表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第一章  旅路の始まり
3/1146

尖塔山よりの脱出3 降下一日目

 祐司はゆっくり断崖の端まで這っていった。恐る恐る下を見る。遙か下に緑に包まれた円形の盆地の様なものが見える。

 オペラグラスで見ると一本一本の木が見分けられることから判断して甘く見て千メートル、実際には二千メートルくらいの距離はあるのだろう。水平ではなくて垂直距離でだが……。


 祐司が降下すべき崖は見える範囲では所々に岩棚のようなものがあり、灌木が垂直に近い斜面に疎らに生えている。見える範囲という限定がつくのは百メートルほど下はオーバーハングしているのかその下が見きれないからだ。


 祐司は四つん這いのまま後ずさりした。荷物をまとめているところまでもどると一息ついてから、両手を伸ばしてロープをたぐって長さを計った。二十四メートル強といったところだろう。

 どこかの岩陰にロープをかけて降下しても、ロープを二重にして降りた地点でロープを回収することを考えれば、一度に十二メートルしか降りることはできない。


 上手い具合に十二メートル降りるたびにロープを引っかけられる岩や木がなければ立ち往生になる。人工的にロープを確保するハーケンなどの登山用具は一切ないし、なまじ道具があっても祐司には登山技術がない。


 しばらく決断がつかずに水筒の水を一口飲んだ。祐司はもう一度断崖の端に這っていって下を覗き込んだ。少なくとも見える範囲でのルートを読んだ。目分量だが、オーバーハングしているらしい地点まではいけそうなルートを考えた。


 そこまで行って、降下できるルートがなければ反対に百メートル登ってこなければならない。そう、緩慢な脱水死か餓死をするために……。


 一時間ほども決心がつかないまま流れていく雲を見ていた。もしオーバーハングを上手くかわしても、麓につくのは一日以上かかるだろう。今夜はこの下の断崖のどこかで露営することになる。


 そう思い当たると時間は無駄にはできない。水は水筒にようやく七分目程度、食糧はこぶし大のビスケットのような固いパンが二つに非常食のチョコレートだけだ。これからの運動量を考えれば余程節約しても精神を集中して動けるのは二、三日が限度だろう。


 祐司はやろうと決心した。まず、ロープの半分だけにつま先や指をかかけるために1mおきくらいに5センチほどの輪を作った。ロープは短くなるが残念ながら祐司にはロープだけを持って降下する勇気も技量もない。


 そして岩のテラスから少し出張っている岩に二つ折りにしたロープの真ん中をかけた。リュックを背負い直し、靴紐を締め直してからロープを持って後ろ向きに恐る恐る降下を始めた。

 

 最初の降下は数メートルばかり下の灌木である。 祐司はロープだけで体を支えるようにならないように垂直の崖にある僅かな起伏や足の指を乗せられるほどの出っ張りを探りながら慎重に降りていった。

 

 十分ばかりの苦闘の末に最初の目標地点にたどり着いた。祐司はほんの数センチの岩の割れ目につま先を押し込んで灌木を片手でつかんでから、ロープの端を引っ張って回収する。

 最初の降下だけで麻のような粗い感じのするロープでこすれた手の平は真っ赤になっている。精神的にはすでに疲労困憊している。


 祐司は苦労してリュックから軍手を取り出してはめた。そうして、気を奮い立たせて次の目標に向かって降下を始めた。二三回これを繰り返すと、少しばかり慣れてきたのと肝が据わったのか少し早く降下できるようになった。


 それでも、祐司がオーバーハングしている部分のすぐ上にある小さな岩棚にたどり着いた時には太陽はすでにかなり西に傾いていた。上を見上げると出発した岩棚がはるか頭上に見える。祐司はもうあそこに戻る気力はなかった。


 ここからが正念場だと観念した祐司はゼリー飲料を取り出すと一気に絞り出して飲み込む。水筒の水を少し多めに口に含んでゆっくり味わうようにして飲んだ。

 すこし休んで体力と気力を呼び戻そうとして狭い岩棚に座り込んだ。体を少しでも安定させるために両手を体の左右についた。左手に何かが触れた。


 見ると半ば岩棚にすがりつくように生えた草に隠れた親指ほど太さの金属の棒だった。ゆっくりと撫で回して見る。かなり古いもので岩にしっかり打ち込まれている。色合いと錆のないところから鉄ではないようだ。多分、青銅だろう。


 祐司が崖を降下しだしてから初めて見る人工物である。あの爺さんが登って来る時に使ったのだろうか?

 真相は今となってはわからない。ただ、運を天に任せて脆そうな岩や心許ない灌木にロープの支点を求めるよりは金属棒はずっと頼りになりそうだと祐司は判断した。


 祐司が気がつくと辺りが急に暗くなり、気温が肌で感じられるほどに低下してきた。いつの間にかガスがかかりだしている。

 山の天気という奴だ。低い雷鳴の音も聞こえてきた。今居る何も遮るものない狭い岩棚で野営をするか、思い切ってオーバーハングの下に潜り込むべきかで祐司は躊躇した。


 祐司はロープを金属棒にからみつけた。兎も角、下の様子を見ようと思ったのだ。体をロープにあずけてゆっくりと何の足場もない垂直の岩壁を二メートルほど下がった。とうとう足は虚空にぶら下がる。ゆっくりとそのまま下降する。全身が完全にぶら下がった。


 五メートルほど岩は屋根のように斜面から出っ張ったようになっており、そこから十メートルほど下には、人が寝られそうなほどの幅をもった水平な岩棚が左右に長く続いている。


 祐司は少し考えてからしゃにむに降りてきた垂直な崖をロープを伝って再び登った。


 もとのオーバーハング上の岩棚に戻るとロープの端を体にしっかりと巻き付けた。オーバーハングしている部分を伝っていくことなど祐司には無理だ。無理だから反対に余程な無理をしなければならない。


 再びロープに体をあずけて完全に体が宙に浮く状態になってからロープが伸びきった状態になるまで降下する。下の方から気色の悪い風が吹き上げてくる。


 祐司は苦労して崖の方に体の正面を向けた。そして、ゆっくり足を振って重心を前後に移動させ始めた。ロープはゆっくりと崖に近づいたり、遠ざかったりとブランコのように揺れ出した。

 岩棚に飛び移ろうという算段だ。下界まで何百、あるいは千メートルあるかもしれない空中でのブランコである。


『十メートルの高さだって落ちれば結果は同じだ』と祐司は心の中で呟きながら次第に振幅を大きくしていく。空気を切り裂くような音が耳朶を横切り、頭上の金属棒とロープが擦れる音が不気味に聞こえてくる。


 岩棚が手の届きそうな位置まで近づいてきた。少し目分量を誤っていたのか岩棚の少しばかり下の方に体の位置がきている。しかし手を伸ばして万歳の姿勢を取れば岩棚に手が引っかかりそうである。


『雨?』次の振幅で岩棚に届くと思った時に祐司の頬を何かが濡らした。そのことに気を取られた祐司は少しばかりロープを揺らす加減を誤った。

 祐司の目の前にもの凄い勢いで岩壁が近づいてくる。早すぎる。叩きつけられる。祐司はとっさに足を岩壁の方に突き出した。


 間一髪、足は岩壁を蹴った。祐司は態勢を立て直すために体の力を抜いてロープの揺れるままにした。


挿絵(By みてみん)



 本格的に雨が降り出した。雨は巨大な岩壁にまとわりつく風に煽られて上からどころか風のままに左右からも飛んできた。

『まずいな。岩が濡れて手がかかりにくくなった』祐司がそう思っていると風の勢いで体が反転して岩壁を逆の空の方へ向いた。


 祐司は絶句した。雨に煙ってはいるが巨大な何かがこちらを伺いながら岩壁に平行に飛んでいる。

 

『龍!?』


 そう龍というものがいるとすればまさにそういった姿であろうと思えるものが飛んでいる。


 比べるものがないので大きさは雨をついての見え具合からしか判断しようもないが、黒っぽいそれは十メートル以上の長さとそれに倍するほどの左右に開いた翼がある。


 手はないが遠目にも確認できるほどの爪を持った、がっしりした足を水平にしており、まさしく耳まで裂けたほどの口を半開きにしている。


 龍のようなそれは、鱗に光が反射するのか薄い黄色の光に包まれているようだった。龍は急に方向を変えると大きく口を開けて低い唸り声を上げながら祐司の方へ向かったきた。


 祐司は先程雷鳴と思ったのは龍の声だったと気がついた。反射的に両手を組んで顔の前に組んだ。すると衝撃に備えて下腹部から肛門のあたりに力と血が凝縮した。


 目の前まで来た龍は姿が消えた。小さなコウモリが風に煽られながら飛んでいる。


 数秒後、祐司は心臓の音が頭の後ろ辺りから聞こえることで我にかえった。上を見上げるとコウモリが雨を避けるように岩天井にぶら下がっていた。


 わけがわからないまま祐司はまた足を前後に揺らせてブランコを始めた。こんな場所でずぶ濡れになって夜を迎えるわけにはいかない。今度は振幅が大きくなったところで慎重に岸壁との距離を測り、ゆっくりゆっくりと岸壁に近づいた。


「いち、にー、さん」祐司は声を上げて岸壁にしがみついた。岩棚に両手がかかった。出来るだけ岸壁に体を密着させて右足をかける場所を探す。

 少し身体が持ち上がって左足を動かす。ようやく、頭一つ分岩棚の上に出た。祐司は両肘を岩棚にかけて強引に身体を持ち上げた。そして、俯せの姿勢で岩棚に全身を横たえた。


 一分ばかりそのまま荒い息がおさまるのを待ってから出来るだけ岩棚の上にある壁に背中を押しつけて座り込んだ。その姿勢のままに身体に巻き付けてあるロープをほどくとロープの回収を始めた。


 今は見えない金属棒を離れて、崖下に落下したロープを回収しなが祐司はとてつもなく馬鹿な行いをしていることに気がついた。


『もうこの上の岩棚にはもどれない』


 金属棒を見つけて、降下してきたはいいがここから下に降りるルートがなかったらどうしよう。上の岩棚は結構左右に伸びていたから別のルートがあったかもしれない。祐司はそれを確かめることなく退路を断ってしまったのだ。


 考えても悔やんでもしかたないので、暗くなりつつある現状への対処に頭を無理矢理に切り換えた。きっと精神的におかしくなっていたのだろう。だから、ただのコウモリを見て龍などというものに見間違えたのにちがいない。


 祐司は岩壁に腹をつけて立ち上がった。左右を見ると右の方が少し広くなっている。岩壁に腹をつけるように右に移動するとだんだんと岩棚が広くなっていきシングルベッドの幅ほどにもなった。それでも進んでいくとオーバーハングしている岩屋根がだんだんと狭くなってきて完全に途切れた。


 雨風がまともに岩壁に当たっている。祐司は少し後退した。気がつくと岩壁の窪みを伝って雨水が一筋の流れになっている部分がある。

 祐司は手ですくって水を飲んだ。それから、リュックにしまってあった空の二本のペットボトルを出して水を受けた。それから水筒にも水を補充する。


 目が慣れていなければ、足下も危ういくらいに闇が覆い始めた。祐司は元来た道をもどってすこしばかり窪みになっている岩壁に背中をつけてしゃがみ込んだ。

 横には身体ほどの岩があり風をしのげた。雨は相変わらず降っており風は幾分激しさを増している。風向きの加減で時々、雨が吹き込んで来るが濡れるほどではない。


 祐司は石のようなパンをリュックから取り出した。ずっしりとした重さのあるパンである。水を口に含んでは少しばかり囓った。パサパサとした食感で味は空腹でこれしかなければ食べるという程度の味だった。パンは麦の類ではなくトウモロコシからできていると感じた。


 急に口の中がパンで一杯になる。ふくらむと言うより口の中で何倍にもなったような感覚だ。思わず吐き出しそうになる。口の中はからからになったような感じだった。どうもパンは口中の水分を吸い込んで大きくなったようだ。乏しい食料のことを考えて、水筒の水を少し口に含むと祐司は苦労して少しづつ口を動かしては飲み込んだ。


 しばらくパンを眺めてからほんの少しだけ囓ってみた。そしてまた水筒の水を少し口に含んだ。今度は普通に口に入れたくらいの量が出現した。祐司は口から噛んだパンを手の中にもどした。

 ほんの一囓りだけのパンが明らかに水を含んだことで数倍に大きくなっていた。しばらくそのパンを眺めていた。水を含んで柔らかくなるのはわかるが、たちまち大きくなるというのも十分に怪奇な現象である。第一食べて大丈夫なのか?


 いくら祐司が考えててもパンが急激に大きくなる説明は思いつかなかった。どうせさっきは食べたと思って、祐司は再び水筒の水を口に含んでからそのパンをまた少しずつ食べた。


 祐司は二三十分ほども食べていると妙な満腹感を感じた。パンはまだ四分の一も食べてない。


 何か仕掛けでもあるのか、もともとこのような食品なのかはわからないが、もう一つのパンも同じ事がおこるとすれば四、五日は食いつなげそうだと祐司は思った。


 そのころにはすっかり夜の帳が辺りを包み込んでいた。しかし、奇妙なことに雨が幾筋か降っているのがかろうじて見える。ごく弱い光だが岩壁が光っているような感じだ。

 ただ、祐司のいる周りの岩が光っているようには見えない。光が出ているように感じるのは数十メートル離れた場所だ。それ以上遠くは雨で霞んで見えない。


 祐司は豪快に岩棚から見えない遙か下の地面に向かって放尿すると、寝ている間に落下することを防ぐためロープを緩めに身体に巻き付けると岩に巻き付けた。


 リュックの中からビニールの雨具を出して着込む。雨避けもあるが体温維持の為である。雨具とマウンテンパーカーの間に持っていた三枚のタオルと川などに落ちたときの用心で持っていた下着を押し込んだ。


 そうしているうちに気になることが頭に浮かんだ。祐司はリュックから四枚目の羊皮紙を取り出して見てみた。ペンライトで羊皮紙を照らした。中央に線が上下に描かれたおり、それを羊皮紙と思える物を背負った人物が掴んでいる。


 「そうか、この人物はオレで真ん中の線はロープなんだ」祐司はそう判断した。そう思うとロープを使った降下は正解である。正否はわからないがそう考えることですこしばかり気が楽になった。


 羊皮紙をしまって目を閉じるとすぐに祐司に睡魔が襲ってきた。考えればもう二十時間近くも山歩きやミニダンジョン巡り、断崖の降下などをしているのだ。祐司が疲れていて当たり前だが、どこでもすぐに寝られるという特技にも感謝しながら祐司は眠りについた。




挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ