輝くモサメデスの川面1 魔性の女 上
祐司達はキリオキス西斜面の避難小屋を出た日は、その先の避難小屋で寝て、次の日は狩猟と木樵で生計を立てている者が夏の間、利用する比較的設備の整った小屋に泊まった。
その小屋は隊商や巡礼も幾ばくかの謝金をだせば食事まで出しくれる季節限定の宿屋のような小屋だった。
小屋は大きく個室があったので、少し割り増しを出して祐司とパーヴォットは個室を取り、祐司は遠慮するテポニナ達にも個室を取ってやった。
祐司には、そうする必要があったのだ。
その小屋を早朝に出立したおかげで、昼前にはキリオキス西側の領主が設けている関所に近づいた。
「あ、ユウジ様、関所が見えてまいりました」
パーヴォットが森の中の曲がり道を回りきったところで、嬉しそうに叫んだ。
「関所があって喜ぶのはパーヴォットぐらいだぞ。関銭がいるんだからな」
祐司は、多少の憂鬱さと、後ろめたさからいつになく冷たい口調で言った。
「も、申し訳御座いません。わたしの分の関銭はわたしが出します」
驚いたパーヴォットは、関銭のことで叱責されたのかと思い慌てた様子で言った。
「おい、どこの世界に従者に関銭を出させる者がいるんだ。止めてくれなりが悪い」
祐司は言ってから、自分が凄く陰険な言い方をしたことに自分で驚いた。祐司が何か言い足そうとする前に、パーヴォットは泣きそうな声で祐司に言った。
「お怒りにならないでください。いえ、無理にお怒りをおさめないでください。どのようなお仕置きでも受けます」
「たいしたことじゃないし、別に怒っているわけではない。大きな声を出して、すまなかった」
祐司はあわてて、優しくパーヴォットに声をかけたが、パーヴォットは悲しそうな顔で前を見たまま小さい声で「はい」と言ったきり黙り込んでしまった。
二人のやり取りをテポニナは訝しげに、子供はこわごわした様子で聞いていた。
実は関所が見えてほっとしたのは祐司も同じだった。関所を越えれば、ダウディアンニ準男爵領の中心地である。
ダウディアンニ準男爵領はキリオキスの分水界まで広がっているが人が住んでいるのは、その領地の西側だった。
また、冬季はキリオキスにかかる斜面に人を常駐させるのは物理的にも、経済的にも難事であったことも領地をかなり西に入った場所に関所を設けていた理由である。
祐司は顔を蒼白にしたパーヴォットにすまないと思いながら、キリオキス西斜面の避難小屋から、テポニナとその二人の子供を伴って出立した二日前の出来事を咀嚼していた。
キリオキス西斜面の避難小屋を出立したのは、昼前になっていた。
二人の子供も荷物を背負っていたが、祐司は馬の荷を少しラバに回して、子供の荷物を乗せて、子供を手ぶらにしてやった。
「赤ちゃんをなくしたばかりで心苦しいのですが少し頑張ってください。この先にある避難小屋までは、大人の足でも三刻(六時間)ほどかかるそうですから」
近代以前の旅、今でも山では出立はできるだけ早い方がよく、目的地には十分明るいうちに着く必要がある。
キリオキス山脈の西斜面は緩斜面で、いつ山脈を越えたのかもよくわからない。道はほぼ水平で時々緩やかな下りがあった。道の周囲は、かなり深い森になってきて先の見通しは利かなかった。
避難小屋を出る頃は、完全に雨があがって日差しも差していたが、一刻ほども進むと、空は黒っぽい雲に覆われてきた。
そして、また雨が降ってきた。冷たい雨だった。
祐司は見通しが甘かったと感じたが、隊商の人々は何でもないように送り出してくれたので、このような天候の変化は日常茶飯事で気にしていては旅を続けられないのかとも思った。
祐司とパーヴォットは、中世的な技術でという前提がついた防水加工が施してある外套を持っており、少々の雨なら道中を急ぐこともできた。
ただ、テポニナとその子供らは、その格好でキリオキス東斜面の雪道を歩いてきたのかというような上半身の上だけを保護する薄手のケープのような物を上着に羽織っているだけだった。
しかたないので、祐司は子供らにオオカミの毛皮を持たせた。オオカミの顔の部分がきれいに残っているので、オオカミの毛皮を頭に乗せて歩く子供らは、獅子舞ならぬオオカミ舞のような格好だった。子供らは時々、ウーウーとオオカミの鳴き真似をしながら結構楽しそうだった。
テポニナには途中で薬草を採集した時に使うつもりだった、これも防水処理を施した袋を貸した。
テポニナは、最初は固辞していたが、結局は祐司のすすめで、頭からそれを被る格好で使わした。
道はほとんど水平であったので、最初は、これで乗り切れるかと祐司は安堵していたが、半刻ほどして急に雨脚が強まってきた。
「身体が濡れると大事になるかもしれません。雨宿りできる場所をさがしましょう」
祐司の算段では昼前に出て避難小屋と、これから行く避難小屋の中間という最悪の場所だった。
「ユウジ様、あの木の下はどうでしょう」
パーヴォットが指さした方向には、大きなモミの木があった。急いで、その下に走り込むと樹齢は軽く数百年というような大木で、葉が良く茂った枝を広く伸ばしていたので雨宿りにはちょうどよかった。
「少しやり過ごしましょう」
祐司は、子供らを木の幹にもたれかけさせて、自分は比較的乾いている場所に外套の雨を払って、尻の下に敷いて腰を下ろした。
祐司はパーヴォットに命じて、黒パンと携帯用の固く乾燥させたチーズを荷物から出させて、テポニナとその子供達にも配った。
祐司は固いパンを囓るようにゆっくり食べながら空模様を見ていた。雨脚は、先程、歩いていたときよりは少しばかり弱まってきたようだった。
ふと、傍らを見ると、テポニナが同じように袋を敷いて座っていた。
テポニナから出る光が今までに見た物とは、本質的に違うように感じた。確かに、自分の子の生死を心配している時は、どこでも見かけるような少し赤みが光が身体のごく近くに見えていた。
今は、それの光が語りかけるかのように強くなったり、弱くなったり時に波打つような光を発していた。そして、光のスジが触手を伸ばすように時々遠くまで届いていた。
テポニナは自分の方を見つめている祐司に気が付いてにっこり笑った。
祐司はテポニナに言いしれぬ愛おしさのような感情が湧いた。
「ユウジ様、いかがいたしますか」
馬とラバを少し離れた木に繋いできたパーヴォットが祐司に声をかけてきた。次の瞬間、祐司は正気に戻った。
目の前にいるのは、生活苦と我が子を失った喪失感で、憔悴から表情を失った萎びたような感じの四十半ばという風情の女だった。少なくとも、四十前後であろうグネリよりはかなり老けていた。
リファニアでの平均的な結婚年齢や子供の歳からすれば、テポニナは、まだ三十に届くか届かないような歳の筈である。その女が精一杯の様子で引きつったような愛想笑いをしている。
「ユウジ様、いかがいたします」
もう一度、パーヴォットが声をかけてきた。
「ああ、雨は弱くなってきたようだな。ただ、歩き出した。また、降られたでは困るから、もう少し空が明るくなるまで待とう」
雨が一層弱くなり、霧雨のような状態になって空が次第に明るくなってきた。祐司は休んでいる内に寝込んでしまった子供達を起こすと出発した。
ところが、いくらもいかないうちに霧が出て来た。この霧は自然の霧なので、祐司にとっても難物である。
「まいったな。まあ、道は迷わないとは思うが」
祐司は、道草をした分、急がなければ、次の避難小屋に明るいうちにたどり着けないと算段していたから霧は大きな誤算だった。
「用心しながら進もう」
森が深いところは道も明瞭であったが、疎林になっているところでは踏み跡をよく見ていないと道を外れてしまう恐れがあった。
「ユウジ様、ウサギがいます」
深い森が急に開けるような場所に行きかかった時に、パーヴォットが小声で言った。
「どこだ?」
祐司は行き足を止めて、小声でパーヴォットに聞いた。
「この先の岩陰です」
パーヴォットが指さした先には自動車ほどの岩があり、その下に何かがいるのが祐司にもわかった。
森の端から、そこまでは一番近い場所で二十メートルほど離れていた。小動物を弓に関しては、多少は訓練したと言っても、ほぼ素人といってよい祐司が素朴な弓で射るには厳しい距離である。
「時間がないが、一射だけするか。パーヴォットも弓の用意をしろ。森の端から、身体を地面に寝かせて近づこう。それで、逃げられたら終わりだ。諦めよう。オレの後についてきて動作を真似しろ」
「はい」
祐司は馬とラバを少し後退させて、テポニナ達に、静かにしてしばらく待つように言ってから、パーヴォットを伴って森に入った。
森の端から見たウサギは、雪ウサギだった。かなり大型のウサギでリファニアでは一般的なウサギである。毛の生え替わり時期なのか多少白い毛が斑に残っていた。
祐司は弓を持ったまま匍匐前進を始めた。リファニアの言葉に匍匐前進という言葉がなかったために、祐司はパーヴォトに動作を真似ろと言ったのだ。
雪ウサギがいる場所までは、身体がなんとか隠れるほどの草が茂っていた。その草に隠れながら、ようやく、十メートルほどの距離に近づくと、雪ウサギが、後足で立ち上がって回りの様子を気にしだした。
匂いで気が付いたのかもしれないと思い祐司は、急いで矢をつがえると、逃げだそうとした雪ウサギに矢を放った。パーヴォットも矢を放つ。
祐司の矢は雪ウサギの鼻面をかすめて後ろの岩に当たった。雪ウサギが跳びはねた瞬間にパーボットの矢が雪ウサギの後ろ足の付けに命中した。
雪ウサギはキュッというような声を上げて、それでも逃れようと片方の後ろ足だけで、岩の下にある隙間に入ろうともがいていた。
祐司は急いで雪ウサギに近づくとトドメの矢を放った。
「パーヴォット、見事だ」
祐司は動かなくなった雪ウサギの首筋を掴んで持ち上げながらパーヴォトを褒めた。
「ウサギが逃げようとした方向に、たまたま矢が飛んだだけです。わたしの射ようとした場所ではありません」
パーヴォットは恐縮してまるで言い訳でもするかのように答えた。
「ともかく急ごう。明るい内には着けるだろうが、着いたら暗くなったでは不便だからな」
祐司はそう言うとテポニナ達のいるところにもどり道を急がせた。
途中でテポニナの下の男の子が愚図りだしたので、祐司が背負った。更に上の女の子が足が痛いと言い出したので、ラバの荷を少しテポニナとパーヴォットに担ってもらい、女の子をラバの背に乗せてひたすら先を急いだ。
その努力と、神々の加護があったのか霧は次第に晴れて、雨が再び降ることもなかった。そして、何よりも言われていたほどには避難小屋が遠くになかった。
多分、水平に思えた道も多少は下って来たのであろう。反対にキリオキス西斜面に至る人は登りとなる。その差が距離感の違いになったのかもしれないと祐司は思った。
祐司達は避難小屋に着いてから一刻以上は明るい時間が残されている時刻に到着できた。ただ避難小屋は掘っ立て小屋同然の粗末極まりないもので、床材など使用していない土間だった。
パーヴォットは小屋の真ん中にある囲炉裏に火を熾すと、明日の朝できるだけ早く出立できるように、次の宿泊者のために用意する比較的濡れていない柴を探すため、女の子を連れて森の中に入っていった。
「ユウジ様、ありがとうございました」
パーヴォットの後ろ姿を見送る祐司にテポニナが声をかけた。祐司は最初、何のことかと思ったが、両手を差し出すテポニナの姿から、まだ背負っていた男の子を受け取りたいという意味だとわかった。
「ユウジ様、お疲れでございましょう」
祐司の背で寝入ってしまった男の子を受け取るテポニナの言葉と、その目に祐司はまた言いしれぬ愛おしさのようなものを再び感じた。
祐司はワタネが言っていた、テポニナは男好きのする女だという言葉を思い出した。




