霧雨の特許都市ヘルトナ14 襲撃 中
引き続き、ベガウト側の視点です。前半はベガウトの悪党仲間であるギャフス視点になります。
「お前は追いかけなくていいのか?」
ギャフスはパーヴォットが縄で繋がれた木の近くで腰をおろしているアハレテに声をかけた。
「逃げられやしない。それに、女はもう一人いるからな。オレが見張っていなくちゃ、山猫みたいな連中に横取りされるかもしれんからな」
アハレテは抜け残りの黄色くなった前歯を見せながら言った。
「食えない爺さんだ」
ギャフスは苦笑した。
「お頭、ハバーミがもどってきました。何か言ってます」
残っていたもう一人のギャフスの手下が前の方を指で示した。
「襲撃だ」
森から出てきた男が大声で言った。
次の瞬間、男の後ろから飛んできた矢が男の背中に突き刺さった。男は両膝を着いたがよろめくように歩き出す。そこにもう一本、矢が背中に突き刺さった。
男は左向きに倒れ込んだ。手足を動かしているので痛みに耐えかねて倒れたらしい。
「後ろに気を付けろ」
ギャフスはそう言うと身を低くして剣を抜いた。その瞬間に矢がギャフスのいた空間を通過して地面に突き刺さった。
ギャフスと手下はそれぞれ別の木の陰に身を寄せた。
矢がまた飛んできてギャフスの隠れている木に突き刺さる。
「相手は何人だ?」
ギャフスは手下に声をかけた。
「さっきちらりと森の中に一人だけ見えた」
ギャフスは素早く思考を巡らせる。不意打ちを食らわせるなら最初から全力で挑みかかる。それなのに散発的に一本ずつしか矢が飛んでこないのは、後方の森の中にいるのは一人にちがいない。少なくとも弓を装備していのは一人だ。
ギャフスはそう結論を出した。
「お頭、長引くとハバーミの野郎がくたばりますぜ」
隣の木の陰にいる手下がギャフスの顔色をうかがうように声をかけてきた。
非合法とはいえギャフスなどの手荒いことも厭わない組織は軍隊と同じで負傷したものを見捨てないということが結束力、配下の信頼に繋がっている。
「おい、おいぼれ。盛大に霧を出せ」
ギャフスはいつの間にか近くの岩陰に身を寄せて隠れているアハレテに声をかけた。
「幾らだ」
アハレテは間髪を入れずに問い返してきた。
「銀一枚だ。手抜きしたり、しくじったら値引きだぞ」
ギャフスは前を見たまま言う。
「オレはハバーミを連れてくる。お前はここで待て。相手が飛び出して来たら身体をはってカタをつけろ」
「わかった」
ギャフスにとってはハバーミという男の生死よりも頭が命懸けで助けにいったという事実が大切なのだ。本当に危ないと思えれば途中から逃げればいい。
手下の返事に力強さがないのが気に掛かったが、ギャフスは今度こそアハレテが霧を盛大にまき散らしている中をギャフスは勢いよく飛び出した。
「ちくしょう、値引きだ」
濃い霧はほんの十メートルばかりで終わっていた。それでも、弓を射ている者の姿が見えないほどには霧が辺りを隠している。こちらが見えなければ、相手も見えない筈だ。
ギャフスはそれでも用心して身を低くして、まっすぐに走らないようにした。目の前に倒れた男が近づいてきた。まだ、かすかに手を動かしている。
その時、霧を切り裂いて矢が飛んできた。恐ろしい速さである。もっともその矢がギャフスに見えたのは、自分に当たる矢だったからだ。次の瞬間、左の膝に違和感を感じて、ギャフスはそのまま転倒した。
完全に転倒してしまうと筋肉が収縮する痛みが襲ってきた。少し上半身を起こしてみると左膝の少し下に矢が深々と刺さっていた。関節をやられたらしく左足は膝から先がまったく動かない。
霧の中から弓矢を構えて、背中に短槍を背負った男が姿を現した。
「あいつは霧を通してオレが見えたのか」
ギャフスは男が自分の方に弓を構えていないことを見て取ると右足を踏ん張って立ち上がった。近距離なら矢はゆっくり飛んでくる。その矢を剣でたたき落としてあわてて二の矢をつごうとする男に斬りつける。ほんの数メートルでも右足が動けばよいのだ。
瞬時に判断したギャフスは男に向かって剣を一文字に向けて片足だけで突進した。
男はギャフスに向かって矢を放った。この近さなら避けることもできる。その矢筋を見ようとしたギャフスは胸に何かが侵入する感覚を覚えた。
ギャフスは立ち止まって自分の胸を見た。皮鎧を突き破って矢が右胸に刺さっていた。ただ、矢は戦用のものではなく小動物に対する狩猟用の小型のもので身体に侵入を許したのは鏃の先だけで傷はそれほど深くない。
それだけのことを目の前でさらに矢を継ごうとしている男を前に判断できるギャフスは伊達に頭と呼ばれていない。
ギャフスはもう一度突進を始める。男が矢を放つが至近距離にもかかわらずに、予想外のギャフスの逆襲にあわてて放たれた矢はギャフスの側をむなしく飛んでいった。
「いただいた」
ギャフスは男の矢筒が空になっていることを見て取った。ギャフスは剣を男に向けたまま最後の力で飛びつくように近づいた。男は弓をギャフスに投げつける。
「まさか」
外しようがない剣の先には男の姿はなかった。男が信じられない速さで右に飛んだのだ。男はギャフスの左手を掴むと前に押し出した。
片足に力が入らないギャフスは勢い余ってそのまま胸から地面に倒れ込んだ。胸に刺さった矢が地面に押されて身体の中に押し込まれるのがわかった。
「何でも取っていいから、命は取らないでくれ。後生だ」
何とか仰向けになって倒れ込んだギャフスは命乞いをした。その言葉に男は反応せずに立ち去って行くのがわかった。その遠ざかる足音と入れ替わるように複数の足音が近づいてきた。
「ベガウト、遅いぜ」
そう言いうとギャフスの意識は混濁してきた。
アハレテは様子を見るために岩から頭を出した。その時、背後の森から初老の男が剣を構えて飛び出してきた。
ギャフスの手下がとっさに槍でその進路を塞ぐ。
「命が惜しかったら立ち去れ」
初老の男が落ち着いた声で言う。
「キンガ師匠、二人やりました。しばらくは動けないと思います」
息を切って短槍を構えた若いイス人のような大男が大声を出しながら近づいてきた。
「ユウジ、遅れてすまない。森の端に着く前に事が始まっておどろいた。悪いことに弓は最初の矢を放とうとした時に弓弦が切れやがった。使わなくとも手入れはするんだったな」
初老の男は、大男にそう言うと、剣で威嚇しながらアサレテを睨んだ。
「どうする。今なら命は取らない」
初老の男が妙に度胸の据わった声で言った。
「心配するな。ベガウトたちがもう引き返してくる。バルタサルがいればこんな奴らは一ひねりだ。それに、今、逃げてみろ。頭を置き去りにしたお前を仲間はどう思う。
きっと、ベガウトがたんまり礼を出してくれる。ほんの一時持ち堪えろ。むしろ、接近させろ。一撃で屠ってやる」
アハレテの言葉にギャフスの手下は覚悟を決めたのか槍を持ち直して、抗戦の意思を示した。
動きを制されたキンガを見てアハレテは剣を抜いてパーヴォットの傍らに立った。
「キンガとやら、剣を捨てて立ち去れ。そうしないとどうなるかわかるな」
「パーヴォット、無事か」
若い男がアハレテの方へ近づいて声をかける。
パーヴォットは顔を上げて弱々しく首を横に振った。
パーヴォットの髪の毛は乱れ、泣いていたのか憔悴した顔に泥が付いている。唇も少し腫れているようだ。
誰かに慌ただしく着せられたか、着衣を直して貰ったのかひどく乱雑な着方だった。若い男はその顔つきからパーヴォットがどんな目にあったのかを悟ったようだった。
「お前、パーヴォットに何をした」
若い男は怒りに声を震わせながら言った。
「すぐに売る女だ。その前に商品の確認をしておかないとな。他の奴は父親だの情女連れに女嫌いだからオレがするしかなかったのさ」
「ケダモノ!」
若い男の声には殺気が満ちていた。憤怒の表情を浮かべる若い男は、小走りでアハレテに近づいてきた。
アハレテは笑みを浮かべた。
電撃のような”雷”は多くの戦場を糧とする巫術師が使う。アハレテも使えることは使えたが、人に害を及ぼすような”雷”は至近距離でしか放てなかった。
それが、おあつらえ向きに相手は弓矢を持たずに接近してくるのだ。至近距離なら巫術に耐性のある貴族でさえかなりの衝撃を与えられる。まして、平民など命もろとも吹っ飛んでしまうだろう。
「食らえ」
アハレタは剣を地面に突き立てると、会心の一撃を放った。
辺りが明るくなり、バシッと音がした。
アハレテは驚きのあまり目を大きく見開いた。大男は”雷”の直撃などなかったかのように近づいてくる。
「動くなこいつの命はないぞ。こいつが欲しかったら、ちゃんと金を出して…」
あわてて剣をつかもうとしたアハレテは全てを言い切ることができなかった。若い男は持っている短槍を左手だけで持つと横に構えた。アハレテが一瞬、それに気を取られているすきには若い男が右手で何かを投げつけてきた。
アハレテも長年傭兵団にいた男である。至近距離からの投擲物は速度が遅いため避けるのが容易なことを知っていたから恐れもせずに横によけようと動いた。
ところがそれはもの凄い速さでアハレテの右肩に突き刺さった。アハレテは思わず持っていた剣を落とした。
頭を横に向けると手の平くらいの長さのナイフが半分ほど身体に食い込んで服を赤く染め始めていた。
アハレテがなおも左手で剣を拾い上げようとかがもうとした時に、突進してきた若い男は短槍をアサレテの胸に突き立てた。
アハレテが最後に聞いた声は、若い男がパーヴォットの縄をナイフで斬りながら、森へ隠れていろと言う言葉だった。
バルタサルが最初に異変に気がついた。
バルタサルの右目は戦傷のため視力を失っていたが、かわりに鼻が利いた。血の匂いが流れてくる霧に混じっているのだ。
「先手を取られた。奴らもう来ている」
バルタサルは自分の大振りな剣を抜いた。そして、小走りで森と草原の境まで走っていった。バルタサルは人を差配することが苦手だった。そこで、立ち止まってベガウトの指示を待った。
「急げ、女はその辺に転がしておけ」
ベガウトは後ろ手に縛ったマシャーナを剣で追い立てているルードビニに指示した。ルードビニはマシャーナの足をはらって転倒させると足首を縛った。
バルタサルを先頭にして三角形をつくった三人は剣を抜き身にして小走りで少し姿勢を低くしてパーヴォットを縛っていた場所を目指した。
薄い霧を通して百メートルほど先に、槍を持ったギャフスの手下とアハレテが二人の男と対峙しているのが見えてきた。
「相手は二人だ。このまま、一気にいくぞ」
進んで行くと矢を受けたギャフスと手下が倒れていた。重傷だが二人ともまだ生きているようだった。
しかし、バルタサルの心には何の感情も浮かんでこない。バルタサルの心は常に戦場の心である。戦場では負傷して倒れた味方など日常的な光景だからだ。そして、負傷者の手当は戦いの帰趨が決まってからだ。
ギャフスの手下とやり合っているのは、キンガのようだった。もう一人の男は短槍を構えて、パーヴォットの傍らで剣を抜いているアハレテと何かを言い合っている。
突然、若い男が槍を投げ捨てたような仕草をしたかと思うとアハレテが剣を落とした。そこへ、男の槍がアハレテの胸を貫いた。
「アハレテ!」
バルタサルがとてつもない大声を上げると、パーヴォットを森の方へ追いやる若い男へ突進していった。
バルタサルは逆上していた。もう彼の目には、アハレテを害した男しか見えていない。また、その耳はベガウトの指示さえなかなか届かない状態になった。
バルタサルが傭兵団をお払い箱になったのは戦傷の為だけではない。戦いになるとバルタサルは常に自分を失って鬼神のごとく戦った。周囲の敵を全て屠ふると最後には味方にまで挑みかかった。
バルタサルは狂戦士なのである。
バルタサルを扱いかねた傭兵隊長が戦傷を負ったのを理由にクビにしたのだ。
慰労金として支払われた金はアハレテの忠告を無視したために、またたくまにたちの悪い行商人に巻き上げられた。この時以来アハレテの言うことを盲信するようになった。
親に売られて物心ついた時から従卒として先代の傭兵隊長に使えて以来、軍隊以外の世界を知らず、人を殺めることしか出来ないバルタサルは困窮して、騙すという行為を平然と行う商人というものを憎悪した。
その心の隙間を埋めてくれたのがアハレテであった。バルタサルは性欲も物欲も薄く、そのリビドーは闘争と人を殺めることにしか向かなかった。
他の傭兵すら気味悪がるバルタサルに対してアハレテは寝るときに添い寝をしてバルタサルの頭や頬を撫でた。バルタサルは子供のようにアハレテに甘えて癒された。
そして、仲間に誘ってくれ生活の面倒を見てくれたのがベガウトである。特にベガウトの指示にはバルタサルは理由は分からないが従うことが心地よかった。
年端のいかない頃から命令ばかりで動いてきたバルタサルは自分で考えるということを放棄していた。
上官の命令は全体を見通して発せられるためにバルタサル個人から見た場合、理不尽なこともある。バルタサルは命令に逆らうことはなかったが、そのような命令は生理的に嫌だった。
それに比べてベガウトの命令や指示はバルタサル個人に出されるものであるため、的確でバルタサルに配慮したものになる。それが、バルタサルにとって嬉しかったに過ぎない。
早い話がバルタサル個人に命令する人間ならバルタサルにとっては誰でも心地よい人間なのである。ただ、そのようなことはバルタサルは考えもしなかった。
バルタサルは、戦場で何百回も出したであろう吶喊の声を上げながら、異国風のヘルメットを被った若い男に近づいた。
男はバルタサル達に向かって槍を構えている。
横から初老の男が飛び出してきて、突進するバルタサルの前に立ちはだかる。突進してきたバルタサルの力を逸らすように初老の男は剣を滑らせながらバルタサルの太刀筋を受け流した。
「ユウジ、こいつは手練れだ。オレに任せろ」
初老の男は一旦、バルタサルから離れると大声で言った。
「こいつはしばらく時間がかかる。後の奴とは適当に遊んでおいてくれ。倒されないようにだけしていればいい。できそうならパーヴォットを連れて逃げろ」
大男は短槍を構えたままキンガの横を走り抜けざまに返事をした。
「わかりました。キンガ師匠」




