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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き
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ベムリーナ山地の秋霖29 アジールへの道

 次の日の朝、祐司はチュコト神殿を再び訪ねて、イラスコニという名の神官に面会をした。


 実はバナミナを出立した時に、イリス神殿のシルヴェスト神官長が、チュコト神殿のイラスコニ神官は、懇意な仲なのでチュコト神殿に参詣したおりに見せればよいと言う紹介状を兼ねた手紙をダンダネールを通じて渡してくれていた。


 前日に、明日、会ってもらえるように手紙をチュコト神殿の、面会受付を行っている神官補に渡しておいたのだ。


 神殿の一室に通された祐司とパーヴォットの前に現れたのは、六十代前半という神官だった。

 チュコト神殿は古刹名刹であるから、神官としての格は高いであろうが、六十代で神官なら神官長になる目はないだろうと祐司は思った。


「ジャギール・ユウジ殿とは貴方ですか。お噂はかねがね聞いております。”バナジューニの野”の英雄だそうですね」


 イラスコニ神官は、好々爺のような表情で言った。


 祐司は、丁寧な挨拶を行うと今まで神殿関係者からもらった紹介状をイラスコニ神官に見せた。


「アハヌ神殿のスヴェンエリク神官長はマルタンの神学校での同級生です。わたしはマルタンに残りましたがスヴェンエリクは、ドノバ州の大神殿の神官長となりました。

 ですが、今でも手紙のやり取りをしております。また、千年巫女神殿のグネリ神官長は教え子でした。


 わたしはマルタンで一生を終えるつもりでしたが、チュコト神殿の図書舘に来て欲しいと言われ最後の奉公のつもりで昨年よりチュコト神殿に仕えております」


 イラスコニ神官の言葉に、祐司は認識を改めた。


 マルタンで後進のための勉学を指導する神官は、かなり博識で人間的にもしっかりした人物である。

 そのような人物は、学研の徒でありたいので、管理職である神官長には自ら就任したがらない。


「どこか見学したい場所はありますか」


 雑談の後に、イラスコニ神官が聞いた。


「是非、奥の院を参拝したいと思います」


 祐司の要請は、一願巡礼としてもっともなものである。神官職の修行のための奥の院であるが、その他の信者を拒んでいるわけではない。参拝に許可がいるということである。


「一願巡礼ですから了解しました。他には」


 イラスコニ神官が儀礼的なことを聞いた。


「アジール、”罪逃れの場所”を見学できますか」


 横合いからパーヴォットが声を出した。祐司は思わずパーヴォットを見る。パーヴォットはばつの悪そうな顔をしていた。思わず言ってしまったに違いなかった。


「アジールですか。良いでしょう。人は、特に若い人は一見無意味なことからも何かを学ぶことができます。

 それでは、奥の院に行く時に、そこから山を登ればいいでしょう。帰りは本来の参拝道で下山すればいい。ちょうど、わたしの元で神々に仕える神学生が本殿に行く用事がありますので案内させましょう。

 その者は、昨年までアジールの担当をしておりましたから話を聞くには都合がよいでしょう」


 イラスコニ神官は、あっけなくパーヴォットの望みを叶えてくれた。イラスコニ神官は部屋を出て行くと、暫くして一人の神官服の男を連れてもどってきた。


「さあ、この者が案内役です」


「ズラーボン・アルトゥリ殿ではありませんか」


 祐司が思わず口に出した。


「ジャギール・ユウジ殿、わたしが奥の院までご案内します」


 そう言って頭を下げた衛士神官のアルトゥリは、今日は通常の神官服だけで、神官服の下に鎖帷子を着込んではいなかった。


「昨日の騒ぎを、祭礼のために奥の院に泊まり込んでいるバウデヴェイ神官長に裁可をもらわねばならないが、バウデヴェイ神官長が一番事件に詳しい関わった者を寄越してくれとおっしゃるのでな」


 イラスコニ神官が温厚な顔をますます温厚にしながら言った。


「それでは、まいりましょうか」


 アルトゥリは、祐司とパーヴォットを促した。



「神官長に裁可をいただきに行くということですが昨日の騒ぎは、大方、詮議は終わったのですか」


 神殿を出て、参詣客が少なくなった場所に来てから祐司は、アルトゥリに聞いた。


「わたしのような者が裁可をいただきに行くことはありません。神官長は、裁可を出す前に、わたしに話を聞きたいと言うことです。まあ、裁可と言ってもなるようにしかなりません」


「どうなるのですか」


 パーヴォットが興味津々といった声で聞いた。


「神域で、剣を抜くことが許されるのは正当防衛の時だけです。昨日の追っ手の者達は先に剣を抜いてしまったので話がややこしくなっているのです。

 そこで、昨夜は事情を詳しく聞くために神殿で泊まってもらいました。しかし、追っ手の者達は相手が逃げるようとするのを阻止するために威嚇しただけだということです。

 また、先に剣を抜きましたが斬りかかったのは、追われていた男の方です。ですから、追っ手の者には、多少のお叱りがある程度でしょう」


 アルトゥリの説明で、祐司に会いに行くと言っていた追っ手の男が夕べ祐司を訪ねてこなかった理由がわかった。事件に関わった者は全員が拘束されているらしい。

 アルトゥリが取調の内容や、男女の素性を明らかにしなかったので、祐司はあえて聞くことを避けた。


「アジールの中を行くことは地獄巡りです」


 アルトゥリはタイムイヤ山の北側斜面に入ったところで意味深長なことを言った。


「リファニアの法では事件発生後五十年で時効になります。犯人が生きている可能性が低くなるからです。

 ただ、特定の領主領では領内で起こった事件に関しては永代詮議になって時効がない場合もありますが、犯人が領内に居なければ捕まえることはできません」


「そのための被害者家族による仇討ち、捕縛権の行使ですね」


 祐司が言った仇討ち、捕縛権行使とはリファニアで広く被害者および被害者家族に認めれている慣習である。

 リファニア全土に及ぶ警察組織がなく、州ごと或いは領主領ごとに法が違い、ある州の法は州内でしか通用しない。警察権も州内でしか行使できないために加害者が州外に逃れると捕まえることができない。


 そのために、被害者本人ないし被害者から三親等までの家族と家族一人について、二人まで認められている助っ人は、加害者が現行犯のように特定されている場合は、領主の許可証と神殿の確認証をもらい仇討ちに出る。


 これは殺害を目的としたものではなく、あくまでも捕縛が目的である。犯罪の行われた州の責任者に引き渡すことが原則だが尚武の気質の強いリファニアでは、容疑者も抵抗して仇討ちといった形にままなる。


 加害者はこの身内の報復者が恐くてアジールに逃げ込むことが多い。ただし、人数をかけて加害者をアジールの方向へ導いて、アジールの近くで待ち伏せをした家族が討ち取ることもたまにはある。


 一旦、アジールに逃げ込まれるとそこから出てくるまで見張っている。金があり何が何でも自分が討ち取るという意思がない時は、自分が属する地域の領主と、チュコト神殿の許可を貰った上で自分にかわって雇用した代人を立てられる。


 この代人を専門の稼業にする者もいる。代人はアジールの外で見張っていて加害者がアジールを出たら即座に討ち取ろうする。大概は捕まえるより暗に殺害することを望む依頼人の方が多いためである。


 突然、木々が途切れかと思うと視界に、著しく急な石の階段が現れた。高さは三四十メートルほどもあり、傾斜が七十度以上はあった。下から見ても石壁である。



挿絵(By みてみん)




「ここは、”贖罪の坂”といいましてまだアジールではございません。ここの坂をあがった所にアジールの入り口があります」


 アルトゥリが、階段を指さして言った。


「ここを上がるのですか。もはや道でも階段でもございません。絶壁です」


 そう言うパーヴォットの目は多少怯えている。


「アジールの入り口はここしか在りません。ここ以外の場所からアジールに入ってもアジールに入ったと認められません。

 ですから、昨日の男と女は、無駄な努力をして意味のない場所から、有効ではないアジールに入ろうとしていたのです」


 アルトゥリは、そう言うと祐司とパーヴォットをかすように言葉を続けた。


「さあ、上がりましょう。ただし途中で足を踏み外せば下まで落ちます。アジールにも入る資格のない本当の悪人はこの階段を上がれない。またはここから転落すると言われています。もしくは足がすくんで登れないといいます。

 もし、神々も拒否する悪人のように階段から落ちた場合は、神殿は責任をもてませんので慎重に」


 すでに、アルトゥリはしゃべりながら階段に取り付いていた。階段の幅も狭く、祐司の足では段に足の長さの半分も乗らなかった。その分、一段の高さはそう高くなない。

 それでも、通常の階段をあがるような格好では上がることが出来ずに、祐司達は手を先の階段にかけて岩壁を登坂するような格好で昇っていく。


「最初のうちは、用心しますが慣れてくると足の確保が疎かになります。手足の内の三本は必ず階段にかけていてください。ここで、足を踏み外したり、手を離せば一番下まで落ちます」


 先を進むアルトゥリが声をかけてくる。


「アルトゥリ様は、この階段は慣れているのですよね。落ちませんよね」


 パーヴォットが聞く。


「いや、私たちがアジールに入るのは普通は山頂からです。滅多にこの階段を上がることはありません。事故が起こってもつまらないですから」


「そんなことを言ったら、益々、恐いです」


 アルトゥリの返事に、パーヴォットが半分泣きそうな声で言った。


「ともかく、下を見るな。すぐ上の階段だけを見ていろ。これを造った者がいるんだ、必ず上がれる。オレがすぐ後ろにいる。足を踏み外して落ちても止めてやる」 


 祐司はパーヴォットのすぐ後ろについて励ました。すぐ目の前に、形よく引き締まったパーヴォットの足首が見えた。


「ユウジ様、もし、わたしが落ちたらけてください。ユウジ様を巻き添えにすることなどできません」


 パーヴォットが、悲壮な声で言った。


「何があっても止める。だから、絶対に足を踏み外すな」


「はい。がんばります」


 祐司の励ましに、パーヴォットは決意表明をするような調子で答える。


 そんなやり取りをしながらも数分ほどで、三人は階段を上りきった。階段の上には小さな神殿とも、庵ともつかないような建物があった。


「ダランディ・ルラルボ神官様、衛士神官のアルトゥリです」


 アルトゥリが庵のような建物に声をかけた。中から七十代ともおもえるような老神官が出て来た。


「アルトゥリか。何の用だ」


 庵の中から出て来た老神官は態度も声も気難しそうだった。リファニアの神官は概して物腰は穏やかである。

 尊大な物言いや、見下した感じで接してくる神官はいるが口調はどのような身分の者にも表面上は丁寧である。それだけに、老神官の態度や口調は祐司には物珍しい存在だった。


「ダランディ・ルラルボ神官様。アジールの見学者でございます。ここに、イラスコニ神官の書き付けあります。お印をいただきたく存じます」


 アルトゥリは、書き付けを老神官に渡した。老神官はそれを黙って読むと、庵の中に入っていった。しばらくして、もどってきた老神官は、黄色い麦わら帽子を二つ持っていた。


 老神官は、麦わら帽子をアルトゥリに渡すと、面白くもないといった顔つきで庵に戻って行った。


「さあ、この麦わら帽子を被ってください。これは、夏季に使用する見学者である印です」


 アルトゥリから渡された麦わら帽子を祐司は被った。


「冬の間の印は何ですか」


 祐司から買ってもらった麦わら帽子を、四六時中被っているパーヴォットは、今までの麦わら帽子を首にくくりつけると新しくアルトゥリから手渡された麦わら帽子を被りながら聞いた。


「毛皮の帽子です」


 アルトゥリは、そう言って歩き出した。もちろん、ひねりなどいる答ではないことはわかっているが、祐司は何のひねりもない答だと思わざる得なかった。


「ここで、アジールへ入りたい者は、先程のルラルボ神官よりメダルをもらいます。

 メダルがアジール内でアジール権を持っているという印になります。メダルをルラルボ神官からもらえるのは、先ほどの階段を上がってきた者だけです」


  アルトゥリは、問われないのに説明した。


「さきほどの神官様は、ずっとあそこに居るのですか」


 祐司は、先程の老神官についてもう少し聞きたくなった。


「本来は、アジールの入り口での仕事は一月交代です。でも、あのルラルボ神官は何年も志願してあそこにいます。

 ああ見えてもルラルボ神官は、学研の徒なのです。静かに神学に打ち込めて祈りを捧げる生活をするのはあそこが一番だそうです。だから、途中で邪魔されるのが一番気に入らないのです。普段は温厚な方です」


 アルトゥリは、そう言って苦笑した。


「ここは、アジールの中ですか」


 パーヴォットがたずねる。


「そうです。でも、アジールに入る時だけ通れる場所で一旦アジールに入ってしまうとここに出て来てはいけません。

 アジールには色々な決まり事があります。神殿はアジール内の治安を乱す者については、いつでもアジール権を取り消すことができます」


 アルトゥリの答はもう一つ要領を得なかった。


「喧嘩とかですか」


 パーヴォットが、再びたずねる。


「もちろん。その他、窃盗、他人に脅迫的な言動を取る。神官の指示に従わない。いろいろありますが常識的なものです。

 そして、ここは聖域ですから飲酒も男女の交わりも禁止です。飲酒や男女の交わりがわかればアジール権は剥奪されます」


 アルトゥリは、淡々と話す。


「男女の交わりというと、性行為のことですか」


 パーヴォットの質問に、祐司は一人で肩をすくめる。何しろパーヴォットは日本では中学校二年生の女の子である。


「そうです。このアジールは男女の範疇が別々になっていますので会って話をしたりすることも禁止です」


 アルトゥリも生真面目に答える。


 三人が進んで行く上り坂の先には、比較的水平な尾根があった。尾根の手前には人の身長ほどの細長い石が立ててあり文字が書き込んであった。


 祐司が近寄って見ると、右には”男”、左には”女”とだけ石に文字が刻んであった。


 尾根には樹木がなく人工的に伐採したようだった。樹木のない尾根は山頂の神殿まで続いていた。

 

 祐司には樹木のない尾根が防火帯のように見えた。



挿絵(By みてみん)




「この尾根から右が男、左が女の領域になっています。一旦、そこに入ってしまえば、アジールの中とはいえ、今、わたしたちがいる場所に出て来てはいけません。アジールは男女別で、そこからは出ることはできないのです。 

 わたしのような男の神官は男の領域にしか入りません。女の領域は女性神官しか入りません。我々は時々巡回しては病人はいないか、不都合なことは起きていないかを確認します。では、先に行きましょうか」


 アルトゥリのこの説明で、祐司は、ようやく、今まで歩いてきた場所が、アジールの中でありながら、アジールに入った人間がいてはいけない場所であることがわかった。


「こちらは男しか入れないんですよね」


 祐司が渋い顔で、アルトゥリに聞く。アルトゥリが少し不思議そうな顔をしているので祐司は思い切って、パーヴォットが女の子であることを話すことにした。


「じつは…」


「まあ、見た目が男ですから女の方へ行くとかえっておかしいでしょう。できるだけ、黙っていてください」


 意外にもアルトゥリは、すぐさま返答した。ひょっとしたら、パーヴォットが女であること最初から気付いていたのかもしれないと祐司は思った。


「いま、このアジールには何人くらいの人間がいるのですか」


 祐司の質問に、アルトゥリが詳しく説明した。


「男が五十二人です。女は十四人、先ほどの尾根からこの谷を挟んで向こうの尾根までの間が、男のアジールの範囲です。

ここから山頂までは二リーグ半、谷は大きな場所で幅が一リーグといった所です。女の谷は山頂までの距離は大体同じですが、谷の規模は半分程度になります。アジールで暮らす者は、全てこの範囲のもので生活を維持しなくてはいけません。ただし、神域ですから木を切ってはいけません。利用できるのは倒木や柴だけです」


 祐司は大雑把に計算して、男谷の面積は四平方キロ弱、女谷は二平方キロほどと考えた。


「さあ、行きましょう。谷に沿って道があり、登り詰めれば山頂の奥の院につきます」


 そう言ったアルトゥリは、尾根から谷に下る道を進んだ。

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