王都に舞う木の葉7 インジフ師範 上
「で、言いにくいのですが」
アッカナンはレモンジュースを飲み干すと意を決したように切り出した。
「何事ですか」
祐司は少し身構えて聞いた。
「奥方のパナテナ・マリュニア・レマンティーヌ様がこの間の非礼を詫びるために会いたいから来て欲しいそうです。それも、明日の六刻(午後二時)です」
アッカナンが本当に言いにくそうに言った。
「どうするんですか」
パーヴォットが祐司の顔をのぞき込みながら聞いた。
「アッカナンさんの前だが、正直、バーリフェルト家とはできるだけ関わり合いたくはありません。
わたしとパーヴォットの服のことも決着はついていません。でも、これだけ、世話になってしまった以上は行かないわけには行かないでしょう」
祐司はあけすけに言った。
「ユウジ殿の服?」
アッカナンが首を傾げるので祐司は、バーリフェルトで自分の服が代官所の犬によって引きちぎられたこと、先日、パーヴォーットのドレスがバーリフェルト家で何者かに切られたことを話した。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト6 祐司の怒り 参照)
(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都に舞う木の葉3 風呂上がりは蜂蜜レモン 参照)
「昨日、数人の仕立屋が屋敷に呼ばれておりました。そういうことだったのですね」
アッカナンが呟くように言ったことで祐司は少なくとも服の修繕は行ってもらえるのだと思った。
アッカナンが帰った後、夕食になった。そして、使用人のリーダー格であるヘイニは、頃合いの時間に巫術師から氷を入手してきて、祐司とパーヴォットは冷たいレモンジュースを美味しく飲むことができた。
祐司は次の日に、一人でシスネロスのヌーイに照会されたヴェデオ・インジフという男を訪ねた。馬丁のサトスコがお供をしようと言ったが慇懃に断った。
ヌーイの陰の仕事であろう諜報からすれば、インジフと言う男は表も裏もあり、一筋縄ではいかないような男だろうと祐司は想像していた。
そのような男と付き合いがあることは、あまり人に知られないようにする方がよいと祐司は判断していた。
インジフの家は王都の下町にあたる旧市街地の西側地域にあった。王都の下町は下町なりに、庶民の歴史の薫りを色濃く見せていた。
京都の町屋が軒を並べているような雰囲気で、下町にありがちな新開地風情の様子はなかった。
王都の下町に住む人々は、三代住めば江戸っ子というような気質より、王城の地に住むという京都の人間に近い雰囲気があった。そう意識しているわけではないが、多少上からの目線で排他的なところがある。
排他的と言ってもよそ者を排除するわけではない。田舎者では知らなくてもいたしかたないという微妙な優しさである。
祐司も最初は、わからなかったが王都での生活が日常になっていくにしたがって、王都の下町気質あるいは町衆気質を感じるようになっていた。
インジフの家は、表通りから一本、路地を中に入った裏通りにあった。王都では表通りの家がよくて、裏通りの家が悪いというわけではない。
表通りの家は、なにがしらの商売をしている家か、職人の家が多い。裏通りにも職人の家はあるが、小金を持って家作をしているような者の住宅は裏通りに集中している。
リファニアには表札を出すという習慣がない。商売をしていたり、職人の家に看板や屋号が掲げてあるが、居住専用の家屋には何の印もない。目的の家に行くには、近所で聞き回って行くしかない。
祐司は菓子屋で、パーヴォットの土産にするつもりでポケットに入るほどの小さな焼き菓子を買ってインジフの家を聞き出した。
「ヴェデオ・インジフ様のお宅でしょうか」
呼び鈴などというものはないので、祐司は聞き出した家の前で大声をあげた。教えられた家は、二階建てで一階が石造りの壁、二階は木造という典型的なリファニアの建築様式の町屋だった。現代、日本でいえば4LDKほどの大きさの家である。家自体はかなり古い。
しばらくすると、家の中で足音がした。
「どなたでしょう」
家の中から女の声がした。そう若くもないような声だった。
「シスネロスのガナシャン・ヌーイ様から紹介状をもらってきました一願巡礼のジャギール・ユウジというものです」
「しばらくお待ちください」
ドアは開かずに女がドアから離れていく足音だけがした。
しばらくすると、ドアが開いて五十年配のヌーイと同じような年の男が出て来た。白髪、引き締まった顔つきでイス人の血が濃いのか鋭い黒い瞳が祐司を見ていた。
「おぬしがジャギール・ユウジ殿か。紹介状を見せてもらおう」
男は挨拶もせずに言った。祐司も黙ってヌーイからの紹介状を渡した。紹介状は最初にヌーイに書いて貰ったものと、シスネロスを出立する日に渡されたモノの二通になっていた。
「バナジューニの野の戦いで、カタビ風のマリッサを討ち取って戦功を上げた一願巡礼がいるという噂は聞いていた。ジャギール・ユウジ殿はドノバ州第一の武功者だったわけだ」
インジフは祐司を値踏みするように頭から足の先まで視線を動かしながら言った。
「そんなに大それたことはしていません。運がよかっただけです」
祐司の追い言うことには直接答えずにインジフは自分の聞きたいことを言った。
「ブルニンダ士爵を倒したのもおぬしか」
「何故、ブルニンダ士爵のことを」
カタビ風のマリッサは、王都でも名の知られた巫術師であるが、ブルニンダ士爵となると知名度は格段に落ちる。
剣の達人で、古今無双の武芸者であることは対戦した祐司にはわかっているが、ブルニンダ士爵は大きな戦いで名を挙げたことはないために一般にはそう知られた名ではない。
「武術を好む者にとっては当世剣豪十傑の上位者だ。一願巡礼と一騎打ちになり果てたという話は王都にも伝わっている。
おぬしを見ていると、目の輝きや顔つきから、ただ者ではないことはわかるが、スキだらけだ。わざとスキをつくっているのなら当代第一の武芸者。そうでなければ、ブルニンダ士爵がただのこけおどし」
インジフは祐司に歯に衣着せぬ調子で言った。
「玄関で大声でしゃべるのはお止めください」
四十半ばという年配の女がインジフの後ろから声をかけた。声から最初に出て来た女のようだった。インジフの細君かと思ったが祐司になにかしっくりしないところがあった。
「立ち話もなんだ。中に入れ」
インジフは祐司が家に入るなり低い声で言った。
「一手、相手をせぬか」
「え?」
祐司は最初何を言われているのかわからなかった。
「裏に庭がある。木刀で腕を確かめたい」
祐司は雰囲気に気押されて「はい」というとインジフに連れられて裏庭に通された。そこはテニスコートほどの広さがあり、表から想像するよりはかなり大きな庭だった。
「ユウジ殿は湾曲刀か。では、これを」
インジフはちょっと湾曲した木刀を渡した。するとインジフは「始める」と言うなり二三歩後ずさりしたかと思うと上段の構えからもの凄い勢いで祐司の方に突っ込んできた。祐司はあわてて左に飛ぶように避けて木刀の切っ先をインジフに向けた。
インジフは体を捻って祐司が向けた木刀の切っ先をはねのけた。祐司は後退して反撃の糸口を探ろうとした。
そこへ、五十の坂を越えていると思えるインジフがフェイントをかけながら祐司に素早く近づいた。
祐司は木刀を素早く左右に動かしてインジフの攻撃をしのぐ。
祐司はリファニア世界では他人より素早く動ける。このアドバンテージが無ければ瞬殺されていただろう。
インジフの腕前はスヴェアやガークにやや劣るという感じだったが、それでもかなりの手練れだった。
「素早いな。ただ、素早さだけだ」
突然、インジフは木刀を下げるとにやりとした表情で言った。
「それはわかっています」
祐司は素直に認めた。
「両手持ちの東方流だな。東方流にしてもかわった構えだ。半週に一度でいいからここで鍛錬してみないか。素早さを利用した手の内を教授するぞ。代金はいらない」
インジフは家の中に戻りながら言った。
「あなたは剣の師範でしょうか」
祐司の問いかけにインジフは少し息を荒くして答えた。
「一応、師匠とか師範と呼ばれている。本来の流儀は賢者流だが東方流もたしなむ。貴族や郷士の家に行き、子供相手に稽古をして金をもらっている。おぬしとやり合うといい鍛錬になる」
「ヴェデオ・インジフ師範、承知しました。それに関してお願いがあります」
祐司は会ってからインジフの発する巫術の光がいささかも乱れないことから信用に足る人物だと判断した。
「わたしは短槍をつかいます。少し見てもらえますか。その分の代金は出します」
インジフは祐司の希望を二つ返事で引き受けてくれた。
「実戦派だな。槍でも手合わせしよう。互いに得るものがあるだろう」
インジフはようやく祐司を客間に通してシスネロスのヌーイのことなどについて聞いてきた。
しばらく、祐司とインジフが歓談しているとインジフの細君とも思えるが雰囲気が微妙に異なる例の女性がハーブティーを運んできた。
「奥さんですか」
祐司は恐る恐る聞いた。
「そのようなものだ」
インジフは苦笑しながら言った。
「女中でございます」
女中と言う女は引っ詰め髪というか長目の髪を丸めて後頭部で止めるシニヨンと呼ばれるような髪型をしていた。
祐司は女が使用人であるヘイニとエリエルに似た髪型をしていることから細君ではないような感じを持ったことに気がついた。
「フロニーシヤ、お前は女中だと言うがオレは給金など出していないぞ」
インジフがフロニーシアという女性が持ってきたハーブティーをすすりながら言った。
「無給の女中でございます」
フロニーシアは感情を殺したような声で言った。
「子もいるがな」
苦笑しながら言うインジフにフロニーシアはまた機械的に答えた。
「子も産む無給の女中でございます」
「子はお前を母と言い、わたしを父と呼ぶぞ」
「子にとってはわたしは母で、貴方様は父であっております」
「わたしはお前を愛している」
インジフは太い声で言った。
「愛されている無給の女中でございます」
祐司はフロニーシアの発する光が大きくなったことに気がついた。祐司は細かな感情の動きまではわからないが、フロニーシアがインジフの言葉を好意的に受け取っている。もしくは嬉しいことはわかった。
「この二十五年この調子だ」
インジフは諦めたような口調で言った。
「わたしにはフロニーシア様がインジフ師範を愛していると見えました」
祐司は何故かそう言わずにはおれなかった。
「ご主人様を愛している無給の女中でございます」
フロニーシアはそう言うと部屋を出て行こうとした。
「少し待ってくれ」
インジフが立ち上がってフロニーシアを止めた。
「なんで御座いましょう」
フロニーシアは動きを止めると振り返った。
「フロニーシアがわたしに愛してる言ったのはこの二十五年で二回目だ。まあ、あの時は除いてだが」
性におおらかなリファニアオアではインジフの台詞は違和感がない。インジフは少し間をおいて言った。
「それも客人の前で言うとは思わなかった。ユウジ殿、何故フロニーシアがわたしを愛しているとわかった」
「わかるとしか言えません」
祐司はそう言って誤魔化すしかない。
「フロニーシア、何故、ここでわたしを愛していると言った」
インジフはゆっくり噛みしめるように聞いた。
「この方は誠実な方です。そして、何か大望をお持ちです」
フロニーシアは迷い無く答える。
「それが、どうした。一願巡礼だから誠実で大望があるだろう」
「何故か説明できませんが、この方に知って欲しかったとしか言いようがありません」
フロニーシアは今度は少し間を置いて答えた。
「この御仁はジャギール・ユウジ殿と言う一願巡礼で、シスネロスのヌーイ殿の友人だ。半年ほど王都に滞在する。
その間、この家にも剣の鍛錬でくる。わたしとフロニーシアの関係について説明しておきたい」
インジフはそう言うとフロシーニアに目配せをした。フロニーシアはインジフの隣に座った。
「どうぞ、お話しください」
フロニーシアは自ら催促するような口調で言った。
祐司は少し込み入った話になりそうだと思った。




