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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ
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北風と灰色雲44 十二所参り 三十八 大神官タブリタ

 この話では、リファニアの宗教改革者ともいうべき大神官タブリタの事跡が記載されています。本文の流れに関係無い話ですから祐司とパーヴォットの話を読みたいと言う方は・・・・に挟まれた部分は読み飛ばして下さい。

「さあ、オリセ神殿に参拝しよう」


 自分が半裸で戦った女剣士という噂話を聞かされて、ちょっと落ち込んでいるパーヴォットに祐司が声をかけた。


「はい、くよくよしていてもしかたありませんね」


 パーヴォットは、すぐさま元気よく答えた。


 オリセ神殿は、主神ノーマの化身である罪人を赦す神であるアルテ神を祭神としており、大神官タブリタの墓所である。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 大神官タブリタは、今から四百三十年ほど前に生まれた人物である。 


 リファニアの歴史の中で、燦然とした光芒を放つこの人物の出自は、はっきりしていない。


 父親は、南部の入り口にあたるクバレルド州の郷士であるデザズ・アルデルテらしい。らしいと言うのは、アルデルテが、タブリタに対して、信者証明に父親として自分の名を書くことを許したのは、タブリタが十三歳になってからである。


 当時は、現在ほど信者証明の記載が厳格ではないために、本人の名のみを記載したものも通用していた。


 大神官タブリタは、現在でのフルネームを、ヘファ・タブリタ・ハル・アルデルテ・マシャルトレドラ・ディ・クバレルドというので、デザズ・アルデルテが父親とされるが、当時は、父親名を正式にフルネームに入れるのは、王都のあるホルメニアを中心とした慣行であった。

 リファニアの多くの地域では、「卑称+ファーストネーム+家名+出身地」の形も容認されていた。そして、儀式などで名を呼ぶときの堅い表現として「卑称+ファーストネーム+父親のファーストネーム」が使用されていた。


 そのために、十三歳までの信者証明では、ヘファ・タブリタ・マシャルトレドラ・ディ・クバレルドと記載されていたらしい。


 十三歳の時に、父親の名が信者証明に記され、名乗りも父親の名を入れてのものになったのは、十歳の時からクバレルド州第一の名刹ホルットラス神殿にあずけられて学問を授けられていたことによる。


 ホルットラス神殿で、当時名神官の名が高かったカガザレス神官に、タブリタは見込まれてわずか十三歳ながら神官補を叙位されて、宗教都市マルタンでさらに学ぶことになった。


 これは現在の”宗教”が宗教都市マルタンのマルヌ神殿のみが、神職に叙位する権限を持っているのとは異なり、当時は名刹と呼ばれるような神殿には、神官補と神官に叙任する権限があった。


 タブリタが、十三歳で神官補に叙任されてというのは、極めて異例で名誉なことであるので、あわてて父親を明らかにする必要、もしくは、タブリタの父親という利得が生じたからだと思われる。


 ちなみに、現在のリファニアにおいては、神官の叙位が制度化されているので、二十歳以下で神官補に叙任されることはまずない。


 デザズ・アルデルテが父親らしいというのは、当時からタブリタの父親、そして母親には幾つかの説があったからである。

 一つは、デザズ・アルデルテがやはり父親であるが、嫡子ではなく下女に生ませた子であるという説である。


 体面を気にして嫡子ということにしたかったが、デザズ・アルデルテの奥方が許さなかったので、十三歳まで父親の名を出すことができなかったというワケである。


 常識的な説である。


 タブリタは長子でありながら十三歳まで、今で言うところの認知をされなかった。それに反して、二人の弟については、生まれた時から父親の名がはいった正式名で書かれてる書簡が複数存在する。


 大神官タブリタが、後年クバレルド州のベマセアネという六十二歳の女性の死去にさいして、地元の神官に葬儀を依頼して、かなりの金品を送った記録がある。この女性が、真の母親であるだろうと言われている。


 ”宗教”の見解はこれを支持している。大神官タブリタの母親が名も無き庶民であった方が布教の観点からは都合がいいからである。


 他の説としてはデザズ・アルデルテの父親のヴォベ・キサベルト、すなわちタブリタの祖父が真の父親という説がある。


 キサベルトが自分の子の妻の間につくった子であるという噂は当時からあった。世間体を気にしたデザズ・アルデンテが自分の子として育てたが、心情的に書類で、自分が父親とは認める気になれなかったと言われている。ただ、これを確かめる証拠は残っていない。


 そして、当時の領主マシャデヴァス子爵の落胤という説もまことしやかに一部では信じられている。


 これには、マシャデヴァス子爵が、デザズ・アルデルテの妻と不義の結果でもうけた子であるという説と、マシャデヴァス子爵が、女官との間にもうけた子を、デザズ・アルデルテに託したという説がある。



 出自はともかく、タブリタは、マルタンで二十歳まで神学にいそしんだ。そして、タブリタの時代から二百年以上前に、バシバルニア女王に庇護された大神官ペレルヴォが始めた清貧運動に共鳴していた。


 当時は、神殿領は、神職が自ら耕す範囲にとどめるといった清貧運動がある程度定着していた。宗教都市マルタンでも、清貧運動がすっかり根付いていた。


 これは、宗教都市マルタンの創始者とされるビヨルンスの教えにのとった行為でもあったので反対する者は、宗教都市マルタンには居づらかった。


 ただ、当時は年貢を徴収するような神殿領や、広大な小作地を経営する神殿もまだまだ数多く残っており、”宗教”組織の中でも侮りがたい勢力があった。


 タブリタは、二十二歳の時に、神官として赴任した南部アシアート州のサレワセロ神殿は、かなりの神殿領を有していた。


 当時は、リファニア王権が衰退して、封建制度が進行していたので、サレワセロ神殿は、領主ヴァデドレル伯爵家と結びつきながらも、地域では封建領主のような立場にあった。その神殿領を維持するために、自ら叙任した日本の僧兵や神人のような武装下級神職を抱えていた。


 タブリタは、このサレワレロ神殿で、七年間神官職を勤めた後に、三年間づつ二箇所の領地経営を行う神殿の神官職を歴任した。

 これらの神殿では、タブリタは鳴かず飛ばずであったが、充分な根回しを行って、最後の一年で赴任していた北西部で一番南のバセナス州カロトリトル神殿の経営改革に乗り出した。


 直接、神殿領の経営を神殿が行うことの非効率さを説いて、直接経営している神殿領を永代小作地としたのである。


 タブリタという人物は、根気強く人を説得するという才に長けた人物だった。年長の神殿幹部を説き伏せたのである。


 タブリタは少数の武装神職者を除いて、多くの神殿が叙任した下級聖職者を小作地に移して神殿の人員を大幅に削減した。そして、リファニア王室からカロトリトル神殿の小作地を横領することのないようにという勅令を得た。


 タブリタは、カロトリトル神殿を”清貧運動”派の神殿にすることに成功したが、最も大きな成果はこれらの神殿で得た知見が大きな武器になったことだと言われている。



 タブリタは三十五歳で、宗教都市マルタンのマルヌ神殿の神官職に就く。また、この年にリファニアの常識からは、かなりの高齢であるが、女性神官補であったヴァデロ・カロニナーニと結婚して、男女の子をもうけることになる。


 タブリタは、四十三歳の時に、マルヌ神殿の神官長に任命される。神殿の神官長は、現代ではどのような小規模な神殿であっても、この世から姿を隠している”大神官会議”が決定しているが、当時は、専任の神官長が後継者を決めていた。


 マルヌ神殿は、”宗教”の根幹神殿であるので、四十三歳で神官長に就くのは異例である。

 タブリタがこの職を得たのは、前任の神官長ユアデスドルドが、熱烈な清貧運動の推進者であり、その運動が全神殿に普及するためには、タブリタの鉄の意志と、洞察力が必要であると見切ったからであると言われている。


 当時、宗教都市マルタンのマルヌ神殿神官長をトップに、マルタンの各神殿の神官長で構成された神官長会という合議制の組織があった。


 ただ、この組織は宗教的な見解を検討して、各地の神殿にその見解に従うようにという諮問機関のようなものであった。


 ここでも、タブリタは最初の数年は鳴かず飛ばずであった。


 タブリタが五十歳になった年、神官長会のトップになったタブリタの発議で、宗教会議が開催されることになった。

 大神殿からは神官長か全権委任された神官、小規模神殿については地域の代表的神殿から代表者を呼び寄せて、宗教会議が王都タチで開催された。


 キリスト教ローマカトリックで言えば公会議である。


 宗教会議といいながら、初日には、時の第五十三代リファニア王バナバミルが臨席した。

 また、会議に先立って、地方から王都に上がってきた聖職者は、連日、王都の壮麗なヘルゴラルド神殿、あるいは、馬車で足を延ばしてファラスベム神殿への参拝に招待された。


 地方では、大神殿の聖職者とうぬぼれていても、王都やその周辺の神殿は壮麗さで地方聖職者を圧倒した。

 そして、それらの神殿は、王家が保護することを誓っており、自前の神殿領は自分達で耕作できるほどの広さであることもことあるごとに説かれた。


 また王権が衰退したとはいえ、王都の賑わいや文化水準の高さも心ある聖職者には強い印象を与えた。


 ここで、”宗教”の統一的教義が確認されることとなっており、会議の招集状には討議すべき内容が書かれており、会議までに見解をはっきりさせるようにと書かれていた。


 会議は最初はあたりさわりのない内容で、”宗教”の根幹的な教えである本地垂迹説の確認、どの神がどの神の化身であるかの確認、それも、同定することに異議がない場合に”宗教”の統一的見解とするといった融通のあるものだった。


 親和的な会議は、後半に一気に加熱する。


 ”宗教”の根幹的な存在意義を定める議題が提出されたのだ。


 それによると、神々は、人間の迷い弱さを憐れんで恩寵や助力を与えてくれる。それは、抽象的なものである。

 そのために、何が神の恩寵もしくは助力であるかを理解して人々に神々の真意を伝えるのが聖職者の仕事である。また、聖職者の行う仕事はすべて宗教的な意義があるとされた。


 ここまでは、おおむね誰も反対はない。


 そして、問題は神々の恩寵、助力は信者のためにあり、聖職者はそのために全身全霊で取り組み信者を宗教的な事由以外で使役することを禁じるとあったことである。

 普通に解釈すれば、領地経営の否定である。ただ、神殿の維持のために領地経営を行う事は、広い意味の宗教的な事由という解釈もできるので、領地経営を行っている神殿の聖職者達も特に問題はないと考えていた。


 ところが、会議を主導するタブリタは神官職にある者は、自ら額に汗をして自らの食糧を生産して信者の負担を軽減し、余剰物は神殿維持のために適正な値で販売するか、貧窮した信者に与えること以外の領地経営を明確に禁止すると宣言する。

 

 領地経営を行う神殿からの代表者は一斉に反発する。


 これに対して、タブリタは、現世の統治は、神々がリファニア王に与えた任務であり、領地経営は、リファニア王の仕事であると反論する。


「王の責務は王が行い、聖職者の責務は聖職者が行う」とタブリタは高らかに言い放った。そして、領地、とくに年貢収税を含む統治権をリファニア王に返納することを提案した。


ここで、ホルメニアにあった二つの領地経営を行っていた神殿が、領地返納を願い出る。会議の前からタブリタが根回しをしていたことである。


 このうちの一つが、祐司一行が十二所参りで、最初に訪れたミガボルデ神殿である。ミガボルデ神殿は、自ら経営するという建前で現在でも、農民出身の職務神官補を大勢抱えて広大な耕地を所有してる。


 他の領地経営を行う神殿もミガボルデ神殿の方策をとればよかったのだが、それは後知恵である。


 会議の雰囲気に逆らうことの難しさから、領地経営を行っている神殿の代表者達は、一度、所属神殿に帰って意見を調整したいと願い出る。

 これに対して、タブリタは、現在、王都で行われている宗教会議のみが正統な会議であることを認めることと、他で同様の会議を行わないことを条件にこれを許可した。


 王都の宗教会議は一年間の休会ということになった。


 この休会に先立って、バナバミル王から宗教会議に対して何人も介入してはいけないという勅令が各領主に出た。


 領地経営を行う神殿の代表者は、かつてタブリタが奉職した南部のサレワレロ神殿で善後策を検討することにして、それぞれの所属神殿に帰還する。


 この情報は素早くタブリタが知ることになる。


 サレワレロ神殿で、領地経営を行う神殿の代表者が集まり、会議が開催された時に、間近に千を越える武装した衛士神官と、それを護衛するかのように数千の王に従う領主の軍勢が接近しているとの報告が届く。


 いかなることかと、混乱している代表者達のもとに王都の宗教会議とは、別の宗教会議を開催して、”宗教”の分裂を図ったために、これを正すという書簡がタブリタの著名入りで届いた。


「これは宗教に関する会議ではなく、神殿の経営維持に関する会議である」と、反論をあわてて届けるが、帰ってきた返事は「王都の宗教会議で、確認したように聖職者の企てや、行う事は全て宗教的な意味がある」というものだった。


 ここでやっと神殿経営を行う神殿の代表者達は、自分達がタブリタの筋書き通りに動かされていたことを理解した。


 やがて、サレワレロ神殿に到着した衛士神官達は、領地経営を行う神殿の聖職者達の逮捕を開始する。


 ”宗教”側の書き残した記述は、このあたりを曖昧に書いている。複数の年代記の記述、貴族の書簡などからは領地経営を行う聖職者側が自らも武装した神官を使って抵抗したことで、双方に百人を越える死者が出たらしいことがわかっている。


 タブリタは、根本的な組織改革には、血を見ることは出来るだけ避けても、それを行う覚悟が出来ていた。

 長年、領地経営を行っているような神殿では、聖職者も代々世襲で受け継がれており余程の覚悟のほどを見せなければ改革は達成できないと、タブリタは若い頃の知見で知っていた。


 領地経営を行う神殿は、トップ層を奪われて対策が後手に回るうちに、タブリタ側の衛士神官に乗り込まれて、冠婚葬祭以外の業務が一時停止される。

 衛士神官に続いて、経理担当の神官が到着して、膨大な帳簿を調べ、領地から得た年貢を私利私欲のために使用した聖職者がいないかを調べる。


 タブリタは、領地経営を行う神官なら、領地の農民から便宜を得て、年貢の一部を受け取る慣習が広く行われていることを知っていた。そこをつけば、私利私欲のために、領地経営を行っていたと指摘できる。


 各神殿で、数十から、多い所で百名を越える聖職者が資格剥奪となる。空いたポストには宗教都市マルタンから改革の意欲に燃えた若手の聖職者が送り込まれてきた。


 大神官タブリタが行ったことは、今で言えば粛正である。


 二年ほどで事態が落ち着いてくると、タブリタは、自分達が直営する耕地以外の全ての神殿に属する領地の返納をバナバミル王に願い出る。

 対価は、神殿などの”宗教”の施設を王が尊重して、その安全をリファニア王の命で全土に布告することである。


 威名が全土に轟かなくなったといっても、建前は全ての領主はリファニア王の家臣ということになっており、リファニア王が安全を保障する神殿に手を出すことは反逆と見なされ、近隣の敵対する領主に絶好の攻め込む理由を与えることになる。 


 これらの内容は、五十三代目リファニア王バナバミルと、時の大神官長タブリタとの間に取り交わされた”銀の詔勅”という法あるいはリファニア王と”宗教”の契約書に明記された。


 タブリタの改革はこれにとどまらず、聖職者の叙任は、警護任務の衛士神官や、耕作などを行う職能神官を除いて宗教都市マルタンのマルヌ神殿に一元化した。また、”宗教”の一元的な指導組織である大神官会議の前身を作ったのもタブリタである。


 タブリタによる一連の宗教改革は、タブリタの改革の三百五十年前、大神官パレルヴォが、バシバルニア女王の支援で始めた改革の集大成であり、時代の流れでもあった。


 しかし徹底した改革が行えたのは、大神官タブリタの意志の強さの賜である。


 このタブリタのお陰で、”宗教”はリファニア王室の庇護を受けるという形は取っているが、世俗の力関係に左右されない、目に見えない権威をリファニア全土に張り巡らした。

 また、”信者証明”、”神聖証書”、”神殿為替”といった法務や財務といった実務的な便利さをリファニア全土にもたらして、自らも利益を得ている。


 大神官となったタブリタは、六十二歳で一線を退く。一線を退いて後は、改革の為とは言え犠牲者を出したとして、妻の生まれ故郷に近い王都近郊のオリセ神殿に蟄居した。

 タブリタはオリセ神殿で、一介の神官として妻ヴァデロ・カロニナーニとともに、神学探求と礼拝三昧の生活を送り、齢七十三歳で亡くなった。


 大神官タブリタは、中世段階のリファニアでは、長寿を楽しみ天寿を全うしたと言えるだろう。



挿絵(By みてみん)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



オリセ神殿は、リファニアの基準からすると中規模の神殿で、現代日本で言えば二十教室くらいある小学校の校舎ほどの大きさである。


 神殿は、中に入って参拝する形式ではなく、大きく開かれた観音開きの戸板の開口部から中に安置されている主神ノーマ神の化身である本尊のアルテ神の神像を拝む。


 ちょうど、日本の寺院で本尊を建物の外から拝むような形式であるが、リファニアの神殿では珍しい。


 ちなみにアルテ神は罪人を赦す神である。


 大神官タブリタが、自分が間接的に殺害したり、失脚させた聖職者の罪の赦しを願っていたのか、それとも自分の罪の赦しを願っていたかは不明である。


 本殿と言うべき建物の隣に、田舎の公民館ほどの石造りの建物がある。それが、大神官タブリタの墓所であり、遺骸は建物の地下に埋葬されている。

 建物の一角に開口部があり、そこから、自然石に大神官タブリタの名を彫り込まれた背丈ほどの墓標が見える。


 タブリタの名の上に、”全ての罪人が赦された後に、我が身も赦されんことを”とタブリタが臨終の時に言ったとされる言葉が刻まれている。


「あの大神官タブリタ様の墓標がこれですか」


 パーヴォットが、意外という感じで言う。


 リファニアの庶民階層は、神殿でことあるごとに、神官から今の”宗教”は、大神官タブリタあってこそと言われる。

 また、大神官タブリタの業績やエピソードもしばしば説経で取り上げられるので、大神官タブリタは、リファニアの庶民には聖人にも等しい人物である。


「タブリタの遺言です。一介の神官に似合った墓石にして欲しいという遺言です。タブリタが亡くなった時に存命だった妻のカロニナーニが建立しました。


 その墓石が風雨に晒されるのが、もったいないことだと、今から三百年ほど前に、近在の者達の浄財で墓石を囲う建物が作られたのです。

 この墓石を保護する建物は、それから三回建て直されています。今見ている建物は、七十年ほど前に作られたものです」


 パーヴォットの疑問に関しては、それをいつものように、博学なヘルヴィがすぐに解説してくれた。

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