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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き
223/1161

虹の里、領主領バーリフェルト8  祐司、虎の尾となる 下

 ズラーボン・ルチョムの部屋から出てくると廊下に、代官のヴァジームが立っていた。


「どうだ」


「少し、手代の方々とお話をしていいですか」


 祐司は監査を引き受けるかどうか迷っていた。ルチョムの言ったような帳簿の精査を行うとなると短期間で終わるとは思えなかったからだ。


「すぐに集めよう」


 ヴァジームは踵を返しながら言った。それを、祐司はあわてて止めた。


「いいです。こちらから働いている場所を回ってお話を聞きたいと思います。でも、わたしが一人で行くと怪しがられますので、お一人手代の方を案内にお願いできますか」


 祐司の要請で、首席手代のラディスラという初老の物腰の柔らかい男が案内役についてくれることになった。


 小さな代官所と言っても、首席手代を筆頭に、上手代、手代、手代見習に分かれた数十人の手代、そして、雑役をする雇員がいた。

また、責務も細かく分かれていたが、祐司は一つ一つの担当者に仕事の内容を聞き込んだ。


 最大の部署は年貢徴収だった。年貢の徴収時期でありかなり多忙な様子だった。そこには、祐司の見知っている手代がいた。それは、昨日、ネルグレットを救出した後で、犯人を刺し殺したアスランだった。


「おや、アスランさんですね」


 祐司は他の手代に仕事の指示をしていたアスランに声をかけた。


「ジャギール・ユウジ殿、何か御用でしょうか」


 振り向いたアスランは、少しばかり祐司を見てから声を出した。アスランの発する光がざわめくように揺らいだ。


「はい、ズラーボン・ルチョムさんにかわって監査の仕事を頼まれました」


 祐司の言葉に、アスランの発する光はより一層大きく揺らいだ。監査を行うと言ったことで、自分の発する光が揺らぐほどの反応を見せたのはアスランだけだった。


 祐司はアスランが年貢の不正に関係があることを確信した。


「どのようにして監査を行うのですか。何かお手伝いできることがあればします」


 アスランが探るように言った。


「はい、帳簿の点検ですね」


 祐司の返事に、急速にアスランの発する光が落ち着きを取り戻し始めた。不正があるとしても帳簿は無関係なのだ。


「今、どのようなお仕事をしているのですか」


 祐司は、アスランから出来るだけ情報を聞き出すことにした。嘘をつかれたらつかれたで祐司には、それを見破ることができるのであるからどこで嘘を言ったということで、より重要な情報が得られることになる。


「これから、計量室で穀物の重さを量ります。その差配をしています」


「アスランさんは計量の担当ですか」


「まあ、決まっているわけではありませんが、ここの次席ですから計量の仕事をもっぱら行っています」


「お一人でですか」


「いいえ、計量で間違いがあっては大変ですから複数でします。村長や組長、農民の代表も立ち会います。ここでは、間違いは起こりません」


「組長というのは?」


「集落の中の有力農家です。数軒から十数軒ほどの代表となります。村長などは組長からでます」


「では、計量で間違いはおこりようがありませんね」


「はい、おこりません」


 そう言ったアスランの発する光が、大きく揺らめいて色合いも変化が出た。祐司は標的が計量にあることを悟った。


「計量所を見ていいですか。できれば、詳しそうなアスランさんに説明して欲しいです」


 祐司は、付き添っていた首席手代に頼んだ。


 

 祐司は計量所を見た後、倉庫などを点検してから、馬に乗って一人でダゴル城にもどった。ダゴル城が見えてくると、正面に見える窓に人影があった。その人影は祐司が窓の方を見るとあわてて隠れた。


 祐司はそれに気がつかないふりをして城に近づいた。正門でパーヴォットが手を振っていた。


「ここで待っていたのか」


「いいえ、厩で馬とラバの世話をしていました。そうしたら、馬の蹄の音が聞こえてきましたので急いで門に走ってきました」


 そう言うパーヴォットに手伝ってもらって祐司は馬を厩に戻してから、祐司はパーヴォットを伴って、近くにいたネルグレットの随員にネルグレットへの面会を求めた。 


 すぐに、祐司とパーヴォットは、朝方に呼び出された部屋に連れて行かれた。朝は椅子が一つだけ置かれていただけだったが、椅子が数脚に机が新たに運び込まれていた。

 朝と同じ椅子にネルグレットが座り、右手の椅子には次席家老のハプティスが座っていた。さらに部屋の隅にはプロシウスが朝と同じように立っていた。


「どうだ。引き受ける気になったか」


 ネルグレットは祐司が部屋に入ってくるなり聞いた。


「出来る限りのことしかできません。それが、ブアッバ・エレ・ネルグレット様のお目に叶わなくともお許しを願いいたしたく存じます」


 祐司は頭を下げながら言った。


「よし、金は出す。手伝え」


 ネルグレットは、思い詰めたように言った。


「いくらでございますか」


 祐司は畳みかけるように言った。


「金のことはよくわからぬ」


「別にわたしは儲けようとは思いません。お志で結構です。また、わたしの働きにご不満なら一切、金を出していただかなくて結構です」


 祐司は、相応の働きをした場合に、ただ働きでなければ幾らでもよかったのだ。


「頼んでおいて、気に入らぬから金を出さないという作法はバーリフェルト家にはない。よし、今、ユウジが持っている金の同額の金を出そう」


 ネルグレットはとんでもないことを言い出した。確かに常識では一願巡礼の持っている現金など知れた額である。

 祐司も旅の最初には、スヴェアから都合して貰った金貨銀貨で、金貨十数枚程度の金しか持っていなかった。


「それでよろしいか」


 祐司は笑いが込み出しそうになるのを堪えながら言った。


「わたしを誰だと思っておる。貴族に二言はない」


 ネルグレットは、少しきつい口調で言った。


「パーヴォット、財布を持ってきてくれ」


「全部ですか」


 パーヴォットはわかっていながら聞いた。


「全部だ」


 祐司の返事にパーヴォットも、にやりとした表情を浮かべると部屋に財布を取りに行った。パーヴォットはすぐに戻って祐司に三つの財布を渡した。

 祐司はそれを部屋の隅にいたプロシウスに渡した。プロシウスは財布を受け取るなり、その重さに驚いた顔をした。


「お確かめください」


 祐司は、頭を下げて後ろ向きに下がりながら言った。


「金貨六十二枚と銀貨三十三枚、銅貨五十三枚をお持ちでした。それに為替で金貨六百八十一枚です。合わせて金貨七百四十三枚、銀貨三十三枚、銅貨五十三枚です」


 しばらく、財布の中身を確かめていたプロシウスが落ち着いた声で言った。


「出してやれ」


 ネルグレットが意地になって硬い口調で言った。


「ネルグレット様、ここの所領から去年、王都に送られてきた収入が金貨千二十五枚と銀貨十四枚でございます」


 プロシウスは慌てているのか、ネルグレットの尊称を飛ばして言った。


「貴族に二言はない」


 ネルグレットは断固とした口調で言った。今更、取り消してくれと言うことは、ネルグレットの自尊心が許さなかった。


「ブアッバ・エレ・ネルグレット様、言わせて頂きます。金貨七百四十三枚と言えば、バーリフェルト家の年収の十分の一に当たります。

 当家の年収は領地からの年貢が平均して金貨三千九百枚ほどです。それにお役のお手当金貨千三百枚で合計金貨五千二百枚です。さらに小作代として金貨ニ千四百枚がありますが、それを足して金貨七千六百枚です。

 当家には郷士五十八名、郷士格四十五名、その他の家臣四十九名、家臣待遇の兵士五十七名、雇員待遇の兵士ニ百八十五名、雇員三十八名、奉公人と使用人七十一名がおります。その他、ご親族十名にも、数十人の家臣奉公人がおります。そして、それぞれの人間には数名の家族がございます」


 プロシウスが哀願するようにネルグレットに言った。ネルグレットも出せない額であることは重々承知しているが黙っていた。


 ただプロシウスの言った金貨七千六百枚という数字はバーリフェルト家の公的な収入で、バーリフェルト男爵個人の小作地や家作収入がほかに金貨で二千七百枚ほどもあり、バーリフェルト家家族の生活費や屋敷の使用人の給金といった内向きのことに使われるとともに過半が不足する公的な支出を補填している。



「どのようにしてそのような大枚を手に入れた」


 次席家老のハプティスが不審げに聞いた。


 祐司は、薬師としての働きから始めて、”バナジューニの野の戦い”、”伯爵舘包囲戦”での報償のことに加えてバルバストル伯爵の危難を救った話を話した。

 そして、持っている紹介状を全て、次席家老のハプティスに見せた。紹介状や手紙を読み進めるうちにハプティスの顔は険しくなった。そして、祐司がシスネロス市民権を持っていると知ると苦い顔になった。


 シスネロスはリファニア第一の自治都市である。その市民権はリファニア王も認めたものであり、シスネロス市民権保持者がドノバ州以外の他州で犯罪を起こした場合でも、シスネロス市に、その犯罪内容と処罰を報告する義務が捕らえた領主に課されていた。


 帝政ローマのローマ市民権ほどではないが、シスネロス市民権は持っている人間の背後にシスネロス市がいることで信用を得ることができた。そして、シスネロス市へ報告するための諸経費を考えて些細な犯罪なら見逃される位の特権はあった。


「このような、紹介状を持っている平民はリファニアでも数少ないかと。古今無双の勇者でございます」


 ハプティスは、紹介状の概要をネルグレットに手短に話した。ネルグレットは、ハプティスから祐司の紹介状を受け取ると、逐一読み出した。


「ドノバ候やバルバストル伯爵殿下、シスネロス市からはもったいないほどの報償を頂きました」


 祐司は、紹介状を読んでいるネルグレットにまた事務的口調で言った。いくら、丁寧な言い方でも事務的な口調は相手との上位下関係を否定する。そのような言い方にネルグレットは、混乱しているようだった。


 事務的口調は相手には丁寧に言っているが、心はそうではない。でも、丁寧に言っているために咎めることもできないのだ。


「バルバストル伯爵の危難を救っていくらいただいたのだ」


 ネルグレットがようやく祐司に精一杯の虚勢を張って聞いた。


「直接には金貨四十枚でございます。そして、終身で毎年金貨十枚をいただくことになっております。ご不審なら使者を出して確かめて下さい」


 ずっと、事務的に話す祐司の言葉の一つ一つにネルグレットは打撃を受けていた。それは、ネルグレットが発する光の揺らぎで祐司には手に取るようにわかった。

 貴族であるネルグレットであるからこそ、ドノバ候やバルバストル伯爵と比べて、自分がいかに小さい存在かは理解している。


 ネルグレットは、バルバストル伯爵、高位の神官から、祐司に手厚くして欲しいと書かれた紹介状にも驚いたが、ドノバ候麾下のグリフード男爵の紹介状は実質的にドノバ候の意向を持った紹介状であることは文面からすぐ理解した。そのような紹介状を持った祐司に自分がどのように接すればいいのか混乱していた。


「それが相場か?」


 次席家老のハプティスが聞いた。直接、戦乱に巻き込まれることの少ない王都の貴族は戦いでの報償には疎いようだった。


「はい、ドノバ候家は知りませんが、バルバストル伯爵家には手柄に対する換算表があると聞きました」


 祐司の言葉にハプティスは小さな声で「そうか」とうわの空で返事した。ネルグレットを誘拐犯から助けたことで褒美を出す必要があることはわかっているがその相場で悩んでいたようだ。


 おおよその算段はあっただろうが、祐司がバルバストル伯爵を助けたことで、一時金で金貨四十枚、終身で毎年金貨十枚というのは思っていた額とはかなり差があるのだろうと祐司は思った。


「今度の監査のことですが、銀貨一枚で結構です。ただし、三つのお願いがございます」


 空気が重くなってきて、誰も何も言わないので祐司は思い切って口火を切った。


「なんだ」


 ネルグレットが、ちょっと投げやりな言い方で聞いた。


「一つ目は五日後には出立させてください。わたしは監査などしたことはありません。でも、精一杯いたします。でも、五日目に出立させて下さい。二つ目はここの神殿にある”太古の書”を従者が書き写すことをご許可ください。

 三つ目は、わたしたちがここを出発したら関わりを持たないで下さい。援助も嫌がらせもなしです」


 祐司が言い終わる間もなく、ネルグレットの発する光は乱れた。


「ユウジ殿、後生だ。三つ目の願いは取り下げろ。いや、取り下げていただきたい。貴方に助けてもらい何の礼もしないなど考えられない。

 父の立場も考えて欲しい。王都の府内警護隊長が娘の命を助けた者に何の礼もしないなど考えられない。世間体もあります。貴方にお礼をしないなどということになったらバーリフェルト家の面目は丸つぶれになります。王都とは面目を大切にする場所なのです」


 ネルグレットの言葉は終わりになるほど懇願になっていった。


「わかりました。三つ目は取り下げます。関わり合いは常識的な範囲でお願いします」


「わかった。それから、これはわたしの願いだ」


 そう言うネルグレットの発する光の色が小刻みに変わった。


「なんでございましょう」


「わたしのことを嫌いにならないでくれ」

 

 突然、ネルグレットは今朝方のやり取りのことを持ち出してきた。ネルグレットの発する光は色の変化とともに大きく揺らいだ。


「はい、嫌いではありません。朝方のことは戯れと思ってください」


 祐司の言葉にネルグレットの発する光は落ち着きを見せてきた。


「銀貨一枚とは、あまりに些少な金額であることはわたしにもわかる。どの程度がよいか」


 ネルグレットは少し余裕を持ったように祐司に言った。


「監査は専門職でございます。しかし、わたしは素人ですから一日について銀貨一枚、五日で銀貨五枚でいかがでしょう」


 祐司は報酬など幾らでもよかったので口から出るにまかせながら答えた。


「銀貨五枚は先程の額と較べたらどの程度減るのだ」


 ネルグレットはプロシウスに聞いた。プロシウスは服の袂から算盤のような道具を取りだして計算を始めた。

 祐司もシスネロスで小型の算盤を購入して持っていたが、プロシウスの算盤は、それよりも小型で手の平ほどの大きさしかなかった。


「約千七百九十分の一です」


「それでは、こちらの了見がたたない。出すと言っていた分の千七百九十分の一だぞ。では、一日銀貨二枚と銀貨二枚を足して、銀貨十二枚、すなわち、金貨一枚としよう」


 ネルグレットは勢いで思いついたことを言った。祐司はこれ以上、つき合いきれないと思い奥の手を出した。


「引き受けます。もし、期日以内に成果がでなければいただきません。神々に誓い金貨一枚でお引き受けします」


 リファニアでは神々に誓うという言葉の意味は重い。


「よかった。わたしも金貨一枚を出すことを神々に誓おう」


 ネルグレットも祐司につられるように言った。


「金貨一枚でも最初の報酬のおよそ七百四十六分の一です。ブアッバ・エレ・ネルグレット様、出すからには金貨十枚が相当かと」


 プロシウスがあわてて止める。


「先程も言いましたように、この件で利益を受けようとは考えておりません。お幾らでもお引き受けいたします。しかし、今、わたしとブアッバ・エレ・ネルグレット様は双方神々に金貨一枚と言うことを誓いました」


 リファニアでは神々に誓ったことを変更するなど考えられない。


「わたしがその金額でバーリフェルト男爵家に対してお引き受けしたことを、正式に文章で残していただきたく存じます。

 一願巡礼を続けるための、わたしの本業は薬師です。ただ、バーリフェルト男爵領の監査をしたとなると、今後、わたしの商売上の経歴で利が出ます」


 祐司はまた少し面白いことになってきたと思った。

 

「ネルグレット様、ここはわたしが個人でジャギール・ユウジ殿にお願いしてということにしていただいてはどうでしょう」


 祐司の要求に次席家老のハプティスが、あえぐようにい言った。今後も祐司はドノバ候麾下のグリフード男爵や、マール州第一の領主であるバルバストル伯爵の紹介状をどこかで見せるだろう。

 その時に、遙かに格下のバールフェルト男爵家が祐司に安価な額で監査をさせたという書類がいっしょに出ては面目がたたないのである。


 監査はリファニアでは、高度な計算ができる人間の専門職である。バーリフェルト家のように、心得のある自家の家臣に監査を行わせることもあるがきっちりした家では何年かおきに専門家に監査を依頼する。

 このため、領地の監査業はリファニアでは成り立つ職業である。バーリフェルト領程度の地域の監査を専門家に依頼すれば金貨十枚では破格の安価な値段と言われる。


 金貨一枚で監査を祐司にさせたとあっては、脅かしてさせたのだと思われる金額である。

リファニアは身分社会であるから、貴族はごり押しが効く。そのために痛くもない腹を探られて陰口をたたかれることもある。


 そのために、次席家老ハプティスは、自分の依頼にして主家にいらぬ悪評判がおよぶことを避けたかった。


「どうだ。わたしが金貨一枚を個人でユウジ殿に約束する。ハプティスが個人でユウジに依頼したということでいいか」


 ハプティスが哀願するような目で祐司を見ながら言った。


「それで、結構でございます。わたしの我が儘を聞いていただきありがとうございます。金貨一枚の監査ですから報酬など形ばかりです。

 何度も言いましたようにわたしは利を求めていません。銅貨一枚でも構わないのです。なにしろ、ハプティス様とわたしは知り合いですから」


 祐司は自分でも歪んだ笑い顔で言っているだろうと思った。それでも、作り笑いを交えながら言った。


「そう。そうだ。知り合いだ。友人だ」


 ハプティスは言われていることが充分理解できないまま答えた。


「親しい友人ですか」


 祐司が追い打ちをかける。


「そうだ」


「では、紹介状をよろしく。ハプティス様とわたくしめは友人であると紹介してください」


 ハプティスの顔色が変わった。そして、ハプティスの発する光が乱れた。


 リファニアは身分社会である。個人的に親しくすることはあっても、身分が異なる者が友人の関係になることはない。というか考えられないのである。このあたりの感覚は現代日本の人間は理解できない。


 現代日本でも生活レベルの違いから、擬似的な身分差が生じて友人関係になることは難しい場合もある。それでも、同窓や同期といった関係なら友人として成り立つこともあるだろう。


 友人とは対等な人間関係であるので、身分社会のリファニアでは困窮した郷士と裕福な平民でも友人になれない。郷士は平民を庇護して導く存在であり、平民は郷士を畏敬するものだからである。

 

「い、いいだろう」


 ハプティスは苦しそうに言った。紹介状で平民を友人として紹介すれば、二人の間に感動的な美談でもあったか、余程の弱みを握られていると取られかねないからだ。


「わたしが、ハプティスとジャギール・ユウジは親しい間柄で、ジャギール・ユウジが安価で監査をしてくれたと書いた紹介状を自筆で書こう」


 ネルグレットが助け船を出した。女性であっても貴族の継嗣であるネルグレットが直筆で平民のために紹介状を書くのは王都では異例である。

 このあたりは,同じ貴族でも己の才覚で身を保っているドノバ候やバルバストル伯爵などの地方貴族と王権に守られた王都貴族の感覚の違いである。


「ブアッバ・エレ・ネルグレット様」


 ハプティスは床につかんばかりにネルグレットに頭を下げた。


「では、わたしはこれで失礼していいでしょうか」


 祐司は安物の茶番劇を見せられているようで今度こそ本当に切り上げたかった。


「いいだろう」


 ネルグレットは、少し居丈高な調子で言った。ネルグレット自身は自覚していないかも知れないが、それがネルグレット本来の言い慣れた口調なのだろうと祐司は思った。


「では、明日、一番に仕事を始めます。今日は村で昼食を食べてから代官所のヴァジーム様と打ち合わせをします」


「そうしてくれ」


 祐司はネルグレットに深く頭を下げるとパーヴォットをともなって部屋から出た。



「なんて、意地の悪い女でございましょう。それをユウジ様は手玉に取りましたね。いい気味でございます。ざまあみろでございますね」


 祐司が自分の部屋に戻るなり、パーヴォットが小気味よさそうに言った。


「あの人は底意地の悪い人ではないよ。ちょっとプライドが高すぎるだけだ」


 祐司はちょっとやり過ぎたかと反省していたので自分に言い聞かせるように言った。


「わたしにはそのように思えません。ユウジ様は騙されているのでございます。あのような女は、千年ほどもリンボを彷徨えばいいのでございます」

*リファニアでは死者が罪ある場合は”黄泉の国”に行く前に地獄に相当するリンボを彷徨う。


 パーヴォットにしては感情的に言った。


「パーヴォット、怒りにまかせて人のこと悪く言っていると自分に跳ね返ってくるぞ」


 祐司は、パーヴォットが調子に乗ってよからぬ事を言わないように釘を差した。


「申し訳ございません。慎みます」


 パーヴォットは少し頭を下げてから、思い切ったような口調で祐司に声をかけた。


「ユウジ様」


「なんだ」


「馬に乗って、ゆったりした礼服をマントのように翻してカッコよかったです。あの女も窓からじっと見ていました。だから…」


 パーヴォットは煮え切らなかった。


「だから、何だ」


「あんまりカッコいいと、ユウジ様のことを、あの女が…」


 祐司はパーヴォットがちょっとした嫉妬を燃やしているのかと感づいた。


「どうする」


「わかりません。でも、わたしは女ですからわかります」


「わからないけど、わかっているのか」


 祐司もわかるようで、わからないという気持ちだった。


 その時、部屋のドアをノックした音がした。祐司がドアを開けるとプロシウスが立っていた。

      

「ユウジ殿、お話があります」


 プロシウスは祐司の顔を見るなり慇懃な口調で言った。


「なんですか、プロシウスさん」


「ブアッバ・エレ・ネルグレット様が、ここの神殿と、王都タチでバーリフェルト家が懇意しているヌタリ神殿の”太古の書”は全て写本にして王都で渡すということです。

 ヌタリ神殿は七百年の歴史のある神殿で、今、あちらこちらにあります”マリ書”の写本とは異なった古い異本を持っております。それを伝えろというご命令でした」


 太古の書の写本を渡すというのは、印刷術のないリファニアでは大層な報償である。祐司は、プロシウスの入れ知恵だろうと思ったが、古い写本が入手出来るのは有難いので、おくびにも出さずに了承した。


「それから、昼食は、この城で用意いたします。ブアッバ・エレ・ネルグレット様もハプティス様も王都での生活に慣れきってしまい当たり前のことに気がつきません。

 どうか、当家に恥をかかさないください。気に入らないことはどうかわたしにお言いつけください」


 プロシウスは、そう言うと少し頭を下げた。


「わかりました」


 祐司は笑顔でプロシウスに声をかけた。



挿絵(By みてみん)


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