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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第三章  光の壁、風駈けるキリオキス山脈
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キリオキスを越えて2  キリオキス山脈へ 下

 祐司はヘルトナを出て翌日の午後にキリオキス山脈の麓の集落に到着した。丸二日はかかると言われていたが祐司とパーヴォットだけの旅で道のりがはかどったのだ。


 ただ、道中は楽しいものではなかった。ヘルトナは小さいながらも都市であり、年貢という形で食糧をはじめとした物資が集まってくる。何年か続きの凶作だといっても祐司の目にはそれほど切迫感はなかった。


 ただ、ヘルトナから離れるにしたがい周辺の農家の窮乏が嫌でも目に入って来る。人の服装がみすぼらしくなり、目に光がなかったり反対にぎらぎらした目つきの者もいる。


 街道沿いの農家は、すげ替えの時期を何年も過ぎたような、藁葺き屋根が多く、山奥の寒村であるアヒレス村で見たような、瓦のかわりに白樺などの樹皮で屋根で覆った板葺き屋根の家はほとんど見なかった。


 アヒレス村は放牧、狩猟、木樵といったある程度、悪天候に対応できる仕事で成り立っていたからかも知れない。


 今年は、例年以上に冷雨が降り続くそうで、春も盛りになる時期というのに、どの耕地もまだ黒々しているか、ようやく申し訳程度に、芽が出ているような状態だった。


 そして、次第に近づいてくるキリオキス山脈は深い雲に閉ざされており祐司は一抹の不安を感じていた。


 祐司は、十軒ばかりの集落で一番大きな家に声をかけた。ヨスタによると、この麓の集落はキリオキスを越える隊商や旅人に宿を提供すると聞いたからだ。


「今年の山越えは遅かったので、どうなるのか心配していました。でも、キリオキスの向こうから来たものはいません」


 宿を提供している集落で一番大きな農家の主がユウジにあまり嬉しくなさそうに情報を教えてくれた。


「じゃ、ここからは隊商や行商人は行ったきりですから上の様子もわからないんでしょうね。天候はどうでしょう」


「山のことは、山に聞くしかありません。ここから半日ぐらいの所までは集落の者が何度か行っています。峠の手前にある雪はだいぶ溶けかかっているように見えるということです。

 天候もここ二三日は静かですからひょっとしたら、明日くらいはキリオキスを越えてくる人間がいるかも知れません」


 主の言葉に急に天候が悪化すれば祐司は無理を避けて引き返して、ここでしばらく逗留すればよいと覚悟を決めた。




 翌朝の出発の時に見た目の前のキリオキスは所々にガスがかかっているものの、中腹までの姿を見せていた。

 キリオキスは巨大な壁のように見えた。麓から徐々に傾斜を増していく普通の山ではない、麓からいきなり六十度から七十度はあろうかという斜度である。少しあがって下を見れば垂直に近いような感覚である。どこもかしこも岩が露出して灌木が岩肌にしがみつくように生えていた。


 今の季節のキリオキス山脈東麓は、まだらな緑の壁という感じだった。


 その東側斜面に九十九折つづらおりの道が行きつ戻りつしながら文字通りに刻み込まれている。


 道の斜度は何とか馬が登って行けるくらいに押さえられているが、その分、距離が半端ではない。

道自体も岩壁に刻み込まれたような岩や石ころだらけの道で、時に一メートルほどしか幅のないような所が延々と続いたりする。もちろん片側は断崖である。

 ただそのような断崖でも、樹木がしがみつくように生えているので、登ってきた下の道や、これから登る上の道は、中々見えない。


 高度差にして目分量で千メートルを超えるような登りを、少しずつ高さを稼ぎつつ、ようやく昼を大分過ぎた頃に踏破した。


 その先は斜面が四五十度程度の斜度で急に緩やかになっている。緩斜面になると針葉樹の森林地帯があるが、すぐに森林限界(注:文末参照)に達した。

 その時、キリオキスの峰が一瞬、その全貌を途切れた雲間に見せた。峰と言ってもほぼ同じ標高の尾根が延々と南北に続いている。


 祐司は遅い昼食の準備をする間に、これからの燃料補給の困難さを、おもんばかりパーヴォットに命じて薪になるような枯れ枝を多めに集めさせた。


 森林限界を突破すると荒涼とした斜面にでた。目の前にはキリオキスの山々が時折、切れる雲の合間を通してさらに間近に見えてきた。


 祐司は緩やかな尾根が連続したキリオキスの頂に薄い光を見た。尾根全体から空に立ち上るような光である。


 パーヴォットが何も言わないことから見えていないらしい。


 祐司に見えて、パーヴォトが見えない光は巫術のエネルギーによる光である。行ってみなければ詳しいことはわからないと思った祐司は、尾根がやや低くなった峠と呼ばれる場所へ向かうことだけに全力を尽くした。


 祐司とパーヴォットは急に強くなった風に向かいながら少しずつ進む。天候は急に悪化してきた。

 時折、ミゾレのような雨が降ったり、ガスがかかって視界を奪ったりしたが、祐司は腕時計の方位指示機能も使い、更に道を慎重に確かめながら着実に前進した。


 ただ、この方位指示機能は、磁北、磁南を示すものであり、真の北極点、南極点からはずれている。特に、磁北はリファニア(グリーンランド)の西にあり真の方位からは、四十度近くずれた方向を示す。


 祐司は途中でこのことを思い出して、ぞっとしたが、ヘルトナで入手した手書きの絵地図のような地図もいいかんげんで、いかげんさが幸いして道を外れることはなかった。


 そこで、祐司は意を決して道なりに素直に進むことにした。


 昼食のための休止後、悪天候の中を一刻(二時間)ほど進むと麓の集落で教えられた石造りの小屋が見えてきた。


 祐司が時計で見ると、登り始めてから十三時間ほど経っていた。


 小屋は祐司が予想していたよりは大きく雑魚寝であれば数十人ほども収容出るほどの大きさがあり、二つの区画に分けられていた。一方の区画は動物の匂いが残っていた。そこで、祐司は馬とラバをそこに入れてやった。


「今日はここで休もう。明日は一気に峠越えだ」


 小屋は峠に至る最後の緩やかな斜面の一番下にあった。数キロほども続く緩やかな斜面はまだ雪が一面に残っていた。それを走破するには、今日とはまた別の苦労がある。と祐司は判断していた。


 祐司とパーヴォットは雪のない急斜面で馬とラバに食べさせる草を集めて回ってから小屋の中で人心地ひとごこちついた。


「天候が回復しないと立ち往生になるかもしれないな」


 その夜は寝入るまで風が激しく吹く音がした。




 翌日、出発する前に祐司はヘルトナの街で勧められて購入したカンジキと日本から履いてきた登山靴を取り出した。

 準備が終わるとパーヴォットにもカンジキを履かせてやった。そして、どう装着するのかと迷ったあげくになんとか馬用のカンジキを馬とパーヴォトのラバに履かせた。


 昼前に峠の頂に来た。カンジキが上手く機能してくれたおかげである。


 峠の向こうは緩やかな下り斜面が見えた。急な斜面の東側に比べて、西側の斜面は山と言うよりも西に向かった少しずつ低くなっていく高原のような感じである。


 祐司が後ろを振り返ると雲が切れてクルト盆地北部がおぼろげにその全容を見せていた。


「パーヴォット、振り返って見ておけ。故郷のクルト盆地ともお別れだ」


「もう故郷には、わたしを育ててくれた父さんはいない。母さんもどこにいるのかわからない」


 パーヴォットはそう言いながらでもしばらく風景を見ていた。


「とうさーん、かあさーん」


 パーヴォットの声が峠に木霊した。


 パーヴォットの目には涙が溢れていたが祐司はそれにはふれようとしなかった。



「パーヴォット、少しここで待ってくれ。わたしにはやることがある。少し時間がかかるかも知れないから薪を集めておいてくれ。誰か人が見えたら角笛を吹け」


 天候の急変は無いと判断した祐司はパーヴォットに言った。祐司は峠の南にあるちょっとした頂に登ることにした。

 尾根一帯から立ち上がる光には強弱があり、頂からは一際強い光が立ち上がっていたからだ。


「手伝います」


 自分では祐司に気づかれないように涙を拭いたパーヴォットが元気な声で言った。


「その時は角笛で呼ぶよ。パーヴォットはここにいて誰かが来たら角笛を吹いてくれ」


 祐司は自分も買い求めた小さな山羊の角でつくった角笛を持っていた。同じ物を呼び子がわりにパーヴォットの首にも吊させていた。



 祐司は峠の南にある頂への尾根を登りながらキリオキスの不思議な形態を考えてみた。頂といっても峠とは百メートルほどの標高差で少し歩きにくい程度の傾斜を持った岩屑だらけの山である。


 まず、山の多い日本でも見られない麓からの度肝を抜くような急な斜面は、かつてこのリファニア、すなわちグリーンランドが本来の姿である氷河に覆われていた時に、巨大な氷河によって作られたU字谷の急斜面ではないかと祐司は推測した。


 すなわち、クルト盆地はかつては巨大な氷河の流れた谷底である。クルト盆地の薄い土壌、南北に伸びた丘陵の列が、それを物語っていると祐司は考えた。


 キリオキス山脈はクルト盆地側からすれば山脈でも中央盆地側から見れば、西から東へと知らず知らずのうちに標高をあげていく高原のようなものだった。


 行く機会はなかったが、クルト盆地の反対側の東にある南東沿岸との境になるスラセオ山脈は南北の長さではキリオキスに規模を譲る。

 しかし、キリオキスのよりさらに標高が高い峰が連なっている。頂上付近は平坦な部分が多いのだが、クルト盆地側では垂直に近いような斜面であるという。

 このスラセオ山脈は一般には南東山脈というのだが、南東山脈の東が南東沿岸地域である。


 南東山脈の南東沿岸地域に面した斜面もかなりの急斜面になっているという話を聞いた。このために、南東沿岸地域からのクルト盆地への直接の軍事的な侵攻は難しい。


 急斜面を登ってきても、人が越えられるような峠に防衛ラインをはられればその突破だけで消耗してしまうだろう。

 突破が成功しても、降雪の影響のない夏季しか利用できず、高所の行動が出来る特別な駄馬を使うしかない補給路としては最悪のルートである。


 事実、敵対勢力であるヘロタイニア人(現代のヨーロッパ系)のクルト盆地への侵攻はこの困難を克服できずに失敗しているという。


 この地形的な理由からリファニア全体の脅威である南東沿岸地域を拠点とするヘロタイニア人と隣接していながら北クルトでは、軍事的緊張感を感じることができず、南クルトでは内戦に専念できると祐司はスヴェアから聞いたことがある。


 祐司はもともとクルト盆地とは日本の多くの盆地と同じように断層でできた盆地ではないかと考えた。


 そこに、氷河が流れ込んでもともと断層によって出来た急な斜面を垂直近い斜面に変えていったのだろうと祐司は推測した。


 祐司は南東山脈は両方が断層で出来た山脈だとする頂上付近が平坦であることも説明がつくように思った。



挿絵(By みてみん)

キリキオス山脈・クルト盆地断面図




挿絵(By みてみん)

キリオキス山脈東斜面 遠目からは垂直に近い斜面である。




挿絵(By みてみん)




注:森林限界-主に標高が高く気温が低くなるために、樹木が高木として生育できないライン。森林限界以上では森林は形成されず高山植物が見られるほかは、荒涼とした独特の景観となる。本州中央部では2500mくらい。

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