虹の里、領主領バーリフェルト3 通行止め
祐司とパーヴォットは、道行きがはかどり二つの小領主の領地を横切って、ブミハツトという名の集落で宿をとることになった。
はかどってと言っても、祐司は一願巡礼という肩書きがある以上、それなりの神殿や祠を無視して通過もできない。どんなに急いで参拝をしても、その手間に半刻ばかりはかかっていた。
ただ、神殿に参拝すれば、神官から有益な情報も貰えるので丸々時間的に損をするというわけでもなかった。
また、昼食時の休憩には、ほんの少しばかりの時間だが、祐司は薬草を探した。これは、金にしようと言うよりもカンを鈍らせない理由もあった。
日はまだ西の空に出ていたが、確実な夜がある季節になり旅の安全を期して、祐司は、明るい時間から宿に入る事に決めていた。
田舎の居酒屋は二階に数室の客室を持っていることが多かった。ベッドはリファニア世界では金属製のスプリングが特殊な工作物であるために、藁などを寝床に敷いた木製のベッドが大半である。
早い話がリファニアのベッドとは四角い木の箱に足がついたような物である。
最も、程度のいい宿屋であれば、ベッドのマットには羊毛が詰め込まれている。次等の宿屋では亜麻が詰め込まれている。
そして、大半の宿屋は藁が、そのままベッドに敷かれてシーツか毛布がかけてある。ただし、藁のベットにも上下があり、丁寧な宿屋では数週間おきに藁をかえていた。そして、無精な宿屋だと、何年使っているのかわからないような藁が敷いてあった。
大きな街では、充分に宿屋を吟味できる。小さな街でも数軒の宿屋がある。ところが、今夜、泊まるブミハツトのような集落になると宿屋が一軒といった所が普通であり、宿屋を選ぶなどと言うことはできない。
ブミハツトの宿屋のベッドも、かなりくたびれた藁が薄目に敷いてあるだけだった。
ただ、そのような宿屋でも少し金を出せば、羊毛や麻を詰め込んだ敷き布団と毛布を貸してくれる。
祐司は長逗留する場合以外は、ノミやシラミの害を避けるという衛生上の問題から敷き布団だけを借りて、そこに自分で持ち込んだシーツを敷いて、自分の毛布を掛け布団にしていた。
特にシラミは発疹チフスを媒介するために、祐司は旅の間でも、できるだけ下着以外の服装も変えるようにしていた。祐司が風呂にこだわるのは、入浴の心地よさ以外にシラミの害を避ける目的もあった。
リファニアではセンブリ科の植物を乾燥させてから、粉末状にしたシラミやノミに対する忌避剤が知られていた。
祐司はその植物が日本で言うところのセンブリとは知らなかったが自分で採取したセンブリから作った粉末を持っていた。このような備えをしていても、祐司は何度もノミにしてやられていた。
祐司は宿の主人に、敷き布団を依頼するついでに、風呂が用事出来るかを聞きに行った。部屋に戻るとパーヴォットが祐司の洗濯物を集めているところだった。
「やっぱり風呂はないそうだ。どうしてもというのなら、桶に入ったお湯を用意してくれるそうだ」
「ユウジさまは、何をおいても風呂で御座いますね」
パーヴォットが笑顔で言った。
「風呂に入れるなら一食なくてもいいさ」
「それにしては、宿に着いてから何度も腹が減ったと愚痴られておられます」
「そうだったかな。パーヴォット、洗濯物を頼むついでに、そのお湯の入った桶でいっしょに足湯をしよう。今、思いついた」
「足湯ってなんですか」
「ついてくればわかる」
祐司は洗濯物を持ったパーヴォットを連れて階下に降りた。宿屋のカウンターと居酒屋のカウンター席を兼用している場所にいた宿の主人に銅貨を二枚渡して大きな桶にお湯を一杯もらった。
そして、店の裏にそのお湯の入った桶と椅子を持ちして、祐司は裸足になるとパーヴォットと足湯を始めた。
ふと、祐司がパーヴォットの方を見るとパーヴォットのやや薄い茶色の髪の毛が西日を浴びて、金髪のように輝いていた。
それを見ながら祐司は不思議な感慨にとらわれた。ヨーロッパ系の血が濃い少女と足湯をするなどとは日本にいたら想像もしなかったに違いない。
「なんか体が温まってきたような感じです。足も楽です」
そう言ったパーヴォットは足を動かした。パーヴォットの足が祐司の足に重なった。
「あ、申し訳ありません」
「いいさ。パーヴォットは足が柔らかいな」
祐司はそう言って、自分の足の甲をパーヴォットの足の底に当てた。
「ユウジ様、ダメです。わたしが下です」
パーヴォットの声は、日本の女子中学生が友達といる時に出すような無邪気な声だと祐司は感じた。
パーヴォットは素早く自分の足を祐司の足の下にした。祐司の足の裏にパーヴォットの滑るような足の甲の感覚が伝わった。
「よし、こうしてやる」
祐司は今度は、両足の土踏まずでパーヴォットの足首を挟んだ。
「くすぐったいです。それに、そんなに力を入れたら痛いです」
そう言ったパーヴォットは祐司の顔を見た。いつも見慣れているパーヴォットの顔がまぶしかった。祐司は切ないような気持ちが胸に満ちてきた。そして、祐司は無理矢理に、その気持ちを押し殺した。
「さあ、お遊びしてないで、ちゃんと足湯をしよう」
祐司はパーヴォットの足首から足を離した。
「ユウジ様は、わたしの後見人です」
パーヴォットがぽつりと言った。
後見人という言葉を使っているが、日本語の後見人とはリファニアの後見人は大きく意味合いが違う。
リファニアの後見人は衣食住の面倒をみる代わりに、生命を奪ったり、身体を毀損しない限りは、性的な要求も含めて被後見者に何を要求してもよい。年季奉公という形で売ることさえできる。
「そうだったな。それよりこの辺りはよい馬を産出するそうだ。きっと、いい秣もあるに違いない。宿の主人に少し酒手を出して馬にいい秣を食べさせてやろう」
祐司は、生臭い話になるのを避けた。
「元気がでたところで、食堂へ行こう」
桶に入った足の先を眺めているパーヴォットに祐司は声をかけた。パーヴォットは祐司の方を見ると、笑顔で「はい」と答えた。
祐司たちの客室は二階にあり食堂は一階にあった。宿屋の食堂といっても、リファニアでは貴族が出入りするような余程高級な宿以外の食堂は近在の者たちの居酒屋である。
多少騒がしいが、ここで、聞き耳を立てているだけで色々な情報が入ってくる。
「おや、珍しいな一願巡礼さんだ。どこから来た」
さっそく、余所者を見つけた五十がらみの農夫が声をかけてきた。
「バナミナから来ました。これからタチに向かいます」
祐司は、常に何処から来たと問われれば一番近い出発場所の大きな都市名を答えることにしている。
「タチか。オレも死ぬまでには一度くらいは行ってみたいな」
農夫は羨ましそうに言った。
「お爺さん、元気がいいですね」
パーヴォットがベタなことを口にした。
「ああ、この村で鍛冶屋をやって三十年だ。ところで、一願巡礼さんはバナミナから来たんだろう。あの一揆騒ぎの様子を教えてくれないか」
祐司が男がかなり日に焼けているので農夫だと思った男は鍛冶屋だった。ただ、田舎の鍛冶屋はちょっとした農地を持っていることが多い。
祐司が情報を集めるどころか、格好の酒の肴にされてしまった。さんざん、鍛冶屋にバナミナでのことを聞かれた。
ようやく、話し好きの鍛冶屋から解放されて、祐司達が奥まった場所にあるテーブルで定食を食べていると、今度は赤ら顔の老人が話しかけてきた。
「お前さん、タチに行くんだったな。少々拙いことが起こっているぞ」
「何事ですか」
「この先のバーリフェルト男爵領が出入り禁止になった。夕方、村にここの御領主様からの知らせが届いた」
「ご主人、それは本当ですか」
祐司は追加のビールを運んで来た宿屋の主人に聞いた。
「ああ、オレもついさっき聞いた。何か捕り物があるらしい。山狩りでバーリフェルト男爵領の住民が動員されているそうだ」
「いつまで出入り禁止ですか」
祐司の質問に主人も困り顔で言った。
「それも皆目わからない」
「困りましたね」
パーヴォットが祐司の方を見ながら言った。そこに、先程の赤ら顔の男が助け船を出した来た。
「少し遠回りだが、急いでいるならバーリフェルト男爵領を避けるように男爵領の南にそって山道みたいな間道がある。荷車でも通れないことはないが、かなり難儀するだろうな。
北にも道がある。北の方へ行く脇街道だ。そこから、西に行く間道がある。山道みたいなものだが、七八リーグばかり我慢すると、今度は西の脇街道に出る。南より更に遠回りだ。ただし、山道以外の道はいい」
「北と南の御領主はどなたですか」
祐司は評判の良くない領主の領地を通りたくなかったので赤ら顔の男に聞いた。横から鍛冶屋が口を出してきた。
「北はコンエミネ子爵領、南はラルスーア準男爵領だ。北のコンエミネ子爵領の間道は途中まではかなり細い山道だが、北からの脇街道が途中で合流しているので、そこからは道はよくなる。でも、その先には常設の関所があるぞ。
南は荷馬車がやっと通れるほどの道だ。関所はあるが、時折、兵士がいる程度で、いなければタダで通れる。確かな話だ」
鍛冶屋は周囲を見ながら同意を求めた。祐司は南北どちらの領主の悪い評判は聞いたことがなかったので、その点からは南北どちらの道も選べると思った。
「どちらが、近いのですか」
祐司達と同宿していた隊商のリーダーが聞いた。
「北の方が多少近いかな。歩きにくい山道は全体の四分の一ほどで後は歩きやすい街道並の道だ。南はずっと荒れた道になっている」
鍛冶屋の言葉に、隊商のリーダーはテーブルに戻って仲間達と相談を始めた。
「北から行きましょう」
パーヴォットが迷わず祐司に言った。
「そうだな」
祐司も内心は北の道を選んでいた。
翌日、遠回りをするために、次の宿がある集落までは七八リーグほど遠くなると言うことで、少し早めに祐司とパーヴォットは出立した。本街道を迂回するために遠回りになるからである。
「とんだ迷惑ですね。勝手に街道を封鎖していいんですか」
街道を歩き出すと、パーヴォットが祐司に不満げに聞いてきた。
「よろしくはないが、凶悪犯がいると言われたらな」
「どんな凶悪犯なんですか」
「そこがわからないんだ。今朝も宿の亭主に聞いたが、さっぱり情報がないらしい」
流石に早朝に宿を出たときは、オオカミの毛皮でも肩にかけたいほど気温は低かった。高緯度のリファニアでは南部でも、八月も後半になると急激に秋の気配が濃くなってきた。
道の両側に生えている落葉松の葉は、色づいてはいないが夏に輝いていた緑の葉ではなくどことなくくすんでいるように見えた。
本街道を二リーグほど行くと、宿で教えられたように北に向かう脇街道があった。同じような時刻に出立した隊商と巡礼の一団は、そのまま本街道を進んだ。更に先にある枝道で南に迂回するらしかった。
「北へ向かうのは数が少ないのかな」
祐司は多少なりとも意外そうに言った。
「それはそうでしょう。南に行けば関銭がいらないのですから。あの人達は人数も多いし、馬もたくさんいますから」
パーヴォットが笑いながら答える。関銭は人一人、馬一頭に対して銅貨三四枚であることが多いが人数が多ければかなりの出費である。
特に巡礼は貧乏旅行ということが多いから、多少の苦労があっても関所を避けられる安い道を選びやすい。
「でも、北の道は南よりいいいと言っていたが、いい道でこの状態だぞ。南の道が思いやられる。南の関所だって人がいないことが多いと言ってただけだ。荒れた道を苦労して進んで、関所に人がいたら目も当てられない」
祐司が言うように、道は日本の二人がようやく並んで歩けるほどの幅しかない山道という感じだった。
ところどころに、荷車の轍は残っていたがいずれも古い感じのもので、脇街道とはいえ交通の困難さを物語っていた。
そして、行けども行けども行き違う者はおらず、後ろから追いついてくる者もいなかった。
脇街道を三リーグばかり進むと、こんどは西に向かう山道が分岐していた。いよいよ、今日の行程で一番の難所に祐司とパーヴォットは入った。
道は穏やかな感じの山の谷底にそった道で起伏は少ないが、時々、谷を登って尾根に出てから別の谷に入る場所では歩くと息が上がるような傾斜があった。
「こんな急な坂を荷馬車が通れたのでしょうか」
パーヴォットが少し息を荒くしながら言った。
「いや、荷馬車の轍はここには見あたらない。車が通れる脇街道までは荷馬車で運んで、ここは馬の背に荷を積んだのだろう」
祐司も同じように喘ぎながら答えた。
「道を間違っているってことはないんでしょうか」
「細い道だがずっと続いているから間違いはないだろう。脇街道に出る五リーグほど手前で家ほどの大きな岩が道の右に見えてくると言っていたからそれがあれば確実だ」
祐司がそう言って、間もなく、幅の広い谷底のようになっている場所に大きな岩が道の右に見えてきた。そこは、谷底と言っても樹木が茂り視界の効かない場所だった。
「大分、距離を稼いだ。ここで、昼食にしよう」
祐司はパーヴォットに言った。樹木が密になってはいたが、太陽が南天近くにきて森の影が道全体を隠さなくなっていた。明るい場所と影の部分がモザイクのように散らばっていた。
そうでなければ、陰鬱な雰囲気のする場所で、わざわざ、祐司は昼食を食べるとは言い出さなかっただろう。
祐司とパーヴォットは道を少し離れた大きなカシの下で食事をすることにした。宿屋に頼んで売ってもらったチーズと、あぶり肉を挟み込んだパンと水筒にいれたハーブティーの簡便な昼食だった。
だが休息も兼ねるのと、馬とラバの背から一旦荷を降ろしてやり水や秣の世話までするために半刻ばかりの時間はかかった。
馬やラバは機械とは違うので休ませるときには、できるだけ負荷を取り除いてやらねばならない。
「静かな場所ですね。恐いくらいです。鳥の声さえあまりしません」
パーヴォットは少し気味悪そうに言った。
「そうだな。早く山道を抜け出て西の脇街道へ行こう。そこなら、多少は人も歩いているだろう」
「誰かが来ます。木の隙間からちらりと見えました。わたしたちが来た道の方です。斜面になった所です」
馬とラバに荷物を背負い直して出発しようとしていた時に、パーヴォットが怪訝な口調で言った。祐司達がいる場所から見ると、来た道はつづら折りになっており、道を横から見上げるような感じになっていた。
「これを使って見ろ」
祐司はオペラグラスをリュックサックから取り出してパーヴォットに渡した。
「いいんですか」
「使い方はわかっているだろう」
祐司は何回かオペラグラスの使い方をパーヴォットに教えていた。パーヴォットの視力をさらにカバーしようとしたのだ。ただ、パーヴォットは祐司が考えていたよりもさらに斜め上のことを言った。
「いりません。その道具は大きくは見えますが自分で見た方がよくわかります」
「どんな様子だ」
祐司は,パーヴォットに全て任せることにした。
「縛られた女の人がいました。後は七名は男です」
しばらく、鋭い目つきで見ていたパーヴォットが言った。
祐司は少し見上げた山道をオペラグラスでじっと見た。しかし、祐司には幾人の男が来るということしか見えなかった。
「女の服装した者はいないぞ」
祐司はパーヴォットに確かめた。
「男装しておりますが、縛られているのは女です」
パーヴォットが自信ありげに言った。
「山狩りの連中にしてはおかしな組み合わせだな。ちょっと、隠れてやり過ごそう」
祐司とパーヴォットは、馬とラバを森のなかの窪みになっている場所に連れて行った。そして、自分達は道のすぐ近くある大磐の後ろに隠れることにした。
「登って見ますか」
パーヴォットが小声で聞いた。
「そうだな。いくらかよく見えるだろう」
祐司とパーヴォットは磐に足をかけて磐の上に頭が出るくらいの所で止まった。
やがて、道の向こうから七人の男がやってきた。二人は二尋ほどの長さの長槍、あとの五人は剣で武装していた。
その男達の真ん中に腕ごと上半身を縛られて、猿ぐつわを噛まされた男装の若い女が引っ張られるようにして歩いていた。
長柄を持っている者は樹木に長柄が引っかかることを防ぐためか肩の上に長柄を水平に担いでいた。
「パーヴォット、声を出すな」
パーヴォットは頭を振って返事をした。その瞬間、磐に足をかけていたパーヴォットの身体が身長分ほどずり落ちた。足をかけていた部分が体重で剥がれて落ちたらしい。
パーヴォットは声を出さなかったが、さらに石が転がり落ちる音が派手にした。




