウサギの肉を刺して囲炉裏で炙り始めた。
囲炉裏の火以外には照明はなかったが、その光といまだに暗くなりきれない外からの光が相まって、テポニナの姿を浮かび上がらせていた。
やはり、ただの疲れた中年女性にしか見えない。あれほど魅力的に見えていた姿はどこにもない。ヘロタイニア(ヨーロッパ系)の血筋が濃いのか、肌は白っぽいが、すでに微細な皺と、色素が沈殿して細かな斑が、腕や首筋に見て取れた。
手入れが行き届かないで少し乱れた濃い茶色の髪には白髪が見えて余計にやつれた感じがした。小川の近くでは燃えるようにゆらいでいた光もごく大人しくなっている。
その様子を祐司がぼんやりと見ていると、テポニナの近くをパーヴォットが通った。
祐司は「えっ?」と声が出そうになった。
テポニナの光が、白いパーヴォットの光に押し出されるように後退した。
祐司が今まで見た限りでは、二人の人間が接近して光が重なった場合は単に光が混じるだけである。
パーヴォットやテポニナの周囲を取り巻く物を光と表現しているが、光ではない。明るい場所でも、暗い場所でも祐司には同じように認識できる。
そして、回りを照らすようなことはない。光ではなく巫術のエネルギーを排出している反応である。それが祐司には人物の回りにある光の様に見えるだけである。
その光の様なものは、どのような性質のものかは、定かではないが極めて密度の低い物だろうと祐司は推測していた。
異なった光の様な物が互いを干渉しないためである。これは、本当の光を十字に重ねても、曲がったり光の量が増減せず、どちらも影響されないのと同じ事である。
それが、パーヴォットの光がテポニナの光を押し戻すとはどういう現象か考える必要があると祐司は思った。ただ、今までパーヴォットの光が他人の光を押し戻したりすることは見たことがない。
ここまで考えた祐司は、テポニナが魅力的に見えて祐司の心を捉えた時と場所に思い至った。
最初に、テポニナに気を引かれたのは雨宿りした時だった。その時、パーヴォットは馬とラバを繋ぐために雨を避けられる場所を探して祐司から離れた場所にいた。
その次は、避難小屋に着いてから、パーヴォットが柴を探しに森を中に入って祐司から離れた時だった。そして、その勢いでテポニナに誘われて小川に行って、どんどんパーヴォットから離れてしまい間違いを犯してしまった。
男を誘うような物、例えばフェロモンのような物をテポニナは、自分でも意識しないで発しているのかもしれない。そして、それは祐司にも作用することから巫術のエネルギーではない。
このような、女性は現代日本にもいるのかもしれない。特に際立った特徴のない女性が多くの男を手玉に取るようなことはままあるからだ。
リファニアでは、その特徴が、まとわりついてくるような光になって見えているのだろう祐司は考えた。
謎はパーヴォットである。何かをパーヴォットは持っている。現実に好きな女性がいても、道端で出会った女性に心引かれることがある。そのような何かをパーヴォットは、祐司に対して発揮する。心引かれるといってもテポニナとは別の引かれ方だ。
ひょっとすると、パーヴォットも祐司を引きつけるフェロモンのようなもの出しているのかもしれない。それは、テポニナのものよりも強力で祐司はパーヴォットに気が向く。
そう考えると、恋愛はフェロモンの出しっこで強力なフェロモンのようなものを出す人間が恋愛の勝者ということになる。ただ、それでは夢がなさ過ぎる。
ここで祐司の思考は停止した。そして、逆にものを考え出した。
「パーヴォット、テポニナさんに粥とウサギの肉を渡してくれ」
「はい」
パーヴォットは言われたように、粥と焼けたウサギのテポニナに渡した。パーヴォットの光が近づくとテポニナの光が引っ込む。
その時、祐司は目を皿のようにしてテポニナを監察した。明らかに、はにかんだ表情をしている。
少なくとも嫉妬や敵意ではなかった。
テポニナはパーヴォットを男だと思っている。それも、自分の半分の歳しかないパーヴォットを見てはにかむとは、テポニナがパーヴォットに引かれている。気があるのではないかと祐司は見て取った。
いい歳をした女性がアイドルに引かれるような感じなのだろと祐司は推測した。それは、明確に自分でも意識しない感覚かもしれない。パーヴォットがいると祐司へ向かう意識が遮断される。
テポニナの光が、パーヴォットの光に反応しているのではなく、テポニナの感情の動きが光の動きに出ているのではないかと祐司は思った。
心憎からぬ若者が近づいたことにより、テポニナに乙女のように恥じらう感情が出たのだろう。自分の気持ちが前に出ないで恥ずかしさで引っ込むような感じかと祐司は考えた。
これが、前半に考えたことと、後半に考えたことと、どちらが正しいかはわからない。そして、両方とも的外れかもしれない。どちらにせよ今の段階では何の証明もすることはできない。
一つだけはっきり祐司にわかったことがある。テポニナと道中を共にする限りは、祐司はパーヴォットと離れてはいけないということだ。
祐司は関所に向かう道で、二日前の一連の出来事をもう一度思い返して反芻していた。
(そう言えば、勤めていたころに、取引先に同じような女性がいたな)
祐司は、自分のすぐ後ろを歩いているテポニナの足音を聞きながら思いだした。
営業で何度か訪れた、その会社はパートの従業員を入れても二十人ばかりの小さな会社だった。
その会社に三十代前半という感じの女性事務員がいた。何の変哲もない、ごく普通の女性である。
少し小柄という特徴があるだけで心に残るような容姿ではなかった。祐司が何度か、訪問している間に新しく入社したということで一度紹介されたことがある。
祐司は愛想のいい人だなと思った記憶がある。実際、祐司が訪問したときは、いつも事務室の一角を区切った応接場所に案内されたので、事務室の出入り口近くにいる、その女性からは丁寧な挨拶をされた。
ところが、三ヶ月もしないうちに、その女性社員の姿を見なくなった。時に不思議にも思っていなかった。
ある時、上司に、その女性を誘ったり、またはその女性から誘われなかったかと問われた。祐司が、その問を否定すると、口の軽いところがある上司が事情を教えてくれた。
女性は既婚者で子供もいた。ところが勤め先の会社で、複数の男性社員と関係を持ったという。男性社員同士はそのことを知っており、何故かそれぞれが、その女性の本命は自分だと思い込んでいたために職場で暴力沙汰が起こった。
そのことが、原因で女性は退社することになったが、実は社長とも関係を持っていた。女性は、事務に関してはそこそこスキルがあったので、社長は知人の会社に再就職を世話したが、今は、そこでも揉め事が起こっているという。
あまりのことに、祐司は女性のご主人は怒ってないのか、そんな母親なら子供は放置されていないのかと尋ねた。
上司は呆れたように、亭主は、男性の誘いを同情心から断り切れない妻を口説く男性が悪いのであって妻が愛しているのは自分だけだと言って、普通に家庭を保っているという。また、子供に対しては、愛情を持って接して世話もちゃんとしているらしいと言った。
上司は、その女性のことを「今だけに生きる女」と表現した。その場、その場で男性を受け入れる。その時の感情は本心であり、やましさは感じないのだろうと解説した。
最後に上司は「魔性の女」という言葉を使った。「魔性の女」とは目立った美人ではなく、自分でも自覚しないままに魔法をかけて男をトリコにする女性だから気をつけろとしめくくった。
「ユウジ様」
パーヴォットの呼びかけに、祐司は自分に戻った。関所が指呼の距離に迫っていた。三人の関所番が横の小屋から出てくるところだった。
祐司は急に日本での記憶から、リファニアの現実に引き戻されて、ひどく狼狽した。
「もうすぐ関所です」
「ああ、信者証明と紹介状を用意しなくてはならないな」
祐司は、二日前の過ちをパーヴォットに気取られていないことを願いながら言った。
スヴェア三百歳、グネリはアラフォー、テポニナは三十路前と段々相手の年齢は下がってきている祐司です。




