最果ての村アヒレス6 母娘
これから三話にわたって、祐司が忘れることができなくなった薄幸の少女の話が続きます。
「おはようございます。何かお手伝いできませんか。一日ごろごろしているわけにもいけません」
忌まわしい事件の翌朝、店に出かける準備をしているヨスタに祐司は声をかけた。
「ユウジ様に何かしていただくなど」
ヨスタは困ったように言った。
「ヨスタさんへのお願いです。何だったら店員をします」
それでも祐司は粘って言う。
「わたしがユウジ様を店員として雇うというのは特許関係からはまずいですね。どうしてもというのなら、わたしの護衛ということではどうですか?」
ヨスタは少し考えてから言った。
「護衛ですか」
「後三日ほどはここにおります。しかし、最初に運んできた商品は大方さばけました。また、今年は少なかったとはいえ毛皮もそれなりの量になっております。
いつも商売の中日の午後は村の外れまで行って息子が運んできました商品を補充して、毛皮を引き渡します。今日はそこまでの護衛をお願いします。
それからアヒレス村は狩猟や木樵、木地師で生活している者も多い地域なのです。ですから村の領域は広いのです。
明日くらいから、それらの者がわたしが来ているとの噂を聞いてここにやって来ます。ここの村人と違って本当に人付き合いをしない者や、通常は村に入ることが憚れるような者達も来ますので貴方が刀を持って店にいてくれるだけでいいのです」
「そういうことなら、今日の午後には店に行きます」
「じゃ、わたしは先に行っています」
祐司は昨日、グネリに頼んでおいた神官館にある”太古の書”を見せてもらいに行くことにした。先代の神官が定番の書の他に数冊の稀覯本を入手したという話を聞いたからである。
祐司は万が一にでもネギャエルーガ書のもとになった文章でも記載されていればと思っていた。
そろそろ朝の礼拝が終わって神殿からグネリが出てくる頃だと思い、祐司は神殿へ向かった。神殿、といっても木造であることと、大きさやたたずまいから十字架のない教会といった方が分かりやすい。
その神殿の前に、二人の女が立っていた。どうも様子から母娘のようである。
祐司はその娘が村に入った時に出会った少女だと気がついた。
おしなべて村人の服装は質素の一言に尽きるが、今、その少女は基準から見てもお粗末すぎるというか、汚れた穀物袋をまとっているような姿である。
母親らしき女は白髪交じりの濃褐色の長髪だがもう何ヶ月も洗っていないようでいくつもの髪の毛の束ができている。皮膚は汚れまみれで、栄養失調なのだろう骨がある部分はすべてその骨が浮き出ていた。
娘の方は母親と同じように痩せている。ただ若いだけあって、母親と比べると皮膚の生気は少し残っていた。
薄褐色の髪の毛は今日は束ねていなかった。髪は櫛を入れた様子はないが背中の上で長さが揃っていた。
そこへ、ちょうど朝の礼拝を終えたグネリが神殿から出て来た。
「テスラ?」
グネリが娘の方へ声をかけた。
「ナチャーレ・グネリ様、お願いがございます。もうディオンとかいう男もいなくなったと聞きました。ですから娘をもう一度、神官館でご奉公させてやってください」
母親らしき女が手を合わせてグネリに懇願した。
「あの事件さえなければね。でももう、終わったことです。それに昨日、村長さんの姪を神官見習いを兼ねて来週から神官館の方の家事手伝いに来させると決まりました」
グネリは間髪を入れずに事務的に言い放った。
それを聞いた祐司は、昨日、グネリの告白を黙っている代償に村長が条件を出したことを察した。
神官長に見込まれて見習になり数年勤めれば、神官学校の補助過程へ入学が許可される。本過程に進んで神官に任命されるには成績によるが、余程のことがなければ経験をつんだ見習は特定の神殿のみに属する認定神官に任命してくれる。祐司はスヴェアが言っていた話を思い出した。
将来、神官もしくは認定神官として身内が村に戻ってくれば村長としては、祭政ともコントロールできるうまみがあるのだろう。
「下女奉公でいいのです。男のやるような力仕事でもなんでもさせますから。お恥ずかしいですがこの冬に亭主に死なれ、下の男の子も後を追うように流行病で死にました。家にあるのも商売道具や服、家財道具でもそれこそ鍋まで食べ物と交換して冬を乗り切ってまいりましたがもう限界なのでございます。すっかり行き詰まってしまったのです」
母親は切羽詰まったように言う。
「薄情な言い方と思われてもしかたありませんが、あなたの亭主バジャーン・ケステはあなたの家の重荷でしかなかった。
仕事もろくにせずに酒を飲み、近所中に借財をこしらえ時に暴力騒ぎを起こす。挙げ句の果てに神殿に火をつけようとしていたのを見られ夜警に止められた。
第一、テスラは本当に誠心誠意、またわたしの元で働きたいと思っているんですか?」
グネリは母親を言外に諭すように言う。その娘を神殿で働かすことはできないということを。その話が終わる間もなく母親を押しのけて少女がグネリの前に立った。
「いくら父ちゃんが悪くてもあそこまでしなくていいだろう。父ちゃんが火をつけようとしたっていうけど、あの時はもうわたしがやめさしていたんだ。
それなのに倒れた父ちゃんが動かなくなるまで、みんなで蹴ったり棒で叩いたんだ。父ちゃんはその怪我で死んだんだ。乱暴を止めてくれっていうわたしの頼みをお前は聞いてくれなかったじゃないか」
少女がわめくようにグネリに詰め寄った。
「テスラ、なんてことを。ナチャーレ・グネリ様にお謝り」
母親はおろおろした口調である。
「怪我をしたことがもとで死んだのは気の毒ですが、家族を含めて村から追放という村会の提案に対して、家族の神殿への出入り禁止と、バジャーン・ケステを本村へ立ち入り禁止で止めたのはわたしですよ。
テスラよ。わたしが夜警を止めなかったと言いますが、バジャーン・ケステはわたしを侮辱する言葉を吐き続けていました。あなたもそれは聞いていましたね。それを、止めるように何度もわたしは懇願しました。それでも、わたしへの侮辱を続けたので夜警は力を振るわざるをえなかったのです」
グネリは鋭い目で彼女を睨む少女に冷静な口調で言った。
「どうしようもない父ちゃんだったけど、あの時は、わたしの為に言ってくれたんだ。だから、わたしも言ってやる」
少女は少しグネリから離れて彼女を罵倒した。
「この売女!」
テスラはそう言うと、石を拾い上げてグネリに投げつけた。石はグネリの胸に当たって落ちた。それでもグネリは身じろぎせず黙って立っていた。
「テスラ!!」
母親は苦しげに叫ぶ。
「ディオンさんを殺したのはお前だ。お前の悪事が露見しそうになったからディオンさんを殺して罪をかぶせたんだ。お前は真の底から売女だ。性悪女。腹黒女」
少女の罵倒は続く。
いつの間にか、神殿に礼拝に来ていた数名の村人が何事かと周りを取り囲んでいた。
「このアマ、お優しいナチャーレ・グネリ様になんてことを」
そう言ういうと、村人の一人がテスラに石を投げつけた。石はテスラという少女の額に当たり血がしたたり落ちた。
「お前ら、みんな地獄へ行け」
テスラは捨て台詞を残して走り去った。祐司はまだ寒いこの時期にテスラがやはり裸足であることに気がついた。
「ラァムズリー・ホンリーネル、神官館に来なさい。少し食べ物を出しましょう」
グネリは少女が走り去った方向をしばらく無言で見つめていた。そして、いつの間にか跪いている母親に声をかけた。
「いいえ、なんとお詫びしていいのか。今からあの子を探しに行きます。見つけましたらナチャーレ・グネリ様の前に縄をつけてでも連れてまいります」
母親は土下座せんばかりに姿勢を低くして言った。
「同じ事の繰り返しになりますよ」
「どうぞ、お慈悲でございますから、あの子に罰をお与え自分のしでかしたことをお教えください。でないと、あの子は末恐ろしい目に合って死にます」
母親は苦しげに立ち上がると、少女の去った方向へ向かった。
「先程はお見苦しいところを見せました」
グネリは神官館の客間でハーブティーを祐司に勧めながら言った。
祐司はできればグネリと二人だけの席は避けたかった。しかし、グネリに神官館にある古文書を見せてもらうという目的のために致し方なく、グネリのお茶をという誘いに従ったのだ。
「あのテスラとかいう少女はここで働いていたんですか?」
祐司はできるだけ祐司とグネリの二人に関する話題にならないように、そしてテスラという少女に心穏やかならぬ気配を感じたので先ほどの出来事で話題を繋ごうと思った。
「ええ、雑用のために奉公させていたのです。利発な子で文字なども教えていました。村の方々が交代で薪割りや洗濯をしてくれたり、食事の差し入れをしてくれますので雑用の奉公人が必要なわけではありませんでしたが」
グネリもテスラに関しては、本心は同情的なのかすぐに真摯な顔つきで話し出した。
「父親に問題があったのですね」
「ええ、腕の良い木地師なのです。ですが酒を憶えましてね。もともと大抵の農家では自家用の黒ビールを作っています。ただ、木地師では人に商品と交換で手に入れるしかありません。そこで止まっていれば、まだよかったのです。
密商人が運んで来るジャガイモの酒に手を出すようになったのです。わたしは飲んだことがありませんが、すごい匂いのするきつい酒です。村会でも禁止してはという話が出ています」
祐治は芋焼酎やアクアビットの原始的なものであろうと察した。
「ほとんど仕事をしなくなったバジャーン・ケステ。あの子の父親の名です。本来なら不肖の父親にかわって一家の長となるべきテスラの兄に少し年の離れたルードビニという男がいますが、数年前に父親と喧嘩して村を飛び出てしまいました。
そこで、バジャーン・ケステのかわりに見よう見まねで母親のラァムズリー・ホンリーネルが他の木地師からの頼まれ仕事をしておりましたが一家を養うほどの収入は稼げなったようです。
でもラァムズリー・ホンリーネルは熱心な信者でありましたので、助けるつもりで口減らしのためにテスラをここに奉公させることにしました」
「テスラという子はディオンのことを口にしていましたが、ここを出たのはディオンと関係あるのですね」
祐司はハーブティーを飲みながら少し眉を上げて聞いた。
「ええ、そうです。ディオンは女好きだったのはご存じですね。街暮らしの遊び慣れたディオンが山で育った少女の心を捉えるなど造作のないことです。ディオンがテスラに手近な女として目をつけているのはすぐにわかりました。どうせ、弄(もてあそぶ)だけの対象です。
そこで、間違いの起こらないうちに家に帰そうとしました。でも、それは遅かった。テスラはすっかりディオンに身も心もたぶらかされてしまっていました」
グネリは首を左右に振ってため息をついた。
「正直に言います。わたしはテスラが憎かった。そう、ディオンがわたしを利用するためにわたしを捨てることはないとわかっていながら、テスラに嫉妬したのです。それはあの子にも伝わったのです」
グネリはそう言うと、祐司の目をじっと見つめた。
「正直に言ってくれて嬉しいです」
「ユウジさまには隠し事などいたしません」
グネリは少し微笑んで言った。しかし、その表情は、すぐに暗くなった。
「でも、信じて下さい。わたしの理性はここにディオンとテスラがいればテスラは不幸になると判断したのです。だから実家に帰しました。そして、あの子は、あることないことを父親に告げ口しました。それは母親のホンリーネルから後で聞きました。
心ではバジャーン・ケステも娘を想う父親であり、また負い目もあったのでしょう。ですから、酔いに勢いを任せて娘の復讐の為に放火事件を起こしてしまったのです」
「死んでもディオンという男は祟りますね」
祐司もため息をつきながら言った。
「あの母娘はどうなりますか」
「今日の騒ぎは拙かったですね。テスラの年では子どもがしたことという言い訳も通じませんし」
グネリは少し考えてから答えた。
「まあ、そのうち村会の方が何か言ってきます。そのころには少しほとぼりも冷めるでしょうから、元々はディオンが元凶であり、わたしが許すということで貧窮者扱いにして貰います」
「貧窮者扱い?」
「この辺りの村ではよくあります。村で食い詰めてしまった一家をばらばらにして、余裕のある家での作男や下女とするのです。少なくとも数年はかかるでしょうが僅かでも給金を貯めてまた一家で暮らせるようになるまでの救済処置です。
問題は引き受けてくれる家があるかどうかです。これはわたしの心当たりを当たってみましょう」
本当に心当たりがあるらしく、グネリの言葉は力強かった。
「是非、そうしてあげて下さい。あの子もディオンの被害者です」
祐司の思いは届かなかった。




