嵐の後7 舞台裏1 郷士ファティウスの推測 上
「よし、ここに通してくれ」
ダンダネールは執事に、そう言うと右手で顎をさすった。
暫くして、食堂に現れたファティウスは、ゴットフリートと同じインバネス型のケープを纏っていた。
「ファティウス殿、いつもは衣装に構わないのに今日はどうした気配だ」
ダンダネールが挨拶もなしに言った。
「いや、リファニア王の監察官であるキンベザ・ゴットフリー殿がお見えという話を聞き込んで失礼のない格好をしてきた」
ファティウスは、そう言うとゴットフリーに自己紹介をした。しかし、ダンダネールと祐司には挨拶無しに執事がさげてくれた椅子に座った。
「今、ハーブティーをお持ちします」
執事はそう言うと食堂から出て行った。
「ユウジ殿、ともかく、とんだ騒ぎに巻き込まれたな。実は守備隊隊長のガスバ・ウレリアノ殿より、お礼の品を預かってきた」
執事が出ていくと、ファティウスは机の上に、一抱えもあるような物を包んだ風呂敷のような布を置いた。
「お礼の品?ガスバ・ウレリアノ隊長からは金貨十枚をすでにいただきました」
「まあ、これを見てくれ」
ファティウスは、何かを包んだ布を解いた。そこには革のベストがあった。
「この革のベストは薄いが、そこらの鎖帷子並みの耐久力がある。そのベストを着られよ」
祐司はファティウスから革のベストを受け取った。それは、ずっしりした重さがあった。祐司は、何気なくベストの裏を見てみた。
そこには、鞘に入った短剣が三振りポケットのようになった場所に収納されていた。そのポケットのような場所は四箇所で一つは空いたままだった。
「これは?」
祐司は訳がわからず、短剣を指さしながら聞いた。
「見ての通り三本の短剣がベストの裏に収納されている。一振りはブルニンダ士爵の短剣、一振りはリストハルト師範の短剣だ。
そして、最後の一本は、最後まで元伯爵妃ランディーヌを庇って死んだジェリーヌが握っていた剣先から作った短剣だ」
ブルニンダ士爵の短剣とジェリーヌの剣から作ったという短剣は、巫術のエネルギーで強化していない鍛造の剣だった。
しかし、リストハルトの短剣は、巫術のエネルギーの光を放っており、祐司が使用すれば脆い金属塊になってしまうような代物だった。
「なぜ、ジェリーヌの剣があるのですか」
祐司は今は亡きジェリーヌの面影を頭に浮かべながら聞いた。
「ジェリーヌは遺書を隠し持っていた。それをガスバ・ウレリアノ隊長が見つけた。わしも、その遺書を読ませてもらった。
そこには、伯爵殿下に当てた謝罪と元伯爵妃ランディーヌへの忠誠を貫きたかった心情が綴られていた。そして、文末には自分の武器の一部でもいいのでユウジ殿に渡して欲しいと書かれていた」
祐司はジュリーヌの剣から作ったという短剣を取り出してみた。剣先から作られたという短剣は普通の短剣より平坦で、祐司の顔が鏡のように写っていた。
「このベストはさらにもう一振り収納できる。ドノバ候から拝領した短剣を収納するにはぴったりだろう。その剣を持っていればユウジ殿の武勇がひときわ引き立つ」
ファティウスは、微笑みながら言った。
このリファニアの人々の感覚は祐司が最も違和感を持つものである。以前、神官長のグネリが祐司が仕留めた狼を毛皮にして贈ってくれた。
しかし、その狼には祐司は悲しい想いがある。そんな、気持ちは計らないで、勇者に仕留めた狼を毛皮にして贈れば勇者は喜ぶだろうとしか考えない。(第三章 光の壁、風駈けるキリオキス山脈 キリオキスを越えて1 キリオキス山脈へ 上 参照)
今度の短剣も祐司が討ち取った者、言い換えれば殺した人間の遺品や、悲しい別れをした女の遺品である。
それを戦利品のように持ち歩くのは、現代日本に育った祐司の感覚からは今ひとつ理解できないものだった。
「ありがとうございます。ウレリアノ隊長にもお礼の手紙を書きます」
祐司はリファニアの常識に逆らわずに素直に礼の言葉を口にした。
貰った短剣と革のベストは、再び戦場に出るようなことがあれば実戦でも役に立つだろと祐司は思った。
革のベストは大柄な祐司から見てもゆったりとした作りで、甲冑の上から陣羽織のように着られそうだった。
「このベストは、限りなくレザーアーマーに似ていますが、ガスバ・ウレリアノ隊長の持ち物なのでしょうか」
祐司は短剣ばかりに気を取られていたが、ふと革のベストの出所が気になった。
「いや、ブルニンダ士爵の私物だ。ブルニンダ士爵は、そのベストを警備任務の時に使用するつもりだったようだ。
作らせてから、ほとんど使用していないようだ。ブルニンダ士爵を仕留めたのはユウジ殿だから戦利品として所有する権利がある。それを持っていてこそブルニンダ士爵を倒した証明となるぞ」
ファティウスの言葉は、祐司には、ある程度予想できたことだった。リファニアでは戦場で討ち取った相手の装備を戦利品とするのは当たり前のことだからである。
「それからこれはわたし個人のお礼の品だ。受け取ってくれ」
ファティウスは懐から、琥珀の首飾りを出してきた。それは、以前、近衛隊隊長デルベルトの奥方オレーシャがつけていた琥珀の首飾りに似ていた。
「昔はヒネナル川の岸辺から琥珀が多く得られた。今ではほとんど琥珀は産出しなくなったが、たまにはこのような大きな琥珀も見つかる。是非に、パーヴォットさんに貰っていただきたい」
「お礼といいますと?」
祐司はお礼と言われても心当たりがなかった。
「息子のヒルデベルトに助け船を出して貰った」
ファティウスは祐司を優しげな目で見ながら言った。
確かに祐司は、ファティウスの息子で、レティシアとアルカンの取調官であるヒルデベルトに母親であるロティルの遺体引き取りを拒むペトリを説得する方法を伝えた。
「助言とも言えないようなものです」
「その判断は助けて貰った方がする。大層、助かったそうだ。ユウジ殿の言うようにペトリを説得すると、涙を流して、母親のロティルに謝罪したそうだ。
そして、ロティルの遺骸を引き取って、今日、埋葬した。実はわしも葬儀に参加しておったのだ」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
祐司はペトリが母親の遺体を引き取って葬儀をしたということに安堵した。
「という訳だ。ユウジ殿は哀れな女の葬儀が出来るようにしてくれた。また、一人の男の人生を救ってくれた。お返しとしては、これでも間尺には合わぬかもしれないが受け取ってくれ」
「高価な物ではないのですか」
祐司はファティウスから琥珀の首飾りを受け取った。
「確かに買えば高価だ。下世話だが、この首飾りにある琥珀一つで銀貨六枚は下らない品だ。しかし、それは、わしがヒネナル川の岸辺で見つけた大きな鉱石から作らせた。
隠居してからは琥珀取りが趣味の一つだ。見つかればよし、見つからなくともよしと言うように欲を出さないで探すためか、神々は琥珀取りの山師が見つけるよりも、時々、大きな原石をわしに与えてくださる。だから、元はタダだ」
ファティウスは、タダだというが首飾りには四つの琥珀が用いられていた。それだけで、金貨二枚近い価値である。
百歩譲って、それらの琥珀をタダで入手したとしても、首飾りに加工するために職人に払った対価があるはずであるからまったくにタダではない。
「ユウジ殿、貰っておきなさい。確かに、ファティウス殿は、近在でも有名な琥珀取りの名人だ」
ダンダネールは微笑みながら祐司に言った。
「ダンダネール様がそこまでおっしゃいますのなら受け取らないのは返って失礼と存じます。喜んでいただきます。ファティウス様、ありがとうございます」
祐司が頭を下げて礼を言う。
「では、さっそくパーヴォット殿に」
琥珀の首飾りを、少年と偽っているパーヴォットにというのは、現代の日本では違和感があるかもしれないが、リファニアの習慣では首飾りを男性が使用していても不思議ではない。
「パーヴォット、こちらに」
祐司は首飾りをかざしながらパーヴォットに言った。
「何故、従者のわたしめに、このような不相応な品を」
パーヴォットは、少しも動かないでファティウスに聞いた。ファティウスは優しげな声で説明した。
「事情は聞いておる。パーヴォット殿が従者と言うのは仮の姿であろう。どうせ、ユウジ殿は、バルバストル伯爵殿下から、大層な褒美を貰う。
だから、ユウジ殿が可愛がっておるパーヴォット殿に贈りたかったのだ。さすれば、ユウジ殿も喜んでくれるからな」
祐司が、再度、パーヴォットを呼ぶと、パーヴォットはおずおずと祐司に近づいてきた。祐司は琥珀の首飾りをパーヴォット首にかけた。
「うん。わしの見立てたと通りだ。琥珀の首飾りは人を選ぶ。大概は、琥珀の首飾りをつけているのではなく、首飾りの台になってしまう女が多い。琥珀の方に人の目が行ってしまい、どちらが主人公だかわからなくなるのだ。
パーヴォット殿は、よく似合っている。自然と琥珀が馴染んでおる。琥珀もこのような女性に身につけて貰いたかろう」
「ファティウス様は、パーヴォットが女の子だと、ご存知だったのですね」
祐司はびっくりして聞いた。
「わしの目を節穴とでも思っていたか」
ファティウスは笑いながら答えた。
「ご慧眼恐れ入ります」
祐司はファティウスに深く頭を下げた。
「ダンダネール殿、今日のお勤めは?」
ファティウスは、ダンダネールの方を振り向くとそっけない感じで聞いた。
「今日は伯爵殿下より仕事を免除していただいた。ところで、ファティウス殿、ユウジ殿に品物をもってきた事の他に今日はどのような案件で」
ダンダネールの言葉を聞きながら、ファティウスは椅子に座って少し大きな声で言った。
「ワシの推論を確かめたい」
「推論?」
ダンダネールが右の眉をつり上げて言った。祐司はかすかにダンダネールが発する光に濃淡が出たことを見逃さなかった。動揺しているのである。
「今度の騒乱の背景についてだ」
「背景ですか?そう複雑なこともないと思いますが」
そう言ったダンダネールの光は再び濃淡が出た。
「大筋では見えてることだけで説明できる。だが、隠されていることもあろう。わしは個人的な興味からそれを確かめたいのだ。
最初に重ねて言っておくが、隠されている話を誰かに口外する意図はない。むしろ、今後のために積極的に隠すことに尽力もしよう。しかし、何を隠すかは、隠すべき物がわからないのでは話にならない」
ファティウスは、ダンダネールの動揺を知っているのか知らないのかはわからないが、ダンダネールに切り込むような調子で言った。
「さて、今更だが、ユウジ殿は今度の戦で古今無双の手柄をモノにした」
「手柄ですか。確かにちょっとは。エネネリの裁判の日に暴れた自覚はありますが」
祐司はいまだに、今回のバナミナの騒乱での、古今無双の手柄とか武功第一などと言われてもしっくりこない。
「王都派有力者デルベルトに重傷を負わした。結局、デルベルトはその傷がもとで死んだ。ユウジ殿が討ち取ったということだ。デルベルトは敵の主将だ」
ファティウスは少し声量を上げて言った。
「あれはパーヴォットの手柄です」
祐司は心底、そう思っていた。
「伯爵の危難を救い、ブルニンダ士爵を仕留めた。敵将と副将を倒したのだ」
ファティウスは祐司の言葉など聞こえなかったように話を続けた。
「ブルニンダ士爵は王都派第一の強行派だ。伯爵妃ランディーヌの恩寵をカサにしてデルベルトについで発言力があった。伯爵殺害を狙った陰謀の首謀者だ。ブルニンダ士爵は敵の副将と見てもいい。
王都派の中で影が薄く今度の騒乱で名を下げた元家老のバルマデン準男爵は穏健派で、地元派と王都派の和解を画策していた」
「何故、そのようなことをご存知か」
ダンダネールは発する光を緩やかに点滅させながらファティウスに聞いた。祐司はファティウスの言うことは図星だと思った。
「わしは中立だからな。まあ、王都派から見れば、王都から来たわしが中立と言っても単なる寝返り、裏切り者だ。
しかし、切羽詰まったバルマデン準男爵は、何度もわしに仲介の労を執ってくれと言い寄ってきた。まあ、バルマデン準男爵が望む相手に伝言だけはしたがな。その代わりに有益な情報をもらった」
そう言ったファティウスはダンダネールに向かって、ダンダネールの癖である右の眉を上げる仕草を真似して見せた。
どうやら、話の流れと、ファティウスとダンダネールの間に流れる気配からファティウスはダンダネールにもバルマデン準男爵の伝言を伝えたことがあるようだった。
「何故、バルマデン準男爵は切羽詰まっていたのですか」
パーヴォットが恐る恐る聞いた。
「その話は後でする」
ファティウスはパーヴォットを見て微笑んで言った。
「ひょっとして…」
ダンダネールの光が落ち着いてきた。
「そうだ。この二年ほど何回か密告の手紙があっただろう」
「ファティウス殿からの密告だったのですか。何故、直接言ってくれなかったのですか」
ダンダネールは得心したように言った。
「わしは中立で通っているからな。どちらからも、そう思われているのが、わしの存在意義というものだ」
ファティウスは一息置いた。そして、ひどく生真面目な口調で言った。
「バルマデン準男爵はブルニンダ士爵の伯爵暗殺計画をずっと阻止していた」
「ブルニンダ士爵の伯爵暗殺計画?」
祐司が誰に言うことなく呟いた。
「ひょっとして伯爵様の殺害は、剣術師範リストハルトのような跳ね上がりだけでなく前から計画されていたと」
じっと話を聞いていたゴットフリーが口を両手で塞ぐような仕草をしながら言った。
「証拠は?バルマデン準男爵からの情報ですか」
ダンダネールは皮肉ぽっく聞いた。
「まさか、バルマデン準男爵が、そんな情報を事細かに知っていたら何かしらの手を打っている。
ということは、ブルニンダ士爵らの強固派が、バルマデン準男爵に知られずに計画して、知らないうちにうやむやになったようだな」
ダンダネールは何事かを探るようにファティウスを見つめていた。ファティウスは、ダンダネールを無視するかのように話を続けた。
「最近のことを言おう。今年の夏至祭の日、バルバストル伯爵殿下は恒例になっている、悪神ゾドンへの焼却を伯爵妃と見物する予定だった。
ところが、同行するはずの二人が別々に現れた。それも、伯爵殿下はいつにも増して、多くの守備隊兵士を引き連れていた」
ファティウスの言葉にゴッドフリーが呆れたように言った。
「それでは、暗殺計画があったという証拠にはなりません」
「わしは法廷で証明しようとしている訳ではない。自分が納得できればいいのだ」
ファティウスはひょうひょうとした調子で答えた。その様子にダンダネールは少し目を閉じてから低い声でしゃべり出した。
「いいでしょう。そのうち王都派の裁判が何件か始まる。その時に、法廷で明らかにされるはずだ。
それまでは、詳細は言えないが確かに暗殺計画があり、こちらもかぎつけていた。それを裏付けるように、二度、バルマデン準男爵から警告を受け取ったことがある」
「ほう、わたしを介さないとなると緊急のことだったのだな」
ファティウスは興味深そうに言った。
「では、反逆者の頭目の一人とされるバルマデン準男爵は、伯爵殿下の命の恩人ですか。それで、命を救われ扶持までもらえるのですね」
パーヴォットが得心したように呟いた。
「まあな、ただ、この話は、歴史を紐解く者によって、何年、あるいは何十年かして王都派の影響がまったくなくなってから明らかにされるだろう。
今はバルマデン準男爵が反逆者の頭目の一人だと思われている方が都合がいい。そうであろう、ダンダネール殿」
ファティウスの揺さぶりのような言葉に、ダンダネールは何も答えなかった。奇しくも部屋にいる人間には、それが肯定の意志表示のように感じられた。




