最果ての村アヒレス5 呪い返し
翌朝、祐司が起きた時には、ヨスタは朝食を終えて店に出かけるところだった。
「おはようございます。お疲れのようでしたので起こすが躊躇われました」
「ナチャーレ・グネリの様子を見にいきます。いっしょに行きますか」
祐司は急いで服を着ながらヨスタに聞いた。
「ええ、是非」
朝、顔を洗ったり歯を磨いたりする習慣は、この世界では一般的ではない。祐司が慌ただしくも洗顔をして口をゆすいでいるのを見て、ヨスタは祐司は裕福な名家の出であろうと思った。
祐司の身支度がすむと二人は神官館に急いだ。
神官館の手前の位置にある神殿からグネリが飛び出してきた。
「ああ、ユウジ様、ご無事ですか。どこかお体の具合がおかしいところはありませんか」
「かなりお疲れのご様子ですが」
目の下にクマのできたグネリを見て祐司が言った。最初に会った時のように、グネリからは巫術のエネルギーに反応する光は出ていなかった。
祐司は夕べも清楚な感じをグネリから受けていたが、今日は近寄るのが憚れるぐらいの潔癖な感じを受けた。
ヨスタは昨日見たグネリの生臭いような雰囲気がすっかり抜けているのを感じていた。
「はい、徹夜で祈っておりました」
グネリは小さな声で言った。
「えー、あれからですか?」
祐司の言葉にグネリは俯いてしまった。ヨスタは聞かなかったことにしようと思った。
「しかし、ディオンとかいう男はどうしてしまったのでしょうか?」
ヨスタが二人に大きな声で言った。
「千年巫女の祭礼場はかなり遠いからまだ到着していないのでは」
「いいえ、夜でも一刻(二時間)はかかりません」
グネリが不思議そうに言う。
「ええ、それじゃディオンは馬並みの速度で走れるんですか?」
「あの祭礼場の場所はご存じでしょうか」
「はい、”迷いの森”が北の街道に最も近づくところから五リーグ(約八キロ)ほど離れた所です。岩壁に千年巫女の絵が描いてありました」
祐司の言葉にグネリとヨスタは顔を見合わせた。
「笑っていいのやら、なんと言っていいのか」
ヨスタが言う。
「ユウジ様、そこは秘密の祭礼場でございます。わたくしが真の夏至の日に千年巫女様をお迎えする場所でございます」
グネリはそう言うと祐司に軽く頭を下げた。
「真の夏至の日?」
祐司はこの世界の暦を思い出した。春分は冬至から九十日目、夏至は百八十日目である。しかし、太陽年は三百六十五日であるから、冬至から半年後の夏至は百八十二.五日目になる。
「夏至の日の二日ないし三日後のことですか?」
「はい三日後です。村の近くの祭礼場で村の皆様と、ノーマ神とそれに仕える千年巫女様をお祭りいたしましてから、その秘密の祭礼場で一人で秘儀を行います」
グネリは頭を下げたまま説明した。
「じゃ、ディオンが行ったのは近くの?」
あっけに取られた祐司が間が抜けたように言う。
「ここから二リーグほど行った山の中です」
頭を上げたグネリが静かに答えた。
「誰かを見にやらないと!いや、僕がいきましょう」
そう言った祐司は走り出さんばかりだった。
「ユウジさん、あせってはいけません。行くといってもユウジさんは場所も知らないでしょう。ここは様子を見ましょう。
たいてい、祭礼場には信心深い者達が朝の礼拝に行っております。何かあれば連絡がありましょう。下手に動いて痛くもない腹を探られるのは避けるのが賢明かと」
ヨスタが冷静な口調で言った。
「それよりユウジ様、村長のところへ挨拶に行きましょう。昨日はどさくさで、ちゃんとした挨拶もできませんでしたからね。小さな村ですがメンツは大事にしないといけません」
祐司が落ち着いたことを確かめるとヨスタは続けて言った。
「グネリさんも一緒に行きますか」
祐司はグネリに言った。グネリはヨスタの顔を見た。ヨスタは頷いた。
「ナチャーレ・グネリ、夕べ貴女は一晩中祈っていたと言いましたが誰かに見られましたか?」
ヨスタは村長の家に向かって歩きながらグネリに聞いた。
「夜警団が何回か神殿の前を通りました。一度は中に入ってきました。ずっと明かりがついているのに不審感をもったのでしょう。でも、わたしが祈っているのを見て黙って出て行きました」
「じゃ、大丈夫です。ユウジ様が一晩巡礼宿舎にいたことはわたしが知っています」
「慎重ですね」
祐司はそう言いながら、ヨスタがかなり世慣れた男だとようやく気づいた。
「ややこしいことになった時にあわてないためですよ」
「あなたが巡礼者宿舎にいたことは誰が?」
「わたしは、ディオンと揉めるほどの関係はありません。誰も気にしません」
祐司の問いかけにヨスタは首を横に振りながら言った。
「グネリさん、ディオンのことで、貴女がこの村の神官であることに、なんて言うか」
祐司は気になっていたことを口に出した。そして、祐司の予想のようにヨスタが的確な指示を出した。
「ナチャーレ・グネリ、村長はメンツを重んじます。ですから、ディオンのことは胸元に飛び込んで正直の言ったほうがいいです。村長だけには打ち明けると言ってね。
でも、夕べ私たちに話したことを全部は言わなくていいと思います。ヘルトナの街に行ったときにディオンと間違いを犯してしまった。その後、ディオンは二人の仲を公言すると脅かした。しかたなしに息子のふりをさせて同居させてしまった。
でも、あれほど酷い男とは思わなかった。これだけで良いです。で、ユウジ様とわたしに意見をされて村長に告白に来ましたと言えばいい。」
グネリは頷いた。
「話が変わりますが、わたしは余所者ゆえリファニアの世事に疎いので、不都合な言動がありましたらご指摘ください」
祐司はヨスタに頭を下げながら言った。
「そのようにいちいち頭をさげられましては」
ヨスタが苦笑いをする。
「申し訳ありません。これは故郷の風習でついつい」
「丁寧なのは結構ですが強弱というものがあります」
「では、早速ですが村で強の方は」
「もちろん村長と神官が最上位、次位が村会メンバー、そして一般村民、村内では農地持ちや専属の猟師、木樵と言った仕事で細かな上下関係があるようですが私たちには関係ないでしょう。最後はこの村では数は少ないですが作男や下女といった順です。
ごく普通だと思います。ここには奴隷はおりませんから一応誰にでも挨拶を忘れずにしておくのが無難です」
ヨスタは丁寧に説明してくれた。
「みんなに挨拶をするという方が僕にとっては簡単で馴染みがあっていいです。ところで、村会メンバーというのはどう選ぶのですか?」
「基本は世襲ですな。ただ村の代表ということで体面もありますから、あまりに困窮してしまうと辞任せざる得ません。その後釜は村民会の話し合いで決めます」
「村会と村民会は違うのですか?」
「村民会は村に所属する自由民全員が参加します。まあ、先ほどの村会メンバーを決めるときか、村の危急存亡の時以外には開かれません。別の言い方をするとこの会議が開かれる村はおわりということです」
「この北クルト伯領では村長と村会のメンバーは、御領主から郷士格の待遇を受けております」
「一般の村民とは違うということですか」
「郷士格ということで、村内の自治と簡易な事件の裁断は村会メンバーが行います」
「ですから昨日は村長が命がけでその権利を守ろうとしたのですね」
「村外の人間から見れば対した権威ではありませんがね。郷士はどこに行っても郷士として遇してくれますが、郷士格が通用するのは領内だけです。それもちゃんと遇してくれるのは村内だけです。領内のあつかいも郷士のように全面的な免税対象ではなく税に手心を加えてという程度です。
ただ領主の代替わりや婚姻などの行事に招待されます。祝儀もそれなりに出さねばなりませんから痛し痒しですな。それに、郷士格の家は最低一人は兵士として無給で出ていかないといけない。まあ、食べ物は出してくれますから口減らしにはなります」
ヨスタは多少皮肉っぽく言った。
「それでも、少し余裕がある平民ならなってみたいと思うんじゃありませんか?」
「さすがユウジ様、察しがよろしいですな。郷士は税は免除ですから領主としては増やしたくない。今では断絶した家の分くらいしか郷士の任命は行われません」
「しかし、郷士の数は直接、兵力の多寡にかかわる」
祐司は独り言のように言った。
「そうです。領主の方も郷士格という安価な兵士を得られる。郷士格をもらった平民はその町や村で領主公認の顔役になれる。万が一戦場で手柄を立てれば本物の郷士になれるって夢もありますしね。剣術や槍術に凝る者もおります」
「ひょっとして商人は郷士格になれないんじゃないですか?」
祐司はヨスタの口調から郷士や郷士格にあまりいい印象を持っていなのではと思った。
「まあね、武勇を名誉とする郷士とは商人は相性が悪いです。でも、最近、御領主の周辺では郷士格のような名誉職に限って売官制度を北クルト伯領でも導入してはという声があるようです」
ヨスタの口調は批判的なものだった。
「どこも財政難ってことですか」
「わたしは興味がありません。分不相応なものはお得意様のご機嫌を損ねるだけですよ」
ヨスタはそういうと目の前の家を指さした。
「さあ、ここが村長の家です」
村の家の中ではかなり大きな家だが、平屋で石の壁、藁屋根という形式は同じだった。
「お得意様ですね」
祐司はヨスタに微笑んで言った。
「村会メンバーはツバのある帽子を被っていますから、出会ったら少し慇懃に挨拶してください」
ヨスタは服装を整えながら言った。
村長は作男に農作業の指示を庭先でしていたが、三人の訪問を歓待してくれた。祐司は話に聞いていたように、自分ができる最大限の敬意をもって村長に挨拶をして、昨日の夕食の差し入れに謝辞を述べた。
その後、グネリが村長に話があると言って、二人で村長の家の中に入っていった。しばらくして、村長とグネリが家から出てくると何事かを村中にふれながら走ってきた男が二人の姿を見つけて大声で言った。
「村長、ナチャーレ・グネリ様、すぐ一緒にお越しください。千年巫女様の祭礼場で死体が見つかりました」
結局、村長、主な村会メンバー、グネリといった村の指導者層を筆頭に、その他、話を聞いた村人多数、店はどうせ開店休業になるからとヨスタ、ついでに祐司がぞろぞろとついて行く。
「やはり、神々の懲罰というんものはあるんだな」
「そんな神を疑うようなことを言ってると次はお前の番だぞ」
「よせや、あんな死に方はしたくねえ」
すでに噂を聞きつけた村人が数十人ほど祭礼場の前でたむろしていた。
祭礼場はなだらかな山の頂上、広場のようになっている一角に北を背にしてあった。三メートル四方程の石造りだが神社に様子の似た建物だった。木造の観音開きの戸が開けられて一抱えほどの石が安置してあるのが見える。
石全体からは薄くだが光が発せられているのが祐司の目にはわかった。
祭礼場の戸の前にディオンの死体はあった。どす黒い血が辺りの地面に染みこんでいる。
ディオンは短剣を両手で自分の方に向けて握っていた。
下は足の甲、ふくらはぎ、もも、上は両目に鼻、口が短剣で刺されて顔は判別しがたいほどに損傷していた。
そして、腹部に数カ所、一つは余程深く、また切腹のように横に引いたらしく腸の一部が傷口からはみ出ている。そして、深々と鳩尾の辺りに硬く握りしめた短剣を自分で突き刺して息絶えていた。
「ユウジ様、ディオンはこのような恐ろしいことを貴方様にもたらそうとしたに相違ありません」
グネリが震えた声で言った。
「呪い返し」
村長が呟いた。そして祐司に聞いた。
「貴方様は名のある巫術師なのですか」
「いいえ、神々と千年巫女様のご加護のおかげでございます。特に、昨夜はナチャーレ・グネリ様がわたくしのために一晩、ご加護の祈りを捧げてくれました」
「村長、本当です。オレは昨日は夜警当番だったですが、真夜中から夜明けまでナチャーレ・グネリ様は神殿で祈っておられました」
一人の村人が村長に進言した。
「ああ、尊いことであられます。ナチャーレ・グネリよ。これからもアヒレス村の守護と神々のお導きを我らにもたらさせたてまつりませ」
村長の言葉はこの一年ばかりのグネリへの不満を水に流して、神官として信任するとの表現だった。
村長は両手を組むと深々とグネリに頭を下げた。それにつられて村人は膝をついてグネリに手を合わせ祈りの格好をする。
「グネリ様、この石を触っていいでしょうか。千年巫女様のご加護を頂きたいのです」
祐司はディオンの死体が片付けられ、血の染みこんだ土が掘り起こされて周囲から運ばれた土でその穴が埋められている時にグネリに聞いた。
「はい」
グネリは笑顔で許可してくれた。
グネリの許しを得ると、祭礼場の石を触るふりをして持っていた水晶ですっかり石の巫術エネルギーを吸い取ってしまった。
{この力は災いに作用することが多いんです。霊力みたいなものはなくなりましたがイワシの頭も信心といいます。石はこれからも大切にしてください}祐司は心の中で村人達に話した。
「図らずも呪い返しということになってしまいました」
昼前に神官館にグネリと戻った祐司は謝罪するように言った。
「ユウジ様、わたしはわたしの心が恐ろしゅうございます。もうあの男のことが忌まわしく思えます」
グネリは突然、祐司に抱きついた。
「ユウジ様、お慕い申しております」
スヴェアが想定していたのは一回だけだろうと祐司は思った。祐司はスヴェアとグネリとの板挟みに陥った。




