”小さき花園”の女1 いわゆる仙女
後光に包まれた女は少し身構えていた。祐司は敵意がないことを伝えるために両手を少し上げた。その仕草に女が反応した。女は何かを呟いたようだった。
突然、女の後光が光を増した。次の瞬間、祐司の方へ稲妻のような光がさした。思わず祐司は後ろに仰け反った。しかしその光は祐司の目の前で消える。
「リュイキュナ」
女が呟く声が聞こえた。女の様子から敵意や警戒心がなくなった。
「グゥーナ ババレー」
驚愕している祐司に女は大きな声で言った。何かを尋ねているらしい。
「水をください」
痛みでしゃがみこんだ祐司は取りあえず、両手で水を飲む仕草をしながら言った。
女は祐司の方へ二三歩歩み寄ってきた。しかし、あと一歩のところで少し苦悶のある表情をしたかと思うと立ち止まった。
「ヘレ ヴァィト」 女はそう数回繰り返して言った。そして、小走りにやってきた小道を戻っていく。女は『ここにいろ』といった意味で言ったのだろう。女の口調に敵意の感じられなかったことで祐司は取りあえず女が戻ってくるのを待った。
ほんの数分で女は戻ってきた。手にはこぶりな素焼きの壺を持っていた。女はその壺を祐司の手にようやく届く距離の地面に置いた。
祐司はすこし這いずってその壺を自分の近くに引き寄せた。壺には口近くまで清らかな水が満ちていた。
壺を傾けて少しだけその水を口に含ませた。冷たい水だった。半分ほども飲み干してから祐司は素焼きの壺だから少しずつ漏れる水の気化熱で冷たいのだと自分の頭の中で解説した。
「ありがとう」
最後まで水を飲み干した祐司は女に礼を言った。女は少し微笑んだ。祐司は女をゆっくり眺めた。
濃いブロンド、もしくは薄いブルネットといった束ねていない髪が背中の半ばまで伸びている。薄い茶色の光彩、白い肌合い、やや痩身で150センチ半ばほどの身長、ややくぼんだ眼窩、落ち込んだ頬骨、狭く高い鼻、典型的なヨーロッパ系の顔立ちで祐司の基準では、そこそこの美人である。歳は三十前くらいだろうか。
女からは相変わらず後光が出ているがごく弱く太陽の光の中ではほとんど目立たなかった。
祐司にとって理解不能な後光のことは別にしても奇妙なのは服装である。麻のような白い布地で足首まである長いワンピースのような長袖の服を着ている。首筋から胸元は少し深めに四角くくってある。腰の辺りには青いロープのようなベルトがあり服を留めていた。
そして皮で作った自家製のようなサンダルを履いている。どう見ても山の頂上でみた老人が着ていたような時代物の服である。
後光の差す女が普通の服装だったら余計におかしいかもと思った祐司は自分でも表情が柔らかくなっていくのを感じた。
「遠見祐司。とおみ ゆうじ」祐司は自分を差して言った。
「とぉみゆーじ」女は姓名を続けて復唱する。
「とおみ ゆうじ ゆ・う・じ」祐司はもういちど言った。
「ユウジ」
女ははっきり言った。
「スヴェア。マミューカネリ・スヴェア・ハレ・ヴァルダン・ジャネル・ディ・ヘルコ」
今度は女が自分を指さして言った。
「ヘレ ヴァィト」
女は先ほど言った言葉を繰り返して言った。そして、先ほどと同じように小道を去っていく。
三十分ほどすると、スヴェアはポニーといっていい小柄な馬に曳かせた木製のリヤカーのような荷車に種々の荷物を積んで戻ってきた。
祐司が瞠目したのはスヴェアの傍らにいる犬である。いや犬のような動物がいた。小牛ほどもありそうな犬である。全体が薄い茶色に腹部は白の毛並み、立ち上がった耳、大きな牙、精悍な目つき。巨大なオオカミかもしれないと祐司は思った。
「リッポー」
スヴェアは犬を示して言った。祐司は名前だろうと察して自分でも声を出した。
「リッポー」祐司が声をかけると犬は祐司を見て一声吠えた。犬の鳴き声だ。オオカミの鳴き声を知っているわけではないが祐司は直感した。
「ヘレ ヴァィト」スヴェアは祐司にまた同じ言葉をかけると、地面に麦わらを敷きその上にウールの敷物を置く。そして、1.5メートルほどの木の棒を二本地面に大きな金槌で打ち付けた。その木の間にロープを通して布をかけて整える。
簡易なテントの完成である。
「ヘイク ハレ」スヴェアはテントを指さして何度も同じことを祐司に言った。どうやらテントに入れと言っているらしい。
祐司はリュックを引きずって這いながらテントに転がり込んだ。テントの中には女が着ているような貫頭衣といってよいほどの粗末な服とウール地の荒い目の毛布が置いてあった。
スヴェアはテントの近くに木製のバケツを置いた。バケツの中には水が満たされ、バケツには清潔な布が添えられている。スヴェアは布で足を拭く真似と服を脱ぐ仕草をする。傷を洗って着替えろということらしい。
祐司は解釈のままに下着も含めて上半身の服を脱いで貫頭衣を着る。それからズボンをとトランクスを脱いで、リュックから出した新しいトランクスをはいた。
祐司が着替えの途中でスヴェアを覗き見ると、リッポーと呼んでいた大犬に何事かを言いつけていた。そして、祐司を中心にして数メートルほどの半径の円を木の枝で地面にかいた。
リッポーはその円の外側に腹ばいになった。スヴェアはリッポーの前に大きな木製のボールを置いて水を入れてやった。
それから、スヴェアは祐司の服を集めて荷馬車に積み、テントの中に先ほどもってきたような小さな壺を二つと大きな革袋を置いた。
その間に祐司は左足の傷の手当をした。丁寧に痛む足首を触ってみた。骨には異常なく捻挫である。赤く腫れ上がった部分を水に浸した布で何度も拭いた。二日目に裂傷を負った部分も布できれいに拭く。
気が付くとスヴェアが覗き込んでいた。
スヴェアは荷車から手のひらにのるほどの小さな壺を持って来た。スヴェアは壺の蓋を開けて祐司の前に置いた。壺の中には緑色をした軟膏のような物が入っていた。スヴェアはその壺に木製の大きなスプーンを差し入れた。
「シンリュート バレ インファ」
スヴェアはそう言うとスプーンにつけた軟膏を自分の手に塗りつけた。スヴェアがスプーンを壺に戻すと祐司も、スプーンで軟膏を捻挫で腫れている部分に塗った。
薬効はすぐにあり、ひんやりとした感覚がすると痛みは弱くなった。
「スヴェアさん。ありがとう。」祐司は最初に言った名前が呼び名であろうと思った。
スヴェアは微笑で返事をかえした。
「イェルケル。マンディ ジャニキャ。」スヴェアは三度続けて言った。
祐司は指で地面に祐司と書いて女に示しながら、ユウジと繰り返して言った。女はスヴェアと言いながら木の枝で地面に文字のようなものを書いた。
祐司はリュックの中から頂上で入手した絵が描かれている羊皮紙を取り出して、そこにある女性の絵の下にある文字を見比べて見た。同一である。
祐司は残りの羊皮紙も取り出すとスヴェアに差し出した。スヴェアは指でそれを地面に置くように指示した。地面に羊皮紙が置かれるや否やスヴェアはそれを急いで取り上げて順番に読み出した。見る見るスヴェアの表情は険しく、そして悲しげになった。やがてスヴェアの目から涙がこぼれた。
スヴェアの後光も悲しげな色合いになったように祐司は感じた。
祐司はあの頂上の老人とこの女性は、年の違いから親子か師匠弟子、あるいは主従の関係だろうと思った。
スヴェアは全て羊皮紙の目を通すと、それを丁寧に巻いた。そして羊皮紙を持って荷馬車とともに小径をもどっていった。リッポーは祐司の監視兼警護のために居残りである。
祐司はスヴェアが置いていった革袋の中を見てみた。中には頂上で手に入れたパンと同じ物が数個、何の肉かはわからない干し肉、西洋ナシのような果物、コルクのような栓がある細長い壺が入った革袋が入っていた。
祐司はパンを囓ってみた。山頂のパンのように口の中で膨らむことはなかった。味も格段にいい。干し肉は少し臭みがあり今まで食べたことのないような味がした。果物はまったく口に合わなかった。
果物はほとんど甘みがなく、やたらと水気が多かった。食べてからしばらく苦みが口の中に残った。果物というより薬草の一種かもしれないと祐司は思った。
壺の栓を取ってみると中には液体が入っていた。匂いから酒のようだった。祐司は数滴舌の上に落として味をみる。野趣あふれるワインといった味だった。
祐司は思い切って二三口飲んでみた。ワインよりはアルコール度数の高い酒のようだった。
祐司は腹が膨らむともう一度軟膏を足の腫れている部分に塗った。そしてスヴェアが作ったくれたテントの中で仰向けに寝そべった。祐司は疲れと当面の安堵感、なによりも酔いですぐに寝入った。
次に祐司が気がついたのはもう昼すぎだった。荷馬車の近づく音とリッポーが吠える声で起きたのだ。
「ユウジ」スヴェアが声をかけてきた。
「スヴェアさん、こんにちは……」祐司は返事をする。
スヴェアは祐司のすぐ近くに石を運んできて飯盒炊さんで使うような竃を造った。そして竃の上に金属製の洗面器ほどの大さの鍋を置いた。
スヴェアは荷馬車に積んできた薪を何本か竃に並べた。スヴェアは少し集中した気配を見せるとハッパをかけるように一言言葉を発した。
薪からすっと煙が出たと思うと勢いよく火が立ち上った。
祐司は驚きはしなかった。この行為が手品であると思ったからだ。手品なら仕掛けがありそれがわかればどういったこともない。祐司の常識では火を起こすことなどそんな難しいことではないのだから。
それより、祐司は少し慣れてきたとはいえスヴェアの後光が気になっていた。
祐司としては、今の場所が地球ではない、もしくは自分の世界ではないと薄々感じてはいた。
しかし、理性ではなんとか意思を伝えてスヴェアに救助の要請をして欲しいと思っている。ただ、しゃべっているスヴェアの言葉が何語かわかない。少なくとも英語ではない。なんとなく北欧系の雰囲気がすると祐司は思った。
スヴェアの服装や様子から見て余程の辺地か、スヴェア自身が文明の利器を拒絶した生活を送っていることも考えられる。
「ヘルプ ミ プリーズ コール レスキュー」
だめもとで祐司はスヴェアに声をかけた。
「ミエッタナン ハレ ケルテハギ ハァレワー」
スヴェアはそう言うと荷車から、芋のような物と乾燥させた豆を持ち出して祐司に見せた。
どうもこれから作る料理のことを聞かれたと思ったようだ。祐司はあきらめて食事の世話になることにした。
「よろしくお願いします。仙女さま」祐司は呟いた。
まだ大分、日が高い時間だったが、スヴェアが夕食を供してくれた。相変わらず何の肉かはわからないが、干し肉と煮崩れ御免の硬いジャガイモ、多分レンズ豆、それに、正体不明の野菜のごった煮と、パンといった内容だった。
食器は全て木製で最初、大きなボウルにてんこ盛りされたごった煮を見て祐司は少し身体を仰け反らせた。ごった煮は以前食べたことのあるドイツ料理のアイントップフをすごく素朴にしたような味だった。
祐司はたっぷり三十分はかけてなんとか喉の奥から溢れてきそうになるのを堪えてボウルを空にした。パンには手をつけることができなかった。ところがスヴェアは祐司と同量のごった煮を二杯食べて、パンも数個平らげてしまった。
食事が終わるとスヴェアは残り物と出汁用の大きな骨をリッポーに与えた。リッポーはその骨をあっという間に噛みつぶした。
祐司は実家で飼っている柴犬じゃ、あの骨は一週間かかってももてあましてしまうだろうなと思う。
「ここはどこですか」スヴェアが帰る直前、祐司は地面を指でさして聞いた。
「リファニア」そう言うとスヴェアはリッポーを残して太陽が沈む前に帰っていった。
この夜、月が出た。
祐司はこの世界が地球であるが、祐司の知る地球ではないことを知った。月の大きさ模様は祐司の知っている地球の月であった。
そして、月と星以外にも夜空で光るものがあった。光の道である。月ほどの太さのぼうっと輝く光の道が西の地平線から東の地平線まで夜空を横切っていた。
土星のような輪が地球にあるのだ。
リファニアの夜空




