オラヴィ王八年の政変9 レハンドリアの葛藤 上
「告発人の発言は、今回の査問会と、どのような関係があるのかわかりません。ボリナロッド査問官、告発者ジャギール・ユウジの発言を止めさせていただきたい」
告発者である祐司によって、侍女頭レハンドリアの立場が、何気に悪くなっていることを察して、代弁人のヴェントゥーラは、ボリナロッド査問官に異議を申し立てた。
「証人が来るまでは、告発者の発言を許している。それとも、代弁人の証人が来る前に、結論を出すか」
ボリナロッド査問官は、素っ気ない調子で言った。そう言われると、代弁人のヴェントゥーラは、ボリナロッド査問官に従うしかない。
「そういうことなら」
代弁人のヴェントゥーラは、渋々、引き下がった。
祐司は、ここで、とっておきの証人を呼び出すことにした。
「ここで、こちらの証人を呼びたいと思います」
「代弁人は異議はあるか」
ボリナロッド査問官は、代弁人のヴェントゥーラに問うた。
「いや、…異議はありません。ただ、こちらの証人が、到着したら、即座に証言させてください」
代弁人のヴェントゥーラは、祐司が頭を下げて、微笑んだことから、交換条件を相手が飲んだと思って引き下がった。
「マジャーネ・カスペルトさんと、お子さんを連れてきてください」
祐司が、そう言うと、レハンドリアは体が動くほどの反応をした。バーリフェルト家の家臣が、謁見室から出て行き、二人の男を連れてもどってきた。
一人は、五十ほどの年配の男で、すっかり白髪になり、痩せていた。もう一人は、二十歳ほどの男で、すぐに親子だとわかるほどに似ていた。
二人は、職人風の服装で、貧しげな感じがした。何より二人とも、ひどく怯えているのが、謁見室にいる誰もが感じた。
「この人を知っていますか」
祐司は、侍女頭セラヴォ・レハンドリアに近づいて聞いた。レハンドリアは困惑の表情を見せるばかりで、一言も発しなかった。
「この人は、あなたの御亭主のマジャーネ・カスペルトさんです。もし貴女が否定するならこの男を虚偽を申し立てた罪で告発します。その息子も同罪です。そうであれば、信者証明も偽造していることになります」
祐司は、マジャーネ・カスペルトの肩を右手で握りながら言った。レハンドリアは、頭を下げて黙っていた。
「貴女は、また、お二人を捨てるんですね。何の為にですか」
祐司は、少しきつい口調で言った。レハンドリアは、それでも頭を上げない。
「マジャーネ・カスペルトさん。貴方は精一杯の勇気を出してここにこられた。自分と、愛しい我が子を、自分の目的のために捨てた妻を救うためにだ。
でも、セラヴォ・レハンドリアさんは、昔とかわっていません。バーリフェルト男爵家で、侍女頭を続けることで頭が一杯のようだ」
祐司は、しだいに声のトーンを下げた。謁見室の誰もが二人の男と、何も言わないレハンドリアに注視していた。
「あの人の幸せは、自分が侍女頭にいることのようです。ここまでです。お帰りになってください。なにしろ、貴方が何者かも言いたくないようです。
何故、あなたが、このような身なりなのか、お子さんが幸せに人並みに暮らしているかも興味ないようです」
祐司は、涙を拭う仕草をした。パーヴォットは、胸が熱くなってきた、すすり泣き始めた。謁見室にいる何人かの女性もすすり泣き始めた。
尚武の気質が尊ばれ、人情話が好きな人間の多い、中世世界のリファニアでは、目の前で起こっていることは、涙を流すに値する事象である。
「残念ですが、貴方方が、陰ながら十数年、セラヴォ・レハンドリア様のことを、案じるが故に、人並みの生活をすることなく暮らしてきたのは無駄でした。その話も聞く気はないのか。
それとも、貴方方に対する仕打ちを、自らの策略で行ったのかは、わかりません。前者なら感情のない土人形のような女です。後者なら、関わり合いになるべきではない希代の悪女です。どちらにしても、あのような女のことは忘れて、ご自分達の幸せを探してください」
祐司は、時々、涙を拭く仕草を入れながら感情のこもった声で、マジャーネ・カスペルトと、その子に話かけた。
パーヴォットは、サネルマが泣いていることに気がついた。上手く演じてはいるが、パーヴォットの目からは本心からの涙でないことがわかった。すると、パーヴォットは、目の前の出来事が全て策略だと、唐突に悟った。
サネルマが、三日前に変装して、祐司の屋敷を訪れてから、丸々、今日まで、サネルマと、その母親で、パーヴォットの絵の師匠でもあるフェベヴォ・サンドリネルが、部屋に籠もって、祐司と話し込んでいたことの一つだと、パーヴォットは、本能的にわかった。
「母は、子は里子に出した。幸せに暮らしているから安心しろと」
レハンドリアが、小さな声で言った。
「そうお母さんが、言ったのですか」
祐司の問いに、レハンドリアは頷いた。祐司は、机の上にある折れたレハンドリアの守り刀をさわった。”母親は信用できない”という表現である。
「その男は、レハンドリアを弄んで捨てた男だ。ここから、追いだして、きっと制裁を与える」
突然、男爵妃パナテナ・マリュニア・レマンティーヌが立ち上がってわめくように言った。
「ここにおりますのは、マジャーネ・カスペルトに間違い御座いません。若者は、我が子、ジャネリ・リストフェルで御座います。幼い時の面影が御座います。一時も、ジャネリ・リストフェルを忘れたことなどありません」
セラヴォ・レハンドリアが、我慢しきれなくなったように言った。そして、バーリフェルト男爵に向かって懇願した。
「大殿様、わたしは、弄ばれてはおりません。二人が、金に困っているのなら、なんとかします。
大殿が侍女を辞めろと言われれば辞めます。どうか、お引き裂きにならないでください。ましてや、処罰など望んでいません」
「離婚している。赤の他人だ。今の侍女頭セラヴォ・レハンドリアには関係のない男と子だ」
代弁人のヴェントゥーラが、怒鳴った。
「はい、リファニアの法では、五年間、失踪していれば離婚です。しかし、王領での法は一方で、神殿との取り決めで、不当な事由により連絡がつかなかったと証明されれば、男性は離婚取り消しを申請できます」
祐司は、そう言って間を置いた。
「そして、その申請は三日前に、ヘルゴラルド神殿に申請され仮受理されました」
祐司の言葉で、謁見室がざわめく。どのような事情かはわからないが、王都第一の神殿であるヘルゴラルド神殿が、婚姻関係の継続を、仮受理したということの意味合いは大きい。
「今までどこに、いたのですか」
レハンドリアが、ちょっと非難めいた口調で、マジャーネ・カスペルトに聞いた。
「王都にいた。十六年、王都から出たことはない。十六年、ずっと会いたかったが、かなわなかった」
マジャーネ・カスペルトは、目に涙を浮かべながら答えた。
「マジャーネ・カスペルトさんと、息子のジャネリ・リストフェルさんは、命の危険にさらされています」
祐司は、ボリナロッド査問官に言った。
「それは、どういうことか」
「侍女頭セラヴォ・レハンドリアの母親マジダ・リーセルネリルが、娘に会ったりすればランバリル子爵家が黙っていないと脅かしたからです」
ボリナロッド査問官の問いかけに、パーヴォットの目から見ても、祐司はワザと、代弁人のヴェントゥーラの方を見て言った。
「今、ランバリル子爵の名を出したが、ただでは、すまさぬぞ」
代弁人のヴェントゥーラが、立ち上がって大声で祐司を威嚇した。
「この手紙を見て下さい」
祐司は、代弁人のヴェントゥーラの言葉を、馬耳東風とばかりに聞き流すと、アッカナンが革の書状入れから出した羊皮紙を、ボリナロッド査問官に渡した。
「これは?」
ボリナロッド査問官は、手紙を読みながら祐司に聞いた。
「侍女頭セラヴォ・レハンドリア様のお母さんの友人である、元ランバリル子爵家侍女ヘルバゼ・レハンドリアが、ランバリル子爵家の、当時、家臣であったバブロ・ミルカレロから受け取った手紙です。
今、バブロ・ミルカレロは、とある罪で、府内警備隊に拘留されています。この手紙は、バブロ・ミルカレロの荷物の中から出て来ました。
内容が内容ですので、府内警備隊本部の許可を得てお借りしてきました。写しを読んでいいでしょうか」
祐司の問いに、ボリナロッド査問官は大きく頷いた。
「この手紙は、十六年前に書かれています。文頭に、テネサネル王十八年五月三日という日付があります。それでは、読みます。
”先日の依頼の件は、大殿のお耳にも入れた。当家の侍女は、当家がその安全を保障するとおっしゃられた。
当家の侍女に、つきまとい、あまつさえ害を与えようとするマジャーネ・カスペルトは、当家が武威を見せて追い払う。マジダ・リーセルネリルの意に反して、その娘セラヴォ・レハンドリアに会おうとする者は、当家が成敗すると、マジャーネ・カスペルトに伝えよ。
また、この手紙をマジャーネ・カスペルト本人に見せ、おのれの命を、惜しむように伝えよ”
著名は、元ランバリル子爵家家臣バブロ・ミルカレロです。また、手紙に出てくる大殿とは、十六年前ですから、現子爵様のことになります。
ボリナロッド査問官、封筒をご覧下さい。ランバリル子爵家の紋章の透かしが入っています。また、刻印の蝋もランバリル子爵家の紋章です。ご確認ください」
ボリナロッド査問官は、祐司の言うように、羊皮紙の透かしと、刻印の蝋を確かめた。羊皮紙は、金属で削ることで簡単に透かしを入れることができる。
「確かに、ランバリル子爵の封印のように見える」
「ボリナロッド査問官、わたしにも確認させて欲しい」
代弁人のヴェントゥーラは、ちょっとぞんざいな言い方で言った。ランバリル子爵のことを持ち出されて心穏やかではないようだった。
「府内警備隊の証拠をお借りしてきました」
祐司は、大切な証拠の品であることを、ボリナロッド査問官に伝えた。
「代弁人のヴェントゥーラ、ここに来て証拠の品に、触れずに見なさい」
ボリナロッド査問官は、手紙と封筒を書記に渡した。書記は、近くまでやってきた代弁人のヴェントゥーラに、その手紙と封筒をかざして見せた。
「これは、出入りの商人などに、物品を発注するような、日常のやりとりに使う簡易な紋章だ。ちょっとした役職についている者なら誰でも使える」
代弁人のヴェントゥーラは、しばらく、手紙と封筒を眺めてから、少し前のめりになって言った。
「ランバリル子爵家のものだということは、お認めになるのですね」
祐司が揚げ足を取るように言った。
「まあ、それはそうだが」
代弁人のヴェントゥーラは、不承不承、肯定した。
「マジャーネ・カスペルトさんは、庶民です。ランバリル子爵家にも、品物を納品したことがあり、紋章からランバリル子爵家が、自分を害しようとすると確信したのです。正式な紋章よりマジャーネ・カスペルトさんには、馴染みのある紋章です。
貴族に、狙われている庶民の気持ちや、立場がおわかりですか。相手は法を越えた存在です。生死与奪の権限がある雲上人です」
祐司は、謁見室の中にいる人間を説得するように言った。そして、反応を見るために言葉を句切った。
そして、今度は、レハンドリアに向かって、しゃべり始めた。
「この手紙によって、マジャーネ・カスペルトさんは、震え上がりました。それ以来、マジャーネ・カスペルトさんは、ランバリル子爵家の者に見つからないよう潜んで暮らすしかなかった。
何故、そのような危険を承知している御亭主と息子さんが来たと思いますか。それも、貴女が捨てた御亭主と息子さんだ。
貴女が息子さんを捨てたのはまだ、五つの時だ。息子さんは貴女の服の裾を引っ張って泣いてすがったそうですね」 注:リファニアは数え年なので五歳は満年齢四歳
祐司の最後の言葉に、聞きたくないかのようにレハンドリアは頭を下げた。
「何故、ここに来たのか言ってもらえますか」
祐司は、レハンドリアの亭主マジャーネ・カスペルトに聞いた。
「レハンドリアが、たいそうな難儀にあっていると聞きました。また、命の危険もあると聞きました。
それを、レハンドリアに避けさせるには、本当のことを、レハンドリアに伝えて欲しいと頼まれました」
マジャーネ・カスペルトは、謁見室にあふれかえった人間の視線に、押しつぶされないように精一杯の言葉で言った。
「誰に頼まれましたか」
祐司の質問に、マジャーネ・カスペルトはちょっと驚いたように答えた。
「ジャギール・ユウジ殿、貴方にです」
祐司は、その答に微笑みで返した。そして、謁見室の人間に、訴えるように語り出した。
「さて、侍女頭セラヴォ・レハンドリアさんが、ご亭主のマジャーネ・カスペルトさんと別れ、幼い息子のジャネリ・リストフェルを、手放した理由を明らかにしたいと思います」
祐司は、レハンドリアにたずねる。
「それでは、セラヴォ・レハンドリア様、貴女がご主人と別れて、子を捨てた理由とは何ですか」
「わからないので御座います。気がつけば主人を、罵倒していました。子も煩わしいと突き放しました。
いつも、主人は悲しそうな顔をしていました。息子のジャネリ・リストフェルもです。それでも、わたしは、二人を省みることなく母の家に入り浸りでした。何故、そんな態度を、取ったのか今は、わからないので御座います。
主人には、何の落ち度もありません。わたしの、我が儘なので御座います」
レハンドリアは、すっかり祐司のペースに、引き込まれて検察官に尋問される被告のような口調になった。
パーヴォットは、祐司に一束になった樹皮紙を渡した。
「これは、当時、貴方達が住んでいたご近所の方の証言を集めたものと、貴女のお父さんバール・ドレアスさんの証言です。
ジャネリ・リストフェルさんが生まれて、乳離れをする頃までは、貴女方は仲睦まじく暮らしていました。
そのころから、貴女のお母さんマジダ・リーセルネリルさんが、足繁く、貴女方の家に来るようになった。お母さんは、貴女方の結婚には反対していたのではないのですか」
祐司の質問に、レハンドリアは、ゆっくりと思い出すかのようにしゃべり出した。
「はい、父の許しで結婚してからは、母とは疎遠になっていました。でも、子供ができると、母は喜んで色々手伝いをしにきてくれるようになりました。
きっと、その頃からです。段々と、主人との生活が味気なく、また、物足りないように思われてきたので御座います。今から思えば、本当は、何の不満もありませんでした。
きっと、自分が欲どおしい人間だったので御座います。侍女として、認められるほどの自分が、このような生活を送っていいのかと」
「貴女の言う通り、その頃の貴女は、近所の人によくそういった愚痴を言っていました。貴族の家でも務まる、自分がいかに優秀な人間かを吹聴していたそうです。
面と向かって貴女には、誰も何も言いませんでしたが、嫌われ者だったことは、多くの人が証言しています。
職人として、評判がよく、人一倍の稼ぎがあり、貴女を大切にしてくれる御亭主であるマジャーネ・カスペルトさんの悪口を言う性悪女だと言われていました」
祐司の言うことに、レハンドリアは反論せずに答えた。
「そうでしょうね。今ならわかります。きっと嫌な女だったでしょう」
「どうして、そうなったのですか」
「よくわかりません」
「これも、何人もの人が証言していますが、お母さんと貴女が二人になると、お母さんは、遠回しに貴女の御亭主マジャーネ・カスペルトさんを貶めるようなことを言っていました。
例えば、侍女を続けていれば、生活に疲れた顔をすることもなく、今の服より数等上等な服を着て、多くの人間の尊敬を集められただろうが、それをフイにしてでも、いっしょになる価値のある男かね、というような物言いを、お母さんは、していませんでしたか?」
「そう言えばそうかも知れません」
「”ジャコラとババヘルナセ”の話は知っていますか」
「はい、有名な芝居で御座いますから」
レハンドリアは、最初は怪訝な声で言ったが、すぐに祐司の言いたいことを理解したのか、大きく目を見開いた。
”ジャコラとバヘルナセーナ”とは、割合知られたリファニアの芝居で、シェークスピアの”オセロ”と同工異曲な話である。
ジャコラとバヘルナセーナという、人も羨む高貴な家柄同士の出である恋人が、ちょっとした行き違いや、二人の仲を羨むバヘルナセーナの幼馴染みであるヴェファスニナの讒言で、次第に不信感をつのらせて、それぞれが、相手の浮気相手と思った男女を害してしまう。
ジャコラとババヘルナセは、ようやく、お互いが誤解と、虚構の讒言に踊らされていたことを悟るが、官憲に追い詰められた。
そこで、ジャコラとババヘルナセは、名誉を守り、二人が引き裂かれることを阻止するために心中するという話である。
祐司が、”ジャコラとババヘルナセ”の話を、持ち出して来たことで、マジャーネ・カスペルトとセラヴォ・レハンドリアを、ジャコラとババヘルナセに例え、レハンドリアの母親マジダ・リーセルネリルを、邪なヴェファスニナに例えていることは、誰にでもわかる。
祐司は、レハンドリアが何を示唆されたのか理解したことを見極めると話を続けた。
「貴女のお母さんマジダ・リーセルネリルは、頭のいい人です。そして、幼い頃から、自分が叶えられなかった夢を実現させるために、貴女を操り人形のようにあつかった。
その貴女を自分の思い通りに再びするために、貴女自身の弱みを突いてきました。セラヴォ・レハンドリアさん、あなたは、誰がどう言おうと、自分が、人並み以上の器量で、仕事のできる人間だと自分で思っていました。
そこを、あなたのお母さんは、言葉巧みに、マジャーネ・カスペルトさんとの仲を徐々に引き裂いていったのではないでしょうか?
貴女のお父さんバール・ドレアスが、認めた結婚だ。貴女のお父さんは、裕福な商人だった。
その人の目から見て、マジャーネ・カスペルトさんは腕のいい職人で、いずれ大勢の弟子や徒弟を使うような才能を持っていた。
だからこそ、お父さんは、貴女との結婚を許して、貴女の幸せを願った。それを、貴女のお母さんは、引き裂いた。
貴女は、今でも独り身ですよね。幸せですか。何故、お母さんは、貴女に女の幸せが訪れることを願わなかったのですか。
貴女のお母さんは、この世の、そうあって欲しいと願われる母親像とは、まるっきり正反対の母親だ」
祐司は、今、自分が話している内容が、証人や、他の状況証拠からあたらずとも遠からずと確信している。
ただ、ひたすら母親のマジダ・リーセルネリルを信頼し、その操り人形のように生きてきたセラヴォ・レハンドリアにすれば、自分の母親の実像を、受け容れることは、今までの自分の半生を否定することに繋がりかねない。
セラヴォ・レハンドリアは、黙り込んでしまった。
その母親の実相を受け容れ、セラヴォ・レハンドリアに、自分達が望む言動をさせるためには、祐司は更に、揺さぶりがいると判断した。
祐司が、サネルマとその実母フェベヴォ・サンドリネルと、査問会の打ち合わせを行う時に、祐司がメモで書いていたフローチャートを、サネルマが目敏く見つけた。
頭の回転の早い母娘であるサネルマとフェベヴォ・サンドリネルは、フローチャートの意味を即座に理解して、詳細な査問会での手順を決めた。
祐司は、その手順に従い次の行動に移った。セラヴォ・レハンドリアへの一層の揺さぶりである。
今までの話では、セラヴォ・レハンドリアは、悪辣な母親に、操られていた、ある意味での被害者であり、同情すべき人間である。祐司が救いの手を差しだしたといってもいい。
セラヴォ・レハンドリアが、その手をしっかり握ってこなかったので、祐司は、反対に、溺れかけている犬を棒で打つことにした。
「また、黙りですか」
祐司は、感情を抑えた声で、レハンドリアに声をかけた。
「では、もう一つの可能性を話しましょう。貴女は、一時、初めての恋にのぼせ上がりました。
しかし、相手は、多少は教養があるといっても、指物職人だ。よくよく考えると、あんなに苦労して侍女になるために、努力してきたことは、この先は、まったくの無駄になってしまう。
職人のおかみさんの、付き合いをしてみると、無知で無学な女ばかりだ。そのうち、ご主人のマジャーネ・カスペルトさんや、子供のジャネリ・リストフェルさんまでもが、疎ましい存在に思えてきた。
そして、再び侍女として、華やかに暮らしてみたいと思うようになった。自分には、その才能があり、それを埋もれさすのは我慢できなかった。
そこで、お母さんに相談して、なんとか別れる方法は、ないだろうかと相談するようになった。
お母さんは、子までもうけた以上はと、それに反対していたが、貴女は、ご自分の欲望を満たすために、御亭主を石持て追い、幼い子を捨てた。
後で、詳しい話をしますが、貴方は、マジャーネ・カスペルトさんと、お子さんのジャネリ・リストフェルさんにさらに恐ろしい仕打ちをします」
「さらに、恐ろしい仕打ちってなんですか」
レハンドリアが、驚いた様な声で聞くが、祐司は、それを無視して話を続けた。
「話はかわりますが、貴女はお母さんが、死んでから一度も泣いていない」
レハンドリアが、弱々しく首を左右に振った。祐司はレハンドリアに近づいて、この動きが謁見室の全ての人間ではないが、できるだけ大勢の人間からは見えないようにした。
特に、セラヴォ・レハンドリアの庇護者とも言えいる男爵妃パナテナ・マリュニア・レマンティーヌからは見えないようにした。
「嘘です。お母さんの死体を発見した時も、冷静に医者を、大家に呼ばして、死んだことがわかると、近くの神殿に話をつけて事務的にことを進めた。
流石に遣り手の、侍女頭だけあって実に手際がいいです。
そして、葬儀の時も、表情を一つかえずにいた。これは、大勢の人が見ています。母一人、子一人の家族です。何故、悲しくないのですか」
祐司は、レハンドリアが母親の死体を見つけた時に、泣くことなく寄り添っていたというインジフの話をどこかで使えないかと考えていた。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ オラヴィ王八年の政変1 死をもって事が始まる 参照)
そこで、思い出したのが、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュ(1913-1960)の「異邦人」である。
「今日、ママンが死んだ」という有名な一句から始まる小説である。アルジェリアで暮らす主人公は、ふとした切っ掛けで、アラブ人を射殺する。
その裁判の過程で、母親の死に対して、泣かなかったことと、普段通りの日常生活を送っていたことから、人間性の欠如した人間であるとされ、死刑の判決を受ける。
現代社会なら、理解される行動も、中世社会のリファニアでは不可思議な行動になる。人間は親や配偶者が死んだ時は、人前で泣くものであるという常識が、支配している社会である。
その常識外の行動をする人間は、他の人間とは大きく感性が異なるか、「異邦人」の主人公のように、人間性の欠如した者だと思われる。
「貴女は、順調にバーリフェルト男爵家の侍女頭になった。でも、それで満足することはなかった」
祐司は、レハンドリアに反論の余地を与えずに言い切った。




