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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ
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北風と灰色雲6  サンドリネル師匠の代理人 四 -先物取引-

 祐司とパーヴォット、サンドリネル師匠は、シスネロス商館長フロランタンに書いてもらった紹介書を持って、いよいよ今日の最大の相手、本命であるミモラモンス商会を訪れた。


 祐司は御者のサトスコに手紙を持たせて、ミモラモンス商会の建物の前からからバーリフェルト男爵家に使いに出した。


 祐司は、店の番頭に、自分達の氏名身分を告げて、主人のトゥーニセに商談のために面会したいと言った。

 しかし、トゥーニセは、外出中だった。番頭は夜になるまでには戻るというので、祐司はしばらくしたら、再度来ると告げて一旦店を出た。


 祐司が商機と思って、屋敷を出たのが昼をかなり回った時間なので、そろそろ、晩秋から初冬の雰囲気が漂い出した高緯度のリファニアでは、午後四時を回ると太陽が沈む。


「サトスコさんに渡した手紙で、応援が来てくれる為には、ちょうどいい時間稼ぎだ。少し早いが何か腹に入れておくか。なんとなく腹も減った感じがするしな」


 西の地平線間近になった太陽を見て祐司が言った。


「はい」

 

 食べることの話が出るとパーヴォットの声はいきいきとしてくる。


「この近所に、美味しい鳥の蒸し焼きを出す店があります」


 サンドリネル師匠は、そう言うと通りを横断して歩き始めた。祐司とパーヴォットは、あわてて後を追った。


 没落した貴族階級の出とは言え、サンドリネル師匠が誘った店の蒸し鶏料理は、現代の多彩な料理を知っている祐司にも、かなり美味しいと思わせる一品だった。

 数種類のハーブと岩塩で味付けした鶏肉に、大麦の”もろみ”と言っていいトルスカンで作ったソースがかかっており祐司にとっては好みの味だった。


 腹の要求を満足させた祐司達は、再びミモラモンス商会にもどった。今度は主人が在店しているとのことで、手代が店の奥に案内してくれた。


 ゲルブルクの店は薬種問屋と言っても、小売りもしているので、間口の広い店構えだったが、ミモラモンス商会は、完全に問屋に特化しているようで、間口は狭く奥行きの長い店だった。


 祐司達はさらに半刻ほど店の奥の商談部屋でまたされたが、ようやく、主人のベドベ・トゥーニセが出て来た。

 訪れたのが貴族身分のサンドリネル師匠と、王都で評判になっているジャギール・ユウジという名のおかげである。


 ベドベ・トゥーニセは、想像していたより若く三十代前半という感じだった。リファニア人にしては、薄目の茶色の髪の毛、虹彩も薄い茶色で、やや肥満した感じはあったが、祐司より少し背が低く、リファニアでは大柄な部類であるので、堂々たる体格に見えた。


 服装は贅を尽くしたガウンのような上着を着て、右手に三つ、左手に二つ、いずれも大ぶりのルビーとサファイヤが埋め込まれた指輪をしていた。仕事に行っていたと言うよりも、気晴らしに出かけての帰りという感じだった。


 祐司の目から見るとベタな成金趣味である。


 後で聞いた話では、トゥーニセは女を囲っており、どうも女の所から帰ってきたところだったようである。


 ベドベ・トゥーニセは、まず、貴族身分であるサンドリネル師匠に、自己紹介をして丁重な挨拶をした。


「貴方がジャギール・ユウジ殿ですか。お噂通りの大柄な方だ。今回の武勇は聞かせてもらってます。珍しい薬草を手がけているというお噂も聞いています。今日は薬草をお売りですか」


 トゥーニセは、サンドリネル師匠への挨拶が終わると、祐司の方を見て言った。


「いいえ、今日は買い物にきました。チカイ(茶)を売ってください。わたしが買うのではなく、このサンドリネル師匠が購入します。

 サンドリネル師匠は商売には疎いので、薬草を売ることで多少は経験がある、わたしが付き添いできました」


 祐司が、そう言うとトゥーニセは、ちょっとムッとしたような声で言った。


「失礼ですが、ここは問屋です。小樽で一樽単位でしかお売りできませんよ」


「チカイ五樽を売って下さい。小樽ではなく普通の樽です」


 祐司はできるだけにこやかに言った。リファニアの樽は、およそ百二十リットルの容積がある。そこに乾燥させたチカイは五十キロほど入っている。小樽はその十分の一の容量である。


「それは、それは、大量の注文、ありがとうございます。しかし、今年のチカイはまだ入荷していません、一旬か二旬ほどすれば入荷します。その時は、お知らせしますので、お越し下さい」


 トゥーニセは、急に上機嫌になり、祐司の言葉に、トゥーニセは猫なで声で答えた。


「今日、是非にチカイを売って欲しいのです。今日は、その契約をしたくてきました」


 サンドリネル師匠が、切羽詰まったような声で言った。


「チカイ五樽となると御自分でお飲みになる量ではありません。ご商売をするつもりですか」


 トゥーニセは、指を組んで聞いた。


「はい、ご存知かもしれませんが、ここにいらっしゃるサンドリネル師匠は、近々、府内警備隊長を拝命しておりますバーリフェルト男爵に嫁ぐことが決まっております。

 しかし、サンドリネル師匠は、ご両親もすでに亡くなられて、今は、頼れる親類縁者もおりません。そのため、身分にふさわしい持参金が用意できないのです」


 祐司はできるだけ深刻な声で言った。サンドリネル師匠が持参金を用意していないのは本当のことで嘘ではない。


「バーリフェルト男爵は、無用だと言ってくれますが、持参金を納めずに嫁ぐと後々、何を言われるかもわかりません。

 バーリフェルト男爵家は、王都でも格式を尊ぶ家で御座います。嫁いでから針の筵は嫌なのです」


 サンドリネル師匠の、口調は鬼気迫るものがあり、祐司は中々の役者だと思った。


 実際は、サンドリネル師匠が、バーリフェルト男爵家に祐司への報酬金貨三百三十二枚を建て替えていた。金のことで肩身の狭いのはバーリフェルト男爵の方である。


 また、サンドリネル師匠の兄である元ドノバ州ホシルタル子爵の子レタゼ・マフェルタワリーは、オラヴィ王の能吏として活躍した功で、近々、正式に本格的な領地のない宮廷貴族ながら子爵に叙任される手筈で、貴族の序列では、サンドリネル師匠の実家の方が目上になる。


 ただ、それは先の事であり、”今は、頼れる親類縁者がいない”と祐司が言う言葉に嘘はない。


「それでご商売を?」


 トゥーニセは、ちょっと小馬鹿にしたように言った。祐司はトゥーニセは女性蔑視の傾向が強い男のようだった。


「はい、実はわたしも、ジャギール・ユウジ殿も、懇意にしている占い師がチカイを買うべしと占ったのです」


 サンドリネル師匠は、トゥーニセの様子に気がつかなかったかのように、無邪気な様子で言った。


「占い師がね」


 トゥーニセが発する巫術の光が僅かだが濃淡に差が出た。祐司は今までの経験から正の感情だと判断した。うれしがっているような感情である。あるいは嘲っているのかもしれない。


 ともかく、トゥーニセが、サンドリネル師匠の言った占い師の話を信用したことは確かである。


 トゥーニセからすれば、祐司とサンドリネル師匠は、当てにならない占い師の言葉を信じて、大枚をはたくような与しやすい素人中の素人で大馬鹿者である。


 トゥーニセは、サンドリネル師匠と祐司を、世間知らずの貴族階級の女絵描きと、商売に疎く、田舎しか知らない一願巡礼と思っている。

 しかし、サンドリネル師匠は女性でありながら、画商や注文客と丁々発止のやり取りをしている画家であり、祐司は前身は営業マンである。


「売ってくださいますか」


 サンドリネル師匠が懇願するように言った。


「まあ、商売ですから。確かにチカイ五樽を売りましょう」


 トゥーニセが金額を提示する前に、祐司は咳き込んでしゃべり出した。トゥーニセに金額の提示をさせないことが、今回の計略のポイントの一つである。主導権をトゥーニセに渡すワケにはいかないのだ。


「それでは、一ヶ月後に、中等の品質のチカイ五樽を金貨三百八十枚で購入します。ただし、中等で五樽確保できなかった時は、その分を上ないし特上で補ってください。

 それでも五樽を購入できていなくとも、五樽購入したと仮定して代金を支払います。今、手付けで金貨二十枚を出します」


 祐司の言葉に、トゥーニセは困惑した。


「どういうことですか?。購入しないのに代金を払うとは?」


「言葉の通りです。その時のチカイの相場が幾らであっても、中のチカイ五樽を金貨三百八十枚で買います。今は金貨三百八十枚が手元にないので金貨二十枚を手付けで支払います。

 サンドリネル師匠は多少の蓄えがありますが、今はそれを人に貸しています。それが、戻ってくるのが一ヶ月後なのです」


 祐司は、計略が上手く進んでいることに、ほっとしながら言った。


 これから、ソルテン王国からの、新しいチカイを積んだ船が次々に到着するので一月後ともなれば、大概の品なら値下がりする。

 しかし、チカイは裕福な層が求める嗜好品である。そのため、今年一番のチカイについては、その新しいチカイを求める顧客がいるので値段は多少上がる。


 それでも、五樽なら高くても金貨三百枚前後が毎年の相場で、金貨三百八十枚は法外な高値であり損をすると普通の商人なら祐司に忠告しただろう。


 しかし、トゥーニセは、そのことには一言も触れなかった。


「いいでしょう、それで売りましょう。ただ…」


 トゥーニセは、大仰に言った。


「手付け金貨二十枚では不十分ですか」


 祐司は不安な気持ちをできるだけ出しながら聞いた。


「いいえ、貴方のような買い方をする方は、初めてです。一ヶ月先の相場もわからないのに、自分で価格を決めて買うなど聞いたことがありません」


 トゥーニセは、呆れたように言った。祐司はそれを無視して、さらに、もう一つの計略を持ち出した。


「さらに、頼み事があります。今度は、一ヶ月後に、サンドリネル師匠が買ったチカイ五樽を金貨四百五十枚で売ってください」


 祐司の言葉に、今度は、トゥーニセは怒ったような声で返した。


「そんな、値段では売れません。中等の五樽なら、せいぜい、金貨三百枚から高くて金貨三百二十枚です」


 先程は、五樽のチカイを金貨三百八十枚で買うことに対して、そんな高価な額はつかないと一言も言わなかったトゥーニセが、慌てて金貨三百二十枚以下でしか売れないと言うのを、祐司とパーヴォット、そして、サンドリネル師匠は必死で笑いを堪えながら聞いていた。


「それでも、全部売ってください。わたしどもが信頼する占い師は、金貨五百枚以上で売れると言っています。わたしはそれに賭けているのです。

 もし、万が一、一ヶ月後に金貨四百五十枚で売れなかったら、その分の差額をお支払いします」


 ようやく、笑いを飲み込んだサンドリネル師匠は、トゥーニセを非難することなく、先程にも増して懇願するように言った。


「どういうことですか」


 トゥーニセは、少々、混乱しているようだった。それは、トゥーニセの発する巫術の光の具合からも祐司にははっきり見て取れた。


 祐司は今ならトゥーニセは、こちらの言いなりの契約書を書くだろうと思った。


「金貨三百枚でしか売れなかったら差額の金貨百五十枚をこちらから出します。ただし、金貨四百五十枚以上で売れたら貴方の取り分はありません。

 貴方が利益を得ることが出来るのは金貨四百五十枚以下で売れた時です。本来なら幾らで売れても貴方に手数料を払うべきでしょうがこの契約を飲んでいただけますか。


 申し訳ございません。貴方のような大商人にとって自明のことを、偉そうに説明めいたことを言いました。どうか、ご容赦ください」


 祐司は、しっかり最後は頭を下げて言った。


 リファニアでも軽く頭を下げて商談することはあるが、零細な商人でも、日本の営業マンのような頭の下げ方はしない。


 トゥーニセから見れば、祐司の姿は卑屈に見えたはずである。そのような相手に聞き返すことは、プライドの高そうなトゥーニセはしないだろうというのが祐司の計算である。


「そうなりますな」


 祐司の狙い通りに、トゥーニセは祐司を見下すような口調で言った。


「ただし、売る時は、小樽一つ単位で参加自由のセリを行っていただきたい。最低価格はチカイ十樽で金貨四百五十枚、小樽では金貨四枚と銀貨六枚になります」


 祐司は上目遣いで言った。


「セリ?」


 トゥーニセが小首を傾げて聞いた。そこに、サンドリネル師匠が間髪を入れずに話し始めた。トゥーニセに考えるスキを与えないためである。


「申し訳ありませんが、貴方が、金貨二百枚でしか売れなかったと言われれば、わたしにはどうすることもできません。

 貴方は中々の商売上手と、シスネロス商館長フロランタン様から聞かされております。そこで、無い知恵を絞って考えたのです」


「フロランタンがね」


 そう言ったトゥーニセはせせら笑っていた。祐司は、フロランタンを始めシスネロス商人もセリに誘おうとこの時に決めた。


「あ、これを言い忘れてはいけませんでした。もし五樽購入できなくとも五樽分の代金を支払うのですから、五樽に満たない時の販売でも代金は五樽分を支払って下さい。それくらいは飲んでくれますね」


 祐司は、より慌てた様子で言った。トゥーニセに素人がドタバタとしている感じを植え付けるためである。


「ジャギール・ユウジ殿、そうですわね。よく気がついてくれました」


 サンドリネル師匠も、アシストするように言う。トゥーニセから見れば、祐司とサンドリネル師匠は、ささいなことにこだわって大局を見失っている商売の素人である。


「いいでしょう。五樽に足りないチカイしか、天下のミモラモンス商会が入手できなことはありえません。しかし、セリをしても絶対に利益などでません。失礼ですが損金を払えますか」

 

 トゥーニセは、指を組んで尊大な調子で言った。


「わたしは、近々、バーリフェルト男爵妃になるということを言いましたよね」


 サンドリネル師匠が、上目遣いで言った。バーリフェルト男爵妃になることが担保とであると言わんばかりである。


「知っております。ただ、当家は貴族貸しはいたさない方針です」


 トゥーニセが冷たい口調で返した。


 貴族貸しとは、大名貸しと同じような意味の言葉である。貨幣経済が浸透しているリファニアでは、年貢収入を主な財源とする領主階級は慢性的に財政が苦しい。


 その領主に金が商人に金を借りることは多々あるが、返済が滞っても相手が貴族なら訴えることはできない。

 より上級の者、王都やホルメニアではリファニア王に嘆願して貴族に借財を返済するように指導してもらうだけである。


 このため、貴族に金を貸すのは、余程の信頼関係があるか、最初から献金のつもりで出す覚悟がいる。


「それでは、わたしが保証人になります。神聖証書を書きます」


 少し困ったような顔をして祐司が言った。


「ジャギール・ユウジ殿、そこまで貴方に迷惑をかけることはできません」


 サンドリネル師匠は、祐司の手を握りながら言った。サンドリネル師匠の演技は、益々、過激になってきた。

 見ようによっては、サンドリネル師匠は年下の王都で噂になっている勇者とただならぬ関係ともとれる。


「師匠、このような場所で…」


 パーヴォットが、サンドリネル師匠の真意を知ってか知らずか、あわてて止めに入る。それが、益々怪しげな雰囲気を醸し出した。


「さて、貴方が?」


 サンドリネル師匠が祐司の手を離すのを待って、トゥーニセが祐司に言った。


「これを見て下さい」


 祐司は、二枚の羊皮紙を取りだして、トゥーニセに見せた。


「神殿為替の証書です。王都で引き出せる金貨三百枚、マルタンで引き出せる金貨三百枚です。

 マルタンの分も手数料がかかりますが、王都で引き出すことも可能です。この金がありますからご安心下さい。わたしが損金が出れば出します」


 祐司は、シスネロスで得た金の大半を、リファニア特有の為替制度である神殿為替にしていた。神殿為替は絶対安全と言っていいために、神殿為替は最上の担保でもある。

(第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 ドノバ連合候国の曙33 パーヴォットの誤解 上 参照


「よろしい。損金が出た場合は、ジャギール・ユウジ殿が返済をしてくれることを裏書きするなら、この話を受けましょう」


 トゥーニセは半ばほくそ笑みながら言った。


 結局、祐司とトゥーニセは、祐司が言ったような内容の契約書を、急いで呼び寄せた近所の神官に立ち合ってもらって神聖証書にして作った。


 さらに、チカイを売るときに、五樽が揃えられていない時は、その樽がないために、サンドリネル師匠が得られなかった金額をトゥーニセが補償することも書いてあった。


 トゥーニセにすれば、まったく、使用する可能性など皆無の無駄な条項である。トゥーニセは祐司とサンドリネル師匠が思わず笑みをもらしてしまったことさえ、軽蔑したような目で見ていた。


 その時、部屋に番頭が入ってきてトゥーニセに耳打ちをした。トゥーニセは「通せ」と短く言った。


「遅くなりました」


 そう言って部屋に入ってきたのは、バーリフェルト男爵家と祐司の連絡係兼世話役とも言えるアッカナンだった。


「アッカナン様」


 パーヴォットが、嬉しそうに言った。


 アッカナンに続いて、王都の役人がよく来ているゆったりした膝ほどまでの長さの上着を着た三十代半ばほどの男が入ってきた。


 祐司が御者のサトスコに託した、アッカナンに宛てた手紙には、王都の役人、できればチカイの取引に関して何らかの権限のある役人を連れてミモラモンス商会に来て欲しいと書いてあった。



「この方は?」


 サンドリネル師匠が、アッカナンに聞いた。


「王宮で、舶来品の特許状に関する仕事をしている特許差配のお役人です。バンガ・オホトリク様と言いまして、家令のレクセンテリア様の娘婿にあたります」


 アッカナンが、そう紹介すると、バンガ・オホトリクは、トゥーニセから見て左手の席に自ら座った。


 祐司がアッカナンに書いた手紙には、適当な役人の知り合いがいなかったり、時間的に同行してもらうことが無理ならば出来るだけ早く、府内警備隊の隊員でもあるアッカナン一人でもいいので来て欲しいと書いてはあった。


 しかし、アッカナンが連れてきた男は、これ以上ないという適役である。王都の役人の世界は案外狭い。顔が広い者なら、知り合いの知り合い程度での範囲で全ての役人がおさまる範囲である。


 また、リファニアの上層階級では、持参金を出した岳父の立場は強い。岳父に頼まれれば、ちょっとしたこと程度のことを娘婿が断るのは難しい。


「トゥーニセ、久しぶりだな」


 オホトリクが声をかけると、トゥーニセは、先程までの尊大な姿から卑屈な姿に手の平を返すようにかわった。


「これはこれは、バンガ・オホトリク様」


 揉み手をせんばかりのトゥーニセに、オホトリクが言う。


「今日は、特許商人の仕事の一部を見学したい。いいか」


「あ、はい。どうぞ、今、チカイの契約をしておりましたところです」


 愛想良く言うトゥーニセが発する巫術の光は、明らかに嫌がっていることを祐司は見抜いた。そして、バンガ・オホトリクに同席してもらったことは正解だったと感じた。

 祐司は、薬種問屋の主人ゲルブレクの忠告を聞いて、トゥーニセが契約を反故に出来ないように外部のチカイの取引に権限のある役人を捲き込んだのだ。


 さらに、祐司は念を入れて、その契約の履行保証のために、一樽について銀貨一枚を追加して支払った。


 これで、契約書は収入印紙を貼ったような状態になった。


 金貨百枚を超える契約の中では、微々たる金額である。ただ、保証金を相手が出した取引を反故にしたとなると、まっとうな商売人とは見られない。ましてや、舶来品の特許に関する権限のある役人が、契約の証人である。


 サンドリネル師匠や祐司がお恐れながらと訴えるまでもなく、まず、特許商人としての資格は取り消しになるだろう。


 舶来品を一手に扱える特許は、そうそう簡単に出るものではない。反対に不首尾なことをすれば容易く特許は取り消される。


 トゥーニセのミモラモンス商会がチカイを特許商品として扱えるのも、亡くなったトゥーニセの父親が海の物とも山の物ともつかなかったチカイを、損を覚悟で一括して買い取って、販路を広げていったことが評価されて特許状を得ることが出来たからである。


 今やミモラモンスの看板商品、需要が増えて、これから多大な利益を上げることが予想されるチカイを交易商人から、仕入れることのできる特許状を、トゥーニセは、店を傾けてでも守ろうとするだろうと祐司は考えていた。



「一月後が楽しみです」


 店を出ると、サンドリネル師匠が祐司ににこやかな顔で言った。


 リファニアには、しっかりした先物取引の概念がいまだにない。先買いという概念はあるが、これは、一定量を、その時の相場で必ず買うという約束である。


 祐司は、リファニア最初の先物取引を、イェルハルド艦長からの情報を元にして行った。イェルハルド艦長からの情報で、一ヶ月後の時点で、入荷するチカイが十樽であることがわかっている。


 これをミモラモンス商会が独占して入手すれば、サンドリネル師匠との契約は履行できる。ところが、一つの特許商人に品物を独占させないために、一つの業者が入手出来る特許商品は、入荷量の最大三分の二に制限されている。


 すなわち、三分の二以下にするには六樽しか入手できない。ミモラモンス商会にも義理でも売らなければならないお得意がいるに違いない。すなわちサンドリネル師匠に売れる五樽を引けば残りは一樽である。

 また、祐司が頼んで、シスネロス商館長フロランタンがチカイ五樽をミモラモンス商会から、金貨四百枚で必ず購入するという商談を、明日にでも持ちかける手筈になっている。


 祐司は細かなことは言わなかったが、フロランタンのことであるから入手できなかった時の違約金などはしっかり契約に盛り込むだろう。


 六樽のチカイで、サンドリネル師匠とシスネロス商館のチカイ十樽の注文を、トゥーニセがどう捌くか見物だと思うと、祐司とサンドリネル師匠は、ミモラモンス商会を出る時に思わず笑みがこぼれた。


 リファニア最初の先物取引は、最初のインサイダー取引でもあった。



「さあ、今日は夕飯もすませたし、後は帰ってゲルブレクさんの店で買った特上のチカイを味わうだけだな」


 祐司は、後日、世話になったバンガ・オホトリクを娼舘である”花ウサギ亭”に誘って接待をする算段だった。

 賄賂に関しては、かなり重い罪科が問われる王都でも、役人を接待することは商習慣として容認されている。


 ただし、接待された役人はそれを、上層部に報告しなければ賄賂と見なされる。このあたりが千年以上の歴史を持つ王都の腐敗防止に対する経験上の対策である。


 また、接待で”花ウサギ亭”に行くとなると、パーヴォットに対する、やましさが多少軽減するという祐司の思惑もあった。


「バンガ・オホトリク様、今日のお礼はご都合の良いときにしたいと思います。いつでも、いいのでご連絡下さい」


 祐司はバンガ・オホトリクに頭を下げながら言った。そして、顔を上げると、パーヴォットに気がつかれないように、アッカナンにウインクをした。


「わたしも同行していいですか」


 アッカナンもすぐに気がついて、祐司に思惑ありげな口調で言った。祐司は小声で「はい、こちらから頼んでも同行してもらうつもりでした」と返事をする。


「ユウジ様、拙いです。エリエルさんに、今日の夕食はいらないって伝えていません」


 パーヴォットが突然叫ぶように言った。


 女中のエリエルからは、食事がいらない時は、仕入れの都合もあるので朝のうちに言っておくように言われている。

(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都に舞う木の葉4 王都で観劇 参照)


 祐司は主人であるので、「すまなかった」と一言言えばすむのだが、使用人を使い慣れていない祐司とパーヴォットはどうしても押し通せない。


「それは拙いな」


 祐司はそう言いながら考え込んだ。そして、アッカナンとバンガ・オホトリクにまるで、最初からそのつもりだったように声をかけた。


「バンガ・オホトリク様、アッカナン様、今日はありがとうございます。とりあえず、遅くなりましたので御夕食を屋敷の方で召し上がっていただけますか」


 祐司の言葉を聞いたサンドリネル師匠が貴族の女性らしい上品な声で笑った。



挿絵(By みてみん)

 元々はサンドリネル師匠はただの絵の師匠で、一回ほどしか出てくる予定ではなかったのですが、かなり、重要な人物に成長してしまいました。

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