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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第三章  光の壁、風駈けるキリオキス山脈
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キリオキスを越えて5  ヌーヅル・ハカンの”情けは人の為ならず” 一

 峠から続く本街道に祐司達がもどった頃には、さすがに辺りが暗くなり始めていた。


「ユウジ様、暗くなる前に野宿の準備をいたしますか」


「少し進むと、キリオキス・エラ(西キリオキス)側の避難小屋があるはずだ。こんな、灌木も無いような荒れ地では野宿もつらい。せめて、先に見える森の辺りまで行こう」


 祐司はそう言ったが、森林限界であろう場所に夕方の残照に写し出される森は遙か先に見えた。キリオキスの西側の緩斜面がなせることである。歩いても歩いても森林限界までなかなか標高が下がらないのだ。


 それでも、頂上付近ではほとんどなかった傾斜が進むに従い少し増してきた。峠から見るとかなり遠くまで平らに近いように見えたが、さすがにキリオキス山脈と言われるだけあってそれなりの傾斜はある。


「ユウジさま、小屋が見えました」


 太陽が沈みかけた頃に、パーヴォットが突然前方を指さした。


「オレには見えない」


 祐司はオペラグラスを取りだしてパーヴォットが示した方向を見るが小屋らしきものは見えなかった。


「大きな岩の陰に少しばかり見えます」


 祐司はオペラグラスの中にパーヴォットが指さす方向にある大岩の陰に僅かに小屋らしきものの姿を見つけた。祐司はパーヴォットの視力は一体幾らなんだろうと舌を巻いた。


 それでも緩やかな下り坂を数分進むと小屋がはっきりと姿を現してきた。小屋の裏は家畜置き場になっているようで一頭の馬がいた。そして、二人の子供がこちらを見ている。


 子供達は祐司達を見つけると、あわてて小屋に入って行った。


「先客がいるようだ。」


 祐司はそう言って、小屋を用心深く見ながら進む。



-キリキオス西斜面水平図-


キリキオス・エラ州

 東キリオキスへ

森森森 ●森森森森

森   ●F森森森

    ●

    ●

    ● ・

    ●   D

    ●    ・

・A・・・B・・・・・C・

    ○

    ○E

   クルト州へ


●●=本街道

○○=積雪の残る本街道  

・・・=小径

A=南の頂  B=峠

C=祠のある頂

D=熊と遭遇

E=東の避難小屋

F=西の避難小屋



 祐司達が熊に出会った頃、ヌーヅル・ハカンはだらだら登る森林地帯の越えてキリオキスを越える峠が見える西斜面最後の荒野にさしかかった。


 故郷の中央盆地の南西隅に位置するナアール州を出て十日目である。母親から餞別に貰った路銀も半分以上は使い果たした。

 出来るだけ節約しているつもりだが、郷士の息子であるという矜恃が抜けきらないのか宿屋の選択で見栄をはってしまったのだ。


 突然、雨がひどくなってきた。


 ハカンは峠の方へ慌てて走り出した。麓で峠の手前にあると聞いた避難小屋が少し先に見えたからだ。

 低い石壁の上に丸太をのせた屋根にはまだ葉の付いている木の枝が並べてあった。避難小屋を利用したら薪を補充したり屋根を補強してくれと言われた理由がわかった。


 切り妻になった造りの壁に開けられた穴から微かな煙が出ていた。中に誰かがいるようだ。


 小屋の裏には丸太と粗朶で作った家畜囲いがあり、少し長く伸びた小屋の軒下に雨を避けるようにして馬が一頭枯れ草をはんでいた。


 ハカンが引き戸になっている粗末な戸を開けると、四十手前と言った男が土間に露天用のカーペットを敷いて座っていた。男はじろりとハカンを見る。


 その男がもたれている壁とは小屋の反対側の壁の近くで同じぐらいの年の農婦のような格好をした女が土間にあぐらをかくような格好で座って、赤ん坊に乳をやっている。その周りには十歳くらいの女の子と七歳ほどの男の子が心配げな顔でハカンを見ている。


 室内の真ん中には土で固められた竃があり火が焚かれており、大ぶりの陶器の鍋で湯が沸かされていた。


「急に入り、おどろかして悪かった。わたしはヌーヅル・ハカン、ヌーヅル・ハカン・ハレ・グラン・バフェニ・ディ・ナアールという郷士の息子だ。怪しい者ではない。少々、雨宿りをさせてくれ」


 ハカンは故郷で平民に接するよりは心持ち丁寧に言った。


「郷士様ですか。不作法な格好で失礼いたします」


 赤ん坊に授乳していた母親が頭を下げておどおどとした口調で謝った。ハカンはあわてて手で頭を上げるような仕草で言う。


「いいや郷士ではない。わたしは郷士の息子、正確には次男。そのようなあらたまった礼は無用だ」


「郷士の息子様、早く戸を閉めてくれませんか。せっかく小屋が暖まってきたところなんですがね」


 中年の男が慇懃無礼な口調で言った。


「これは失礼」


 ハカンはあわてて戸を閉めた。


「郷士様の息子様、もうすぐ日暮でございます。これから峠を越えて向こうの避難小屋までは昼でも難儀いたします」


 赤ん坊に授乳している女がまた頭を下げて言った。女の後ろに二人の子供が隠れるようにしてハカンを覗いていた。


「ヌーヅル・ハカンと呼んでくれ」

 

 ハカンは室内に数個ある丸太を切っただけの椅子に座って言った。 


「ヌーズル・ハカン様、この行商人の言うとおりでございます。北クルトから四日前にここにまいりましたが、峠の向こうはずっと雪が積もっております。登りでも下りでも大層難儀いたします」


 女はハカンを見上げるに言う。


「お内儀、四日もここにおるのか」


「はい、隊商に無理を言って同行させてもらい峠を越えました。でも、この子の具合が悪くなってしまいまして」


「それは、心配なことだ。熱があるのか」


「いいえ、でも乳を飲んでくれません。もっとも、その乳もあまり出ませんが」


 そう言った赤ん坊に授乳している女の胸はあばらが浮き出ているような状態だった。


「もう一才ほどかな」


「はいそうです」


 女はそう言いながら傍らに敷き詰めてあった枯れ草の上に赤ん坊を寝かしつけた。赤ん坊は見るからにぐったりして具合が悪そうだ。


「飴がすこしある。一才なら食べても大丈夫だろう。湯で溶かして飲ませるといい。残りはその子供らで食べよ」


 ハカンは座っている丸太椅子の横に置いた自分の荷物から樹皮紙に包んだ数個の飴を女に渡した。


 女はそれを押し頂くように両手で受け取った。


 飴を貰った子供らは女に促されてハカンに礼を言った。女はハカンに言われたように木の椀に湯を入れて長い間かかって飴を溶かしていた。女は飴を溶かしたぬるま湯を指につけてて赤ん坊の口に入れてやる。


 赤ん坊は少しずつは飲んでいるようだが、ハカンがこの小屋に来てから泣きもしない。余程具合が悪いのに違いない。



 戸が急に開いた。男のシルエットが見えた。ハカンは傍らに置いた剣に手をやった。


「おや、誰かいるぞ」


 男は誰かに言っているようだった。それから、戸口で身体にかかった雨を手で叩きとしてから小屋の中に入ってきた。

 二十歳半ばのくらいの背の高い男だった。ハカンも羽織っているケープを脱ぐと、右手に持って戸の方へ向かって数回振った。ケープを濡らしていた雨が戸の方へ飛んでいく。


 ハカンは多少は気遣いのできる男だと感じた。


「すまないが雨宿りさせてもらうぞ。いいかい」


 男は毛皮の帽子を取ったからハカンと行商人を交互に眺めて言う。


「断っても出っていってくれまい」


 行商人は上目遣いに返答した。


「ナニーニャ、入るぞ」


 男の呼びかけで入ってきた女は、フードのついたケープをまとって男物のスラックスを着ていた。

 女は二十歳くらいだろうか。黒髪に黒い目の顔立ちが整った、大ぶりな感じがする女だった。不安そうに小屋の中を見渡して、自分と同じくらいの背格好をした男の背後に立った。


 男は女を促してまだ空いていた小屋の空間に背負っていた荷物を置いて、それぞれが着ていたケープを敷物にして座った。

 


「こんだけ集まったんだから名乗ってくれないか」


 行商人が突然そう言うと自分の自己紹介を始めた。


「まず、オレは行商人のマガラン・ワタネってもんだ。これから北クルトへ商売に行く」


「わたしは郷士の次男でヌーヅル・ハカン。南クルトで士官の口を求めての旅の途中だ」


 ハカンが続けて言う。その後、行商人のワタネが赤ん坊を抱いている女に目配せした。女は慌てた様子でしゃべり始めた。


「わたしはテポニナと申します。上の女の子はタラ、下の男の子はシノペといいます。この冬に北クルトの銀山で働いておりました亭主に死なれまして、わたしの故郷のキリオキス・エラまで帰る途中でございます。亭主は鉱夫でございました。


 もとはダウディアンニ準男爵様の領地に二人とも住んでおりましたが、良い稼ぎになると聞いたもので十年ほど前に一家で出稼ぎに行きました。


 亭主は鉱山で働き、わたしは少しばかりの畑を借りて食うや食わずですがなんとか暮らしをしておりました。ところが、鉱山で亭主が長年の仕事で身体をこわしまして」


「もう、いいぜ。身の上話を始めるつもりか。夜は長いから後で聞いてやるよ」


 行商人は、赤ん坊を抱いた女を制止すると、後から入ってきた男の方を向いた。


「オレは女衒げぜんをやってるナレメナ・スェデンってもんだ。この女を連れて今日中に峠を越えようと思ったんだがな」


 ハカンは妙に気負っているような男の口ぶりに少々違和感を感じた。


「その別嬪さんは、なんて名だ」


 行商人は、若い女を値踏みするように見ながら言った。大柄な女はうつむいた小さな声で言った。


「ナニーニャ」


「いくらだい」


 行商人が女衒だという男に聞いた。


「だめだ、もう売約済みだ。そのままで売る約束だ」


 若い男はあわてて言う。しばらくしてから、言い訳をするようにまた行商人に付け足して言った。


「おれも初めての商売なんだ。わかるだろう」


 そんなやり取りを気にする風でもなく若い女が男に聞いた。


「ここで寝るの?」


「まあ、しかたないさ。雨は止んできたようだがかなり暗くなったからな。無理をして道にでも迷ったら目も当てられないぜ」


 男はため息混じりに返事をする。



 赤ん坊を抱いた女の子供二人が行商人の前に来ると、年かさの女の子が恥ずかしそうに聞いた。


「お馬さんを見てきていい」


「ああ、いいぜ。ついでに枯れ草を集めて食べさせてやってくれ」


 行商人というワタネは、商人という割にはぶっきら棒に言う。子供達は粗末な雨よけの油をひいた樹皮の合羽を着ると表に出て行った。



「飯は各自か」


 ワタネは子供らが表に出ると残った大人達に聞いた。


かまどは一つだ。いっしょに作る方がいいだろう」


 ハカンが小屋の中を見回して答える。


「じゃ、それぞれの食い扶持を出しな」


 ワタネはそう言うと、自分の荷物のヒモをほどき始めた。


 旅で野宿した時の調理用携行食糧といえば、脱穀したエン麦である。これを粥にして、その時に入手できるものとごったにして食べるのだ。


 ハカン、行商人のワタネ、女衒のスェデンが自分の荷の中から自分達の分を取りだした。ただ、赤ん坊を抱いたテポニナという女は動かない。


「さあ、お内儀もお出しなさい」


ハカンが催促する。


「この朝の分で最後でした」


 テポニナは小声ですまなそうに言った。


「売ってやるよ。この女と子供の分で3ギルあればいいだろう」


 ワタネはそう言うとエン麦が入った自分の布袋を手で叩いた。そいて、少し口をゆがめて言う。テポニナと名乗った女は目を大きく見開いてきょとんとしている。


「エン麦3ギルで銅貨30枚」


「それは強欲だ。オレの持ち分から出す」


 相場の五六倍である。ハカンはあきれて、ワタネを睨んで言った。


「それでは、ハカン様のこれからの食い扶持がなくなります」


 テポニナはあわててハカンに言う。ハカンは少し笑いながらテポニナを制して答えた。


「どうせ、明日には出立する。急げば夕刻には北クルトの集落にたどり着く」


「無理です。ハカン様のようなお若い方でも北クルト側の避難小屋で泊まる必要がございます。それほど峠の向こうの雪道は難儀するのでございます」


 テポニナは懇願するように言う。


「お内儀は赤子を背負い、子の手を引いてそこを登られたのであろう。わたしのような者が難儀をするなどと言ってはおれません。万が一の干し肉や硬チーズも持っております」


「難儀しておりましたわたしら親子を見かねまして、隊商の人らが子供を荷物のように馬に乗せてくれたのでなんとか峠を越えれたのでございます」


 テポニナはさらにハカンに言う。


「それは親切な人達に恵まれましたな」


 テポニナの言葉をそらすようにハカンは言った。


「ふん、こんな婆さんでも抱かせろって男でもいたんだろうよ。あいつら一文の得にならないことをするもんか」


 ワタネと名乗る行商人は鼻でくくったような物言いで言った。


「だまれ!お主はこのお内儀や隊商の商人に遺恨でもあるのか」


 ハカンは義憤にかられて行商人のワタネに詰め寄った。険悪な雰囲気に女衒だというスェデンが立ち上がった。


 その時、二人の子供が慌てた様子で小屋に駆け込んできた。


「誰か来たよ」


 年かさの少女が雰囲気に気押されたように小声で言う。


「みなさん、表に誰か来たようです」


すかさず、スェデンがハカンと行商人のワタネの中に入って言った。少し落ち着いたハカンはスェデンに促されて様子を見に外に出た。

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