表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き
254/1161

ベムリーナ山地の秋霖23 懐かしき囚人食と藪の中身

”精霊亭”の亭主とお内儀の話は、かなりひっぱりますが、今回で真相らしきことがわかります。

「さて、昼飯の時間だ」


 ヘルマンニが陽気な声で言った。


「おい、こんなところに食堂はないだろう」


 カレルヴォが言い返す。


「目の前は食堂だ。そして、今から昼食の時間だ」


 ヘルマンニは、目の前の囚人用の食堂を見ながら言った。


「あれは囚人の…」


 カレルヴォが戸惑ったように言う。


「あそこで食べろとは言わない。烹炊所ほうすいしょに、兵士用の小さな食堂がある。そこで、囚人食を食べさせようという魂胆だ」


 ヘルマンニが悪戯っぽい口調で返した。


「囚人食?」


 カレルヴォがあからさまに嫌そうな声で聞いた。


「バカにしてはいけない。食事は仕事の根幹だ。そして、唯一の楽しみだ。囚人でも、それなりの量は食べさせる。

 そこそこのモノを食わせている間は、そうよからぬことを考えない。オレも時々、抜き打ちで食べて質と量が保たれているか目を光らせている」 


 ヘルマンニは、烹炊所の方へ祐司達を誘った。


「五食は都合出来るか」


 ヘルマンニに率いられた一行が烹炊所に入ると、中にいた囚人達が直立して出迎えた。ただ、あまり驚いた様子はなくヘルマンニが言うように、時々、ヘルマンニ自身が、烹炊所を訪れて食事を確かめているのだろうと祐司は感じた。


「はい。大方の大釜は食堂に運びましたが、まだ、一つ鍋が残っています」


 責任者らしい、二十代後半と思える囚人が、ヘルマンニの問にすぐ答えた。他の囚人は四十代ほどの者が多いので、祐司はその囚人は、元はプロの料理人だったのではと思った。


「では、出せ」


 ヘルマンニがそっけない言い方で命じた。


 深い木の皿に入って出て来たのは、大麦、タマネギ、豆、カボチャ、ケールなどをごった煮にしたものだった。


 しいて言えば、大麦の洋風炊き込みである。


「大麦を一旦、煮た後で、豚や羊の頭蓋骨でスープをとったものに他の食材を入れて更に煮ています。

 何しろ千五百人分です。豚や羊の頭蓋骨は、ほんの隠し味程度です。大方は、塩の利いたトルスカンで味を出しています」


 料理の指揮をしているらしい男が説明した。


「頭蓋骨ですか」

「トルスカンですか」


 祐司とパーヴォットが同時に声を出したが、突っ込んだ場所が違った。


 まず、パーヴォットが突っ込んだ理由は、リファニアでは、家畜はそれこそありとあらゆる部分が利用される。

 頭も含めて、すべての肉は食べ、脊髄、あばら、四肢の骨もスープの素材となるが、何故か、頭蓋骨は倦厭される傾向にあったということである。


 これから食べさせてくれる肉料理は肛門筋(正しくは肛門括約筋)だと言われたら、というくらいの感覚である。



挿絵(By みてみん)




 次に祐司の突っ込んだ理由は明快である。トルスカンはリファニア風もろみのことである。(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト16 バーリフェルトの虹 参照)


 トルスカンで、スープを作れば、それは味噌や醤油に近い味付けのものである可能性があるからだ。


「兎に角、食べてみましょう」


 祐司は、勢い込んで木の深皿に入れられたごった煮を、これも木のスプーンですくって口に入れた。


「案外、美味しいです」


 祐司につられて一口食べたパーヴォットが言った。


「そうだ」


 祐司の予想のように薄い味噌汁に塩味を利かせた味だった。


 微妙に味が異なるが、それでも、祐司は日本に帰ることができるまでは、口に出来ないだろうと思っていた和風の味だった。もし王都でトルスカンが入手できれば味噌汁を作ろうと祐司は決心した。

 

 祐司のこの願いは王都で果たされることになるが、もろみに類似したトルスカンは味噌ではないと確認することでもあった。これは今しばらく先の話である。



挿絵(By みてみん)




 テーブルの横にたって自分の作った料理を美味そうに食べている祐司達を見ている囚人服を着た料理人の右手の小指全部と、薬指の第一関節から先がないことに祐司は気がついていた。


 そして、料理人は、薄い傷跡であるが”精霊亭”のお内儀と同じような傷跡が右目の上から左の頬にかけあった。


「あのう。聞きにくいんですけど…」


 パーヴォットも、気がついて何かを言いかけたが祐司は黙って首を横に振った。



 腹がくちくなった祐司達は、囚人の居住区である大釜を横切って、入って来た坑道のちょうど対角線にある坑道に向かった。その坑道も、大釜に入ってきた坑道と同様に坑口には鉄格子がはめられていた。


「ヘルマンニだ」


 名を名乗って、入坑許可書を鉄格子の方に見せた。


 鉄格子が開いた。中には兵士が二人いたが、六十歳ほどの老人だった。リファニアどころか、祐司の世界でも兵士としてはとっくに退役しているような年齢である。


「鉱山では、退役した兵士を再雇用している。足腰が立てば門番はできるからな」


 ヘルマンニが含み笑いをしながら言った。


 大釜から、地下神殿に通じる坑道は、大釜に来るときに通った大回廊には、及ぶべくもなかったが石畳が敷かれて歩きやすかった。


「聞きたいのは、料理人をしている囚人の話だな」


 しばらく、黙って歩いていたヘルマンニが言った。


「はい」


 祐司がおずおずと返事をした。


「あの男は、”精霊亭”のお内儀の間男だ」


 カレルヴォが言った。


「え、自殺したのでは?」


 祐司は思わず口に出してから後悔した。間男が自殺したというのは、祐司が見た夢の中で、カレルヴォがパーヴォットにした話のことだからである。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖18 ”精霊亭”の亭主とお内儀の罪と罰 参照)


「地方では、そんな噂もあったな」


 カレルヴォは、祐司に問いただすことなく言った。


「御亭主と間男が同じザザムリバ銀山で囚人になったとはどういった経緯でしょうか」


 パーヴォットが聞いた。


「まあ、しばらくこの街にいれば自然にわかることだ。だから話そう」


 ヘルマンニがそう言って微笑んだ。そして、”精霊亭”の亭主とお内儀に起こったことを話し始めた。


「精霊亭の亭主は、修行していた店の看板娘と恋仲になって自分の店をはじめた。ところが、内弟子にしていた間男が、お内儀と恋仲になった」


「まあ、よい行いではないが、ままある話だ」


 カレルヴォが合いの手の入れてきた。


「ある日、亭主は厨房で間男とお内儀が、からんでいるのを見つけた。頭に血がのぼった亭主は、間男の顔に肉を焼く金属の大串を叩きつけた。それから、間男を刺し殺すつもりで包丁で斬りつけた。


 ただ亭主は、料理人としては一流だが、人を殺めることは長けていなかったので、間男ともみあいになった。間男は亭主から包丁を取り上げようとして、右の小指と薬指の半分を失った」


 そこまで、ヘルマンニがしゃべると、カレルヴォがまた合いの手を入れた。


「さっきの男の顔に傷跡があっただろう。それから指のことも気がついていただろう」


 ヘルマンニが話を続ける。


「すると、間男は亭主に悪態をついて、赤ん坊は自分の子だと言った。亭主はお内儀を問い詰めるが、あいまいな返事しかかえってこない。多分、お内儀もどちらの子か確信はなかったようだ。

 完全に正気を失った亭主は、寝ていた赤ん坊の足をもって床に叩きつけたんだ。そして、赤ん坊の死体をお内儀に投げつけた。


 あまりのことに、間男が呆然としているスキをついて、亭主は間男を縛りあげた。


 そして、泣き叫ぶお内儀に、亭主は赤ん坊の指を切って口に押し込んだ。そして、縛りあげた間男にも同じことをした。それが、正気を失っていた証拠とされた」


「赤ちゃんには何の罪もないのに酷すぎます。聞かなければよかったです」


 パーヴォットが、首を振りながら言った。それでもヘルマンニは話を続ける。


「赤ん坊を殺したところで、近所の者達が騒ぎに気がついて駆けつけてきた。そこで、亭主は取り押さえられた。そして、散々、王都でも論議や噂になったが、五年の鉱山送りになった」


「で、この後が藪の中の話なのだ」


 カレルヴォの言葉に、祐司とパーヴォットは顔を見合わせた。


「間男とお内儀は、その後でいっしょになった。もちろん、親兄弟や知人からも縁を切られた」


 ここで、一旦、話を区切ったヘルマンニにパーヴォットが聞いた。


「どうして、間男は鉱山送りになったのですか」


「まずは、間男の話したことだ。この証言で間男は鉱山送りになった。なにしろ、自分に不利な証言だったので信憑性があると判断された。


 間男とお内儀は、小さな料理店をはじめた。もちろん、そんな店だと知られているから閑古鳥が鳴くような状態だ。それでも、なんとか暮らしていくくらいの収入はあった。


 間男は、お内儀なんぞに熱を上げなければ、数年でまっとうな自分の店を出せた。もしくは、大きな料理屋で厚遇されたはずだ。


 そう思うと、間男は、お内儀が疎ましくなった。そして、酒に酔った勢いで、自分が亭主にやられたように肉を焼く大串で、お内儀の顔に傷をつけた。


 お内儀は、このような仕打ちを受けるのは、亭主を裏切った自分への当然の罰だと言ってさらに、血まみれになった顔を間男に差しだした。そして、許されはしないが、自分が愛しているのは亭主であるので殺してくれと言ったという。


 この言葉で間男は、愛憎が逆転した。そして、包丁でお内儀の右目を突いたんだ。そして、殺しはせずに、自分の痛みを味あわせようと内儀の右の足の指を骨を砕く手斧で切断した。あまりの苦痛に、逃げようとするお内儀の左手の指も切断した。


 お内儀の悲鳴を聞いて駆け込んできた男と取っ組み合いになった。そうこうしているうちに、近所の者が市中警護の者を呼んできた間男はお縄になった」


「凄惨なお話です。わたしには想像できないことでございます」


 パーヴォットは凄惨な話だというが、パーヴォットが凶暴な傭兵にたった一人で立ち向かい、祐司を狙う男を背後から刺したり、また子供相手ではあるが剣を振るって負傷させたりという修羅場をくぐってきたことを知っている祐司には、自分も結構凄惨なことをしているぞと思わずにはいられなかった。


「藪の中とおっしゃいましたが、他の話もあるのですね」


 今度は、祐司が聞いた。


「そうだ。お内儀の証言はこれとはまったく違う」


 ヘルマンニが言う。


「どのような証言なのですか」


 パーヴォットが聞く。


「お内儀は、これは自分の望んだことだと証言した。間男には罪はない。それだけを言ってあとはだんまりだ」


 ヘルマンニの言葉に、祐司がさらに聞く。


「でも、間男の証言とは矛盾がありませんよね」


「いや、一番最初に官憲の取調を受けた時に、間男は自分を助けようとしたのだと証言しているんだ。

 そして、市中警護の者が来た時には、取っ組み合いをしていたという男はのびていた。そして、間男はお内儀の顔に大串を打ち付けていたんだ」


 ヘルマンニの話に、パーヴォットは少し口をとがらせて言った。


「どういうことでしょうか。間男が、お内儀を傷つけていたのは、お役人が見ているのでしょう」


「もう一人の証言がある。間男と取っ組み合いになった男だ。その男は、最初、市中警護役が来た時にはのびていた。助けようとすると逃げだそうとしたんだ」


 今まで、話を聞いていたカレルヴォが言った。


「何故、逃げるのです」


 パーヴォットの問にヘルマンニが答えた。


「その答は、多分、その男がお内儀を傷つけた犯人だからだ」


「え?」


 祐司とパーヴォットが同時に声を出した。


 カレルヴォが、したり顔でしゃべり出した。


「お内儀の顔の傷を憶えているか。顔に入った傷だ。三本の浅い傷が、右目から左の頬にある。今は治療の甲斐があってほとんど目立たないが元からそう深手でなかったんだ。

 そして、左目から右の頬に大きな傷がある。大串で顔を叩くとして、左目から右の頬にある深い傷は、どっちの手で大串を持てばつく」


「右手です」


 パーヴォットが答える。それに、対してヘルマンニが話を続けた。


「間男の右手を憶えているか。小指がなく、薬指もまともに機能していない。それで、力を込めて大串で叩けるか。

 間男が使ったのは左手だ。元々、左利きという証言がある。料理屋に生まれたので、調理道具を扱うために右利きに直したらしい。

 オレにはよくわからないが、調理道具という物は右手で使うことを前提にして作られているらしい。ただ、料理以外のことや、とっさの時は、左手を使っていたようだ」


「では、本当に逃げようとした男が…でも、何故?」


 パーヴォットが聞く。


「逃げようとした男は、お内儀の兄だ。そして、右利きだ」


 ヘルマンニが答える。


「お内儀の兄さんが?」


 意外な人物の登場に祐司が思わず聞く。ヘルマンニは淡々と答えた。


「お内儀の実家は料理屋だ。それも、かなり身分の高い人間が客層だった。その店の娘が間男をつくり、その店で働いていた男によって赤ん坊の死体を口に押し込まれた。それも我が子かもしれない死体だ。王都で知らない者がいないほどの事件だ。


 当然、客足は落ちる。そこで、値段の安い料理を取り入れて幅広く商売をしようとしたらしい。ところが、まだ、店を贔屓していてくれた常連客に見限られた。常連客がいなくなっても、新規の客は増えない。


 店を取り仕切っていたのはお内儀の兄だ。


 このお内儀の兄は、お内儀の異母兄弟だ。父親と出入りしていた魚屋の娘との間にできたのがお内儀だ。

 お内儀の兄の母親は怒って、父親と離縁した。それで、お内儀の母親が後妻に入ったんだ。


 お内儀の兄は、その時には成人していたが面白くはない。ほとんど家に寄りつかず別の店で修行していた。

 しかし、お内儀の母親も亡くなったこともあって父親と和解して自分の店にもどって後を継いでいたんだ。

 

 半ばなさぬ仲の異母妹も、嫁入りしていなくなってこれからという時に、妹がとんでもない事件を巻き起こした。

 お内儀の兄は取調の時には、お内儀のことを男を寝取るのは、母親の血筋だとか、淫乱からは淫乱が生まれるのだと罵っていた。


 事件の日は、あまりに客足が悪く早めに店をたたんでやけ酒を飲んでいた。そして、酒を飲んだ勢いで、お内儀の店に腹いせの一言でも言ってやろうと乗り込んだ。


 これは、お内儀の兄の証言で、兄の店の者からも裏付けられている話だ」


「何かしでかしたのですね」


 パーヴォットが、待ちきれないように聞いた。ヘルマンニは声の調子を変えずに続けた。


「取調が始まって、落ち着いてから、お内儀の兄が言うのは酔っていて気がついたら義弟と取っ組み合いをしていたということだけだ。

 確かに酔ってはいたが、酩酊というほどではなかった。酔って記憶がないというのは考えられない」


「さっきから、聞こうと思っていたのですが、お二人とも事件のことお詳しいですね」


 祐司は、ずっと気になっていたことを聞いた。


「オレが取り調べた」


 ヘルマンニが言う。


「オレは、当時、修行の意味もあって王都の府内警護隊に入れられていたんだ。最初に間男の店に駆けつけて、ヘルマンニに一同を引き渡したのはオレだ」


 カレルヴォが、悪戯っぽく言う。


「やはり、そうですか」


 祐司は、王都を震撼させたと言う事件の後半を身近で目撃し、当事者を取り調べたという男達の話を、さらに、じっくり聞くことにした。


「最初に取り調べたのがオレで、判決を出した連中は別だ。判決自体は揉めなかったようだ。何しろ間男が、お内儀への暴行は自分ですべてやったと証言している。お内儀の顔を大串で傷つけるところも目撃されている」


 ヘルマンニの言葉をカレルヴォが裏付ける。


「目撃したのは、オレだ。間違いはない」


「でも、間男の証言が本当だとは思っていませんね」


 祐司の問に、ヘルマンニはきっぱりと言い切った。


「思っていない」


「真相に心当たりは」


 祐司の質問に、ヘルマンニは答えずにカレルヴォの方を見た。カレルヴォの目が肯定の意を示してからヘルマンニは口を開いた。


「これは、二人で考えた真相だ。種々の証拠と証言から、まず、間違いはない」


 前置きをして、ヘルマンニはしゃべり出した。


「お内儀の兄が、間男の店に来たときは、お内儀が一人だった。これは、間男が外出先から戻る前に、お内儀の兄が店に入った複数の証言がある。


 お内儀の兄は、お内儀を罵って間男と別れるように言った。それに対して、お内儀が言ったのは、本当は亭主のことを今も愛しているが、今更、許しを乞うこともできない。


 また、間男の行く末を奪ってしまった。せめてその責任を果たすためにも、また、亭主が納得してくれるかどうかはわからないが、間男と添い遂げることが贖罪だと言った。


 お内儀の兄は、そんなことでは納得しない。間男と別れて亭主の刑が少しでも軽くなるように毎日、神殿に人目につくようにして参拝しろと言うばかりだ。


 そこで、次第に追い詰められた、お内儀は実家に迷惑をかけた責任を取ると言うと手斧で自分の右手薬指と小指を切り落とした」


「えらく、お内儀は、気性が激しいのですね」


 祐司が呆れたように言った。


「今は、すっかり気性の激しさは身を潜めている。この時のお内儀の行為が、今の状況に繋がったといっていいだろう。お内儀が自分で指を切ったことで、お内儀の兄はかえって逆上したんだ」


 ヘルマンニが言う。


「どうしてですか。いくら、なさぬ仲の妹とは言え、お内儀は指を切断したんでしょう」


 予想を越えた話に、祐司は聞かずにはおかれなかった。ヘルマンニは話を続けた。


「お内儀の兄は、同じ傷を負った間男への愛情の印だと思い込んだんだ。間男と同じ欠損を受容する行為だとさらになじった。

 そして、手斧を奪い取るとお内儀に襲いかかった。さすがにお内儀はそれを避けたが、手斧はお内儀の右足の親指と人差し指を叩きつぶした。


 そして、お内儀の兄は、どうせなら間男と同じ場所に見える傷を与えるといって、大串でお内儀の顔を打ちのめした。

 それで、できたのがお内儀の左目から右頬にかけての深い傷だ。さらに、殺意があったのか顔を突いた。お内儀の右目を潰したのはお内儀の兄だ。


 その時に、間男が帰ってきた」


「今までのことは、間男が帰ってくる前に諍いの声がしていたという証言を、何人もの近所の者が証言してる」


 カレルヴォが付け加える。そして、また、ヘルマンニが話を続ける。


「間男は、お内儀の兄と取っ組み合いになった。大きな音がするので、ここで近所の者達が見に来たり、市中警護を呼びに行った。

 お内儀の兄は、柱で頭を打って気を失った。間男は、お内儀の様子、切断されて指を見て手当をしながら何があったかをお内儀に聞いた。


 お内儀は苦痛に喘ぎながらも、姦淫の罰は間男と同じように受けなければならない。そのために、これは自らが望んだ状態だと言った。それから、多分、”精霊亭”の亭主に対する謝罪の言葉を口に出した。


 これは、近所の者が外からだが、断片的に聞いた言葉と、取調の時に、お内儀が一度だけ、”精霊亭”の主人の名を出して謝罪して、あの頃に戻れればと言ったことから間違いはないと思っている。


 間男は、ここでどんな心境の変化があったのか、わからないが”精霊亭”の主人にお内儀を返そうと決心したんだと思う」


「そして、わたしが現場に踏み込んだ時には、お内儀の顔に大串を叩きつけていた。だが、それは、本気ではなかった。わたしたちを欺く行為だ。だから、傷は浅かった。


そして、捕まってからは、全部自分がしたことだと言い張った。今の境遇に落ちたのは、お内儀のせいだ。いつまでも、”精霊亭”の亭主のことばかり言う、お内儀が憎かったとも供述した」


「何故、間男は罪を被ったんですか」


 祐司は、わかるような気もしたがヘルマンニに聞いた。


「本当に、お内儀を愛していたからではないかな」


 首をすくめて、黙っているヘルマンニのかわりに、カレルヴォが答えた。そして、感想じみたことを口にした。


「そこまで、行き着いてしまう前に誠心誠意、”精霊亭”の亭主に話すべきだった。穏便になんとかなったかもしれない。

 話し合いになれば、案外簡単なことがすぐに判明したはずだ。間男は、お内儀を愛している。お内儀は間男のことを気にはかけているが、本心では、亭主を愛している。

 亭主はお内儀を愛している。間男は、心底、お内儀の幸せを願うほど愛しているから、間男が身を引いた可能性が高い。


 結局、そうはならずに、御亭主と間男は鉱山送りになり、お内儀は酷い傷を得たかわりに、自分の子を失ってしまった」


「いつ、お内儀は、”精霊亭”の亭主とよりをもどしたんですか」


 祐司は、一番の疑問を切り出した。


「女のやることは、わからないことが多いが、お内儀は取りあえず傷が癒えると、一切合切の財産を金にかえたうえで、兄にもかなりの金を用意してもらい、すぐさまザザムリバにやってきた。お内儀の兄については内偵をしたから確かな話だ」


 カレルヴォが何気に言った。


 現代日本なら捜査機関が内偵をしている中身を民間人に漏らす以前に、内偵をしていたことを言うことさえ禁止事項だろうが、中世段階のリファニアでは、市井の事件については当事者の秘密などあってなきがごときである。


「なにしろお内儀の兄は、弱みを握られているからな。そうでなければ金を出すのは不自然だ」


 ヘルマンニも一般人の情報を漏らすことは気にしていない。そして、ようやく祐司の質問に答えてくれた。


「”精霊亭”の亭主は、半年ほど前に刑期を終えて代官所で調理人をしていたんだ。そこに、お内儀がやってきた」


「どうなりました」


 祐司は修羅場も覚悟して聞いた。


「すぐさま、しばらく会わなかった夫婦のように抱き合った」


「何もなしでですか」


 ヘルマンニの答に祐司は拍子抜けした。


 多くの社会が時代をこえて、既婚女性の不義は御法度である。リファニアも同様の倫理観がある。

 ただ、リファニアは、性におおらかな世界である。亭主が容認する場合は他の男性と関係を持っても世間的に非難されない。


 また、亭主の最大の間男への報復は、寝取られて身も心も持っていかれた妻の、身と心を取り返すことであり、世間的には称賛される行為なのである。


 その前提があっても、父親が赤ん坊を殺すことを含めて、あまりにも凄惨な事件を経て、二人がよりを戻すとは祐司には理解しがたい。


「数年会っていなかった二人は何事もかったかのように、お内儀の持って来た金で今の”精霊亭”を始めた。入れかわるように、間男が鉱山に送られてきた。


 ”精霊亭”の亭主とお内儀は、今では二人の子までなして仲睦まじく店を切り回している。


 さっき、見たように間男は間男で、機嫌良く仕事をしている。”精霊亭”の亭主は、時々、間男に食材や調理に関する書き物を送ってくる」


 ヘルマンニの話は、益々祐司には理解しがたい。いまさら、間男に復讐でもないだろうが、少なくとも関わりたくないというのが現代日本の常識的な心境だろうと祐司は思った。


「何故、御亭主がそのような事を?」


「お内儀を返してもらったお礼ではないか。オレはそう考えている。あるいは、師匠と弟子の関係を再び構築しているのかもしれない」


 リファニアの人間であるヘルマンニも、”精霊亭”の亭主の行動には、理解しがたいものがあるようである。


「でも、間男は自分から望んだこととはいえ冤罪ですよね。ヘルマンニ様や、カレルヴォ様の集めた証言や証拠があれば罪に問われなかったのでは」


 正義感からパーヴォットが聞いた。


「でも、間男が自供しているからな。どんな証言や証拠があっても自供にはかなわない。法がそうできているので致し方がない」


 カレルヴォが諦観したように言った。


 中世段階のリファニアは自白至上主義である。現行犯でないかぎりはどのように証拠があっても自白がなくては裁判ができない。反対に、証拠や目撃者に欠けていても自白さえあれば死刑にもなる。


「だから、亭主の行った非道は忘れられて、王都では非道な間男と、哀れなお内儀という認識になっている。当事者達が納得しているならそれでいいのだろう。

 しかし、地方に行くと”精霊亭”の亭主が自分の子を調理して、間男とお内儀に食べさせただの、お内儀の顔を傷つけたのは、”精霊亭”の亭主だのという誤った話が流布しているらしい」

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖18 ”精霊亭”の亭主とお内儀の罪と罰 参照)


 カレルヴォが忌々しげに言った。


 祐司は、カレルヴォの話を聞いて夕べの夢で見た”精霊亭”の亭主の事件の内容と地方での話が似ていることで、もし、祐司に夢を見させた者がいるとするならば、いいかげんな噂話を聞いた王都から離れた場所の者だろうと思った。


「さあ、この話は終わりだ」


ヘルマンニが、きっぱりと言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ