霧雨の特許都市ヘルトナ1 初めての街 上
わかりにくいですが、いよいよヒロインの登場です。
祐司はアヒレス村からヘルトナまでは馬と共に一日をかけて歩いた。アヒレス村とヘルトナの間は、長く歩いても息が切れない程度の上り坂、気を付ければ足を取られることのない程度の下り坂が幾重にも続くぬかるんだ道だった。
丘陵が続くのはキリオキス山脈と南東山脈に挟まれたクルト盆地の中でも、北クルトと言われるクルト盆地北部の特徴である。
ヨスタは荷があるため、途中の集落で一夜の宿をとると言っていた。祐司はできるだけ急いだが、それでも、朝早くアヒレス村をたった祐司がヘルトナの市壁の前に着いたときは日が大きく西に傾いていた。
スヴェアやアヒレス村でヨスタから聞いた話ではヘルトナは、もともとは銀の鉱山街として発展した街である。
往年の産出には及びもつかないが現在でも幾つかの銀鉱山が街の周辺にあり、北クルト伯爵家のみに銀を売ることができるという契約で何人かの商人が鉱山を経営している。
祐司の基準からすれば小さなヘルトナの街だが現在はクルト盆地の北辺で盛んな羊毛や毛皮の集散地として重要だという。鉱山が盛んな時代に出来た道がヘルトナの半恒久的な経済基盤となったのだ。
またヘロタイニア(史実のヨーロッパ)人勢力が地歩を築いている南東海岸からヘロタイニア人の侵入を阻止する拠点都市であり、リファニア北東部沿岸から細々とではあるが祐司が歩いた”迷いの森”を迂回する脇街道を通過して干し魚といった海産物が内陸に運ばれるときはかならず通る街である。
ヘルトナは北クルト伯爵にも伯爵領の住民にとっても重要な街であるために、北クルト伯爵家の直属の守備隊が常駐しているのである。
祐司は市門で、グネリとヨスタのくれた紹介状を門番に見せた。原則として日没までは余程怪しくなければ街に入れてくれるが紹介状があれば荷をあらためられることもない。
祐司は念のために、門番に渡す酒手を用意していたが必要はなかった。
祐司と同じ時に市門に着いた行商人らしい男は、荷をあらいざらい確かめられながら、先に街に入っていく祐司を羨ましそうに見ていた。
祐司はさっそくヨスタの店を訪ねた。
街といっても一辺が一キロにも満たないような狭い場所である。街の真ん中に数メートルほどの通りがあり、これがメインストリートであとは、路地裏程度の道がごちゃごちゃに入りくんでいた。
祐司は人に聞きながら、ヨスタの店にたどり着いた。ヘルトナの街ではヨスタは上の下程度の商人で、市政に関する諮問機関とヘルトナ内での民事裁判を担当する市参議会のメンバー候補でもある。
その、そこそこの有力商人であるヨスタの店でも、三メートルほどの幅の道に面した間口が日本流に言えば四間(7.2m)ほどの二階建てである。ただ奥行きはかなりあり、表からのぞいても奥まで見通せなかった。
祐司は京都の町屋みたいだなと思った。
後から聞くと四十メートル以上ほども奥行きがあるそうだ。一階は店舗と大半は倉庫が占めており、二階は一部が倉庫で、ヨスタ家の家族と住み込みの従業員が居住していた。
祐司が忙しそうに荷を運んでいる従業員に声をかけかねていると、従業員達に指示を出していたヨスタの息子が気がついた。息子はすぐにヨスタを呼んでくれた。
「ナチャーレ・グネリがなかなか手放してくれなかったのでしょう」
ヨスタはそう笑いながら言って、祐司を店に招き入れた。
「今日はゆっくりなさい。キリオキス山脈を越えることを考えているのならしばらく様子を見た方がいい」
ヨスタは少し険しい顔で言葉を続けた。
「今年は例年にもまして、山の天気が荒れています。昨日もここまで恐ろしく冷たい風がキリオキスの方から吹いてきました。
今日、五日ほど前にキリオキスに向かった毛皮を売る隊商が吹雪と積雪で道が通行不能なので引き返してきました」
「ここまでの道中の様子から予想はしていました。お手数をかけますが宿屋を紹介していただきたいのですが」
「うちにお泊まりになられればいいでしょう」
ヨスタがにこやかな顔で提案した。
「いいえ、そんなご迷惑もかけられません。正直余裕がなければご厚情に甘えますが幸い少しばかりの路銀があります。気ままな流れ者のわがままとお思いください。」
「それほどおっしゃるのなら致し方ありませんな」
ヨスタは一息ついてから言った。そして、別の提案を持ち出した。
「田舎町のことでろくな宿屋もありません。峠の交通が確認できるまでとなると、二三日のことではありませんから下宿にされればよいでしょう」
「下宿ですか?」
「所帯持ちの守備兵や腰を落ち着けて行商をする者などが利用する下宿があります。只の寝泊まりで竃がついて一月で銀貨三枚から五枚、朝夕のまかないつき、洗濯もしてくれて二日で銅貨四十枚から銀一枚くらいです。
宿屋は風呂がついていたら銅貨五枚は余計に取られます。風呂に行きたければ共同浴場で一回銅貨三枚ですから絶対お得です」
「風呂があるんですか。さっそく行ってみたいな」
祐司はヨスタの言葉に、思わず身を乗り出した。
「ユウジ様は風呂好きですか?では、店の小僧にでも案内させましょう。下宿の件については心当たりを明日にでもあたって見ましょう」
ヨスタの薦めで祐司は荷物と馬を預けると共同浴場とやらに案内してもらった。
祐司は湯がある浴場はあまり期待していなかった。思ったように蒸し風呂だった。男女混浴であるが、女性は膝くらいの丈の長襦袢のような薄手の麻の服を着ていた。
年配の女性や男は腰巻きみたいなものを着用して上半身は裸である。これらの浴衣を持ってきていないものは浴場で料金を払って借りることができた。
驚いたことに石けんがあった。エン麦を原料にしたもので重曹を混ぜて作るのだそうだ。腰巻きを借りる時に、年単位で石けんを使っていなかった祐司は、そこそこいい値であったが迷わずに一回分という分量を購入した。
浴場は日本の学校の教室ほどの薄暗い部屋で、真ん中に焼けた石を入れた金だらいみたなものいくつか置いてあり時々、二本の棒で器用に金盥を挟んで従業員が交換しにきた。その時に水をかけていくので蒸気が部屋に満ちている。
数分いると汗がどっと噴き出てきた。祐司は晩春でも涼しいリファニアで久々に大汗をかいた。周りの老若男女はひっきりなしにしゃべっていた。風呂屋は情報交換の場でもあるのだろう。
祐司も何人かに、どこから来たなどと尋ねられた。祐司はアヒレス村で話したようなことを繰り返し話さなければならなかった。
ヘルトナは様々な人が出入りする都市だけあって住民は、祐司のような余所者にもあまり警戒心がないようだった。
祐司は大汗をかくと、隣の少し狭い部屋に移動した。木製の水槽が二つあり一つはぬるい湯が入っている。この水槽の一方は蒸し風呂の壁に面しておりそこからの熱で温められているらしい。
祐司はその湯を体にかけて石けんで洗った。祐司は湯の入った水槽に飛び込みたいところだが、そのような習慣はないようだった。
もう一つの水槽には水が入っている。身体を洗わない者は蒸し風呂から出てくるといきなり水をかぶっていた。
また、蒸し風呂の方にもどっていく者もいたが祐司は案内の小僧さんを待たせているので早々に浴場を出た。
十歳くらいの小僧は店の前で立って待っていた。リファニアの人は現代の日本人から比べたら栄養面の影響からか小柄であるのでもう少し年かさかもしれない。
その小僧が暗がり入った時に小僧の巫術に反応する光が見えた。祐司はその小僧に興味を持った。
白い淡い光が小僧の周りを覆っていた。光の強さからは巫術を使うレベルではない。祐司が興味をもったのは光の色である。小僧は混じり気のない白い光を発していた。
きれいな白い光を発していたのはスヴェアだけである。
グネリのような特殊な人間以外は大概の人間は淡い赤、ピンクではなく淡いとしかいいようのない赤い光を発しているが、黄色っぽい色や希に青みがかった光を発っている人間も見かける。
多くの人と交わればその個人と、巫術のエネルギーに反応する色に相関関係があるのかもしれないと祐司は思った。そして、祐司はこれから知り合った人間の光の色は記録することにした。
祐司は少し物寂しげにしている小僧に菓子を売っている店を聞くと、そこで麦芽で作ったという水飴を買ってやった。
「今年は雨がたくさん降ります」
小僧は棒に巻き付けられた水飴をほうばりながら初めて自分からしゃべった。
「そうだね」
祐司が返事をすると、小僧は「水飴ありがとうございます」と言って微笑んだ。
太陽は地平線に没していたが、高緯度地域であるリファニアでは、これから薄明の時間がまだまだ続く。
夜空とも言い難い明るさを持って空一面をいつの間にか雲が覆っており細かな雨が降り出した。
雨は身体を濡らすほどではなく、蒸し風呂で火照った祐司にはかえって心地よかった。




