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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第三章  光の壁、風駈けるキリオキス山脈
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キリオキスを越えて8  ヌーヅル・ハカンの”情けは人の為ならず” 四

 一行が小屋に入った時、ワタネは鍋で煮たライ麦の粥に岩塩で味付けをしていた。


「遅かったじゃないか」


 ワタネはそれだけ言うと、各自が持参していた旅用の椀に粥を入れて渡した。


「さあ、食べな」



「食べないでください」


 ユウジはそう言うと、一旦、受け取った椀を一つだけある粗末なテーブルの上に置いた。


「パーヴォット、皆さんに黒パンを出して。それと、干し肉も」


「非常食ですね。いいんですか」


 あっけに、取られている一同を前にユウジが少し大きな声でパーヴォットに言う。


「ああ、今が非常時だ」


「さあ、ソウイチロウさん、説明してください」


 パーヴォトが食糧を机の上に並べ出すと、ユウジはワタネの方を見てにこやかに言った。


「ソウイチロー?」


 ワタネが怪訝な顔をすると、ユウジはワタネが布団代わりにしていたコートの文様を指さして言った。


「その、服にソウイチロウって書いてあります。北クルトの風習で、自分用に誂えた服には、文様に隠して自分の名前を入れるんです。

 人に売ったり、譲ったりするときは、新たに文様を書き足してわからなくします。ですから、ソウイチロウと読める、文様の服を着ている人はソウイチロウさん以外にはあり得ない」


 少し間を置いてから、ワタネがいかにも慌てた様子で言う。


「ソウイチローはオレの兄貴だ。ちょっと借りただけだ。不思議でも何でもない」



「益々、不思議だ。さっきの話はウソです」


 ユウジは、ワタネの顔をじっと見て言い返した。食糧を並べながらパーヴォットは吹き出しそうになるのを堪えていた。


 心配げなテポニナと、その子供以外は、ライ麦の粥が入って椀を持ったまま興味津々といった顔でユウジとワタネのやりとりを見ている。


「いや、ウソだろうが何だろうが、ソウイチローはオレの兄貴だ」


 ワタネはそう言い張る。


「ソウイチロウという名は出任せです。もっとも、ワタネさんは、ソウイチローと言ってますが」


 ユウジはおもしろがるように言う。


「ソウイチロウとは聞いたことのない名だ。本当にそのような兄がいたとしたら百万分の一の奇跡だな」


 スェデンもにやにやしながらユウジに加勢した。


「まあ、ソウイチロウさんが百歩譲っていたとします。でも、あなたには説明して貰いたい」


 ユウジは更に追い打ちをかけるように言う。


「何を説明するんだ」


「わたし達に毒を盛ろうとした理由です」


 ユウジの言葉にライ麦の粥が入った自分の椀を各自が見た。


「言いがかりはたいがいにしな」


 ワタネが怒鳴った。それに対してユウジは、優しげな口調で返した。


「じゃ、このお粥を先に食べてもらえますか。タダとは言いません。銀一枚出しましょう」


 ワタネは黙ったままだった。ほかの者達は顔を見合う。


「食べられませんよね。これは毒ライ麦ということを知ってるからですよね」


 ユウジの言葉に、ハカンが聞いた。


「何故、毒ライ麦だと?」


「埋葬の前に、麦を見ました。黒い筋がついていました。それは麦角菌という、毒のカビです」


「バッカクキン?」


 ハカンは聞き慣れない言葉に戸惑った。


「ええ、麦角菌です。毒を出すカビです。リファニアでは”毒の麦”とか”悪神の麦”と言う名で知られています。

 薬草の採集を少し囓りますので、毒草のことも多少は知識があります。それに、以前、ケンシュウで習ったことが…」


 再び、ユウジはハカンの知らない単語を使った。


「ケンシュウってなんですか」


 ハカンの問に、ユウジは初めて困った顔でした。


「人を集めて広く知識や技能を説明することです」


 ユウジは、軽くハカンの問を受け流すと、再びワタネに質問を繰り出した。


「あなたは、テポニナや子供達にも有毒であることを知りながらエン麦の粥を食べさせましたね」


「死ぬようなことはない…」


 再びボロを出したワタネにユウジは、たたみかける。


「それでも、苦しむことにかわりはない。あなたは、それを避けるような方策はいくらでもあった筈だ。子供やテポニナさんに用事を言いつけて食べるのを遅らさせるだけでもよかった。でも、しなかった。

 あんたは、心底、悪人のようには思えませんでした。でも、今は、テポニナさんは兎も角も、子供に毒を食べさせようとしたあなたを、わたしは許すことができません」


 ユウジの話の間に、ライ麦の粥が入った椀は次々と机の上に置かれた。


「麦角菌には多くの種類があって、致命的な症状を起こすものはもっと、暖かい地方に多いと聞きました。症状の種類も色々とありますが、錯乱状態になる種類のものだと思います」


 ワタネ以外の者に、説明するようにユウジは言った。


 ハカンの遠い記憶が蘇ってきた。


「聞いたことがある。幸いにして実物をみたり、そのバッカクキンで苦しんでいる者をみたことはないが、うちの父が、幻覚や幻聴を起こす毒の麦があると言っていたことがある」



「死ぬようなことはないと言っただろう。わかってしたことだ、あれぐらいでは、何ともならないんだ。第一、麦がもったいないじゃないか」


 ワタネは、すっかり居直ったように言う。


「そう、多分、死ぬことはないでしょう。しかし、わたし達は、あなたに殺されただろう。あなたが、テポニナさんや子供達を殺すつもりはなかったのは本当でしょう。

 テポニナさんにも毒を与えたのは、わたし達を殺すときに、邪魔するかもしれなかったからだ。


 テポニナさんに、毒の粥を与えるには子供にも与えないわけにはいかなかった。子供が食べないのに母親が自分だけ食べることはありませんから」


 ユウジの言葉にハカンとスェデンが、腰の剣に手をかけた。


「ワタネさん、あなたは行商人ではありませんね」


 初めて、ユウジは強い口調でワタネに言った。


「なんと、オレは行商人だ」


 ワタネは大声で抗議する。


「そういえば、あなたは、わたしがここに来てから一度も馬の所にいかない」


 ハカンが思い出したように言う。


「子供らに任せている。小遣いをやるつもりだった」


「行商人は高価な馬やラバを大切にします。どんなに疲れても、一通り馬の世話がおわらないと休まない。ワタネさん、あなたは馬が恐いんじゃありませんか」


 そう言った、ユウジはワタネに反論する隙を与えずみに、ゆっくりと、追い詰めるように言う。


「ペト君が亡くなった時は、えらく取り乱していましたね」


 ワタネが黙っている。ユウジは少しテポニナの方を向いてから言った。


「あなたにゆかりのある子ですか」


 テポニナはユウジの言葉に顔を下に向けた。


「あなたは、行商人じゃありません。外にいる本当の馬の持ち主、本当の行商人を殺しましたね」


 ワタネは突然、ドアに駆け寄ろうとした。すばやく、剣を抜いたハカンが進路を閉ざす。


「あなたは、どこか間が抜けている。死体を何故、埋葬地以外の場所に埋めたんですか。死体を埋葬地に埋めれば怪しまれなかったでしょうに」


 ハカンに剣を鼻先に突きつけられたワタネは黙っている。



「まさか、殺すなんて。騙して、馬と商品を取り上げただけだと」


 テポニナが泣き崩れた。

 

「黙ってろ。それともオレを売るのか」


 テポニナに突きかかって行こうとするワタネを、ハカンはたくましい腕で抱え込む。


「お前が黙っていろ。スェデンさん、こいつを縛って柱にくくりつけてくれ」


 ハカンがワタネを押さえ込んでいる間に、スェデンとナニーニャはワタネを柱に縛り付けて、猿ぐつわまで噛ませた。


「これで、静かに話が聞けましょう」


 静かになったワタネを見ながらハカンはテポニナに言った。


「テポニナさん、話を聞かせてください」


 ユウジはテポニナに優しげに言うと、従者にも指示を出した。


「パーヴォット、ドアを少しだけ開けて、外の様子をよく見張ってくれ」


 ユウジの従者は言われた通りに表の見張りを始めた。



「ワタネはわたしの亭主と同じ鉱山で働いていた男です。亭主が病気で死んだ後、色々、世話をしてくれました」


 誰もが、黙っていると、観念したようにテポニナがしゃべり出した。


「やはり、ご主人はご病気でしたか。何故、落盤事故で死んだと?」


 ユウジがまた、優しげに聞く。


「辛かったので御座います。巡礼様お許し下さい」


「何を許すのですか?」


 どこまでも、優しく聞くユウジにハカンは感心した。


「主人が落盤事故に遭ったのは本当です。その事故がもとで主人は、寝込んでしまいました。

 生活に困っているときにワタネが色々と助けてくれたので御座います。そして、主人が伏せているときに、ワタネと理無わりない仲になってしまいました。いつしか自分であの時は、主人がもう死んでいたのだと思うようになりました」


「それで落盤事故の時に死んだと言ったのですね」


「お許し下さい。自分を偽らないと主人に申し訳がたたなかったので御座います」


「ペト君の父親は」


 ユウジはさも知っているかのように聞いた。


「ワタネです」


 しばらく、沈黙が続いた後に、テポニナが小声で言った。


「主人が死んだ後は、ワタネともう所帯を持ったみたいなもんでした。でも、ワタネが鉱山の馬に蹴られて足に酷い怪我をして仕事ができなくなりました。そして、ペトが生まれてすぐにワタネはいなくなりました」


 朴訥と話すテポニナに、聞いてる者が質問するような形で、次のようなことがわかった。


 亭主が亡くなり、ワタネが行方不明になってからも、テポニナは、人から借りている僅かな畑を耕したり、鉱山のまかないの仕事をしていた。


 生活苦で、どうにもならなくなった時に、ワタネの仲間だという男がやってきて、隊商に同行を頼み込んで、キリオキスの西の避難小屋まで来いと言う。そうすれば、ワタネがマール州の自分の故郷に連れて帰って家族として養うと言うのだ。


 テポニナはその言葉にすがりつくしかなく、その男が言ったように、それこそ、隊商のリーダーに頭を地面に擦りつけてお願いした。


 二人の子を連れて、赤ん坊を抱えたテポニナは隊商に遅れそうになりながらも、ようやく、この避難小屋に着いたのが三日前である。


 そこには、キリオキスの西麓にあたるキリオキス・エラ州から来た行商人を名乗るワタネが居た。


 ワタネはテポニナとの再会を喜び、隊商の一行に礼を言った。赤ん坊が、その前から具合が悪そうだったのでテポニナは一刻も早く故郷なり、人家のある所に行きたかったがワタネが、無理をさせない方がいいと言い張って結局、赤ん坊は死んでしまった。



「貴女とお子さんは、釣りの餌だ。いや、看板だ。相手を安心させるための」


 テポニナの話を聞くと、ユウジは忌々しげに言う。


「ユウジ殿、わたしに説明させてくれないか」


 ハカンが、ユウジが更に言葉を続けようとしたのを制してしゃべり出した。


「ワタネは、ここに来る商人に毒エン麦を食べさせて仲間とともに殺す計画を立てた。そのために、相手を安心させる看板にテポニナさんを呼んだ。胡散臭い男が、急に粥を食べろと言っても不審がられるからな。


 ところが、運の良いことに。ああ、これはワタネにとってだが。早々に行商人がやってきた。これは、一人だったので、多分仲間といっしょに殺害した。ワタネは行商人になりすまして次の得物を待った。


 その直後に、テポニナさんと隊商が来たが、人数が多かったか何かで計画は実行されなかった」


 ハカンは、最後にユウジの方を見て言った。


「仲間がいるとどうしてわかりました」


 ユウジがにっこり笑ってたずねた。


「あなたも、死体を埋めた場所にあった複数の足跡に気が付いていたのでしょう」


 ハカンも笑いながら言う。


「ワタネを含めて四五人かと」


「気がついていた人は?」


 ユウジの問いかけに、テポニナとパーヴォットを含めて、子供以外は全員が手を挙げた。



「わたし達の前に出発した隊商は二隊いっしょだったそうです」


 パーヴォットが手を挙げながら口を挟んだ。


「はい、二十人ばかりの人数で御座いました。護衛も数名同行しておりました」


 テポニナの説明に、続いてスェデンが言う。


「テポニナさんには、脅かし半ばでオレとは他人の振りをしろと言いくるめた」


「はい、少しばかり金をくすねるだけだから黙っておけと。申し訳ありません。わたしが黙っておれば金が手に入ると思い込みました。今になれば、我が身の浅ましさに死にたくなります」


 テポニナは許しを乞うように跪きながら言った。


「ワタネが行商人の格好をしている時からおかしいと思ってましたね」


 ユウジはテポニナを立たせながら聞いた。


「はい」


「服の文様の話で、ユウジ殿に騙されたことからわかるようにワタネは字が読めない。字の読めないようなワタネが、一年やそこらで商売に成功して、馬持ちの行商人になるのは不自然だ。第一、ワタネは馬が恐い」


 そう言ったハカンは本来なら口べたである自分が雄弁にしゃべっていることに驚いた。


「先程もいいましたように、行商人を騙して馬と商品を取り上げたのだと言っておりました。ワタネが馬を怖がりますのは、鉱山で馬に蹴られて足に大怪我をしたからです」


 テポニナが小声で言った。


「話を続けましょう。次にやってきたのがわたし達だ。ワタネにとっては、いいカモに見えただろ。

 本当なら昨夜、毒をもるつもりが自分の子の容態が悪くなった。ユウジ殿が治療を始めたので、殺すに殺せなくなった」


 ハカンはそう言うと、ワタネの猿ぐつわを外した。


「どうだい、合っているだろう」


 ワタネはハカンを睨んで叫んだ。


「勝手なことばかりほざきやがって。後で命乞いするなよ」



「ユウジ様、武装した男がいます。四人です」


 少しばかり開けたドアの隙間から、表を見張っていたパーヴォットが緊張した低い声で警告した。


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