ベムリーナ山地の秋霖20 ザザムリバ観光 -地の底へ-
前の話は重たい話でした。この話からは、一転して祐司とパーヴォットにとっては物見遊山の話になります。読者の皆様を、祐司とパーヴォットと一緒にザザムリバ鉱山観光にお招きします。
朝食を食べに祐司とパーヴォットが食堂に行くと、カレルヴォがちょうど食べ終わるところだった。
「よう、この雨だ。連泊か?」
挨拶もなしに軽い調子で、カレルヴォが声をかけてきた。
「そうしようと思っています」
祐司が外の雨の様子を見やりながら答えた。
「そうか。どうせ暇だろう。何か見たいものがあるか」
カレルヴォが、最後のパンをほおばってから聞いた。
「はい、わたしは一願巡礼です。今日はゆっくりここの神殿を参拝しようと思います」
「では、ここの奥の院に行けるように話をつけてやろう。ちょっとばかりやり残した仕事があるので先に出るが、四刻半(午前十一時)に代官所の前の”スズラン”っていう菓子屋で待っててくれ。特製の水飴が名物だから好きだったら食べていればいい」
カレルヴォに、祐司が返事をする前に、水飴が大好物のパーヴォットが、勢いよく「はい」と答えた。
祐司とパーヴォットは、カレルヴォとの約束の時間になるまで、ザザムリバのムーリン神殿を参拝した。
ムーリン神殿は、ザザムリバの北側斜面を少し登った一番最初に銀の採掘が始まった場所にある。
雨が本降りなので、祐司は宿で傘を借りた。傘はどこの世界でもなるようにしかならないのか現代日本の傘と同種の構造だった。
違いは、傘の骨を含めて全て木製で、油を塗った薄い革が張られていた。そのために、日本の傘の二三倍ほどの重量がある。
そのような傘でも貴重品であり、一日の使用料が銅貨三枚で、壊したり紛失した場合の補償金として、銀貨一枚を出さなくてはいけなかった。
祐司とパーヴォットが目指したムーリン神殿は宿からは十分ほどの距離である。
神殿の前は、ほんのささやかな土産物屋街のようになっていた。近在の農民が、土産物屋の親父と口から泡を飛ばして値切っている姿が見られた以外には、雨のためかほとんどの店には客はいなかった。
雨を避けて店の奥にいる店主も祐司とパーヴォットに、愛想のような掛け声以外は、本気で声をかけてくることはなかった。
銀鉱山だけあって供物は銀細工が多い。ただ、産出した銀は、全て王都に運ばれるので銀細工自体は王都で作られた物だった。
銀細工は値が張ると同時に、置物の類がほとんどであるので、終生、旅の空を天井として暮らす一願巡礼の印であるオオタカの羽根を祐司がつけているのを見て客になりそうもないと判断しているようだった。
ムーリン神殿は、石造りで表面はモルタルで仕上げてある中程度の大きさの神殿だった。よく補修してあるようで、新造の神殿のようにきれいな神殿だった。
神殿の中は、そこそこの人数の参拝者がいた。鉱夫姿の男が多い。
神殿から、坑口はほんの数分なので、入坑前に安全を祈願して、また、帰りは事故が起こらず帰ってこれたことをムーリン神に感謝しているようだった。
銀鉱山がある北クルトのヘルトナのペリナ神殿には見事な銀のペリナ神像があったが、ザザムリバの神殿にも人物大の銀ムクでできた神像があった。
この神像は女神である鉱山の守り神ムーリンである。ムーリン神の神像はリファニア王室からの奉納品ということで一段と値打ちのある神像だった。
ムーリン神殿での参拝を終えると、祐司とパーヴォットは街の北側の斜面を登っていった。北斜面の街区の最上段はかなり見晴らしがいいと聞いたからだ。
雨は激しくなるばかりで、滑りやすい石の階段を用心しながら一段一段踏みしめるように登った。
道は迷路のようで、T字路や三叉になった道が進むたびに現れる。地図もなく、道に住所の表示があるわけでもない。
ただ、ザザムリバの街には、行き止まりの道を造ってはいけないという法があった。
これは、出発前にカレルヴォが教えてくれたことだった。行き止まりがないので、遠回りになるかも知れないが目的地の方向へ進んでいけば必ず辿り着ける。
今の祐司とパーヴォットの目的地は北側斜面の一番上である。ひたすら登り道を探して上がって行けばいいのだ。
まるで、九份の街だと祐司は思った。祐司は学生時代に台湾の九份に観光で行ったことがあった。
九份はザザムリバと同様の鉱山都市だったが、産出する金が枯渇した後は、山の斜面に展開するという特異な街の形態から観光都市になっている。
ただ、現代の世界で言えば、ザザムリバの北側斜面に沿った街区は、計画性が無く住居が建て込んだブラジルのスラム街であるファベーラの代表的な例であるリオデジャネイロのヴィディガルの形状に近い。
四半刻も歩くととうとう目的地についた。北側斜面の街区の一番上には小さな展望台があった。正確には最上部にある見張り台の下にあるちょっとした平坦地である。
元々、観光のために作られた場所でもなく、また、雨のために誰もいなかった。
「雨だからあまり展望が利かないな」
祐司は雨に煙るザザムリバの街区を見下ろしながら言った。
「それでも、凄いです。街が一度に見えます。雨でなかったら絵を描いたのにな」
パーヴォットは嬉しそうに眼下の街を眺めていた。祐司にとっては高所から見た街など見慣れた風景だが、高層建築が城館や神殿ぐらいのリファニアでは、街を間近に俯瞰する機会は少ない。
祐司はリファニアに来て街を俯瞰したのは、バナミナの南端の丘の上にあるサモタン城塞の城壁からぐらいだったのを思い出した。
そのサモタン城塞では、巫術師のエネネリと情交をもったことも、今となっては懐かしく思い出された。エネネリは祐司が、リファニアに来て行為を行った女性の中では、また触れ合いたいと思える女性だった。
(第六章 サトラル高原、麦畑をわたる風に吹かれて あやかしの一揆、逆巻く火の手12 伯爵館包囲戦 四 エネネリ 参照)
しかし、エネネリはすでに許嫁と結婚して人妻になっているはずである。
よからぬことを考えたり、妄想していると、また、得体の知れないモノに取り憑かれるなと祐司は密かに自省した。
「ユウジ様、どうしました」
パーヴォットが声をかけてきた。
「いや、ちょっと考え事をしていた」
そう言った祐司は、目の前のパーヴォットを守って、父親の生まれ故郷に連れて行くことに専念しようと思った。そして、パーヴォットとは一線を越えてはいけないと自分に言い聞かせた。
「ユウジ様、あそこは何でしょう」
パーヴォットが指さした場所は、ザザムリバの家が建て込んだ山の西にある山の中腹にある比較的平らになっている台地のような場所だった。そこには、古い造りの円形をした城壁があった。
西の山はザザムリバの北斜面がある山より高いので、中腹と言っても祐司達がいる場所より少し低いだけで城壁の内部はほとんど見えなかったが建物などはないようだった。
「最初に、大きな銀鉱山が見つかったので城壁で囲んで掘りだしたと聞いた。あれは初期の鉱山があった場所ではないかな」
祐司も確証はないながら言った。
「あそこは平らですから、あそこに街をつくればよさそうなのに」
「下を流れる渓流から遠くて水の便が悪いだろう」
祐司はこれも自信がなさそうに言った。
不思議な円形の城壁の正体は、すぐ後で知ることになる。
展望台のような場所からの帰りが一苦労だった。階段の場所が多いが何カ所かは、地面がむき出しになっている急な斜面で道の両側にある家の壁を支えにして滑らないように下っていかなければならなかった。
階段も雨水が下に流れて行くようにか、微妙に傾斜がつけられていて早く歩くと滑りそうだった。
祐司とパーヴォットが、カレルヴォに言われたように、四刻半少し前に代官所の門前にある菓子屋で水飴を食べながら待っていると雨を避けるようにカレルヴォが走ってやってきた。
「待たせたか」
カレルヴォが笑顔で声をかけてきた。
「いいえ」
祐司は返事をすると、パーヴォットといっしょに、カレルヴォについていく。
カレルヴォは、門番に何事かを告げた。門番は軽く一礼をして、祐司達を代官所の中に通してくれた。
「ここで、話をつけてからだ」
カレルヴォは、代官所の門の正面にある二階建ての大きな建物を指さして言った。そして、その開け放たれた入り口から中に入って行った。祐司とパーヴォットも、それについて行く。
「ダブド・ヘルマンニはいるかい」
カレルヴォは、代官所の建物の中に入ると大きな声を上げた。
「おう、カレルヴォ、来たか」
入った場所では、数名の男が事務仕事をしていた。そのうちの一番奥にいた一人がカレルヴォに親しげな声で反応した。
三十半ばという感じで、カレルヴォよりは少しばかり年長のようだが対等に話しているところを見ると友人のようだった。
「鉱山の神殿を見たい。参拝できるか」
カレルヴォがさらに声をかけるとトフリートと呼ばれた男が立ち上がった。男はゆったりした服装で三十前後といった感じだった。雰囲気から郷士階級に属しているのだろうと祐司は感じた。
「今週はまだ坑内の様子も見に行ってないので仕事がてらにオレが案内しよう。神殿も最近は行っていないので安全祈願を頼むことにする」
男はカレルヴォに近づきながら言った。
「ここにいるのが、今朝方話したジャギール・ユウジ殿とその従者だ。一緒でいいか」
カレルヴォは、人目も憚らずに代官所の中でも多少は地位のありそうな男にタメ口で言った。
「信者証明は確認させて貰う。お役目だからな。本人に間違いなければ問題ない」
祐司は少し迷ったが、まず、カレルヴォに信者証明を渡した。パーヴォットも、それにつられるかのかのように同様にカレルヴォに、自分の信者証明を渡した。
カレルヴォは、その二つの信者証明を男に渡す。男はしばらく信者証明を見てから、祐司とパーヴォットに信者証明を直接返した。
「何か事情が?」
男はパーヴォットに信者証明を返すときに祐司の方を見て言った。従者姿のパーヴォットの信者証明には女と書いてあるからだ。
祐司は小声で手短に事情を話した。
「旅では、まま、あることだな」
男はすぐに納得してくれた。
「間違いない。後先になったが、わたしは、ダブド・ヘルマンニだ。このカレルヴォとは王都での飲み友達だ。今は、ここの鉱山奉行のもとで、坑内の治安をあずかる筆頭与力をしている」
男はようやく自己紹介をした。祐司は信者証明を見せた後だが、丁寧に自己紹介をした。
「少し準備をするから、横の控え室で待っていてくれ」
祐司達はヘルマンニの案内で隣の小さな部屋に案内された。
「奥の院に、案内していただけると言うことですか、何処にあるのでしょう」
祐司がカレルヴォに聞いた。
「鉱山の中だ。だから、ダブド・ヘルマンニにちょっと無理を頼んだ」
「おう、これに着替えてくれ。そして、悪いが武器はすべてこちらであずかる。坑内で万が一のことがあって武器を奪われたら事だからな。そして、万が一のことがあったら諦めてくれ」
カレルヴォが、祐司に返事すると同時に、ドアが開いてヘルマンニが、ぶっそうなことを言いながら灰色の雨合羽のような物を四着もって来た。
「鉱夫は麻の青の鉱山着を着ている。囚人は黄色だ。この服も麻だが灰色にして監督官や見学者だと一目でわかるようにしてある。
背中には番号が書いてある。鉱山に入る時に、名前と番号を控えておく。だから、この服を奪ってもダメだ。だから、下着以外は全て脱いで、この服を着てくれ」
「なんか灰色だと、こちらが囚人のようですね」
パーヴォットは、ヘルマンニから受け取った服を広げながら言った。
「囚人は目立つようにするが、職員や見学者は目立たないほうがいんだ」
「万が一の時の用心ですか」
パーヴォットが心配そうに聞いた。
「大丈夫だ。万が一はない。先程のは一寸した軽口だ。今まで見学者が襲われたり、事故に遭遇したことはない。危ない所には連れて行かない。それに、坑内の要所には兵士が配置されている」
ヘルマンニは、そう言いながら服を脱ぎだした。
「実は…」
祐司があわてて、パーヴォットのことを女の子だと再度説明する。
「そうか。うっかりしていた。従者は女だったな。実は鉱山は男しか入れないんだが。まあ、男装して鉱山の神様には目をつぶっていてもらうか」
ヘルマンニは、渋い顔をしたがパーヴォットが鉱山に行くこと自体は止めなかった。
「じゃ、男がここで着替えたその後で着替えて貰おうか」
ヘルマンニの声で、パーヴォットがあわてて部屋から出て行った。
代官所から、坑口までの道は祐司とパーヴォットが、ムーリン神殿に参拝した道の半ばまでは同じ道だった。途中の分岐点を過ぎて、すぐに門があり、そこで、鉱夫が持っている鑑札を兵士が点検していた。
「ちょうど、早番遅手の鉱夫が上がって来て、中番遅手が入坑する時間だ。鉱夫は早番早手、早番遅手、中番早手、中番遅手、遅番早手、遅番遅手の六組に分かれている。
坑内には交代で、そのうちの二組が入ることになっている。鉱夫は三交代で、全体を六組に分けていると途切れることなく作業が続けられる」
ヘルマンニが説明してくれた。
「ヘルマンニだ。三名の見学者と一緒に坑内の巡視を行う」
ヘルマンニは、兵士に近づくとかなり尊大な声で言った。門の前にいた三人の兵士は直立不動の姿勢をとった。
ヘルマンニは、祐司やカレルヴォの前では気さくな様子だったが、坑内治安担当の長というからには、兵士にとってはかなり上位の上司であるはずである。
「ご案内します」
一人の兵士がそう言って持ち場を離れようとした。
「いや、いい。それより、しっかり鑑札を確認しろ」
兵士は、ヘルマンニの言葉に右足で地面を踏みつけるような仕草をした。本来なら格好良く、ザッというような音がするはずであるが雨に濡れた地面を踏んだ足はズッという鈍い音を出した。
「何か忘れていないか」
ヘルマンニが、兵士に言う。兵士はハッと何かに気がついた顔をした。
「あの、入坑許可書をお持ちでしょうか」
「これだ」
兵士の問いかけに、ヘルマンニは自分で書いた入坑許可書を出した。兵士はそれを受け取って「間違いありません」と言ってからヘルマンニに返した。
「毎日のことで、つい気が抜ける。顔見知りでも絶対に鉱夫の鑑札や、入坑許可書を確認しろ。
もし、入坑許可のことで文句を言う手合いがいたら、代官であろうがオレの指示だと言って確認するんだ。それが、例え、リファニア王、その人であってもだ」
ヘルマンニは、最初の尊大な口ぶりとは異なり威厳はあるが優しい口調で兵士を諭した。祐司はヘルマンニは、なかなか気骨がある上に、下の人間を使うことを知っている男だと感じた。
門を入ると、そこは、樹木もなく草まで刈られた緩やかな傾斜を持ったスキーのゲレンデのような広場だった。周囲は、窓のない家の壁がそのまま広場を取り囲む壁として使われていた。狭い街区を有効に利用する算段のようだった。
広場の奥、一番高くなった場所には、数メートルほどの高さの石壁があり、その向こうにはムーリン神殿があった。
ザザムリバ北側斜面の上から見た時は、ムーリン神殿があるためと、都市部の小学校の校庭ほどさして大きくない広場のために、この坑口のある斜面は見えなかったようだ。
その傾斜のある広場の真ん中は、少しばかり平らになっており、櫓が組んであった。その櫓の隣には、大きな小屋と言った造りの建物があり、その建物から櫓に向かって太いロープが延びていた。
ロープは建物に向かって動いていた。やがて櫓の下から、細長い木を組んで作ったかなり大きなゴンドラのような物が上がってきた。
櫓の周囲にいた数名の男が、ゴンドラの下に太い角材を入れて固定した。すると、人の背丈よりも高さのあるゴンドラの横にあるドアが開いて二十人ばかりの鉱夫が出て来た。
いくら大きなゴンドラとはいえ、あれではすし詰め状態だったろうなと祐司は思った。
ヘルマンニは、どんどん、そこに近づいて行く。
「早番遅手組は全部上がったか」
ゴンドラの横で、鉱夫の鑑札を確認していた男に、その仕事が一段落ついたのを確かめてからヘルマンニは声をかけた。
「はい、ダブド・ヘルマンニ様、これで、最後です。先に中番早手組は全部降りました」
ヘルマンニに返事をした男も、次の問を予想して答えた。
「そうか。ご苦労だが、わたしと、見学者が降りる。もう一仕事頼む」
ヘルマンニは、許可書を見せながら言った。ゴンドラの責任者らしい男は、「はい」と返事をするとゴンドラを上下させるロープが延びている小屋に入って行った。
ヘルマンニは、手で合図をして祐司達を呼び寄せると小屋の隙間から中を見せた。
小屋の中には直径が四メートル程の大きな回転台があった。ハムスターが回す回転台の超大型版で中に数人の人間が入っているのが見えた。
「この回転台から延びたロープを使ってゴンドラで下に降りる。降りるときはブレーキをかけながらだから苦労はない。
上がりは、そこの建物の中にある巻き上げ機で上がる。巻き上げ機の中には、出所間近の囚人が七人ばかり入っている。唯一、囚人が坑道の外でできる仕事だ」
祐司、パーヴォット、カレルヴォの三人が興味津々でのぞき込んでいると、後ろからヘルマンニが解説するように言った。
「七人ばかりで、あのゴンドラに乗っていた鉱夫を引き上げることが出来るのか」
振り返ったカレルヴォが、少し心配そうに言った。
「ここを見てくれ」
ヘルマンニが近づいてきて、回転車の心棒を指さしてさらに解説した。
「人が入って回転させる回転車に対して、引き上げるロープはかなり細い心棒に巻き付けられる。
梃子の応用だ。ゆっくりだが、人一人で四人ほどの重さを持ち上げることができる。それでも、足りないときは動滑車を途中に入れる」
「なんかわかったようでよくわからないな。巫術ではないのだな」
カレルヴォは、納得しがたい顔をしていた。リファニアでは、理解しがたいことは巫術の作用と言っておけば大概納得される。
また、社会的に高位の者でも、学校教育のような体系的な教育を受けているワケではないので、日本なら小学校高学年の児童でも知っているような理数関係の基礎的な知識であっても理解している者は少ない。
「さあ、乗って」
ヘルマンニは、カレルヴォの背中を叩いてゴンドラの方へ誘った。
祐司とパーヴォットも、それに付いて行く。




