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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第十一章 冬神スカジナの黄昏
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Jack the Ripper in Tachi12 サンドリネル妃の意趣返し

「死んだりしないだろうな」


 ベルラジェドの上に跨り、背中に回した手首を縛っていた男が、顔を上げてフロニーシアに聞いた。その男はフロニーシアの夫インジフだった。

 普通なら、妻のフロニーシアに「大丈夫か」とか「怪我はなかったか」ぐらいは言いそうである。愛妻家であるインジフの言葉としては、祐司は違和感を持った。


 しかし、後から聞いた話ではインジフは「フロニーシアを囮として送り出す班に加えろ、実行するかどうかの最終判断は自分に任せろ。それが嫌ならフロニーシアを囮としない」と強行に言い張ってとうとうバーリフェルト男爵の裁可でインジフとフロニーシアを、祐司と同様に臨時警邏とすることでインジフの言い分を認めたという。


 まったくの民間人が作戦の指揮を取るような立場であれば、例え上手く捕縛できたとしても、難癖をつけることに手慣れた王都貴族達から非難がましい声が出る恐れがあったからである。


 当日、インジフはずっとフロニーシアの側を離れることなく、傍目にも気が気でないという様子で常に種々の注意を与えたり、装備の点検を繰り返していたという。

 下手人が犯行に及んだ時に、フロニーシアが吹くことになっていた笛が聞こえるなり、「フロニーシア、無事か」と絶叫しながら、それこそ空でも飛べるだろうというような速さでインジフは路地に飛び込んだという。


 祐司達が聞いた獣のような叫び声は、インジフの声だったのだ。 



「大丈夫です。上手くツボを捕らえました。気絶というより、頭がぼーっとした感じになっているはずです。

 すぐに回復します。わたしの首を傷付けることに夢中でスキだらけでしたので雑作のないことでした」


 冷静な口調で、インジフの質問に答えたフロニーシアが発する巫術の光は、いささかの揺らぎも光度の変化もない。フロニーシアは満足げに微笑んでいた。


 元々フロニーシアが囮になるというのは、フロニーシア自身の提案だった。


 祐司とアッカナンが、インジフの家でフロニーシアが囮なると聞いて度肝を抜かれた時に、アッカナンがインジフには「いくら武芸に優れた奥様でも」とちょっと非難めいたことを言うと、フローニシアが「これはわたしが望んだことです。暴力で女を酷い目に会わせる男は、女である私が捕縛しとう御座います」と言って、アッカナンを黙らせてしまったのである。



「流石にオレの妻だ。誇れる妻だ」


 インジフはすっかりベルラジェドを縛ってしまうと、立ち上がってフロニーシアを抱きしめながら言った。


「妻では御座いません。女中です」


 フロニーシアもインジフを抱きしめながら乾いた口調で言った。


「女中の給金など払っておらん」「無給の女中でございます」、「オレの子を産んだぞ」「子を産む無給の女中です」、「オレは愛しているぞ」「愛されている子を産む無給の女中です」、「棍棒の名手がか」「棍棒の名手で愛されている子を産む無給の女中です」


 祐司は抱き合いながら進む二人の会話を聞きいて、また漫才のようなやり取りが始まったと思いながらも、心が穏やかになった。

(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都に舞う木の葉8 インジフ師範 下 参照)


「護送の馬車が来ました」


 一人の警邏が路地に入ってきて報告する。


 ようやく立てるようになったベルラジェドは、後ろ手に縛れてた上に腰縄までつけらて路地から連れ出される。猿ぐつわを噛まされているので声も発することができない。

 しかし祐司はベルラジェドが発する巫術の光から、彼の心の中には恐れや不安、そして怒りなどが渦巻いていることが見て取れた。


 捕縛されたベルラジェドについて、祐司が通りに出ると、そこには驚愕する光景が展開されていた。数百人の老若男女が集まっていたのである。


 その者達はベルラジェドが通りに連れ出されると、一斉に「バォーーーーーー」と雄叫びを上げた。


「今度の捕り物に参加した者達です。府内警備隊、バーリフェルト男爵家の家臣と家族、そしてデレシアネの手の者達です」


 アッカナンの説明を聞いてよく見ると、ヘルヴィが奥さんと並んで嬉しそうに手を振っていた。

 ヘルヴィも奥さんも、露天の商人と言ったような姿である。また他にも見知ったバーリフェルト男爵家の家臣の顔がここかしこに見られた。


「ユウジ様」「アッカナン様」、パーヴォットとアッカナンの妻カロシェネリが安っぽい私娼姿のままで、人混みをかき分けるように走ってきた。

 カロシェネリが「お手柄で御座います」とアッカナンに飛び付く。お手柄と言っても今回は、祐司とアッカナンは万が一ベルラジェドが逃走した時のための後衛で、実質何もしていない。


「ユウジ様、ご無事ですか」とパーヴォットも祐司に飛び付いてきた。小一時間も安っぽい私娼の真似をしながら祐司と体を密着して歩いて来たので、どうやらパーヴォットの羞恥の加減は随分低下しているようだった。


 ただ「ご無事ですか」と言っても、祐司とアッカナンがベルラジェドとフロニーシアの入った路地に駆けつけた時は、すでにベルラジェドは捕縛されていた。

 祐司は「大丈夫だ」と言いながら、それとなくパーヴォットを引き離してまだカロシェネリと抱き合っているアッカナンに聞いた。


「このような大勢の人間で行う策を、わたしの知っている言葉では人海戦術といいますが、誰がお考えに?」


「ユウジ殿が想像する方です」


 アッカナンもようやく「人が見ている」と言いながらカロシェネリを引き離して、意味ありげな様子で言った。


「デジナン・サネルマ様」


 祐司の答えに、アッカナンは頷くとさらに言葉を足した。


「はい、それにサンドリネル妃が関わっております。具体的な人の動きや配置はプロシウス様が立案されました」


 祐司は集まった者達が持っている幾百ものランタンでかなり明るい通りが、さらに明るくなったように感じた。

 ふと祐司が上を見ると、ほぼ全ての建物の窓が開いて人々が何事かと通りを見下ろしていた。


 ベルラジェドが捕縛された路地の周囲を取り巻いている人々が、次々場所を譲ったと見ると立派な外套を羽織った初老の男が進み出て来た。


「わたしは府内警備隊首席組頭ゼレド・バシュトメルロである。たった今、切り裂き魔の容疑者を殺人未遂の罪で逮捕した」


 男は大音声で上を向いて言った。


 頭上からは「バォーーーー」という喜びの歓声とともに「ワゥゥーーーー」と言ったような落胆を示す声が聞こえた。 


 何しろ昨日、切り裂き魔捕縛の賞金は金貨五十枚と発表されたばかりである。中にはあわよくば自分が捕縛するのだと、意気込んでいた住民も多いに違いない。


 金貨五十枚ともなれば、現代日本で一千万円ほどの感覚である。


 やがてベルラジェドを乗せた護送馬車が現場を離れた。それを合図に、集まった捜査関係者も三々五々現場を離れだした。



「これから抜け穴に急行して、証拠の品を押さえます。ユウジ殿も同行してもらえますか。何か見落としていたりしてはいけませんので。

 何しろ、指の皺で個人を特定するという術を教えていただいた方ですからね。何か別の捜査方法もありましたら御教授願います」


 いつの間に来たのか、バーリフェルト男爵殿下に急を知らせに行ったマメダ・レスティノが背後から声をかけてきた。


「その指示はひょっとして?」


 祐司が反射的に聞いた。


「はい、デジナン・サネルマ様からで御座います」


 マメダ・レスティノはにっこりとした顔で言った。


「ユウジ様、あの雌狐はユウジ様を使い倒して、粗相が合った時にユウジ様でも見落としてと言って、言い訳にするつもりに相違御座いません」


 パーヴォットが背伸びをして、祐司の耳元に小声で囁いた。祐司も今回は当たらずとも遠からずだとは思った。

 サネルマの奸計によってネルグレットとサネルマ本人の双子の貴族姉妹を抱くという、もし世間にばれたら首でも飛ぼうという所業を祐司は経験させられた。


 それでも何故か、サネルマのことは一向に嫌いにはならない。ただその策略を巡らす頭の良さに感心するばかりである。

 こればかりは頭の切れる腹黒い女性に惹かれるという祐司の性癖であるのでいたしかたのないことである。



「では、わたしも同行しよう」


 マメダ・レスティノの背後から、聞き知った声が聞こえた。祐司の前に現れた人物は、バーリフェルト男爵殿下その人だった。


「え、バーリフェルト男爵殿下!」


 パーヴォットが思わず少し大きな声を出した。


「大きな声を出すな。この姿を見よ。忍びだ」


 そう言うバーリフェルト男爵は金属製のヘルメットに首筋から肩、そして手を覆うチェインメイルを装備した、捕り物や治安任務の時に着用する府内警備隊警邏の冬季捕物装束姿である。

 これより重装備は、府内警備隊では巫術師イルムヒルト捕縛の時に使用されていた、冬季重装備しかない。


 これは上手い化け方である。


 まず警邏の装束なので、現場にいても自然である。また、顔がヘルメットで見にくいことと要所は防備されているので、バーリフェルト男爵の忍びの姿としては、最大限秘匿性と安全性を確保できる。



挿絵(By みてみん)




「いてもたってもいられなくなって現場にきた。ここまで来たからには抜け穴とやらを見たい」


 バーリフェルト男爵は満足げに言った。バーリフェルト男爵が言う抜け穴とは、ベルラジェドが新市街地と新々市街地を行き来するのに使っていた新市街地にある”ファデス神の祠”と、新々市街地にある”デェルト神の祠”を結んだ地下道のことである。


「あのその後ろにいらっしゃる方は?」


 祐司はバーリフェルト男爵の陰に隠れるようにしている女性のことを聞いた。俯いていた女性が顔を上げた。バーリフェルト男爵妃サンドリネルである。


「やっぱり」


 祐司はそう言いながら自分が、溜息をつくのを感じた。


「内緒ですよ」


 バーリフェルト男爵妃となったサンドリネル師匠が悪戯っぽく言った。祐司はサンドリネル師匠の姿を見て、くらくらしそうになった。


 以前の画家のサンドリネル師匠という立場なら、まだかろうじて戯れとして容認できる姿かもしれないが、現在の彼女は王都貴族の中でも大家といっていいバーリフェルト男爵家の男爵妃なのである。


 それもご懐妊中で、妊娠五ヶ月目である。


 その男爵妃が祐司の目の前で、ヘロタイニア人系の最下層の私娼の格好をしているのである。顔は煤で汚したのか黒ずんでおり、髪の毛は火事にでも合ったように乱れて櫛も入らないような状態だった。

 またどこで手に入れたのか、サンドリネル妃の頭陀袋のような服とも呼べないようなモノからは異臭が漂ってくるという念の入れ方である。足元も靴ではなく、布きれに半端な革を巻き付けているものだった。


 中世世界リファニアの貧民街住民の姿服装は、現代日本では年季の入ったホームレスである。



挿絵(By みてみん)




 バーリフェルト男爵の馬車は大型の辻馬車で、御者は顔を知っているバーリフェルト男爵家の御者だった。

 忍で出ているために、バーリフェルト男爵家の馬車は使用出来ないので、馬車を借りたのだろうと祐司は思った。

 

「アッカナン、そちも乗れ。案内してくれ」


「あ、はい」


 アッカナンはそう答えながら、新妻カロシェネリの方を見る。カロシェネリも不安そうな顔つきでアッカナンを見る。


「ほう、それが奥方か。可愛い奥方といっしょになったと聞いたが、本当だったな。一緒に乗ればいい」


 アッカナンは「はっ」と答えるが、乗り気ではないのは明らかである。


「大殿、馬車はいつでも出発できます。また、現在ベルラジェドの自宅捜査も始まっていると思いますが、そちらはいかがいたしますか」


 マメダ・レスティノが頭を垂れて言った。


「うむ、行ってみたい。ただこの姿のわしや男爵妃に頭を下げるな」


「御意」


 そう言ったマメダ・レスティノは頭を下げかけて、ぐっと堪えた様子だった。


「大殿の馬車には、もう一人護衛が同乗しなければなりません。アッカナン殿の奥方はわたしが責任を持って、府内警備隊の馬車で自宅まで送ります」


 マメダ・レスティノは、いささかもたじろがずに、まるで家老職にある者のように堂々とした口調で言った。


祐司とパーヴォットにとってはマメダ・レスティノは好人物だが粗忽で、肝心な時に詰めが甘いバーリフェルト男爵家を体現したような人物であるという認識が強い。

 しかし家柄もあるのだろうが、バーリフェルト男爵の祐筆であるアッカナンより、マメダ・レスティノの方が高位の家臣であるということが不思議だった。


 今、バーリフェルト男爵に背筋を伸ばして対応しているマメダ・レスティノが、祐司とパーヴォットの前で粗相を繰り返す人物には見えない。


 祐司は営業マンだった頃に出会った、ある商店主のことを思い出した。


 その男は祐司が仕事をしていた業界では、店主とその妻、数名の店員が働いているという中堅規模の小売店主だった。

 店主は先代が祐司と同業種の営業マンで、店に出入りしてしているうちに先代の店主にいたく見込まれ、最後にはとうとう口説き落とされて姓は夫の姓ながら、実質は入り婿という形で店主の娘と結婚したという。


 祐司が営業で訪ねて行くと、その店主は先代の時代から店を倍ほどにしたというだけあって、話しぶりはしっかりしており、まだ若い祐司を見下すようなこともなく、祐司が持って来たサンプルについていつもどん欲なまでに質問をしてきた。


 ところが時々、店主はとんでもない間違いをすることがあったり、ひどく他人と感覚がずれる行いをするそうで、店に出入りする度に店主の妻が面白おかしく話してくれた。


 ある日、新商品を大量に用意して準備万端で来客を待っていたところ、客どころか店員も来ない。それどころか妻までが店に出てこないので様子を見るとまだ寝ている。

 そこで怒って妻を起こすと「今日は定休日だということを忘れたの」と笑われてしまったという。


 どうも、マメダ・レスティノはそのような種類の男なのではないかと祐司が漠然と想像していると、横合いからバーリフェルト男爵の声がした。


「さあジャギール・ユウジも馬車に乗って同行してくれ。色々意見を聞きたい」


「もったいのう御座います」


 あわてた祐司に、バーリフェルト男爵は親しげに祐司の肩を右手で叩きながら言った。


「もうすぐ王都をたつのであろう。それまでに、機会があれば話したいと思っておった。ちょうどいい機会だ」


 そこまでバーリフェルト男爵に言われれば、祐司に断ることなど出来ない。


 それで先に祐司とパーヴォット、そしてアッカナン、続いてヘロタイニア人系の最下層の私娼姿のサンドリネル妃、最後に警邏姿のバーリフェルト男爵と本当の警邏が乗り込んだ。


 これで傍目には、怪しい私娼が捕らえれて護送されるように見えるだろう。



「ちょっと匂うと、思いますがご辛抱下さい。わたしとサネルマは、今回も新々市街地の海に近い地区で犯行をするに違いないといったのですが、ヘルマンニが下手人も警戒しているだろうから、ヘロタイニア人系の住民の多い東の地区を狙うに違いないと言ってききませでした」


 サンドリネル妃はちょっとの辛抱と言うが、馬車の窓を開けることができれば全開にしたいほどの臭いである。

 祐司は数ヶ月汚水に放り込まれて腐った雑巾が、鼻の前に置かれているような臭いに感じた。後でパーヴォットに聞くと、汚物が溜まったドブの臭いに感じたと言った。


「普通だろう。そういった意見具申も多かった」


 バーリフェルト男爵が不機嫌そうに言う。


「ヘロタイニア人系の私娼を襲うことは、状況証拠からないと説明したのですが、ヘロタイニア人系の住民が多いが、それ以外の住民もいる。そのような私娼を狙うのだと言い張るのです。


 そこで、それならば忍びで行って確かめたらというと、ヘルマンニは感情的になってそれならお前も来いと言いました。

 ですから、ヘロタイニア人系の多い地区で怪しまれない格好をさせてくれるならご同行しますと言いますと、ヘルマンニはそれで構わないと言います。だからこのような姿になりました」


 サンドリネル妃はバーリフェルト男爵が感情的になってと言うが、嫌がらせのように最下層のヘロタイニア人系私娼に格好をするサンドリネル妃も、結構感情的だろうと祐司は思った。


 それも子供っぽい嫌がらせである。ただ男爵妃であるのでサンドリネルは、金をかけて徹底的にリアルな扮装に凝ることができる。


「悪かった。屋敷に帰ったらすぐに風呂に行って着替えてくれ」


 バーリフェルト男爵が懇願するように言う。祐司はバーリフェルト男爵が口をずっと開けていることに気がついた。どうもあまりの臭いに、口で息をしているようだった。


「当たり前です」


 サンドリネル妃はすました声で返した。



 馬車は十数分ほどで、新々市街地と新市街地を隔てる旧市壁が目の前に見える”デェルト神の祠”に到着した。


「ここです」


 真っ先に馬車を降りたアッカナンが、馬車のドア越しに言う。祐司とパーヴォットもそそくさと馬車を降りた。それほどサンドリネル妃の発する異臭はきつかった。

 祐司は普通のリファニア人男性なら性欲の権化でもない限りは、タダでもヘロタイニア人系の最下層私娼を抱こうとは思わない理由を実感した。


 ”デェルト神の祠”に通じる路地は巡邏が三人がおり、付近の住民が入り込まないように見張っていた。

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