表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第十一章 冬神スカジナの黄昏
521/1165

閑話その27 王宮と王族 付録:ラトゥシュニアの女子学堂

 王都で一番大きな居住用建築物はもちろん王宮です。数メートルから十メートル程の高さの城壁で囲まれた王宮は主な三つの建物から成り立っています。


 この城壁は王都を囲む城壁からするとかなり見劣りがします。高さが低いだけでなく幅も二メートルほどしかありません。

 ただし王宮はマーレー山の南端にある丘城ですから、城壁は斜度が二三十度という斜面にあり、攻城兵器が接近することは難しい地形です。


 王宮防衛の泣き所は丘陵状の山であるマーレー山の南端であるので、マーレー山の尾根伝いに北から攻められると王宮よりも高所からの攻撃を受けてしまうことです。


 それを幾分でも防ぐために王宮の敷地の真ん中に東西に深さが三十メートル幅十メートル程のほどの大きな切り通しを構築しています。この切り通しが王宮最後の防衛線となります。

 さらに北側の尾根を削って、王宮南半分より高所になる場所を三百メートルほど離して、その平らな部分には離宮や城塞を造っており切り通しの前にある抵抗拠点としています。



挿絵(By みてみん)




 元々は王宮の南半分が本来の王宮で、切り通しの部分が一番北でした。しかし四百年前の英雄ブレブナリー子爵ランヴァルドが活躍した時代は、リファニア南東部沿岸に住み着いたヘロタイニア人が強大化してホルメニア、最悪の場合は王都にまでその軍勢が来襲するのではと考えられていました。


 そのために時のリファニア王ベルンハルドが、王宮の北側部分の防衛をさらに強化させるために、尾根を平坦にして防衛拠点を設けたことから王宮敷地が拡大して現在の規模になりました。


 このため王宮を攻めるとなるとかなりの出血を覚悟しなければなりません。しかし万が一の時に王室が王宮に留まるのは、新市街地と旧市街地を隔てる運河で敵を防いでいる段階まででしょう。

 運河に面した旧市街地側には交通の不便を忍んで今でもかつての王都を守っていた城壁が残されており、整備補修もされています。


 リファニア王家は運河を突破されて王宮に立て籠もるような事態になる前に王都のより堅固な軍港要塞に移り、いざという時は海路脱出する手段を選ぶでしょう。


 現在の王宮の防衛施設は不埒な者の侵入を防ぐという意味合いで整備されているに過ぎません。


 王宮で一番大きいのは、祐司とパーヴォットがその前庭に入ったマーレー山の一番南にある主宮殿です。一般に王宮といえばこの主宮殿のことを指します。

(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都の熱い秋15 王宮前庭 参照)


 ほぼ全体が四階建てになった石造りの宮殿で、長さが二百二十メートル、幅が三十メートルほどあり上から見ると凹のような形をしています。凹の上に伸びた部分まで含めた長さは三百四十メートルになります。



挿絵(By みてみん)




 この建物では公式行事を行う玉座が設置された大広間、王の政務室、複数の謁見室、王の休息室、王妃の化粧室と呼ばれる複数の部屋、民に挨拶を行うバルコニーと、その前室が王と王妃の空間です。

 実は王と王妃は公式行事以外ではこの主宮殿にはいません。王と王妃の空間以外には統治組織が入っており、各種の長官、奉行の執務室と事務方の部屋が約二百五十室ほどもあります。


 また少し離れた場所に警備隊の建物や主宮殿に入りきらない各種の役所が入った建物が主宮殿に寄りそうように立っています。


 王が昼間主に過ごすのはこの主宮殿の奥にある奥宮殿です。奥宮殿のあるのはマーレー山のより高い部分ですが、正面は主宮殿が邪魔になってほとんど見えません。


 奥宮殿は三階建ての石造りで、容積では主宮殿の四分の一ほどの大きさしかありません。ここには王の執務室、家老の執務室、高官の控え室があります。

 また本文で出て来た貴族会議を行う広間も奥宮殿にあります。さらに本文でしばしば登場した王宮の密議が行われているのはこの奥宮殿の地下室です。


 また詳細は不明ですが、初代リファニア王ホーコンが神々から与えられた神剣ムホホバムと歴代リファニア王が溜め込んだ金塊は、この奥宮殿に保管されていると言われています。


 統治機関で奥宮殿に唯一あるのは王室賄い方、すなわち宮内庁です。このために王宮で仕える侍従、女官、侍女、奥女中といった者が居住する部屋があります。


 奥宮殿の奥、さらにマーレーの山頂に近い部分にあるのが白い砂岩で造られていることから白宮殿と呼ばれる建物です。

 白宮殿は王とその家族が日常生活を送る場所です。二階建ての石造りと木造の混合した建物で、宮殿としてはかなり小ぶりです。


 全部の部屋を紹介しても、王の寝室、王妃の寝室、王の子供用の寝室が六室、なお寝室にはくつろいだり個人的に食事をするための前室、衣装室と侍従や侍女が待機する部屋がついていますので四室からなります。


 王専用の食堂、王と王妃の食堂、王の家族が一堂に会する食堂、王の書斎、王妃の書斎、図書室、五部屋からなる侍従控え室と宿直室、五部屋からなる侍女控え室と室直室、六部屋からなる奥女中控え室と宿直室、八部屋からなる乳母控え室と宿直室、二ヶ所の台所とそれぞれに料理人控え室、配膳室、食器倉庫、二ヶ所の衛兵詰所、王専用の浴室、王妃専用の浴室、他の王族の浴室が二ヶ所、便所が数箇所とこれで全てです。総部屋数は便所を除いて七十四室になります。



 リファニア本土一千万(実際に王家の影響が及ぶのは百八十万人程度)、外地ニ百五十万余という人間を統治する王の住居としてはかなり控え目な大きさです。


 このことから、少なくとも王都貴族はこれ以下の規模の舘に住まないと不敬という意識があります。


 この他王宮敷地内にはミウス神を奉ずる王家専用の神殿、剣や弓の鍛錬をする武芸場、厩舎、馬車倉庫、武器庫があります。


 比較として見ると英国王室の住むバッキンガム宮殿は部屋数はスイートルームが九室、来客用寝室が五十二室、スタッフ用寝室が百八十八室、事務室が九十二室、浴室が七十八室で総部屋数は七百七十五室となります。



 ただオラヴィ王はこの白宮殿以外に居住するための建物を、マーレー山の王宮敷地の北半分にさらに四つ持っています。

 これらの建物は離宮と呼ばれます。これのうち二つは白宮殿よりやや小さい程度で木造であるために居住性は白宮殿より良好です。



挿絵(By みてみん)



 オラヴィ王はこの離宮のうちマーレー山の東斜面にある離宮を好んでおり、実質的にその東離宮と名付けられた離宮で生活しています。


 もう一つの離宮は前王妃ベシネー、白宮殿の半分ほどの一番小さな離宮ではオラヴィ王の実母とオラヴィ王の弟ビリロトとその妃が男女二人の子供と生活しています。


 実質的に王位継承者の中で王位に就く可能性が高いのは、王の嫡子、庶子、兄弟、甥までぐらいですから、そのような者は王の身近において保護ないしは監視されているということです。


 残った石造りの古い離宮は今は使用されていませんが、セレスバデス準男爵の妻でランバリル士爵の妹ディアタンティーヌと間男クシュナ・レスティノが連れ込まれて精神に異常をきたすような激しい尋問を受けた場所です。

(第八章 花咲き、花散る王都タチ オラヴィ王八年の政変16 オラヴィ王の顛末記 下 参照)


 さらにマーレー山には小城塞と言われる建物が四ヶ所あります。城塞と言われますが歴代のリファニア王の愛妾が住んでいた建物です。

 現在のリファニア王オラヴィと王妃デニサルは深い信頼関係で結ばれています。そのこともあり公認の愛妾はいませんので、王宮の警護の兵士と一般の女中や下僕といった王家の生活の世話する人間の宿舎として利用されています。


 ただオラヴィ王の気に入った女官や侍女との逢瀬に特定の小城塞が使われているのは公然の秘密です。


 王宮の南半分と北半分が外見で最も異なるのが、王宮の北半分の七割が森林で覆われていることです。


 これは計画的に植樹されたもので、輸送の手間を省くために百年に一度というような大きな補修をするための樹木を育てています。また森林からは籠城した時に薪炭を得るという目的もあります。



挿絵(By みてみん)




 本文では触れませんでしたが、現在オラヴィ王の子供は正妃デニサルとの間の子は、十三才になる嫡男ディファス王子、十才のメルグレド王子、八才のルベルティナレ王女、 そして本文で祐司とパーヴォットがその誕生祝賀の報を知らせる順達使に出会った今年生まれたばかりのミルカレーナ王女がいます。

(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光15 寒参り 七 -モリゼ湖神殿~王都へ- 参照)


 長女のルベルティナレ王女は本文で節分の豆まきモドキの揚げパンまきをしていた王女です。

(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ26 春分祭そして北へ 上 参照)


 ルベルティナレ王女を見たパーヴォットは「子供です。可愛い黒髪の王女様です」と言っていますが、実際の髪の毛は自然の毛髪としては珍しい黒に赤が混じったような色です。

 この髪の色はリファニアでは”凝固した血”という表現がされています。これは良い意味で、それまで内乱とヘロタイニア人との抗争で、出血を続けてきたリファニアの傷を癒した色だとされています。


 またこの後、この髪の毛の色はリファニア王室の血縁者に頻出するようになり、”王家の髪”と呼ばれるようになります。



挿絵(By みてみん)




 その他に庶子と認定された男子が二人と女子が一人います。中世段階のリファニアでは王族貴族であっても乳幼児の死亡率は高いので、後継のことを考えれば庶子をもうけるのはやむを得ないところがあります。


 ちなみにこれらの庶子は王宮ではなく、母親共々屋敷を拝領して王都あるいは王都近郊の屋敷に住んでいます。母親と庶子は王宮への出入りは自由で、月に二三回はオラヴィ王に会っています。


 実際に歴代リファニア王のうち三人に一人は庶子です。庶子は正妃の養子になり王位に就きます。

 庶子は王宮の外で育ち、それなりの苦労は味わいますから世情に関して詳しく人の心の機微がわかり、王となれば有能な王になることが多いと言われていますが別に客観的な資料があるわけではありません。


 王位に就かない男性庶子は一代爵位を叙任されて、嫡男の直系男子の後継ぎがいない貴族家へ入ります。

 王都貴族だけで百を越えるのですから、いつの時代でも後継ぎの嫡男がいない家は複数あります。そのために婿入りの家を探すことはそう難しいことではありません。



 王家からの男性を迎えた家は気長に待っていれば、現在のバーリフェルト男爵家のように女子しか後継ぎがいないという事態が必ず来るので、その時に一族の男子を結婚相手にすれば男性の血統を取り戻せます。


 王家で千数百年、最古の貴族家も同程度、千年続いてやっと由緒ある家柄と言われるリファニアの貴族家ですから、数代我慢するなど少しの間という感じです。


女子の場合はもっと容易です。なにしろ王女を結婚相手に求めない貴族家はないといっていいほどです。それも正妃の養女となれば引く手あまたです。


 かつては王女が嫁ぐ際に持参金として王領の切り売りが行われていましたが、少しでも近隣貴族に対して優位に立ちたい貴族は、化粧料という名目の金で満足しています。


 ただし王室では五代ほど前から、敵対的な貴族に王位継承を言い立てる種を与えないために王女が嫁ぐのは王家を支持する貴族家ばかりになっています。


 オラヴィ王の弟ビリロトが王宮に住んでいるのは嫡子だからです。ビリロトは軍事的才能を見込まれて王立軍の総司令官という重職を務めています。


 ビリロト以外にもオラヴォ王は五人の異母兄弟がいます。


 オラヴィ王の父親フルテルは五代前のカデス王の孫でした。そのフルテルの父親、すなわちオラヴィ王の祖父は四代前のイース戦争の救国英雄であるとされるロセニアル王の長子でしたが、即位前に亡くなったためにフルテルは国王の甥という立場に甘んじていました。


 フルテルは王位に未練はなく、王立軍の重職を歴任した才能のある武人でした。そしてフルテルは嫡子こそオラヴィ王と王弟ビリロトしか残しませんでしたが、庶子として一人の男子と四人の女子を残しました。


 男子は実はオラヴィ王より三つ年上で、父親フルテルが正式に結婚する前にもうけた子です。

 このオラヴィ王の兄バッティルドルドは、王の兄弟が就く要職の一つである王領キレナイト(北アメリカ)の総督です。

 王領キレナイトはリファニア王室の生命線でもありますから、その総督の人選は慎重にならざる得ません。


 オラヴィ王とバッティルドルドは母こそ違えど実の兄弟同然に育ってきました。


 バッティルドルドは政治能力は凡庸ですが、オラヴィ王が王として即位が決まった時に「自分は庶子とはいえ年長であり、よからぬ考えをする者には利用するに絶好の立場である。そのため子ができても実子とは認めず王族には入れない。ただ子には一代爵位を与えてそれなりに身の立つようにして欲しい」とオラヴィ王に提案しました。


 これをよしとしたオラヴィ王は嫡子である弟ビリロトではなく庶子の兄バッティルドルドを、非公式にはリファニア副王とも呼ばれるキレナイト総督に任命したのです。そして王の兄が爵位がないのはなりが悪いという理由で、バッティルドルドに男爵位を叙任しました。


 これは爵位を与えることで臣下に降るという意味合いがありますから、王位を継ぐなどと言い出すことが不敬になりオラヴィ王にとっても損はない手段です。


 そしてバッティルドルドに子ができた時には、その子をバッティルドルドの任地であるキレナイトには住まわせずに母親とともに王都に住まわせました。

 バッティルドルドが自分の妻子に会えるのは一年か二年に一度王都へ戻ってくる三ヶ月の間だけです。悲しいかな王家は人情だけでは動けませんから妻子が王都に留め置かれるのは人質の意味合いがあります。



挿絵(By みてみん)




 王族はその身の処し方は気を使います。


 リファニア王家の歴史の中で公式記録だけでも百人をこえる王族が、叛意ありとして自死に追い込まれたり幽閉の憂き目にあっています。

 それとなく遠ざけられたり、政治的な野心がないことを証明するために神官職に進まざるを得なかった者はこの数倍はいるでしょう。


 さてフルテルの庶子である四人の女子ですが、このうち三人はオラヴィ王が王位に就く前に婚姻しました。

 オラヴィ王は何人もいる先々代リファニア王の甥、先代リファニア王の又従兄弟ですから、王位につくなど百に一つと目されていました。

 

 そのため王族とはいえオラヴィ王の妹達は庶子であることもあり、婚姻相手は二人が中規模な貴族家の次男、一人が小貴族の妃になっただけでした。


 ところがオラヴィ王の父フルテルが四十五歳で死んだ年に生まれたジャザリ・フェルメル・ラルヴェリーナ王女だけは、兄のオラヴィ王が王位についた時にはまだ満年齢で九歳でした。



 ラルヴェリーナ王女は右目が見てすぐわかるほどの斜視でした。兄が王位に就くまでは王族であっても庶子ということ、母親が貴族の資質はあるがあまり位の高くない郷士格家庭出身の女官であったこと、さらに悲しいことに外見から貴族の同年齢の子供からもあからさまにからかかわれたり虐めに近いことを受けていました。


 ラルヴェリーナ王女は負けず嫌いの性格でどのような辛い目にあっても誰に言いつけることもなく泣き言を言いませんでした。

 そして外見では他の令嬢に勝てなくとも、教養では負けはしないと別に受験勉強があるワケではないのに猛勉強をしました。


 元々頭の回転の早い女性であったこともあり、現在は王族女性で最も賢きお方はラルヴェリーナ王女殿下であると言われています。

 ラルヴェリーナ王女が現在日本の女性であったなら弁護士や国立大学文系学部の教授になったでしょう。


 このラルヴェリーナ王女は本文で触れられているように、王の妹という貴族の結婚相手としては最高の立場にたつことになり、ドノバ二十五万戸の太守ドノバ候の後継ぎで中庸ゆえ現実主義的な政治に長けたロムニスの正妃となります。


 そしてラルヴェリーナ王女はドノバ候お抱えの巫術師に斜視の治療を受けて、ドノバ候長子でシスネロス総督エーリーの妃リューディナ、ドノバ防衛隊司令官として”ドノバの牙”と呼ばれるアンドレリア子爵キルレット・ルヴァルドの妃でドノバ候の長女ベルナルディータともに”ドノバに咲いた賢き三つの花”と呼ばれるようになります。



挿絵(By みてみん)




 ちなみにラルヴェリーナ王女・リューディナ妃・ベルナルディータ妃の三人は同じ年齢です。

 さらにバーリフェルト男爵家の双子の姉妹であるネルグレットとサネルマも同じ年齢です。ネルグレットは他の三姉妹より頭の良さではかなり見劣りしますが、バーリフェルト男爵家を継いだ長女ということもあり、一応”賢き四姉妹”の一人とされています。


 なにはともあれテレサネル王二十三年という年に神々は、リファニアの歴史をつくっていくような五人の女性をこの世に送られたのです。


 このドノバ州の”ドノバに咲いた賢き三つの花”の存在はバーリフェルト男爵家の”賢き四姉妹”と”バーリフェルト男爵家の小さき賢夫人”の名称で知られるようになるナパシェーニアともに、貴族の令嬢とは教養が優劣の基準の一つであるという価値判断をリファニアにもたらした存在になります。


 日本では”良妻賢母”という言葉がありますが、リファニアでは”賢妻良母”という女性の理想像を示す言葉が生まれてくることになります。



挿絵(By みてみん)




 この話の最後に祐司の愛した娼婦ルシェニアの娘ラトゥシュニアが、悪霊払いのヴァゲーニアから「いい意味で名を残す程のことをするよ。何かはわからないがね」という予言を受けていたことの顛末を記します。

(第十章 王都の玉雪 冬の足音12 ヴァゲーニア一家との再会 参照)


 なんとでも取れるような予言内容ですが、結果として予言は当たったと言っていいでしょう。


 バーリフェルト男爵家の高位家臣マメダ・レスティノの義理の娘になったラトゥシュニアは、彼女のことを気に入った”賢き四姉妹”と”小さき賢夫人”の薫陶を受けて育ちます。


 ラトゥシュニアは、祐司から近代哲学のサワリを聞いたゼグノ派の学者で哲学の巨頭と呼ばれるようになったテザチェ・ウルヤナルトの学堂に女性ながら入門させてもらいます。

(第十一章 冬神スカジナの黄昏 西風至りて南風が吹く3 祐司、リファニアの政治思想を進化させる 参照)


 これをラトゥシュニアの両親マメダ・レスティノとルシェニアが許したのは、”賢き四姉妹”と”小さき賢夫人”の薦めもありましたが、祐司が女性も男性と同様の能力があるのだからせめて学問では同じ機会を与えるべきだと、別々の場所で何度か話していたことが二人の頭の片隅から離れなかったからです。


 そしてラトゥシュニアは後にテザチェ・ウルヤナルトの弟子で、彼女の師範でもあったベザバ・エッリスルドと結婚して学問を続けます

 そして自らの境遇に感謝して、貴族郷士の女子に教養を与える為の女子学堂を経営します。


 ラトゥシュニアはリファニア史上初の系統的な世俗女子教育機関経営の嚆矢こうしになったのです。

 集団で女子に教養と作法を教えてくれる学堂は、瞬く間に王都や周辺地域の上層階級に受け入れられます。


 それらの層の多くの親は娘の結婚相手を見つける際の手土産程度、或いは有力者の令嬢と自分の娘が親しくなれるという程度の考えでした。

 また尚武の気質を尊ぶリファニアの文化では男性は武芸に励む必要があるが、婦女子は文芸や手慰みがてらに学問でもやっておけばいいという雰囲気があり、特に女性に教養を与えることを拒まなかったこともあります。


 そして学校教育の模倣すべきマニュアルとして、長い伝統を持つマルタンの神学校の存在がありました。

 これは宗教教育機関ですが、知識や理解度の確認に筆記や口頭試問を行っており、何を持って免許皆伝、すなわち卒業とするかを決める参考になりました。


 リファニアでは世俗の中等学校教育は上層階級の女性から始まりました。


 二世代ほどたつと教養ある母親の元、教養有る家庭の雰囲気の中で育った王都の上層階級富裕階級は、文芸を武芸と同様に人間にとって重要なものと考えるようになり、文芸学問の面で大きな華を咲かせていきます。


 そしてラルヴェリーナ王女の血を引いた後のドノバ候をして「経済力ではドノバ連合候国州はホルメニアに次いで二位だと広言できる。文芸でも二位だが三位以下との差はリヴォン川とモサメデス川の差に過ぎない。ホルメニアは海だ」と嘆かせます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ