キリオキスを越えて6 ヌーヅル・ハカンの”情けは人の為ならず” 二
キリキオスの峠の方から、馬とラバをひいた大柄な男と、少年が近づいて来ていた。
「馬を裏に繋いでいいですか」
普通の声で話せるような距離に近づいてきた大柄な男が言った。
「別にここは我らの小屋ではない。空いている所を使えばよい」
見た目には怪しそうな素振りがなかったので、ハカンは剣の柄に当てていた手を放して答えた。
「失礼します。わたしは一願巡礼のジャギール・ユウジと申します。こっちは従者のパーヴォットです。今夜は此処に泊まろうと思いますが、小屋に空きはあるでしょうか」
ハカンは黒髪黒目の浅黒い感じのする男をイス人なのだろうと思った。ハカンの故郷のナアール州は、広大な中央盆地の南東部の一角に勢力を誇る自治都市シスネロスが実質的に統治するドノバ州の南西に位置する。
ナアール州は南西部沿岸と中央盆地の間にあるベムリーナ山脈が東に一番突き出たような地域で、山地がち土地であり、生産力は肥沃なドノバ州と比べるべくない。また、中央盆地ではもともとイス人の血統は少なくナアール州ではほとんど見かけたことがなかった。
「二人ぐらいなら十分な空きがある」
今度は女衒のスェデンが男に答えた。
「それでは、手狭になりますが、今夜はご一緒させていただきます」
ハカンは丁寧に言葉を返す男の右胸にオオタカの羽を見つけた。一願巡礼にしては若いと思ったが、ハカンは一願巡礼にあれやこれやと聞くような躾はされていなかった。
「パーヴォット、馬とラバを頼む。荷物は小屋に運んでくれ」
巡礼はまだ子供のような従者に指示をする。従者は頷くと馬とラバをひいて小屋の裏に回った。
「これをやろう。お兄ちゃんを手伝ってもらえるかな」
巡礼は不安げに見ていた二人の子供に声をかけた。そして、巡礼は、腰のポシェットから樹皮紙の包みを取りだした。その中にはクッキーが入っていた。そのクッキーを子供らに渡しながら巡礼は頼みごとをした。
ハカンが見るところクッキーは小麦で焼いた上等なものだった。子供達は急いでそれを頬張ると小屋の裏手に走って行った。
「ともかく、小屋の中に」
ハカンは巡礼を小屋の中に誘った。
「わたしはジャーギール・ユウジといいます巡礼です。今夜は従者とともに皆様とご一緒させていただきます」
巡礼は小屋に入るなり自己紹介を始めた。で、結局、少し前にしたお互いの紹介を一通りするはめになった。
違っていたのは、売られていく女のナニーニャが自分で名乗ったことと、最後に自己紹介をしたテポニナの亭主が鉱山の落盤事故で死んで故郷に帰るという長い身の上話のような自己紹介を、行商人のワタネが止めなかったことだ。
ハカンはテポニナの話に違和感を感じた。最初は亭主が長患いになったような話をしかけたのに今度はその話がなくていきなり落盤事故にあったという話になったからだ。
「これから、みんなで出した食材で夕食を作ろうとしてところだ。巡礼さんどうする」
ハカンがそのことをテポニナに問おうとすると、ワタネがユウジと名乗る巡礼に声をかけた。
「では、わたしはこれを提供いたします」
ユウジという巡礼は背負っていたリュックから大きな雷鳥を二羽取りだした。
「おー、雷鳥か。それも丸々太ってるぞ」
女衒のスェデンが嬉しそうに言う。
「ジャギール(うずら)の持ってきた雷鳥か。そいつはいいや」
行商人のワタネの言葉にはいちいち険がある。巡礼のユウジはそんなことには気をかけないのか布の上にあるそれぞれが提供したライ麦を見て言った。
「ライ麦ですか。それでは後からきて無理をさせてしまいますので、少し多めに出しましょう」
巡礼のユウジはその言葉の通りに従者の少年が持って入ってきた荷からたっぷり四人分ほどのライ麦を出した。
雷鳥は、女衒のスェデンと巡礼の従者、それにテポニナの子供達が羽を毟って竃の火口で直接焼いた。ライ麦の粥は売られる女のナニーニャが炊くことになった。
「すみません。手伝わなくて」
テポニナが赤ん坊を抱えたまま、すまなそうに言う。
「大分、具合が悪いようですね。ちょっと赤ちゃんを寝かしてくれませんか」
巡礼のユウジは毛布を敷くと赤ん坊を寝かせて、赤ん坊の胸に耳を当てた。
「大分、悪いです。お母さんは、赤ちゃんの横に一緒に寝てあげてください」
かなり長い間、赤ん坊の胸に耳をあてていた巡礼のユウジがテポニナに悲しそうに言った。しばらくテポニナはユウジの言葉を咀嚼しているようだった。
「あなた様はお医者様でございますか。わたしは治療の代金など持っておりません」
テポニナはほとんど泣きそうな声で言った。
「医者ではありません。少し知識があるだけです。だから代金など取りません。ところで、赤ちゃんの名前は」
「ペトです」
「パーヴォット、もっと竃の火を焚いてくれ。ペト君が少しでも暖かく過ごせるようにしましょう」
巡礼のユウジは従者の方を見て指示を出すとテポニナに少し微笑んでから言った。ハカンは巡礼のユウジの言葉は気休めだと直感で感じた。
巡礼のユウジは荷物の中から大きなオオカミの毛皮を出してきた。ハカンは巡礼のユウジを手伝って竃の側に、その毛皮で赤ん坊と母親のテポニナの寝床を作った。
ユウジはまた赤ん坊の胸に耳を押し当てたり首筋で脈を確かめてた。それから、荷物の中から二枚貝を入れ物にした軟膏を取り出すと赤ん坊の胸に塗った。
「どのようなお薬ですか」
テポニナが心配げに聞いた。
「これは、三種類の薬草と蜂蜜を練り合わせたものです。血行をよくする作用がありますから、筋肉のハリや凍傷などの手当に使う薬です。
胸の炎症を鎮め息を楽にする作用も多少あります。わたしは医者ではありませんが、薬草を集めて生活の糧にしていますから薬効については多少の知識があります」
巡礼のユウジが説明をしていると、ワタネが突然、大声で言った。
「おい、そこの巡礼が十分な麦を出したからオレの分を返してくれ」
「各自が自分の分を出すのでは?」
ハカンが咎めるように言う。
「明日の朝は、おれが余計に出すよ。こんな、山の中だ。余計に麦を使うことはないだろう」
「まあ、いいではないですか。明日は余分に出すとおっしゃってますし、言うことは正しいと思います」
ユウジがそう言ったので、ワタネは、ハカンを睨みながら麦を自分の袋に戻した。
当たり障りのないような話を男達がしばらくしていると、売られる女のナニーニャが大きな声を出した。
「粥ができました」
「ユウジ様、雷鳥もいい具合に焼けました」
従者の少年も続けて大きな声で出した。
「さあ、食べましょう。お母さんもしっかり食べて赤ちゃんにお乳を出してあげてください」
ハカンは巡礼のユウジの指示に従ったが、いつの間にか小屋のリーダーのように振る舞っている巡礼のユウジに軽い嫉妬を憶えた。
各自にエン麦の粥と焼いて岩塩とハーブで味付けした雷鳥の肉が配られた。
「このオオカミの毛皮は?」
早々と食べ終わったハカンは巡礼のユウジに赤ん坊とテポニナが寝ているオオカミの毛皮についてたずねた。
ハカンは一願巡礼に持ち物の由来を質問をするのは礼儀に反することだと思ったが、あまりに見事な毛皮に武人として聞かずにおれなかった。オオカミの毛皮を所持できるのは献上という場合を除いては、そのオオカミを狩った人間だけだからだ。
「ご主人様が狩られました。少女に取り付いた魔狼です。今日も…」
従者の少年が自慢げに言う。
「パーヴォット、出過ぎだぞ」
巡礼のユウジが思いがけないきつい口調で叱責した。
「申し訳ございません」
従者の少年は哀れなほどの怯えた声で詫びた。
「事情がおありでしょうから詳しいことは聞きませんが、珍しい得物をお持ちですな」
ハカンは巡礼のユウジが持っている、軽く曲湾した刀と短槍にも興味があった。巡礼のユウジは、先程の声とは一変して丁寧な口調で、故郷の刀と故郷の刃物を使いやすい武器に作りかえてもらった短槍だと説明してくれた。
「では、赤ちゃんの様子を見ますので」
ユウジは、赤ん坊の胸に耳を押し当てた後で、先程と同じ薬を赤ん坊の胸に塗った。そして、何も言わずに部屋の隅で壁に背中を当てて座るなり何も言わなくなった。
ハカンは何かしなくてはと思うのだが自分に出来そうなことは何も思いつかなかった。しかし、赤ん坊の様子は気になる。巡礼のユウジは母親のテポニナに遠慮して自分がつかんだ病状を隠しているのはわかっていた。
「ここに、入ったきりで不用心だ。夜通しとは言わないが時々外の様子は見た方がよいだろう。で、男でションベンがてら少し表に出て様子を見て相談しないか」
ハカンは思いついた言葉を思わず発した。
「そうだな。いいだろう」
女衒のスェデンがすぐさま同調した。ひょっとしたら同じ事を考えていたのかもしれないとハカンは思った。
「上手い具合に小便がしたくなっていたところだ」
行商人のワタネまでが同調して立ち上がった。そして、ハカンはワタネが初めて立ち上がったことに気がついた。小屋の戸口に向かうワタネは少し足を引きずっていた。右足が悪いらしい。
巡礼のユウジは引きずられるように立ち上がって従者に言う。
「パーヴォット、コケモモはまだ残っているか」
「はい」
従者は先程叱責されて暗い表情をしていたが、元気な甲高い声で返事をした。
「子供達にやってくれ。それから、子供らと遊んでやってくれ」
「何をして?」
「あっち向いてほい」
巡礼のユウジは右手の人差し指をいきなり右に動かした。ハカンは何かの稚戯なのだろうと思った。
「はい、すぐに教えます」
ハカンと巡礼のユウジが表に出たときは、小雨の中に竃から持ち出した大きめの木を松明代わりに持っている女衒のスェデンが行商人のワタネとなにやら話をしていた。
「ユウジ殿、赤ん坊の具合は正直どうなのだ」
女衒のスェデンが待ちかねたように聞いた。
「よくわかりません。でも、息をする内蔵が酷く病んでいます。泣く力も赤ちゃんはないようです。昏睡状態です。脈もあまりありません。正直に言いますと危ないと思います」
巡礼のユウジは暗い表情で、ゆっくり言葉を選んでしゃべった。
「ユウジとやら、ここで死なれたら夢見が悪い。何とかしてやってくれ」
行商人のワタネがユウジに詰め寄って声を荒げて言う。
「今、死んでもおかしくないと思います。どんどん脈が弱くなっています」
ユウジは下を向いて気弱な口ぶりで返した。
「だからどうにかしてやってくれって言ってるだろうが」
ユウジに掴みかからんばかりの、行商人のワタネを女衒のスェデンが止めに入った。
「あなたが興奮してもしかたないでしょう」
スェデンの言葉にワタネは、少し気が落ち着いたのか口をとがらせて黙った。
「女達にああ言った手前だ。少し周りの様子を探るか」
場にとげとげしさが残っているのを見かねたハカンが三人に少し笑みを見せて言った。
「オオカミなんか出ないでしょうね」
女衒のスェデンが心配げに言う。
「ここは標高が高いので、ろくな動物がいません。ですからオオカミもいないと思います。でも、用心のために二人一組で街道沿いに歩きますか」
巡礼のユウジが説明口調で言った。雨は再び激しくなってきた。
「止めましょう。また、雨が降ってきた」
女衒のスェデンの言葉で、男達は小便をすませると小屋に戻った。すでに、本当の闇になる夜は、数時間しかない季節であるが、厚い雨雲に覆われて外でも、ようやく人影が確認できるほどの暗さだった。
それぞれが、勝手に決めた寝床に潜り込んだ。ユウジが最初に寝ずの番をすることになった。




