キリオキスを越えて3 光と泥
キリオキス山脈クルト側の最後の雪面を踏破して祐司とパーヴォットは頂に到着した。
祐司は太陽が雲に隠れて巫術のエネルギーが元になっていると思える光のコントラストが強調されるのを待とうと思ったがその必要はなかった。
緩斜面からは光の幕を正面から見ることになりその光の淡さのために見づらかったのだ。峠では光を眞下から見てなおかつ、尾根にそって広がる光を横から見ることになるためによく判別できたのだ。
祐司の周辺二十メートルほどの範囲で光はない。多分、もの凄い勢いで祐司によって、むき出しのままの巫術のエネルギーが中和ないし吸い取られているのだろ。
峠から見た強い光の源は峠から少し離れた場所の窪地に溜まった泥だった。そして、その泥から放つゆらめくような強烈な光は巫術のエネルギーがその泥に存在している証拠だった。
祐司にはその泥から出た光が幕のようになって峠一体を遮断しているのが見えた。さらに峠の左右の山の中腹からの光の幕が出ていた。
祐司は巫術のエネルギーをためた泥を触って見た。泥はかなり有機物を含んだ沼の底にあるような泥だった。
しかし、周囲の見られる岩石は花崗岩であり極めて不自然な感じがした。また、泥の溜まっている窪地も人手によってつくられたようだった。
祐司は泥は誰かがそこに意思を持って運んできたのものと理解した。
祐司は泥に持って来た水晶を入れてみた。しばらくすると、光は急速に弱まってやがて見えなくなった。
祐司がオペラグラスで眼下になった峠の方を見るとパーヴォットがハイ松のあたりで薪を調達しようとしているのが見えた。
祐司はオペラグラスで峠のどちらにも人影が見えないことを確認した。
祐司は登ってきた斜面の反対側斜面、西の方角からの風が少し強くなり、暖かいことに気付いた。明らかに気温が上昇している。
光の壁、巫術のエネルギーに遮られていた暖かな大気がどんどん西からクルト盆地の方へ降っていくようだった。
大気の流れる方向自体は変化はあまり感じられない。今まで大気はこの場所で暖かさを吸い取られていたような感じだった。
その差は二三度ほどだろうが、暖かさの溜まる西側では大気は上昇するにつれて暖かい雨をもたらす。
東側の北クルトへは冷たい大気が下降する。自然状態以上に冷えた大気は北クルトに気温の低下にともなう霧と冷たい霧雨をもたらしていたのではと祐司は思った。
巫術のエネルギー、それも人為的に起こした現象であるのは確かである。しかし、スヴェアに聞いた巫術や書物で見た巫術にもこのような大規模な気候改変を行う術は聞いたことも見たこともなかった。
この未知の術でキリオキス西側斜面の住民は恩恵を受けるが、北クルトの住民にはいい迷惑である。第一、この気候改変がリファニア全体に新たなる気候の悪化をもたらすだろうと祐司は思った。
祐司は中央盆地側の地面がところどころ、きらりと光ったり、ぼんやりと光を放っている場所があるのに気がついた。
ここには巫術のエネルギーが濃く集積しているらしい。巫術による光の壁を築いた人物、あるいは集団かもしれないものは、この地に蓄えられた巫術のエネルギーを継続的に取り出す術を発動させたのだろうと祐司は考えた。
そして、これを実行した人物が生きており、また、同じことをするのなら自分の能力を発揮せざるを得ないと感じた。
その人物は集団は巫術のエネルギーに満ちた泥を判別してここへ運びこの地の巫術のエネルギーを地から取り出す触媒に使ったのだろう。
巫術のエネルギーの放つ光は祐司にしか見えないはずである。スヴェアでさえも巫術のエネルギーが見えるなどと言うことは想像の埒外だったのだ。
泥を運んだ人物が巫術のエネルギーを探知できるなら、巫術のエネルギーを吸い取る祐司の正体を見破る可能性がある。出会ったら説得するのか、それとも。
祐司は短槍の柄を握り直した。
「パーヴォット、申し訳ないが、ここから尾根道を北に行くと、幾つかの祠がある。わたしはその祠に参拝したい。一日ほど余計に時間を費やすがいいだろうか」
「なぜ、そのようなことを聞くのですか。ユウジ様がご主人です」
パーヴォットは微笑みながら答えた。
峠の中央盆地に通じる道に交わるように薄い踏み後程度の道が尾根伝いに南北に延びている。
祐司は北の方へ通じる道に入っていった。峠に登ってきた道と違って明るい日差しがずっと照り続けていた。
尾根道は少しばかりの上り坂で、中央盆地側の斜面が緩やかなために、いままでクルト盆地で散々歩いた丘陵の道に毛が生えた程度の山道だった。
「暖かいですね。なんでクルトの方まで暖かくならないんでしょう」
パーヴォットの問に祐司は少しばかり冗談を混ぜて答えた。
「暖かくなる季節は南から西から季節が変わる。ところがこの山が邪魔でちょっと季節が一休みしていたんじゃないかな」
「ひょっとして誰かが悪さをしていたのですか」
パーヴォットがぽつりと返した言葉に祐司は感心した。
「パーヴォットに聞きたい。君は色々感じたり思ったりしたことの半分も人にしゃべらないようにしているんじゃないか」
「子供の言うことなど誰も聞いてくれませんし、目立ってもつまらないことになるだけです」
祐司はパーヴォットと話すときは慎重に言葉を選ぼうと思った。
祐司がパーヴォットを誤魔化して祠に参ると言ったのは理由がある。実際に途中のちょっとした頂を越えるときに三つ祠があった。
リファニアは日本的な土地に根ざした精霊信仰が根底にあるため山の頂には祠があるに違いないと祐司は当たりをつけていた。
そして、祠の近くにはかならず例の泥のある場所があった。祐司は祠を建立した人は何となく巫術のエネルギーを神威などのように感じて祠の場所を決めたのではないかと思った。
祐司は景色を見るような仕草で泥の中にある巫術のエネルギーを無力化した。
三時間ほど尾根道を進むと、祐司は光の壁がだんだん濃くなっていることに気が付いた。進む先に平坦だが明らかな頂があった。
そこには古いが今までの祠よりすこしりっぱな祠があった。
「この山の神の祠かな」
祐司は膝をついて手を合わせた。そして、習い覚えた祈祷の言葉を呟いた。
「疲れただろう。休みにしよう。火を起こしてくれ。ハーブ茶を飲もう」
祐司はパーヴォットに命じると光の根源を探った。
尾根道から中央盆地の方に少し下った灌木をカモフラージュのようにして、峠近くの頂で見た泥があった。
そこの巫術のエネルギーは祐司は今まで遭遇した物の中では桁違いに大きなものだった。祐司は水晶を泥に差し込んだ。
水晶を使って巫術のエネルギーを吸収しても少し時間がかかると思った祐司はパーヴォットが不審に思わないように跪いて祈祷を唱えだした。
目を開けた祐司の前では壮大な光景が見られた。突然、光の壁が揺らめき出したと思うと、縦横が数十キロもあるような巨大な幕が風に流されるようにクルト盆地の方へ流されて行く。そして、それは急速に輝きを失って見えなくなった。
この場所が光の壁を形成するための中心地だったようだ。
北の方に光の幕ではなくぼんやりと上空に立ち上がる光が幾つか見えた。濃縮された巫術のエネルギーがある泥はこの北にもあるかもしない。
それが、コントロールを失って無駄にこの地のエネルギーを放出しているのだろうと祐司は思った。
もうこれ以上北に行く必要はない。光の壁を造った人間は結果的に祐司の目的である巫術のエネルギーを少しでも減らすことに大貢献してくれたようだった。
「何を見ていらっしゃるんですか」
「風の動きを見ていた」
「そんな物が見えるんですか」
祐司が見ていた雲のない空を見てパーヴォットは不思議そうに言った。
「”秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる”、心に風情があれば光や風がざわめいたりすることだって見えるさ」
「ユウジ様は詩人でもあらせられますか」
パーヴォットは瞳を輝かせて祐司に聞いた。娯楽の少ないリファニアでは吟遊詩人は大人子供を問わず人気があった。そして、詩を作る人間は尊敬の対象だった。
「いや、故郷の古い歌だ」
あわてて祐司は言い訳をするように言った。
注:秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
古今集にある藤原敏行(?~907?)の和歌である。藤原敏行は平安初期の歌人 教科書などによく取り上げられる和歌なので祐司は知っていた。藤原敏之の和歌としては百人一首の「すみの江の 岸による浪よるさへや 夢のかよひぢ人目よくらむ」が有名




